第二章 『港町の事件』3
3
エイネはひとり路地へと入った。
辺りをわずかに見回すような小芝居を挟みつつ、人通りの少ないほうへと進む。そんな彼女に、かけられる声がひとつ。
「あれ、姉ちゃん、誰? ──こっちは行き止まりだぞー」
幼い少年。あまり綺麗な装いとは言えない、が。
──なるほど。
とエイネは内心で思案する。汚れた服の割には肌が綺麗だ。健康状態も悪くなく、それなりの生活を送っていることが見て取れた。
帽子を目深に
「こっちはおれたちが支配してるエリアなんだぜー。よそ者が入ってくるなよなー!」
「……おっと。ごめんね、知らなかったよ。ちょっと道に迷っちゃって」
白々しいことを言うエイネだった。
そんな発言に、少年が反応したことはもちろん見逃さない。
「なら、おれが表まで案内してやるよ。あんま裏通りのほう入ってくんなよ、危ねーぞ」
そう言って、足早に駆け寄ってくる少年。
エイネは後ろ、通りのほうへ振り向くことで無防備だと示したが──その瞬間。
「──待て、ロック! やめろやめろ! その姉ちゃんには手を出すな!」
びくり、と駆け寄ってきた少年が硬直する。
いきなりの声は、さらに路地の向こう側から届いてきた。
現れた姿は、目の前の少年より少し年上らしい。たぶん十代の前半くらい。こちらは身綺麗な格好をしており、癖のある金髪が目立つ整った顔の少年だ。
ただ、両の手を万歳の形で上げている。そして言った。
「降参だよ! 何もしないからさ、そいつ、見逃してやってくんねーか」
「うん、別にいいよ」エイネは笑う。「代わりに、君がこちらに来るなら、だけどね」
「……まったく。おいこのバカ、手ぇ出す相手は選べよな……こんなバケモンから
ぶつくさと
もちろん、エイネは周囲の気配に気づいている。ラミのような感覚ではなく、《
「……え、えっと」
困惑した様子の最初の子ども。
その帽子の上から、金髪の少年ががしっと頭を押さえつけて。
「ほら。もう行っていいってコトだし、お言葉に甘えて退散しとけ」
「……ごめん。まさか、そんなおっかない姉ちゃんだと思わなかったんだ」
「いいから。ほら行ってろ」
しっしと追い払うようなジェスチャーで、金髪の少年が最初の少年を退散させる。
気配を消して隠れていたラミは、この段階でエイネの後ろから姿を現した。別行動したように見せかけて、監視がないことを確認してからエイネのほうに戻ってきたのだ。
「バレてたみたいだな、エイネ。まあいいんだけど」
「指導者が優秀みたいだね。それなら、こんなとこでスリなんかするものじゃないけど」
「確かに。エイネが《おっかない姉ちゃん》であることをひと目で見抜くとはやる」
「ラミ? ……怒るよ?」
「……ほら、間違ってないじゃないですか……こわっ」
間の抜けたやり取りをするふたり。
それを間近で見上げながら、金髪の少年が言う。
「一応こっち、まだなんもやってねーんだ。見逃しちゃくれねーかな?」
おそらくラミとエイネが油断ならない相手であることを、彼は見抜いたのだろう。それ以前、エイネがひとりで裏路地に入るのをラミが見過ごしたのも不自然ではあったか。
ラミは小さく息をつく。こういう人間はエイネの好みだと知っていたからだ。もともと懲らしめてやろう、なんて考えで近づいたわけでもなかったし。
「──さて」
案の定、エイネは楽しそうに言った。こう、非常に残念なことに。
「それとこれとは話が違うよね? 君が止めなければ、彼は私の財布を盗んでたはず」
「いや、どう考えたって無理だっただろ。そっちの兄ちゃんもいるんだし。こっちは何もしてない
「なるほど道理だ。だけど、これが一回目なら、って前提がそれには必要だと思うけど。慣れた様子だったし、──そもそも私たちはスリを捕まえてほしいって依頼されて、ここまでやってきたんだよ? その犯人を見逃すってのはなあ……?」
──この女、真顔で
ラミは思ったが何も言わない。たぶん楽しんでいるからだ。いったい少年がどうやって言い逃れるのだろう、ということだけを楽しんでいる。性格が非常によろしくない。
実際、少年のほうも大したもので。
「……嘘つけ。あんたら、この街に来たばっかだろ。いったいどこで、誰にそんな依頼を請けるっつーんだよ」
「当然、教会からだよ。こっちが命数術師だってことは見抜いているんでしょ。そして、命数術師ってことは教会と
「もぐりの術師なんてたくさんいるだろ。教会の仕事で来てるなら、もっと大手を振ってこられたはずだし、仮にそうでも……俺たちが前にスリをやった証拠があんのかい?」
「うん、いいね──ラミ」
そこで。エイネがラミを振り返って。
「私は彼が好きになったよ!」
「言うと思ったよ……」
故郷の村では、ラミもエイネも悪ガキだった。
その頃でも思い出したのだろう。もともと頭のいい人間がエイネは好きなのだ。
──何か、面白そうなことが起きるかもしれない。
エイネはそう期待して、実際に面白そうな人間を見つけた。彼女の目的は、それだけで達成されている。
「それで?」
「この街の案内を彼に頼もうと思うんだけど、どうかな?」
今度は金髪の少年のほうに振り返ってそう伝える。
少年は、心底から嫌そうに表情を
「どうかなも何も、拒否権ないんだろ、それ……」
「もちろん報酬は払うけれど」
「──そうと決まったら話は別だな! さあ兄ちゃん姉ちゃん、どこに行きたい? この街のことなら、裏まで含めて俺は詳しいぜ!」
訂正。
この変わった少女は、変わった人間が好きなのである。
「そうこなくちゃ。さあ行こう、まずは美味しいご飯屋さんに案内してほしいな。ああ、もちろん君の分は私たちが持つからね」
一瞬で
少年のほうも、
「それなら港通りにある《波雲亭》って店がオススメだぜ。あそこの海鮮は
「食べたことないけど……いいね。もちろんチャレンジしてみるよ。ところで、そろそろ君の名前を聞いてもいいかな?」
少年は軽く肩を
「──ロックだよ。本当は、俺の名前がロックなんだ」
「なるほど抜け目ない。そういうことか」
「それより、早く行こうぜ。人気店だからな、そろそろ混み始める時間だよ」
「そうしよう。いやあ、楽しみだなあ。……あれ、ラミ? 何してるの、早く行こ?」
「ああ……そうだね、うん……」
──オレってやっぱ、どこまでも普通の人間なんだなあ。
そんなことを、展開について行けない騎士のトップは思うのであった。
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