園芸部副部長宇佐美亜也子の証言
入部の初めに世話を託された、通りに面した大きなアジサイのよりにもよって一番目につく花珠を持っていかれた一年生の六月三日。帰り道に気がついた時あんぐりと勝手に空いた自分の口をまだ忘れない。
歓迎会の冒頭で入部早々に注意を受けていたけれどもこうして盗まれてみると予想していたより落ち込んで、傍から見ても分かるほどだったらしい。園芸部の先輩方がしばらく教室まで顔を出してくれるほど気をつかってくれたが、その頃はもう落ち着きを取り戻していて気恥ずかしくいたたまれなかった。いや、私だって腹が立たなかった訳ではないが、犯人を探そうと思わない。どうせ傘でも引っ掛けて折れてしまったのだろう。
しかし、先輩方は口々に「違う」というのだ。
あれだけキレイに咲いていたなら「花泥棒」の仕業だと自信満々に言われても、何も知らないので私は首を傾げるだけだった。
夏の炎天下に、秋の紅葉に、冬の休憩に。
共通の話題の少ない部員同士の会話は目新しいものもなく、新入生と言えどもそいつのことはなんでもすっかり覚えてしまった。
曰く、盛りの花から一番手に届きやすい一枝を持っていく。
曰く、手口は皆一緒で必ず一株以上には手を出さない。
人の通る所に面した一角が狙われやすく、雨の翌日など土がぬかるんでいる日は行われない。そいつはいつも一番見事な花を選ぶものでうちの部では「ハナドロ」とか「品評会出品」という……ところまでで、実際そいつについては何も分かっていないのだ。歓迎会でも注意程度で、一年生はまず実際の被害にあってやっと納得するというのが恒例の流れである。
もちろん園芸部としては何を持ってしても捕まえるべき相手だ。見回り役を立ててみたり、部費や自費であれこれとトラップの真似事をしてみたものの未だ証拠も挙がらず終い。定期的な犯行はなお続いているし、今や部員の心の方が広くなって「毎月の品評会に持っていかれた」と申告すればその週みんなが少し優しい。
「花泥棒」は小さな部の中だけの、諦めと不思議の塊となっていた。
不思議なのは、盗まれた花の行方だ。学校とはなかなかに狭い空間なのに、少なくとも私のいた三年間捨てられているのも見なかった。どこかの花瓶に飾られていないだろうかと探した先輩もいたし、私もさすがに見落とさないと校内のみならず近隣のお宅の窓辺を探して二週間うろついたが、裏通りにたい焼き屋さんを発見しただけで終わった。どれも残ったのは花の不在だけで、要はしてやられた訳である。
***
なんでこんなことを思い出しているのだろう。
そもそも花盗人自体が最近全く現れなくなった。ここ三ヶ月は他の部員から話が盗まれたという話を聞いたことがない。
そもそも二月三月の申し訳程度の投稿日に来るなんて、早々に合格した勝ち組か皆勤賞完走者かだ。なんとなく無駄口もない授業はいつになく静かで、教室は上目遣いに伺うような底冷えが溜まっている。壇上のおじいちゃん先生はさらにやる気を失い、授業終わりの一五分で大正と昭和が終わろうとしていた。
温かい教室の空気と板書きもない授業では若くて夜更かしの体は抗えない。私も安らかに頭の高度を下げていた時、手の甲をチクチクとシャーペンが刺した。関井だ、まだ寝ていないよねと言わんばかりに薄ピンク色のノートをこちらに寄せて、これまた薄くて丸い文字を見せてくれる。
『あやちー、今日の図書委員会ついてきてー(´;ω;`)』
眠さを邪魔されて恨みがましく、少し雑に、『なんで』と書いてあっちへ寄せる。知り合いのいない活動に入っていくほど積極性とかがあれば内申も華やかだったろうけど、そうではないのを捕まえて何を期待するやら。
チラチラと紫のラメをきらめかせるシャーペンはやっぱり勉強には関係ない文字を続ける。
『幽霊、みたんだもん……』
そういや最近関井まで「図書室の幽霊を見た」なんて言っていた。
この学校にある七不思議の中でも一番目撃例が多いのが「開かずの図書準備室」だ。といっても読むと死ぬ本があるとかの楽しい逸話はない。ただ単に開かないだけのことを仰々しく語っているだけなのに、なぜだか一番幽霊の目撃が多かった。窓からこちらを見ている髪の長い女の子だの、肘から先がない手が花瓶に水をやっていただの、毎年必ず何人かが言い出すが、幽霊にしては無害極まりなくむしろ思いがけず鉢に咲いた菫みたいで何だかそっとしておいてやりたい。
関井が見たのも視界の端を準備室に走り込む白ソックスの足”だけ”だったそうで、どちらかと言えば怪音波とあだ名のある関井が全力で叫んだ事の方がやばかった。どれくらいやばかったかは、騒音に理解あるはずのご近所から問い合わせが入ったといえばお分かりいただけ……ん?
図書準備室、窓際、花瓶。水やりのいる、花。
ぱちっ、と頭の中でホウセンカが弾けた。図書館は本が日に焼かれないよう、確か校舎の畑とは反対向きに窓があったはずである。
『いかない』
とまず書いてから、どうしようかと考える。癖で当ててしまったシャーペンが荒れた唇にちょっとしみて冷たく、私にとって適当な理由にあたるのはやっぱり部活くらいしかなかった。
『委員やないもーん今日部活やし』
『おい今の間はなんだ、ケチ( ˙³˙ )』
手描きに顔文字を付ける意味はあるのか分からないけど、かわいいので許せる。関井は隣になった一年間中長机のスペースを七割以上侵食してたりしたが、それもまぁ別にいいか、とも思う。
図書準備室は幽霊の話ばかりで、活けられた花の種類なんか全く話には登らないが、閃くような確信が私にはあった。水仙だ、水仙に決まっている。花瓶は白地の首が長い一輪挿しだろうな。
ほかの盗まれた花たちも似合いの花瓶に活けられていただろうか、そうでなきゃ甲斐がない。
噂話を小耳に挟んだだけなのに、心はもう浮ついて帰りの挨拶もそこそこにカバンを引っ掴んだ。教室に忘れ物をしたと誰にともなく言い訳をしてそそくさと、そのまま一度校舎の反対側まで駆ける。誰に何を怪しまれる訳でもないのに、なんだか誰にも見られたくなかった。教室で自分の机からノートを引き抜き、非常階段を掛け降りれば小さな歩道が見下ろせる。気の早い夕暮れが空を染めて、もう十五分もすれば文系の部活も帰り始めるだろう、それまでに見つけたくて気がはやる。
人気が少なく煤けた砂利入りのコンクリートブロックが敷かれた小道、私も初めて来たかもしれない。何分朝は早く帰るのも早い園芸部だ、自分の畑で体力が精一杯だし道でも植えてある木や花の方に目がいってしまう。自然花なんか飾らなさそうな北側や花壇のない道はあまり気にしないし視線は下向きになりがちで、こんなに上を見て歩くことは久しぶりだった。何階だっけ、と思いながら窓の一つ一つを確かめながら進むから少し転びそうなのも、かまわなかった。
きっと、実は気がつかないうちに始まっていたのだと思う。
四月は街路時の馬酔木だった。通学路ではないし、新入生は誰も気づかなかった。
五月一週目にスイートピー、すぐにしおれたのだろう、二週間もしないうちに鈴蘭が狙われた。
六月の、私のアジサイは青みが一番強い、大きくて重いから枝がはみ出ていて少し手を伸ばせば届くような花だった。
七月が先輩のジギタリス、八月なら毎年夾竹桃と言われてわざわざ折れた枝を見に行った。私の背より少し上の、女の子が手を伸ばせばすぐに届くようなところの枝が既になくなって、道路につやつやした葉が散らばっていた。
九月に先生の植えた赤いダリア、初めて植えた私のダリアは何事もなく薄桃の花を緩ませて朝の冷たい風に揺れていた。
花がしぼんで来る十月はクレマチス。二年生になってた私はポトスに花が咲いていたことを、一株分ごそっと連れていかれて初めて気がついた。
十一月、年の終わりに部員全員でクリスマスローズを何種類か取り寄せて花壇をいっぱいにした。この頃になるとみちみちに詰めて植えた中から週替わりで一輪ずつ取られてもむしろ誇らしく感じてしまう。
十二月にお似合いのシクラメン。花壇の奥の方ではダメだ。手の届く、通りに面した少し屈めばすぐに取れるところに多めに植えておく。他の場所で綺麗に花が咲いたものを、だ。
一月に早咲きの梅の枝打ちをしてる途中で、やっと気が付いた。自分事だけど、園芸部副部長としてどうかと思う。
花盗人が生徒だというのは、受験真っ盛りの二月を境にその悪行が一度治まるからだったけれど、そうではないのだ。三月、皆には言わなかったが私の花壇からチューリップが三本そっと消えていた。
二月は花が取られない訳ではない。誰もどれが盗られたか知らなかっただけで、どんな花が盗られるか分かっていれば後は目に止まる程立派に咲かせてやればいい。
そいつにとって大事なのは園芸部が育てたことではなくて「キレイな花であること」と「毒のあること」なのだから。
だからこそ、一番「浮気」の多いこの月に選んで欲しかった。
この中で私が一番なのだと、最後に選んで欲しかったのだ。
小道の半ば辺りから見上げる、図書準備室だろうと思われる部屋の窓に白い花瓶があった。白い花瓶に生けられた房咲の水仙が確かにあった。
間違えるはずがない、あれは私の植えた花だ。「明星」の品種名に相応しく、窓ガラスに葉をつき手の届かない高さから外を、私を見下ろしている。
品評会の一等賞は、この時確かに私のものだった。
携帯を構えてみたものの、結局意気地がなくて写真は撮れなかった。その場から早足で離れながら、撮らない方が正解だったかもしれない、と思う。想像していたよりうれしくてどれ位の時間ぼうっとしていたのか、耳の先がつつかれるように痛い。
どこに花が飾られてるかはわかったけれど、私にはやっぱり犯人の顔を見る気が起きなかった。鍵のかかった図書準備室にわざわざ花なんか飾るような、私と趣味が合うような奴だ。
そんな奴が花を盗む理由?
そんなの、それこそなにかしらやらかす為に決まってる。
私が噂話から私の花を見つけたように、そいつも確信を現実にする些細なきっかけを待っている途中なのだろう。学校を通り過ぎる私ではなく、そいつは確かな"殺意"を持ってしてその人が来ると確信している。日の当たらない図書準備室で、その為だけにずっと一番きれいな花を手折って、ただひたすらに待っている。
花泥棒の目的が恋の告白だろうが、ロマンチックな毒殺だろうが、結果が学校ひっくり返しての大騒ぎなのはおんなじだ。ハートを狙われた方はたまったもんじゃないだろうけどそいつの企みが成功するかはまた別物なので、無力な私はまた来年から毎月花盗人が現れるだろうなーと思うに留めておく。こればかりはそいつが諦めないと決めたことなので、どうしようもない。私?私はただ笑って卒業するだけなので、今こうして家の玄関で靴を脱ぎながら心底ほっとして、心よりそいつの、そいつが待っている奴を羨んでいる。
そいつにとってはきれいな花だろうが、私にとっては毎月訪れるただの失恋なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます