#2

 駅前のスーパーはこんな真夜中でも、当たり前のように白くまぶしい。思わず顔をしかめながら、私は入口の横に積まれた買い物カゴをひとつ手にとる。


 他の棚には目もくれず、まっすぐ冷凍食品売り場へと向かう。何か特別な理由があるわけじゃなく、単純に「昼間に一度来ているので他の売り場に用事がない」というだけのことだ。もしかしたら、「夜中にまた来なければならなくなった」ということ自体が、特別なのかもしれないけれど。


 目的のものがどこにあるかは、知っている。この数年間、私はそれを何度手にとったかわからないけれど、並べられている位置は変わったことがない。アイスクリームの棚の、いちばん右下。なんとなく眺めていたら見過ごされてしまいそうな、見逃してしまいそうな場所。


「あれ、ツノちゃん先輩?」

 通りかかった店員が、いきなり私のあだ名を呼んだので、心臓が飛び出そうになった。見ると、同じ研究室の後輩が、段ボールをかかえて立っていた。


「サトちゃん、ここでバイトしてたんだ」

 いつもこんな夜中なの、と尋ねると、彼女は慣れた手つきで商品を補充しながら「時給いいし楽なんで、ヒマな時とかたまに入るんです」と笑う。「けっこうおもしろいんですよ。このへんは若者がいっぱい住んでるせいか、わりと季節関係なくアイスが売れるとか」

 そう言われてみれば、まだ春の始まりで肌寒い日もあるというのに、アイスクリームの棚にはところどころ抜けたところがある。ショーケースの真ん中あたり、「新商品」や「人気」のポップが貼り付けられた、ちょうど目線の高さの位置。

 私はもう一度、右下の隅のほうを見やる。地味なパッケージ、どこにでもある味の組み合わせ、やたらと安い値段。おいしいアイスが食べたいと思う人なら、真っ先に候補からはずすだろう。

 でも私は、これでなければだめなのだ。時の流れに逆らえなくなって、いつかなくなる日が来るとしても、その日が来るまで、私にはこれがなくてはだめなのだ。


「あ。それ、おいしいです?」

 後輩の無邪気な質問に、箱をつかんだ手が固まる。おいしいよ、とひとまず言っておけばいいのに、軽口が叩けない面倒な性格のこの頭は、返す言葉をぐるぐると考えている。実際のところ、これがおいしいのかそうでもないのか、私にもよくわからないのだ。少なくとも、おいしいから食べている、というわけではないし。

「いやそれ、たいして売れないんですけど。店長が大好きで、これだけは商品の入れ替えしないらしいんですよねー。先輩もおいしいって言うなら、買ってみよっかなーって」



 ありがとう、名も知らぬスーパーの店長さん。

 慣れた道を、自転車でゆっくりと行く。意識していないと、今にもペダルを踏みこんでスピードを出してしまいそうになるので、気をつけなくてはいけない。

 あの子が、私の家で待っているから。


 中学で仲良くなって、高校も同じで、卒業後には私は大学、相手は専門学校に進んだけれど、一緒に東京に出てきて、今でもしょっちゅう会っている。

 そんな話をすると、「その人って男? 女?」と聞かれる。女だと答えると、「貴重な女友だちだね」と感心される。男だと答えれば、「それってもう付き合ってんじゃん」と騒ぐのだろう。意味のない質問だ、と思う。この世界が何かの拍子にひっくり返って、少数派が多数派に変わったなら、この人たちは今と正反対のことを当然のように語るのだろう。


 じゃあ、私があの子に抱くこの強い感情は、恋なのか?

 たぶん、恋なんだと思う。


 誰かひとりのことを思い浮かべて、考えるほどに喉がからからになって、とりたてておいしいわけでもないアイスを何本も食べてお腹をこわすような事態になることが、恋じゃなければ何なんだ。


 籐子が好き。籐子が大切。


 気づけばそう思っていたし、籐子も少なからず私のことを同じように思ってくれていると感じている。だから、今さら口に出す必要もない。そう思っていた。けれど。

 私たちは生き物だ。賞味期限のないアイスクリームのように、冷凍庫の中に閉じこもっていることはできないし、年月を経るごとに少しずつ変わっていく。心も体も。

 だから、このくらいは伝えておいたほうがいいのかもしれない。

 もしも世界がひっくり返っても、私は籐子がいちばん好きだし、いちばん大切だと。昔と同じように、安っぽいアイスクリームをいつまでも二人で食べていたいのだと。


 駐輪場に自転車を停めて、アパートを見上げる。私の部屋の窓にだけ、あたたかい光がともっている。とくとくと鳴り出した胸をしずめるために、私はひんやりした夜の空気をめいっぱいに吸いこんだ。

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