Sun & Moth
麻(asa)
#1
冷凍庫をのぞきこんだハルナが、うあー、と声を漏らす。
「ごめんトーコ、あれ切らしてたわ」
「えええええ〜〜〜〜」
あたしはローテーブルの上に片頬をくっつけたまま、伸ばした脚を大人げなくじたばたさせる。
「やーあーだー、あれ食べなきゃ寝れないいー」
「あれなー、駅前のスーパーまで行かないと売ってないんだよなー」
あれとは、某老舗メーカーのアイスバーのことだ。一箱十本入りのファミリーパックで、バニラ味とチョコ味が半分ずつ入っている。お酒を飲んだ日、あたしは必ずそれを食べてから寝る。ハルナはそれを知っていて、そのアイスバーを常備するようになった。そして、今日のようにハルナの家で飲んでそのまま泊まるときには、何も言わなくてもそれを冷凍庫から取り出してくれるのだ。一本あたり三十円の代金を徴収することも忘れないけれど。
半分くらい中身の残ったビールの缶から、炭酸の抜けるぴちぴちという音がする。ああ、もったいない。けれど、おつまみももう食べ尽くしてしまって、なんだか飲みきる気が起きない。口をつけてしまえばどうということもないのに、最後まで飲んでもらえないビール。かわいそうなビール。
「おいこら」
いきなり耳元で低く言われて、「ひゃい」と間抜けな声が出た。いつの間にかすぐ隣でしゃがんでいるハえルナは、部屋着にしているバンドTシャツにパーカーを羽織って、ショートパンツをデニムに履き替えていた。
「だーから、私、チャリでさくっとスーパーまで行ってくるから。あそこ、二十四時間営業だし」
「マジで〜? もうしわけない〜」
「本気で悪いと思ってないだろ」
あたしの頬をちょっとつねって、ハルナは立ち上がる。小さな玄関でスニーカーの靴紐を結んで、「眠いんならベッド使っていいからね」と言い残し、きちんと扉の鍵をかけて出ていった。雑そうなのに意外にしゃんとしているその背中は、あたしが知っているハルナそのものだ。
あたしたちは十年前、地元の中学校で知り合った。同じクラスで前後の席になったあたしとハルナは、なぜか気が合ってよく話すようになった。
ハルナに対する気持ちが、どこで友情から恋に変わったのか、正確にはわからない。けれど高校に入って、誰が誰を好きだとか、誰と誰が付き合っているだとかいう話がひんぱんに飛び交うようになったころ、ふと「ハルナにもいつか彼氏ができるのかな」と考えた。卒業式や感動もののドラマを観ても絶対に泣かないあたしが、そのときはびっくりするくらい悲しくなった。そして初めて、自分の中の恋心に気がついたのだ。
同じ高校を卒業して、私は専門学校、ハルナは大学へ進むために同じ東京に出てきた。生活は変わったものの、こうして毎週のように会い続けている。気持ちを伝えないのは、今の関係を保ちたいから。ほんの少し前まで、何があっても壊れることのないものだと思っていたのに、本当は弱くて細い糸のような、つつけば消えてしまう泡のようなものなのだと知ってしまった、この関係を。
ねえハルナ。あのアイス、本当はハルナと一緒のときにしか食べないんだ。中学のそばの駄菓子屋で、夏になるとおばちゃんが売り出してたアイス、あれだよ。チョコ味とバニラ味、1本ずつ買って、交換しながら食べたよね。なんにも考えなくてよかったあのころに戻れる気がして、嘘ついて買ってもらってたんだ。ごめんね。
ねえハルナ、今日はアイス、どうして無かったの。誰かと一緒に、この部屋で食べたの。大学の友だちと? もっと近しい誰かと? ハルナの中で、あたしはどんな位置にいるの?
それを、あたしは絶対に知ることはできない。知ることは知られることと同じで、あたしはハルナに絶対に知られたくないから。けれど同時に、知ってほしいという強い気持ちもわいてきて、あたしは内側から引きちぎられるような痛みを感じる。
がちゃがちゃとドアノブが音を立てる。あたしはあわてて濡れた頬をぬぐい、体育座りになって腕の中に顔をうずめる。どうか、あたしがあのまま眠ってしまったのだと、ハルナが思いこんでくれますようにと祈りながら。
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