3話 妹は幼馴染

真帆まほ、真帆いるか。大事な話がある」

「そんなに大きな声を出さなくても聞こえているし、うるさいなぁ、もう」



 階段を駆け上がる音が聞こえて、勢いよくドアが開いた。

 少し茶色がかった髪を黒のヘアゴムで束ね、Tシャツに少しかかるくらいにゆったりとおろされたポニーテール姿の少女。日に焼けたその肌は、シャツの純白さをより一層際立たせている。

 デニムのショートパンツからはみ出た足は、引き締まっており、瑞々しさを感じさせる。



「お姉ちゃん、大事な話ってなに?」

「話というのはだな」



 いざ面と向かうと、何を話をしたらいいのかわからなくなる。

 助けを求めようとカナイの方向をみるが、背を向けて肩を震わせている様子を見るに、この状況を面白がっているようだ。



 うーん、どう話せばいいのか。まじまじと妹を見ると、何か見覚えがあることに気づく。もちろん、容姿は違うのだが、どことなく幼馴染の悠里ゆうりに似ている。



「お姉ちゃん、なんか変だよ。それに、視線がエロイ」

「ちょっと、待ってな。我が眷属けんぞくと話すから」

「はいはい。いつもの中二病ね」



 僕は肩を震わせているカナイの横腹にパンチをお見舞いする。



「どういうことですか。悠里にしか見えないんですけど」

「それはね、悠里ゆうりも転生を果たしたのよ。あなたとは違って、生まれ変わりといったほうが適切かな。生まれ変わる際に、彼女はあなたの妹として生まれ変わりをしたいと願ったのよ。


あなたって、妹が死んだという訃報を聞いて戦場で自暴自棄になっていたでしょ。彼女は私にこう言ったのよ。『私は汐の妹に生まれ変わり、絶対に汐より早くは死なない。あいつが老衰で死ぬまで見守ってやるんだ』。


健気よね。あなたが最後に守ってくれたことに本当に感謝していたのよ。守ったかいがあったっていうものよ。彼女はね、あなたの妹、あなたの命を奪った戦争を憎んで、最後まで戦ったわ。戦争を終わらせる立役者になったのよ」



 目頭が熱くなる。涙が止まらなくなり、思わず真帆に抱き着く。「辛かったな、大変だったな」と訳も分からず叫んでしまう。

「ちょっと、お姉ちゃん。どうしたの?」



 状況を理解していない真帆が必死で僕を引き離しにかかり、一向に抱き着いて離れない僕に業を煮やし、ボディーブローを体に刻む。

「今日は本当に変だよ。どういうことなの、説明して」

 僕はうめきながら説明をする。



「それはだな、実は記憶喪失になったみたいなんだ」

「記憶喪失。いやいや、私のことを覚えているじゃん」

「もちろん、真帆のことを忘れるはずはないさ。なんというか、この前軽トラックにぶつかった影響なのか、記憶がふわふわしているんだ。わかるような、わからないような。覚えていることもあれば、覚えていないこともあるような」



「言っている意味が分からないんだけど。また、いつもの中二病。からかうのはやめてよね」

 真帆が部屋から出ようとするのを必死になって止める。この世界での誠心誠意をあらわす「土下座」ですがるような気持ちで頼む。



「まってよ。そんなことされると本当に困るんだけど。わかったから。覚えていることと、覚えていないことを話してみて」



 一般的な知識は覚えていること。ただ、僕自身がどのような人で家族がどうだったかについてはほとんど覚えていないこと。真帆に関しては、妹ということは覚えているけれど、それ以外は忘れてしまったことを伝える。



「トラック事故の後だし、話し方も少しおかしいし。でも、お姉ちゃんは、ときどき重度の中二病になるから、信じていいのかわからないよ。ちょっと、待っててね」

 真帆が何かを思いついたようで、1階へと降りていった。しばらくして、「グリーンシールのアイスクリーム」と「コンビニ限定チョコパフェ」を持ってきた。



「お姉ちゃん、どっち食べる?」

 どっちも甘いものだ。知識としてあるけれど、味なんて覚えていない。何のクイズだ。僕は正直に「どっちでもいい」と答える。真帆は口を大きく開けて、心底心配そうな顔をし「本当にどっちでもいいの?」と聞き返してきた。



 僕の回答はもちろん変わるはずもなく、真帆はしょうがなくといった様子で僕に「グリーンシールアイスクリーム」を渡してきた。渡されたアイスクリームは丸いカップ型だ。ふたを開け、真帆が渡してくれたスプーンでアイスクリームを食べようとしていると真帆が「ダメ」と手に持っていたアイスクリームを取り上げた。



「私はグリーンシールのアイスクリームが、すっごく好きなの。そして、お姉ちゃんはパフェが好き。これを忘れているなんて、ありえないよ」

「そうなのか」

 不思議な気持ちでアイスクリームとパフェを見比べる。どっちも紫や赤色をしており、少し毒々しい。なんていうか、とても味がいいものとは思えなかったので、食べないなら食べないで、それはよかった。



「ごめんね、すぐに信じてあげられなくて。心細かったよね。一緒に病院へ行こう」

アイスクリームの好き嫌いがそんなに大事かなと疑問が残るものの、それはそれで信じてくれたため、深くは追及しなかった。







 真帆がすぐにタクシーを手配して、近くの総合病院へと向かった。カナイも心配だからと、ポケットに入るサイズにまで縮まってついてきてくれた。長いこと待たされて色々と検査をした。診察室にかわるがわる入り、真帆と僕は聞き取り調査のようなものも行われた。



 しばらくして、二人で診察室に呼ばれ、記憶喪失であることが告げられた。

真帆がすごく不安そうな顔で、お医者さんに日常生活のこと、これからのこと、記憶がどうやったら戻るかなどを熱心に質問していた。



 もちろん、僕も記憶を取り戻したいと思っているので質問をしてみるが、正直僕自身が異世界からワープしてきたような気持でいるため、正直なところ何を質問すればいいかがわからなかった。



 いったん、席を外すように言われて、僕は診察室から出た。

 診察室からは真帆の涙を堪えるような話声と「心を守るために」という単語だけが聞こえてきた。「心を守るため」なんて話を聞くと、「記憶をなくす前の僕に何があったのか」気になってくる。



「僕の身になにがあったの」

「あなたは、高校デビューに失敗したの。じー」

カナイが笑いながら告げる。冗談なのか。記憶喪失の理由が「高校デビューに失敗した」なんて、前代未聞だろ。そんな理由で、軽トラックにつっこむかな。



 そして、高校デビューに失敗したくらいで、記憶喪失になるほどのショックが起きるかな。最後の「じー」という言葉にヒントがあるのか。僕は気になり尋ねてみる。

「じーって、どういう意味」

「冗談っていみよ」

カナイが頬を膨らませながら、プイと横を向く。



しほさん」

 名前が呼ばれて、再び僕は病室に招き入れられた。症状を再度確認されて、お医者さんからは入院を強く勧められた。今のままだと、記憶喪失がどの程度進んでいるの変わらない。一度精密な検査をしたうえで、今後の治療方針も決めていきたいということだった。差し当たっては、入院も必要になるからご両親も呼ぶようにと告げられた。



「両親は、この春から海外に赴任ふにんしています。母がスポーツの監督でして、父はそれを支えるアシスタントとして海外にいっています。


お姉ちゃんと私で、ついこの間送り出したばかりなんです。記憶をなくす前のお姉ちゃんが、私たちを置いてくことをしぶっていた二人の背中を押して実現したことなんです。


お姉ちゃんが心配かけないようにと、2年前から家事を学んで、そして寮も完備している高校に入学しました。今年いっぱいはお姉ちゃんが家のかじを取り仕切って、来年、私もお姉ちゃんと同じ学校に入るつもりでいます。


二人で一緒に寮に入ろうねと約束もしていたんです。両親の活躍は私たち二人の夢でもあるんです。今戻してしまったら、家族全員の夢が・・・・・・」




「そうはいっても、現実問題、彼女は記憶喪失だ。家族の献身的なサポートがいる」

「そうですよね」と真帆がうつろな目で声にならない声を出した。

 僕はどうしてもいたたまれない気持ちになり、カナイにそっと耳打ちをする。驚いた表情のカナイは「わかったわ」とだけつぶやき、了承してくれた。僕は意を決っして先生に告げる。



「ごめんなさい。途中で引っ込めなくなってしまい、先生にも嘘をついてしまいました。記憶喪失なんてなっていません。本当は妹に嘘をつくだけでよかったんですが、あまりにも信じて疑わないもので、どこまで嘘が突き通せるか試してみたくなったんです。ごめんなさい」



 両手を頭の前に突き出して、先生に拝むように謝る。

「君、そうはいっても結果として出ているんだよ」 

 先生がカルテを叩きながら、いらいらしたような声でいう。

「うまく騙されてくれましたね」

 僕はニコニコ笑いながら言う。

「それでは、テストをしてみよう。幼少期のことを語ってみてくれ」



 僕にはそばでずっと見守ってくれていたカナイという神様がいる。誰よりもずっとそばで見てくれて来た彼女が、耳元で「私の幼少期」を語る。僕はその声をそっくりそのまま伝えるだけだ。ひとしきり家族のエピソードを披露する。先生は驚いた表情を見せ、それでも信じられないような眼をして妹に尋ねた。



「すまんが、妹さん。彼女の言っていることは本当かね」

 妹は先ほどから顔を伏せており、表情は読み解けない。それでも体が震えているところを見れば、相当怒っていることがわかる。

「最低」

 大きな声で真帆が叫び、僕の頬を叩く。



「私がどれだけ心配したと思っているの。本当に、本当に心配したんだよ。トラックに衝突したと聞いたときも生きた心地がしなかったし、学校のことだって。私がどれだけ後悔していたか。それなのに」



 真帆の頬を大粒の涙が伝う。先ほどまで我慢していた涙が、ついに堪えきれなくなったのか、せきをきったように流れて落ちてくる。

「君と妹さんの反応を見ていると、先ほどの診断が正しかったのか不安になる。正直なところ、君が本当は記憶喪失でそれを隠そうとしているとも感じる。ご両親が不在の今、君と妹だけでやっていけるのか不安だ。例えば、君が学校の帰りに記憶喪失が進み、家に帰れなくなる可能性も考えないわけではない。事件に巻き込まれることもあるかもしれない。それでもいいんだね」



 先生が心配そうな声で尋ねる。

「記憶喪失ではないので、心配いりません」

 僕は満面の笑みで答える。

「わかった。但し、学校には、君のほうから記憶障害があったことだけは伝えてくれ。助けてくれる人は多いほうがいい。今回の所見は中二病ということにしておこう」


 先生の乾いた笑い声が室内に響く。

「先生、笑えないです。姉の中二病は筋金入りですから」

 真帆が真顔で突っ込む。病室に流れる空気が寒々としたものになる前に、真帆を連れて診察室を後にした。







 病院からの帰りは、タクシー代金の節約のために二人で歩いて帰ることにした。病院を出てから、真帆は黙々とあるいている。僕からの質問に対しては「うん」、「そうだね」くらいにしか反応しない。少し疲れた僕は、真帆の伸びた影を踏まない程度に後ろから歩く。



 真帆の後ろを歩いていると、どうしても死んだときのことを思い出してしまう。あの時は、向かってくる敵の一撃から彼女の身を守ることが精いっぱいで、残される彼女のことなんて考えていなかった。



 僕が妹を無くして孤独あったように、彼女も親や兄弟を無くしていたはずだ。ましてや僕を無くしてからは、近しいと呼べる人は皆無だったはずだ。その後の人生で伴侶をえたかどうかはわからない。でも、少なくとも、あの戦場というむき出しの殺意と欲望が渦巻く地獄の中で、あの時は孤独だったはずだ。



 それでも、彼女は孤独を、戦場を乗り切って世界に安寧をも当たらす立役者となった。どれほどの苦難があったのか、想像に難くない。そして、生まれ変わってきてまでも、僕のそばにいることを選んでくれた。



 記憶をなくす前の私がどうだったかはわからない。今の僕はといえば、妹の横に並ぶことさえ出来てやしない。前世では守られるばかりだったが、今度こそ彼女を守り切る。姉として転生したのだから、姉の矜持というものを果たしたい。



「真帆、ごめんな」

 真帆が振り返り、「やっと、謝った」と呆れた顔でいう。

「お姉ちゃんが謝ってくれないことには、私だって許してあげられないよ。もう今回みたいなのはやめてよね。大サービス、グリーンシールのアイス、2つで許してあげる」



 いたずらっ子な笑みを浮かべながらピースサインを突き出す。

「今から行こうか」

 僕は真帆の隣に並び、手を握る。



「手をつなぐのなんてひさしぶりだね」



 少しはにかみながらも真帆が握り返す。

「もしもよ、もしもの話だけど記憶喪失の振りを続けたいなら付き合ってあげてもいいよ。但し、いつか本当のことを教えてよね」



 握り返す真帆の力が一瞬強くなる。僕は彼女の手を握りながら守りきれなかった妹を思い出し少し切ないような、守っていこうと決めた妹の力強さに少し嬉しいような、胸がいっぱいになる思いを抱えてお店までの道を歩き続けた。

 



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