第10話
「はいじゃあ改めて挨拶をしよう」
ダイニングテーブルに並べた料理を食べながら、ネイラは自分の前の席で目をぱちくりさせている二人の子どもを見た。背が足りないからか、椅子の上に立っている子ども達は、見た目だけでいうとちょうど5.6歳の子どもくらいだろうか。この二人が吸血鬼の使い魔だというのだから、やはりネイラには信じ難い世界である。
「じゃあまずティグル」
グロウに名前を呼ばれて、髪の短い男の子が元気に手を挙げた。キー!という鳴き声は、恐らく返事をしてくれたのだろう。
「彼がティグル。オスの使い魔だよ。正確にはティグル…えーっと、何世だっけ?……あぁ、158世だね」
グロウがティグルの首元に下げた小さなプレートのついたネックレスを見た。どうやらそこに数字が書いてあって、彼が何世かを示しているようだ。
「ティ、ティグル158世……?!」
「うん。僕の使い魔は基本この名前を引き継いでいくから、大体そのくらいかな。途中で数え間違えてるだろうから正確じゃないけど」
「初代のティグルの子孫なの?」
もし代々ずっとグロウに仕えているのだとしたら気が遠くなるくらいの忠誠心だと思ってそう言えば、グロウは首を横に振る。
「いいや?この子達は使い魔の印を結んでなければただのコウモリだから、寿命が来れば死んでしまうさ。その頃に生まれたばかりのコウモリをまた拾ってくるんだ」
「そ、そうなの」
話を飲み込むので精一杯のネイラをよそに、今度は先程ユーフラと呼ばれた使い魔がタンタンとテーブルを手で叩く。私も紹介して!と言いたげだ。
「あぁすまないユーフラ。ネイラ、この子がユーフラ。んーと、ユーフラは144世か。人間と一緒でコウモリもメスの方が長生きだね」
グロウがユーフラの首飾りに手をやると、ユーフラはくすぐったそうにキーキーと鳴く。よく見ると、その小さな口の中にはやはり小さな牙が見えた。子供のようでもこの子達はコウモリで、グロウの使い魔なのだ。
「というわけで今はこの二人が僕の使い魔だよ。言葉は教えてないけど話を理解することは出来る。基本僕と同じで夜行性だけど人間の子どもと同じ扱い……いや、子どもと思わなくていいよ。召使いだと思ってくれれば」
「ちょっと、難しいわね。それは」
黒い髪に赤い瞳の二人の子どもはワクワクとした瞳をネイラに向けて、好奇心が抑えられないと言いたげだ。そんな子達を召使いのように扱うなんて、出来そうにない。
「えっと、改めて、私はネイラっていうの。よろしくね、ティグルとユーフラ」
「僕の花嫁だからよろしく頼むよ二人とも」
キー、と二人が返事をするように鳴いた。
「さぁ、自己紹介はここまでだよ。ネイラはゆっくり食事に集中しておくれ。ティグルとユーフラはちょっとおいで」
そう言うとグロウは二人を連れ立ってダイニングから出て行った。ネイラは広いダイニングで一人、ぽつんと取り残される。先程作った温かい食事を頬張りながら、ぐるりとダイニングを見回した。
やや薄暗いのはこの際置いておいたとしても、柱の作りや小さな窓の枠、高い天井にぶら下がっているシャンデリアまでもまるで絵本の中のお城のような様相に、思わずため息が漏れた。先程のキッチンも広く、百人分くらいの食事なら簡単に作れてしまいそうな広さがある。王が住む城と言われれば小さい気もするが、それでもかなりの貴族が住んでいておかしくない場所なのは王宮に行ったことのないネイラにも解った。
「これから暫く、ここで一人で食事をするのね……」
シャンデリアをぼんやりと見つめながら、ネイラは零すように呟いた。
城全体が監獄のような場所なわけではなく、住むには快適すぎるほどの環境が整えられていた。更に部屋に閉じ込められるわけでもなく監視がつくわけでもない。村に帰れない事と、いつグロウの気が変わって血を吸われるかわからないという事を思い出すとネイラの心は不安で揺れそうになるが、彼はネイラが此処にいてくれればいいと言った。裏を返せばネイラが此処にいる限りシェーラや村には手を出さないという事、と取って良いと思える。
グロウは自身の命をあと数年と言った。それさえも真実かはわからないが、今のネイラに出来ることといえば、彼の機嫌を損ねないように毎日を過ごしていく事だけなのである。
「空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだわ…」
あれだけ物思いに耽りながら摂った食事だったというのに、数日何も口にしていなかったのは良いエッセンスだったようである。何より使い魔の二人が買って来てくれた肉はやはり大層質の良いものだったのか、ネイラは空腹感と引き換えに満足感を手にした。腹が膨れると、心に少しばかり余裕が出てくる。食後に先程飲んだ紅茶の出涸らしでもう一杯お茶を口にしてから、キッチンへ戻り皿を洗った。どこから水を引いているのかわからないが、この城には水道もあるようだ。村で水道を引いているのはせいぜい村長の家か、食堂を経営する家だけである。
「こんなに設備がしっかり整ってるのに、あの人たちは使わない場所ばっかり……」
食堂もキッチンも、彼らには必要のないものだ。ならばせめてこの城にいる間はネイラが存分に使わせてもらおうと、早速明日食べる為のパンの下拵えをする事にしたのである。
先程から随分とキーキー鳴く使い魔達が何か言いたげな事に、グロウは首を傾げた。代替わりしてすぐだから彼らを使役してまだ日は浅いが、こんなにも何かに反応しているのを見るのは初めてである。
「どうしたんだい二人とも。べつに人間が珍しいわけではないだろう。君たち普段から王都まで行って買い物もしてるんだから」
人間が食べる為の食材を買いに行かせたのは初めてだったが、基本王都に何か入り用の場合は使い魔の二人に行かせる。吸血鬼の使い魔ではあるが、彼らはグロウほど日光に弱いわけでは無いのである。故に、昼間に何かしなければならない場合はこの二人に命令して雑事を行わせていた。その時も人間に特に深く関心を持っているような様子はなかったというのに、何故かネイラは気になるようだった。しきりにダイニングの方を気にしてはキーキーと鳴く。グロウはため息を一つ吐くと、二人の頭をこつんと小突く。
「こらティグル、ユーフラ。この城に人間がいることが珍しいのかもしれないが、仕事はきちんとやれ。ほら、これをいつもの所へ持っていくんだ。出来るな?」
そう言うと二人は自身のやるべき事を思い出したのか鳴くのをやめ、二人してコクンと頷いてからグロウの手から一巻きの羊皮紙を受け取った『これ』を届けるのも、彼らの仕事である。
「じゃあ頼んだよ」
キー、と一つ鳴いて肯定を示すと二人はぱたぱたと駆けて行った。その後ろ姿を見つめながら、グロウはもう一度ため息を吐いて壁に掛かっている地図を見る。つい最近使い魔の二人に買って来させた地図には、既に何色ものインクでグリグリと線が書かれている。その線の端に書いた日付の古いものに軽く指を滑らせれば、線はまるでインクが剥がれ落ちたかのようにつるりと消えて無くなった。代わりに近くの羽ペンを取りまた線を書き足しておくと、その線はぐにゃぐにゃと生き物のように動き、地図を這っていく。その線は何重にも重なり、この国の隣の山を越えた辺りでぶつかっていた。向こう1ヶ月程は天候による災害は起きる事はない、という結果だ。その事を記す為に、また日付を書き足す。
「ま、こんなものか」
そう言ってペンを放り投げれば羽ペンは勝手にケースへと納まった。次にグロウは部屋の隅にある一枚の鏡の前に立ち、そっとその表面を撫でた。薄暗い部屋の中に反して、突き抜けるような青い空がまず映る。それから豪奢な城が映り、その城の倉庫で何やらやり取りを交わす人物が二人、映し出された。
「なるほど」
グロウの城がある森とは真反対の山の向こうの隣国がそのまた向こうの国と戦争を始めるか否かの瀬戸際で、その影響がこの国にも出てくるのか、国王はその事に気を揉むあまり内政が疎かになっているらしい。第三宰相が第二王子の暗殺を企てている様子であることを注意しておいたが、第三宰相は騎士団への影響力を最も多く持つ者らしい。後は王の手腕に任せるべく、その先の事に関してはグロウは口を噤む。結論まで導いてやる義理は無いし、これから先自分は生贄の娘この国から求める事はない。つまりはただの無料奉仕になるのだから、いつも以上に進言が杜撰になってもそこまでの責はないのだ。
ただ今は、ネイラと話がしたい。ネイラもっと一緒にいたいという欲が勝ってしまっている。まるで初めて恋を覚えた少年のように、気持ちが逸ってしまうのだ。
使い魔達は手紙を届けさせに行ったから暫く戻らないだろう。ならばネイラと二人っきりでいられるチャンスだ。と、グロウは慌てるように部屋を出てダイニングへ戻る為に足を動かした。
「あ、そうか」
ここでようやく、グロウは使い魔二人の異変の原因に気がつく。恐らく主人であるグロウが彼女のことばかり考えているせいで、その影響が眷属であるあの二人にも出ているのだ。そわそわとネイラの方を気にする使い魔達は、言わばグロウの鏡とも言える。
「は、恥ずかしい……」
そう言って、グロウははたはたと手で頰を仰ぐ。血の通っていないその頰は青白く冷たいままであるのに、まるで赤面してしまったような仕草を自然にした自分に、僅かに嘲笑したのである。
キッチンで小麦粉を計っていると、ダイニングの方からネイラを呼ぶグロウの声がしたので返事をすれば、いそいそと入ってくる影が見えた。
「やぁここにいたんだね。食事はもういいの?」
「えぇ。食べたら少し落ち着いたわ。食材を買ってくれてありがとう」
「買い物はあの子達に任せているから、欲しいものがあったら手紙にして持たせてあげておくれ。買い物に出す時はネイラにも声を掛けるから…えっと、ネイラは字が書けるかな?」
「大丈夫よ。両親が村と王都を往復する行商をしていたから教わってるの。シェーラ……言葉の話せない妹と話す時にも文字で会話したりしてたから」
「そうか。失礼したね」
ネイラはいいえ。と首を振る。村には文字が書ける女は少ない。人口が少ない村にはそもそも学校すらないのだ。ネイラは両親の行商に付いて王都へ行き父や母の仕事を見て学んでいた上に、両親は話せなくなったシェーラとのコミュニケーションに字を使った。ゆえに、ネイラは村では珍しく読み書きが出来る存在だったのである。
「じゃあ、何かあったらお願いするわ。どうもありがとう」
これから数年。もしかしたら十年以上この城にいることになるのだ。なるべくグロウと使い魔の機嫌を損ねないように粛々と息をする必要がある。グロウが随分とネイラの事を歓迎してくれている事は分かっているが、彼が吸血鬼であることは忘れてはいけない。
その事実が、ネイラの身体を無意識に緊張させた。
「おや、何をしているの?ネイラ」
不意にグロウがひょこりとネイラを覗き込んできた。気にせず小麦粉ボールに入れて、塩と水を足す。
「明日はパンを食べようかと思って下準備をしているのよ。折角食材もあるし、時間もあるしね」
「へぇ。君はなんでも作れるんだね。すごいなぁ」
「このくらい、貴族のお嬢様じゃない限り誰でも出来るわよ」
そうなんだ。と言ってにこにこと微笑みながら興味深そうにネイラを見つめてくる彼の持つ深い紅の瞳に見られると、何故か居心地が悪いような気分になる。ネイラはむず痒そうに視線を外してから、先程までグロウの近くにいたあの小さな使い魔が見当たらない事に気がついた。
「ティグルとユーフラはどこかへいったの?」
「あぁ、あの子達はお使いに出かけたよ。まだ太陽が落ちてないから、外へ出るのはあの子達の仕事さ」
「そうなの。いい子達ね」
あの見た目につられて思わず子どもを褒めるような言い方をしてしまって、ネイラは少しグロウの顔色を伺った。使い魔を人間ごときが子ども扱いしたら怒ってしまうだろうか、という考えが咄嗟によぎったのだ。
「……あの子達が気に入ったかい?」
感情の読めない声でそう問いかけてくるグロウに、ネイラは背中に一筋冷や汗をかく。機嫌を損ねてしまっただろうか。
「ごめんなさい。私子どもが好きだから子どものような見た目をしていると思わず可愛いなって思ってしまうの。失礼だったなら謝るわ」
そう素直に言って、こっそりグロウの表情を窺う。怒らせてはいけない。何か粗相をしたらすぐ謝らなければ。
しかしグロウは何故か、妙に口元をもごもごとさせていた。
「怒った、かしら……」
その表情をどう読み取ればいいかわからない。が、どうやら怒っているわけではなさそうなのだけは、なんとなく理解出来た。
「いいや。ネイラがあの子達を可愛いって言ってくれるのは嬉しいよ。我が子を褒められたような気分だ」
「そ、そう。よかった」
「でもあの子達、やたらと君に構って欲しくてベッタリしそうだからさ。それはちょっと複雑なんだよね。まぁ、僕の分身みたいなもんだから仕方ないんだけどね。使い魔だから。あの子達」
「へ?」
「あぁ久しぶりにこんな感情抱いたよ。このちょっと胸がチリチリすると言うか、モヤモヤするというか。やっぱり君はすごいな。花嫁になってくれてありがとうネイラ」
「言ってる意味がよく分からないけど、怒ってないならいいの」
君の事を怒るわけないだろう?と深い紅を優しく細めたグロウはどこか懐かしそうに笑って、久々に抱いたという感情をやけに大事そうにしながらネイラに礼を述べた。
人間みたいな事を言うのだ。と、ネイラは心のどこか冷たい部分でそう思いながらも、彼の懐かしそうに笑う顔につられてほんの少しだけ笑ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます