第二章 『港町の事件』5-1

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 夜。観光を楽しんだふたりは、宿泊している宿まで戻った。

 ロックとは再び顔を合わせる約束をして、その分のお金も先払いしてある。

「ふぅ……いやあ、今日は楽しかったね、ラミ」

 ベッドに腰を下ろしたエイネは、満面の笑みでそう言った。ラミは頷き、同意を示す。

「そうだな。ここは確かに、いい街みたいだ。そんな風に思ったよ」

「へえ。ラミにも自覚が出てきたんじゃない?」

「騎士の自覚ならあるつもりだけど」

「違うよ。世界を守る、っていう自覚。……大きい話だからね、なかなか実感も湧かないと思うんだけど、こういうなんでもないものを背負うと思えば気持ちも違うでしょ」

 ことさら重たい口調ではない。エイネの様子は至って平静なものだ。

 だが、とラミは心の中で思案してみる。

 果たしてエイネは、自分の立場についてどう思っているのだろう──と。

 彼女と別れてから再会まで、二年の月日が流れている。片田舎で平穏に暮らすだけの、ごく普通の少女だったエイネは、その間に神子として立場を確立させていた。

 だが、いきなり世界のために戦えと言われて、果たして納得できるものだろうか?

 自分なら無理だ、とラミには思える。それまでの生活を、夢を捨てて、その先の全てを世界のために費やせと強制される。そのことに納得しろというほうがちやだった。

 しかし思い返せば、エイネが神子として連行されることに最も反発したのは、ほかでもなくラミだった。エイネはそれが当然だとばかりに、あっさりと別れを決意したのだ。

 神子には直感があるという。陸の獣が、教わらずとも生まれたときから歩き方を知っているように。あるいは海の魚が泳ぎ方を本能から悟っているように、神子は自らがなんのために生まれてきたのかを、直感で学ぶのだという。

 だから納得してしまえたのかもしれない。

 あるいは自分が神子であることを知っていたエイネだから、あのときとっくに覚悟など終わらせていたのかもわからない。

 けれど、どちらにしたところで同じだ。

 たとえエイネが納得しているのだとしても、エイネだけが犠牲にならなければならない理由などないはずだから。

「オレには、エイネの……神子の気持ちはわからないよ」

 だから正直にラミは言った。

 元より、そのためにここにいるのだから。

「オレが助けたいのは、世界とか、国民とか、そういう大きいものじゃないんだ。お前の手助けをしたいだけなんだよ。……そんなもんだぜ、悪いけどな」

 ある種の自虐、自嘲に似た口調だが、悪いと思っているわけではない。

 土台、そんなものだろう。いつかエイネを連れて故郷に戻ると、残してきた彼女の妹、アウリとも約束しているのだから。ラミはただ、約束を守ろうとしているだけだ。

「それならいいんだよ」

 そんなラミに、エイネが渡したものは軽い微笑みだ。

 ときどき、ラミにはこの幼馴染みが何を考えているのかわからなくなる。だけどそれは当たり前のことで、たとえ半身のような彼女でさえ他人であることには変わりなくて。

 結局のところ、彼女といっしょにいることが、楽しいだけなのかもしれなかった。

「私だって別に大差ないしね。気持ちが決まってるなら、いいんだ」

「そうなのか?」

「うん。神子だからって未来がわかるわけでもないし、神託を受けるみたいなこともないから。やれることを、やれる限りやってやろうと思ってるだけなんだよ。──さてと」

 軽くかぶりを振って、エイネはそこで話題を切る。

 それよりも、話しておかなければならないことがあるからだ。

「そろそろ本題に入ろうか。ラミは、ロックの話をいったいどう思った?」

「どうって?」

「無駄にとぼけないの。ラミだって、ロックが嘘をついてたことには気づいてたでしょ」

「……そりゃな」

 驚きもせずにラミは肯定した。

 彼の言葉に違和感が多かったことは事実だ。

「まあ、正確には嘘ってわけでもないのかもしれないけど。ただそれでも、何か隠してたことは間違いないと思う。……何を考えてるのか、まではわからなかったけどな」

 いちばんの違和感は、やはり子どもロツクたちが街でスリまがいの行為を働いていたことだ。

 今でこそ教会で地位を持つラミとエイネだが、もともとは平凡な一市民だ。ましてラミなど、教会騎士になるのとほぼ同時に旅立っている。感覚はむしろ庶民寄りだ。

 だから現実を知っている。世間には、確かにそうすることでしか生きていけない子どもたちだって存在しているだろう。片獣という、明確な脅威が存在する以上。

 だがロックたちは違う。この街はそれなりに栄えており、何より教会が存在している。孤児は全天教会が引き取り育てることが、この王国の大前提なのだ。親を片獣に殺されたとしても、教会に引き取ってもらえばいいし、そもそも親戚や後見人のが皆無ということもないだろう。親が商人ならば、のこされた財産だってゼロではあるまい。

「孤児がいるのは事実。だけど大半は違う──たぶん親がいる。本当にいないなら、それこそ教会が保護に動くはずだ」

「そうだね」ラミの言葉にエイネも頷き。「第一、ロックがあれだけ大通りを歩いていて、誰も反応しないことがおかしい。組織的に動いてるなら、顔を知ってる大人もいたさ」

「かといって、あいつが下らない反骨心で動いてるとも思えんしな。となると」

「──初めから私たちの素性を知っていただけ。あの場限りの演技だったってとこかな」

「それが妥当だろうな。オレたちが神子と騎士だと、知っていたからあの話をした」

 ふたりは、そう結論づけた。

 ロックは初めからこちらの正体に気づいており、こちらを巻き込むためだけにひと芝居打ったということだ。

 ──さすが神子、厄介ごとを引きつける運命の強さがある。

 そんなことをラミは胸中で思った。

 無論、それもエイネの命数が必要としたのだろう。そういう天命だということ。

「どういうこと、だと思う? なんでオレたちに、片獣の話をした?」

「さすがに、そこまではわかんないな」軽く首を振るエイネ。「まったく神様という奴は、試練を課すのがお好きで困るよ」

「試練、ねえ? 厄介ごとの気配がするわ」

「なんであれ私たちがやることは変わらないよ。困っている人がいるなら助ける。片獣が出るならこれを倒す。それが、神子と騎士に共通するお仕事、でしょ?」

「そりゃそうだ。まったく旅立って早々これとは、さすが神子様って感じだね……」

 苦笑するラミだったが、その言葉通りでしかないのだ。

 神子は世界を救い、騎士は神子を助ける。当たり前のことだった。

「──予感がするんだよ」

 エイネは言う。

 それこそ、おやから託宣を受けた聖人こどもらしく。

「きっとこれは、私が天命を達成するために必要なことなんだ、って」

「……そうかもしれないな」

 と、ラミは答えた。

 その直感は、間違っていないはずだから。


 襲撃は、その直後に起こった。

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