c ちょっと意地悪なほうに振れすぎている

「さっきのきみと一緒だよ。ぼくの視線が不自然に移動したのを見て、後ろを何かが通り過ぎたのだと考えた。違うかい」


 違わない。……が、うなずくのは悔しい。

 師匠と綾人ではあまりにも視える世界が違う。綾人には視えないものも師匠には視えている。だから彼の視線、独り言、僅かな仕草にすら、『何か』いるのではないかと思わされる。

 普通の人が霊感持ちに対して感じるのと同じように、その挙動に気味悪さすら感じることもあった。


「不思議なものだよね。まず噂ありき。噂につられて誰かが試しに行き、なぜか証言が追加され、憶測が重なり、確かな記録もないのに不気味な場所だと恐れられるようになる。――ここで問題です」


 師匠の右手、白く華奢な人差し指がぴんと伸ばされる。

 これこれこういう謂れがあり心霊現象があり証言が――と怒涛の勢いで情報が出てきた。となるとこの師匠が次に言いだすことなど限られている。


「実際何もなかった鹿嶋市郊外の空き家に、果たして本当に子どもの霊はやってきたのか?」


 雑誌をぱたりと閉じた師匠が立ち上がった。


「幸い我々には見鬼がある。扨てそれじゃ、確かめに行こうじゃないか、根拠のない噂が一体どんな心霊スポットを生み出したものか」


 ああほらやっぱり――。

 がくっ、と肩を落とした綾人の横で、相変わらず『たけくらべ』を読む手が進まない巽がバカにしたような顔になる。おうなんだ元偏差値39野郎め。


「秋津って嫌々言うわりにそういうとこ無自覚に突っ込んでいくよな、毎回」

「……こんちくしょう!!」


 同じようなビビリのくせに兄弟子面して呆れている巽の手元をバシッと叩くと、「本はだいじに」という悪態とともに叩き返された。それが一ヶ月以上も同じ本を読み続けるやつの言うことか。どうせ姉御からの受け売りのくせに。


「もー師匠も演技巧すぎです、子どもなんていないじゃん、すっかり騙されたじゃないですか……」


 続いて堪えきれない文句を吐き出せば、師匠はうっそりと微笑んだ。



「演技だなんて誰が言った」



 彼は車のキーを手の中で遊ばせながら書斎を出て行った。

 巽と顔を見合わせて背後を振り返る。先程の師匠の視線を辿って窓の外を見やるも、やはり彼らにはなにも視えない。


 ただ、肝試しに来る悪ガキへ雰囲気のサービスだと、ほどよく草木の生い茂る雑然とした庭があるだけだ。


 子どもの霊なんていない。

 いない、はず、だけど。


「……巽は視えた?」

「いや、なんも」


 少なくとも綾人には視えていないし、兄弟子も同じらしい。

 だけれど師匠と綾人たちではあまりにも視える世界が違うから、二人には視えなかったものも彼の視界には映っているのかもしれない。


『何か』がいたかもしれない。

 そこにどんなものがいたとしても、師匠と同じものを視ることのできない綾人にはわからない。




 視えることの恐ろしさ、視えないことの恐ろしさ。

 あの頃はそれらの間を行ったり来たりしながら、師匠の背中を追いかけていた――




 何はともあれ、今日も心霊スポット巡礼が始まるようだ。

 ビビリの弟子二人、ほんの少しどきどきしている心臓の辺りに手をやって深呼吸すると、前触れもなく扉が開いた。


「ただいまっ」

「「わ―――っ!!」」


 顔を出すや否や男二人に絶叫された姉御は、ぱちくりと瞬きしながら首を傾げる。


「あ、姉御……びっくりした……」

「おかえりなさい……」


 巽はソファに突っ伏し、綾人は両手で耳を塞いだままのポーズでいると、彼女は口元に手をやってくすくすと笑った。

 たったそれだけの動作でなんだか夏も秋も冬も通り越して春がきたような気持ちになる。

 姉御の笑顔は心の薬である。


「ふふ、びっくりさせたみたいね?」


 肩をすくめて書斎に入ってくると、彼女は肩にかけていたトートバッグをソファに下ろした。教科書やハードカバーの本を何冊も取り出し、軽そうになったバッグを再び持ち直してこちらを振り返る。


「さっきしぃちゃんとすれ違ったよ。これから出発だってね」

「はい、今日は姉御も一緒ですか?」


 しぃちゃん、というのは師匠のことだ。

 姉御曰く『ししょう』の『し』であるらしい。そのセンスはちょっとよくわからないが、しぃちゃんと呼ぶ姉御と、あの見た目で文句も言わずにそう呼ばれる師匠が可愛いので気にしないことにしている。

 姉御はその強力な見鬼と浄化能力のため、心霊スポットに連れて行くとうっかり辺り一帯清浄化しかねないということで(正確には、そうなってしまうと師匠が面白くないということで)、普段あまり綾人たちに同行することはない。そして単純に姉御が夜間出歩くことを師匠がよく思っていないのだ。

 しかし今日は珍しくお誘いがかかったらしい。


「近くのお店で待つことになるとは思うけどね。『まァたまにはいいでしょ』だって」


 なにやら姉御が腕組みをしてつんと顎を上げているが、これは師匠の物真似なのだろうか。

 全く似ていなくて可愛い。


「じゃあわたし、お手洗いがてら戸締りしてくるから、二人は先に車に乗っていて」

「わかりました。荷物持って行きます」

「ん、ありがとう、巽くん」


 ごく自然に手を差し出した巽の手にトートバッグが渡る。なんというか、巽がやると気遣いというよりは舎弟根性に見えてしまう。

 そのまま綾人たちは玄関に向かった。

 今回行くのは山中の廃屋ということなので、綾人は一度腰を下ろしてスニーカーの靴紐をきつめに結び直した。姉御のバッグを持った巽もブーツの紐に手を伸ばす。無論、何かあったときには一目散に逃げられるように、である。

 そこでふと綾人は屋敷のなかを振り返った。


 用がないので行ったことのない二階への大階段。奥の廊下へ消えていく姉御の後ろ姿。

 今日は玉緒が屋敷に残るはずだから、戸締りをする必要はないと思うのだが、姉御は彼女に会わなかったのか。

 あの二人が並ぶと、きっと冬の女王と春の妖精みたいでたいそう麗しいに違いない。ぜひとも拝みたい。


 呑気にそんなことを考えながら足元に視線を戻した綾人は、そのとき姉御が同じように、玄関のほうを振り返っていたことに気づかなかった。


 彼女は靴紐を結び直す弟子二人の背中を視界に収めて小さく息を吐く。

 庭先ですれ違い、「今日はお前も連れて行くから荷物を軽くしておいで」と手を振っていた彼の、意地悪な微笑みを思い出した。以前に比べれば見違えるほど生き生きとしている彼を、このお屋敷唯一の使用人が見れば滂沱の涙を流して喜ぶに違いない。

 まあ、ちょっと意地悪なほうに振れすぎている気がしないでもないが。


「しぃちゃんが珍しくわたしを連れて行く、っていうことの意味が解っていないようで何よりだわ……」


 きっと不憫な目に遭うであろう可愛い後輩たちに心の中で合掌し、スカートの裾を翻した。

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