第二章 『港町の事件』4

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「──どぅえ!? じゃ、じゃあ姉ちゃん、正真正銘本物の、み──」

「静かに。あまり大きな声を出すところじゃないよ」

 案内された食事どころ《波雲亭》は、確かにこの街の住人であるロックが推すだけあった。

 混み合い始めた店内。観光客向けではなく、おそらく街の住人を主なターゲットとしているのだろうが、素朴な魚料理は新鮮で非常に美味だ。

 お値段も手頃で、これはロックが金を払わないことを前提にあえて高い店を選んだりはしなかった、という意味である。安く信頼を買える配慮と言ってもいい。

 そう考えてみれば、確かに街の案内人としては最適の人材だったのかもしれない。

「……ああもう。そうならそうと言ってくれよな! ったく、強ぇわけだぜ……」

 席に案内されたところで、エイネはあっさりとロックに自らの素性を明かす。

 混み合っていることが幸いした形、というよりは初めから計算に入れていたのだろう、ロックが発した衝撃の言葉は周囲のけんそうされていく。

 彼の口を的確に塞いだエイネは、にっこりと笑みを作ってこう言った。

「あっさり信じるね? 何を言ってるんだ、という顔をされるかと思ったけれど」

伊達だてや酔狂で神子名乗るバカもいねーだろ? なんの意味もねえし」

 立場を知っても、ロックは態度を改めなかった。

 子どもだからかもしれないが、そのほうがラミもエイネも気分はいい。

「てかむしろ納得って感じ。そっちの兄ちゃん、アレだろ? ついこの前、守護十三騎に認められったっつー……あー、すまん。名前なんてんだっけ?」

 他意なく首を傾げたロックに、ラミは遠い目で答えた。

「……ラミだ。ラミ=シーカヴィルタ」

「そうそう、それだよ。エイネの姉ちゃんがすごすぎて、あんま話題にはなってなかったけど」

「よく言われるよ、話題をわれたってな」

「なんか、そういう惜しい感じ、兄ちゃんの見た目に出てるぜ。まあ元気出して生きろ」

「……余計なお世話だよ」

 ためいきをつくラミ。横でエイネが腹を抱えて顔を伏せていた。

 つまり笑いをこらえている。

「お前が笑ってんじゃねえよお前がよ……!」

「ははは……やー、ごめんごめん。ロックの表現があまりに的確だったからさ」

 年齢を考えれば充分すぎる偉業にもかかわらず、前年のエイネが《神子にして最年少の十三騎》という、よりすさまじい肩書きを獲得したばかりで、いまいち話題性がない。

 二位ではダメだったということらしい。

「うん、やっぱりロックは面白いね」

 くつくつと肩を揺らすエイネ。その様子を見て、届けられた食事にありついたロックがびくっと肩を震わせた。……やはり勘のいい少年である。

 エイネの《面白い》は、あらゆる意味が込められた表現なのだから。

 多種多様な海鮮料理を胃に収めながら、ラミは心中だけでロックのこの先を祈念した。

 ──強く生きろ、お前こそ。

「さっきも思ったけど、……空恐ろしい感じだよな、エイネ姉ちゃん。すげえヤバいやつに目をつけられた気がするぜ」

「そういうロックこそ不思議があるね。──君、命数術師でしょ?」

 ロックはことさら否定せず、軽く頷いた。

「やっぱバレてたか」

「こっちが術を使っていることに気づいた──いや、それはいいさ。隠すようにうつむいてたけど、目を見ればわかる」

 あのときエイネは《灯視》の術を使用していた。

 だが術を使うと、その影響下にある体の一部に命火がともってしまうのだ。エイネは極力隠すべく、火を弱めて目を見られないよう振る舞っていたが、見れば気づいただろう。

「だけどロックは、争いにはならなかったのに私たちを《強い》と表現した。それなりに術を知っている人間の言い方だと思ったんだ」

「そっちこそ。格好からして教会の関係者じゃねえって踏んだのに、まさか神子だなんて予想できるかっつーの!」

「──それで?」

 と、続けてエイネは問う。

 核心に迫るように。

「そんな君が、どうして路地裏でスリなんてやってるのかな?」

「……」

「外見から察するに、食べるに困ったわけじゃない。そもそも裕福な街だ、ストリートで暮らさなきゃいけない子どもがいるとは、とても思えないんだよね。曲がりなりにも命数術が使える以上、最低限の教育は受けているはずだし、実際、君たちからひつぱくしたような印象は受けなかった。食事の際のマナーもしっかりしている」

「だから、なんだよ? ……突き出すってか?」

「いいや? 君がなんの理由もなく、悪事に手を出しているとはちっとも思わない。その程度でりゆういんを下げて自己満足に浸るほど、ロックは愚かな人間じゃない、と私は思う」

 その言葉は、信頼とは少し違う。

 常人の視座とはかけ離れた位置から、エイネはそれを正解だと直感したのだ。

「……素直に吐いちまったほうがいいぞ。神子ってのは勘が鋭いんだ。一足飛びに答えまで飛んでいく──そういう命数を持ってるからな、厄介だ」

 ラミは助け舟のように言った。

 一度だけ、ラミの方向をロックは見る。それから小さく息をついて、

「……みたいだな。俺も、自分の勘にはそこそこ自信があるんだ」

 そう零した。

 それからエイネに視線を遣って、ロックは零すように。

「──あいつらみんな、つい最近……片獣に、親を殺されて孤児になってんだよ」


 それからロックが語った内容は、次の通りのことだった。

 ──およそ全ては、この一年以内での話らしい。

 このティルア市は国内でも有数の繁栄を誇る都市だ。人口は多く、盛んな交易と通商が行われている。住む者もまた、商業に携わる者が多かった。

 ゆえに多くの犠牲者は、この街の中ではなく、その近辺で襲われているのだという。

 目撃情報はない。ひとたび襲われては生き残る者がいなかったせいだ。あまりに無残に引き千切られた死体を見つけて、ようやく片獣に襲われたのだと知るのみである。

 当然、街の教会騎士クロスガードも調査を開始したが、事態は一向に解決を見ない。

「おかしいんだよ。普通、片獣って人里離れた場所とかに湧くもんなんだろ? それに、この近くに出た奴らは妙にこうかつなんだ。襲っては姿を隠して、見つけることもできない」

 そう語るロックの言葉が事実なら、確かに異常な事態であった。

 理由の詳細は不明ながら、片獣は基本的に《人がいない》場所に発生することが多いとされている。これには例外もあったが、それ以上に不可解なことに、一度発生した片獣は本来なら消滅するまで止まるということがない。

 片獣は人間を襲うシステムだ。彼ら自身が命火であるからか、同じ命火──その中でも特に強い命数を持つ人間を目指して移動し、見つけると同時に暴れ出す。

 命数術によって退治されるか、あるいは己の命数を使い果たすまで、人間を殺すという行動原理に縛られ続ける。

「確かに、それはおかしいな」

「そうめつに出るものでもないしね、本来。ましてやそんな、知性があるみたいな行動をするとは考えにくい……何かあるのかもだよ、ラミ」

 ロックの言葉を聞いて、ふたりは口々に考え込んだ。

 発生した片獣が見つからない、ということは、常識で考えるならば自然消滅したということだ。だがその場合、土地の命数が使われた以上、次に発生するまでには期間が空く。

 連続して片獣を生み出すような土地は通常ほぼあり得ないのだ。

 修行時代のラミが過ごしていた、意図的に片獣が発生しやすいよう調整した禁域ならばともかく、こうも人の多い場所でとなると考えにくい。

 それが何かはわからない。

 だが、わからない何かがあることは、どうやら疑いないようだ。

「……うん、やっぱりロックに話を聞いて正解だ」

 エイネはそう言って頷いた。

 その言葉に、ロックのほうはむしろ眉根を寄せて返す。

「なんだ、それ……聞いて面白い話じゃねえと思うんだけど」

「そんなことはないよ。いや、もちろん犠牲者が出たことは悲しいことだけれど、それを私が知れたことには意味があると思うな。片獣退治は、神子と騎士の仕事だからね」

「──なんだよ。助けてくれるってのか?」

 疑わしそうにロックは問う。

 嬉しそうに、エイネは答えた。

「当然。──そうだろ、ラミ?」

「そうだな。これでも一応、騎士の端くれではあるわけだし」

「どうやってだよ……」

 やはりじとっとした瞳を向けてくるロックに向けて、エイネは使徒のように笑って。

「もちろん片獣を退治することで、だよ」

「できんのか?」

「できるも何も──実のところ、それはもう終わっていたりするんだけどね」

「はあ!?」

 ティルア市に来るまでの道中で、ふたりはいきなり発生した片獣を退治している。この時点で問題は、すでに解決されていると言ってもいいくらいなの──だが。

「さて、そんなことより案内の続きだ。しっかり頼むよ、ロック」

「……いいけど。教会のほうまでは行かねえからな」

 少年は、妙なふたり組を最後まで不審そうに見つめていた。


 ──その後、ラミとエイネは、ロックの案内でティルア市中を観光して巡った。

 海沿いの整備された綺麗な公園を、露店でかんを購入して食べ歩きしたり、坂や階段の多い裏路地を地理に明るいロックに連れられて散策したり。海沿いを離れて中央区の側へ向かえば、白が明るい海沿いから一転、ばいえんに汚されたれん壁が商工業の色味を出す。

 このエリアは職人気質かたぎの人間が多い地区で、主に海沿いを動き回る商人とも仲がよく、ふたつの顔になっているとか。伝統工芸の細工を職人が作り、商人がさばいているわけだ。

「海沿いっつーか、この街は外側のほうが綺麗なんだよな」

 後ろ向きに先を歩くロックが、くるり円を描くように宙を指でなぞる。様々な工芸品の中でも、特に評価が高いのが硝子がらす細工だという話だった。

 ロックは軽く肩を竦めて、後ろ向きに歩きながら答える。

「ここまで足を延ばしに来る金持ちもいる。数としちゃ海側からやって来る連中のほうが多いんだけどな、港だし。ま、目につく街の外周が気取ってんのはその辺りが理由だよ」

「ティルアのガラスは大教会でも使われてるしね。輸送は主に川から?」

「あ? あーまあそりゃそうだろ。鉄道も、ここまでは延びてきてねーからな。……んなことより、ホントにこんなトコ歩いてて楽しいのか? 見て面白いもん、なんもねーぞ」

「そんなことないよ」

 げんそうなロックに対し、エイネはあくまで笑みを崩さない。

 事実、それは彼女の確かな本心だった。そのために旅をしていると言ってもいい。

「私は神子だから、惑星ほしのために戦わなきゃいけないでしょ?」

「……まあ、そうだな」

「でも、はいじゃあ世界のために命を懸けてください! なんて言われたって、いきなりできるわけじゃないんだよ。だから、こうやって、取り繕われてない世界を見てる」

 路地に面した建物の窓から、エイネは中へと目をやった。

 机に向かった職人が、細かな作業に没頭している姿が見える。また別の建物からは強い熱気が流れ出て、職人の汗さえ感じられるほど。道々をせわしなく走る商人の姿もある。

 その全てが、エイネにとっては強く瞳に焼きつけておくべき光景なのだ。

「これが、こういうものが、私が戦って守るべきものなんだって意識しておきたいんだ。このためだったら、ああ私が戦ってもいいな、って思えるようにさ」

「わからなくは、ねえけどさ」そう呟き、ロックはエイネから視線を切って前を向く。「俺なら絶対に御免だぜ。自分のことで精いっぱいだからな、ほかのもんにまで目を向けてる余裕、ねえよ。……だから、そういうところは、素直にすげえって思うぜ」

「ありがとう、ロック」

「やめろよ。んなこと言われたくねえ」

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

 ロックは首を振って、ふと目に留まったラミに矛先を向ける。

「ちゃんとこの姉ちゃん守ってやれよ、兄ちゃんが」

「お前に言われるまでもねえよ」

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