3.5話 女神とお風呂
「ふー」
吐く息とともに、体全体が弛緩するのを感じる。
幸いにもカナイの記憶共有のおかげで、学校生活に支障がないような知識は蓄えてある。あとは、この世界の学生らしく振舞うだけだ。戦争もなく、平和な世界の学生。恋愛、部活、勉強、遊び、選択肢はきっと多いはずだ。前向きに考えようとするけれど、ふとした瞬間に不安がよぎる。
「記憶をなくす前の僕がやりたかったことは?普通の学生って?」
湯船の中に頭を思いっきり沈めて、ブクブクと泡を立てる。息が続く限り、あたまが空っぽになるまで顔を沈める。
「考えていても仕方ないじゃない」
耳元でささやかれた甘美な声に、体中が「びっく」と反応し、一瞬にして頭を水面からだす。
「感じることよ。頭で考えるのではなくて、今を感じるの。悠久の時を生きていると、過去や未来にを思いをはせていても意味がないことに気づくの。時は過ぎ去り、変えられない。未来は不確かで、雲をつかむようなもの。私みたいな神様でさえ、基本的には今を変えることしかできないもの」
いつの間に浴室に入ってきていたのか、お湯につかったカナイが目の前で妖艶な笑みを浮かべる。
「何でいるんだよ。体は洗ったのか」
僕はぶっきらぼうに言う。
「あら、あなたがぼーっとしている間に洗ったわよ。もしかして、見たかったの。へ・ん・た・い」
「狭いんだよ」
「しょうがないわね」
カナイが目の前でするすると縮み、半分くらいの大きさになる。小さくなった体を僕に預けて、
「どう、これで狭くない」
カナイの吐息から甘い酒の匂いがする。
「お酒くさい」
「乙女にくさいとは、失礼してしまうわ」
カナイが口をすぼめていう。
「先出るよ」
背中を押して僕が出ようとすると、カナイが風呂桶の端に足を延ばして、押す力に対抗する。
「せっかく心配してきたのに、その態度は少し冷たくないかしら」
カナイが顔を半分まで沈めて、不機嫌さを表す。
「悪かった」
「それなら、いいのよ」
カナイが伸ばした腕とは反対側の手を滑るようにはわす。雫が一瞬の輝きを放ち、次々と落ちていく。
「今のあなたは混乱しているわ。男なのか、女なのか。汐(うしお)なのか、汐(しほ)なのか。でも、いつか気づくはずよ。あなたはあなたであって、他の誰でもない。例え記憶があってもなくてもあなたの心は覚えているはずよ。何が好きなのか、何をなすべきなのか、あなたがどういう人だったのか」
カナイはそういうと悪戯っぽい笑みを浮かべて、お風呂から出た。
少しのぼせてきたあたまを働かせてみたけど、彼女の言ったことはわかるような、わからないような、なんとなく大事なことを教えてくれたんだろうなとだけ思い、僕もお風呂から出た。
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