02 ヴィンセント、再び



 私は3号を抱っこし、ヴィンセントが待つ客室へ向かった。


(一体、何の用かしら……)


 まさかお茶会の時の報復? それとも婚約の申し込みを蹴ったことだろうか。どちらにせよ、心当たりしかない。


「クリス、クリス!」


 後ろからジェットに呼びかけられ、私が振り返る。すると、ジェットは私の額にちゅっとキスをする。


(っ⁉)


 そして、彼は抱っこしている3号にもキスをして、あくどい笑みを浮かべた。


「さぁ、思念通話もできるようになったし。行こうか……クリス」


 後ろから私の首に腕を回して、彼は本当に憑りついているような体勢だった。


 ジェットのただならぬ様子に私は静かに冷汗を掻く。


(ジェット、今回は何もしないでよ?)

「何もしないさ。アイツが何もしなかったらね」


 声はいつもの調子なのに、顔が見えないだけでかなり怖い。


 私は二重の意味で緊張を抱えながら、ヴィンセントが待つ部屋をノックした。


 ドアを開けると、そこにはヴィンセントが生意気にも足を組んで待っており、私は彼に一礼をする。


「お待たせしてしまい、申し訳あ……」

「ヴィ~ンセぇ~ントぉーっ!」


 私の脇をすり抜け、ジェットが怨念を込めた声で名前を呼びながらヴィンセントに突撃していく。


「婚約蹴られたくせに、セレスチアル家に来るなんていい度胸だな! 偉そうに足組んでるけど、短い足で頑張ってるのは見え見えだからなぁ!」


 相手に聞かれてない事を良いことに言いたい放題のジェット。私は呆気に取られていると、ヴィンセントが怪訝な顔をする。


「なんだ?」

「あ、いえ。お待たせしてすみませんでした。お越しくださりありがとうございます」


 私が淑女らしく挨拶するが、ヴィンセントのすぐ目の前で「お前、しつこいからいつもフラれるんだぞ!」と威嚇するジェット。


 私はジェットのこっそり襟首を掴んで引き離し、ヴィンセントの前に座った。


(ジェット、落ち着いて)


 私はジェットを宥めるが、ジェットは頬をぱんぱんに膨らませている。まるでフグの威嚇のようだ。今も彼は「今晩、ピーマンの肉詰めしか出ない呪いを掛けてやるからなぁーっ!」と訳の分からない事を言っている。


 こんな不機嫌丸出しのジェットを見るのは、初めてかもしれない。


 私はジェットを無視してヴィンセントに話しかけた。


「お城でのお茶会以来ですね」


 いきなりお客様に「何しに来たんだよ」と本音をぶつけるわけにいかず、私は適当に話を振る。しかし、隣に座る悪魔は──


「何しに来たんだ、帰れよ」


 私の代わりに本音をぶつけていた。


 周りのメイド達は固唾を飲んで私たちの様子を見守っている。なんせ私が初めてのお茶会で公爵家の子息に喧嘩を売った事は皆知っているのだ。


 大勢の視線が集まる中、ジェットはお菓子を摘まむこともできないので、黙らせる方法がない。またお茶会の時のように暴れられたらまずい。


「お茶会では大変失礼しました。また私、貴方を……」


 そう言うと、ヴィンセントは眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げた。


「それはいい。もう気にしてない。それよりもだ!」


 ヴィンセントは私をビシッと指さして睨みつけた。


「オレと婚約しろ! クリスティーナ・セレスチアル!」

(なんで⁉)


 確か婚約は断ったはずだ。何かの冗談かと思ったが、彼の青い瞳は真っすぐにこちらを見つめ、その真剣さが窺える。


 私が返事に困っていると、ちょいちょいと横から袖を引かれた。


 ちらりとジェットの方を見ると、そこには穢れの知らない天使のような笑顔があった。


「ねぇ、クリス……コイツの口にピーマンねじ込んでいい? ショックで少しはまともな頭になるかもしれないよ?」

(やめなさい……)


 ジェットの悪戯心が働く前に、話を穏便に済まさねば。私は一度咳払いをして、真っすぐにヴィンセントを見つめた。


「ヴィンセント様。たしか婚約の件は先日お断りしたはずですが?」

「そうだぞ。フラれたんだから大人しく枕を濡らしてろよ!」


 枕を濡らすかどうかはさておき、こちらは一度断っているのだ。もしかして、まだ返事が言っていないのだろうか。いや、互いに父親が同じ職場だから話しているはずだ。


 すると、彼はあっけらかんとした顔で首を傾げた。


「何を言ってるんだ。だからまた申し込みに来たんだろ?」

「お前が何言ってるんだよ。クリスはボクが予約してるんだ。あまりふざけた事を言ってるとピクルスするぞ?」

(やめなさい)


 つまり、ヴィンセントは婚約話を蹴られたにも関わらず、直談判しに来たという事だ。なんてしつこい男なんだ。


(いや、待て私。ここは裏を読むのよ)


 ヴィンセントは俺様だが、空回りばかりする不憫な男だ。きっとこの直談判にも何か理由があるかもしれない。私はお茶会での出来事を思い出してみる。


 しかし──


(ダメだ……何も理由が思い浮かばない……)


 もっと分かりやすいツンデレだったら良かったのだが、彼はそこまで素直ではない。そもそも、この手のキャラクターはモノローグ、キャラの心情が描かれてこそ輝くのだ。なぜ、この世界は乙女ゲームの世界なのにモノローグが流れて来ないのだろう。


(とりあえず、それらしいことを言ってお帰りになってもらうことにしよう)


 隣にいるジェットが「ピーマン、ニンジン、きゅーり、お酢、鷹の爪、それからヴィンセント」と怪しいレシピを呟いている。ヴィンセントがピクルスにされるのも時間の問題だ。


「ヴィンセント様、いくら婚約を申し込まれても、私1人では決められません。お父様にもお話を通さないと……」

「お前の父親に聞いたら、お前が嫌だって言ったから断ったって言ってたぞ?」

(お父様にも直談判しに行ったのか⁉)


 まさか断った相手の親に直談判しに行くとは。前世であんなシヴァルラスルートで邪魔されまくったというのに、ヴィンセントのしつこさを甘く見ていた。


(どうしようかしら……)


 正直、私はシヴァルラスの婚約者候補の座をまだあきらめていない。ベストポジションで推しとヒロインのイチャイチャを見る為にこの婚約は出来ない。


(いや、待てよ?)


 私とヴィンセントが婚約すれば、シヴァルラスルートは完全に邪魔者はいなくなる。


 悪役2人が一気にいなくなれば、2人は何も壁にぶち当たることなく、エンディングまでゴールできるのではないだろうか。


 それも悪くない気がする。しかし──


「ねぇ、クリス。コイツが入れるくらいの瓶ってセレスチアル家にあるかな?」


 ここで私が「婚約します」と言ったら、セレスチアル家の食糧庫に見慣れないピクルス瓶が並ぶことになるだろう。それは回避せねばならない。


(えーい、もう面倒くさい! 直接聞いてしまおう!)

「あの、ヴィンセント様? 私達、喧嘩をしましたよね? あの時、ヴィンセント様は怒って出て行ってしまわれましたし、私は嫌われていると思っていたのですが?」


 私がそういうと、ジェットも「うんうん」と深く頷く。


 あの時、彼は捨て台詞まで吐いて言ったのだ。私も相手の逆鱗に触れるような事まで言ったのに、そこまで婚約を望まれる理由が分からない。


 私達だけでなく、周りのメイド達も「うんうん」と頷いている。


 しかし、ヴィンセントは私たちが分からないのが理解できないらしい。眉間に皺を寄せて首を傾げていた。


「なんだ、分からないのか?」

「分からないも何も。ヴィンセント様は『お前をぎゃふんと言わせてやる』って言ってたじゃないですか」


 私がそう言うと、ヴィンセントは「ふふん」と高らかに胸を張った。


「そうだ。オレはお前をぎゃふんと言わせ、小さいと言った事を後悔させるべく婚約を申し込んだんだ」

「なんだよ、嫌がらせかよ」


 けっとジェットが吐き捨てるように言う横で、私はさらに首を傾げる。


「だから、それと婚約が何の関係あるんですか?」

「よく聞けっ! クリティーナ・セレスチアル!」


 どんっとテーブルに手をついて、ヴィンセントは身を乗り出した。


「オレは確かに小さい! お前に背も器も小さいと言われた! だけどな、オレの父さんは背が高いし、将来的に男のオレはお前より大きくなる!」

「はい、そうですね」

「そして、オレを馬鹿にしたお前に婚約を申し込む器の大きさを見せつけた! さらに婚約者として一緒に遊んだり、出かけたり、お茶会したりして、オレの良さを思い知らせてやる! さあ、オレと婚約しろ! クリティーナ・セレスチアル!」


 ヴィンセントが早口でまくしたてると、もれなくその場にいた全員がぽかんとする。


 呆気に取られている私達に気づかず、ヴィンセントは「どうだ、オレは器が大きいだろ!」と誇らしげにしている。


「コイツ、バカなんじゃないの?」


 私の横で悪魔がばっさりと切り捨てた。


 ジェット言い分はもっともだが、相手はまだ8歳の子どもだ。むしろ、微笑ましいとも言えるだろう。


(でも、これが成長してあのヴィンセントになるのか……)


 俺様でヒロインにグイグイと迫り、シヴァルラスルートでは邪魔なことこの上ない男だったが、それは全て素直になれない空回り。


 私はヴィンセントルートをクリアしてないが、クリティーナルートでの彼はもっとまともだったような気がする。


(クリティーナの友人って立ち位置だったものね。そりゃ、まともに……ん?)


 友人。その言葉に私はいいことを思いついてしまった。


「あの、ヴィンセント様」

「なんだ、婚約する気になったか?」

「友達じゃダメなんですか?」


 私の一言に、ヴィンセントが目を丸くする。そして、眉間に皺を寄せて私を見てきた。


「友達?」

「はい。ヴィンセント様は一緒に遊んだり、お茶会をしたり、お出かけをしたりして、私に貴方の良さを教えてくださる。つまり私と友好を深めたいのですよね? それならお友達から始めるのはどうでしょうか?」


 言い方を変えてしまえば、そういうことだろう。別に友好を深めるのには婚約者でなくてもいい。そもそも、彼は婚約をよく分かってなさそうだ。おそらく、婚約をずっと一緒にいるくらいの感覚なのかもしれない。


(さぁ、どうだヴィンセント!)


 私が彼の返答を待っていると、彼は「友達……」と呟いた後、しかめっ面がぱぁっと明るくなる。


(うわぁ~すごく嬉しそう~!)


 本当は友達を作りたかったのではないだろうかと思ってしまうほど、彼は嬉しそうに、そして落ち着きなく、わたわたと手を動かしていた。


「そ、そうだな! と、友達でも構わないぞ!」

「そうですか、それでは今日からお友達ですね」


 私が手を差し出すと、彼は顔を真っ赤にしながらも私の手を握った。


「おう、よろしくな!」

「はい、よろしくお願いします」


 穏便に話が済み、ヴィンセントは帰りの馬車に乗るまで「いいか、お前はオレの友達1号だからな! 今度一緒に遊べよ! お茶会に誘ったらちゃんと来いよ! 約束だからな!」と叫んでいた。

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