曖昧模糊 針生-4


 釆原を見送った後、針生も釆原の家に行くため山道を下り始めた。釆原にコートを貸してしまったので針生は寒さに耐えながら山を下る事になってしまった。


「私としたことが失敗したわ。こんな事ならコートを返して貰えば良かった。今からでも思い出して戻ってきてくれないかしら?」


 そんな愚痴を零しながら体を摩って麓の所まで着いた針生は後ろから襲ってきた痛みでその場に倒れてしまった。一瞬にして体の自由が奪われてしまうほどの痛みに何が起こったか分からない針生は倒れた状態で首を後ろに向けると、そこにはスタンガンを持った釼が立っていた。


「何……で……貴……方が……」


 針生の目に映った釼は醜悪な笑みを浮かべていた。手に握るスタンガンはまだスイッチを入れているようで青い放電光が今も流れており、バチバチと激しく火花を散らしている。

 動かない体を何とか動かそうとする針生だが、釼が更にスタンガンを押し付けてきた事によって意識を失ってしまった。


 目を覚ました針生が見たのは薄暗い部屋の中だった。見た事もない部屋でなぜこんな所に自分がいるのか分からない針生だったが、意識がはっきりしてくると釼に襲われて意識を失ったのを思い出した。

 ベッドに寝かされている針生は上体を起こそうとするが、両手を後ろで縛られているため上手く起き上がる事ができなかった。良く見ると両足も縛られており、これでは起き上がる事なんて到底困難だ。

 何とか縛られている手や足の紐を解こうとするが、手も使えない状態では中々紐を解く事はできず悪戦苦闘していると部屋の扉が開き、そこから釼が入ってきた。


「やっと起きたか。案外お寝坊なお嬢様なんだな。クククッ」


 嘲笑あざけりを浮べた釼はベッドの上に乗って来て針生が逃げられないように両手で壁を作るように四つん這いになって覆いかぶさってきた。

 手足が縛られている針生は釼をどける事ができず迫ってくる顔を何とか首を捻って避ける事しかできなかった。


「何するのよ! 醜い顔を近づけて来るんじゃないわよ!」


「アハハッ。良いねぇ。やっぱり起きてないと抵抗してくれる姿なんて見られないからなぁ」


 釼は針生が起きるのを待って部屋に入ってきた。無抵抗な針生を襲った所で興奮しないからだ。自分の顔を避けようと動く針生を見て釼は恍惚の表情を浮かべる。

 そんな表情を浮かべる釼に嫌悪感しか抱けない針生は抵抗の意味も込めて釼の顔に唾を吐きかける。


「下衆な男ね! 見ているだけで反吐が出るわ!」


 反吐ではなく唾を吐きかけた針生だったが、次の瞬間戦慄する。それは釼が吐きかけられた唾を舌で舐め取ったのだ。釼に対して針生は最初から良い印象を持っていなかったのだが、今の釼の行為で生理的に受け付けない人物に変わっていた。


「針生の体液はこんな味がするのか。こんな美味しい物俺は味わった事がない。たっぷりと楽しませてもらうぞ」


 釼は片手をベッドから離すと徐にベルトに手を掛け、外し始める。カチャカチャとベルトを外す音が部屋の中に響くと針生はこれから自分が何をされるのか分かってしまい、激しく体を動かして抵抗する。

 自分の下で暴れる針生を見て、釼は鬱陶しく思ったのか針生の顔を何度も殴りつけると針生は大人しくなった。


「あっ、少しやり過ぎたか? 抵抗されないと燃えないんだけど、まあ良い。一回やっちまえばどの道大人しくなるんだ。遅いか早いかの違いでしかないな」


 無意識の内に涙が出てくる針生だが手足を縛られた上に、何度も殴られ、抵抗できなくなってしまった。


 ――悔しい……。こんな男に何もできないなんて……。


 釼がズボンを下ろした所で部屋のドアが開いた。仲間には声を掛けるまで入ってくるなと言ってあるので、ここで邪魔をされるとは釼は思っていなかった。


「俺が入って良いと言うまで入ってくるなと言ってあるだろ!」


 お楽しみの時間を邪魔されて事で苛立つ釼は部屋に入ってきた人物を追い出そうとドアの方を見ると、そこには一人の女性が立っていた。もしかして針生の仲間が助けに来たのかと思ったが、ドアの前には仲間が三人で見張っていたはずだ。


「誰だテメェは! 外には仲間がいたはずだ! どうやって入ってきた!?」


 釼がベッドから離れ、女性に向かって歩いて行くと、女性の横を通り抜け、ドアの前に居た仲間が入って来て釼の体を拘束した。


「貴方の仲間ってこの人たち? 残念だけど貴方より私の方が良いみたいで私の仲間になってくれたわ」


 妖艶な笑みを浮かべる女性の犬歯は長く伸びており、その犬歯からは今も血が滴っている。血が一滴、また一滴と床に落ちるたびに釼の恐怖は増していく。

 釼は何とか拘束を外そうと暴れるが、三人の仲間に捕まれており、その力も人間の物とは思えないような強さのため逃げる事ができなかった。


「クソッ! 放せ! 放せって言ってるだろ!!」


 その間にも女性は一歩ずつ釼に近寄ってくる。何をされるか分からない恐怖に釼の顔はみるみる血の気が引いて行く。それでも力を振り絞り暴れようとする釼だが拘束は一向に解ける感じはしなかった。

 女性が釼の目の前まで来ると一度だけ笑みを作り、大きく口を開けた。犬歯が照明の光に照らされ、怪しく光る。その光は釼が意識を持ってみた最後の光となった。


「止めろ! 止めてくれ! 何でもする! 何でも言う事聞くから!」


 釼の懇願も虚しく女性は釼の首筋に犬歯を突き刺した。みるみる入ってくる犬歯に釼は痙攣をおこし、白目を剥いてしまう。

 血を吸い終わった女性が口を釼から離すと釼の痙攣は治まったが、白目を剥いている釼は仲間が拘束を解いた事でそのまま床に倒れてしまった。


「やっぱりこの子は憑代ハウンターだったわね。血の味が違うもの。これで少しは動きやすくなるかしら」


 女性は口から流れる血を舐めてふき取るとベッドに寝ている針生の方に目を向けた。今までの様子を見ていた針生は思わず体がのけ反ってしまった。


「この子の使徒アパスルはまだいるみたいね。中々良さそうな人材だけど契約しているなら私の従僕にできないわね。ここで殺してしまいましょうか」


 女性が指を鳴らすと、釼の仲間たちがベッドの周りに覚束ない足付きで集まってくる。集まってきた仲間たちの視線は定まっていないが、その動きは確実に針生を襲おうとしていた。

 手足を縛られている針生は抵抗する事も逃げ出す事もできない。釼に殴られた頬の痛みを忘れてしまうぐらいの恐怖に襲われた針生は目を瞑って祈る事しかできなかった。


 ――誰か助けて……。紡……助けに来て。


 針生が体を固くして仲間たちに抵抗しようとしたが、仲間たちは何時まで経っても針生の体に触れてくる事はなかった。不思議に思い、びくびくしながら目を開けると針生の頬に生暖かい液体が付着した。

 頬に付着した液体は粘り気を持って頬を伝わり、ベッドに垂れた。ベッドに垂れた液体は白いシーツを赤く染めて行った。


「何よこれ? 血?」


 目を開けてベッドに付いた血を確認した針生に間断なく血が降り注いでくる。その血の出所がどこか気になった針生が顔を上げて辺りを見渡すと、ベッドの周りにいた男たちの首がなくなっており、その体から噴水のように血が噴き出していた。



「キャァァァァァア!!!」



 不意に首の無くなった人の姿を見た事で針生はパニックを起こし、悲鳴を上げた。首から血を吹き出す人間は初めて見たのだ。自分が死ぬという恐怖とは別の恐怖が針生を襲う。

 悲鳴を上げ、体を激しく動かす針生の肩を何者かが掴んでくる。体を触られた事でさらにパニックになる針生は今にも気を失ってしまいそうだった。


「落ち着け、綾那。私だ。しっかり顔を見ろ」


 針生は自分の顔に近づいて来る顔を肩を抑えられた事で視界に入れると徐々にだがパニックが治まって行った。針生の顔の前にはヴァルハラの顔――仮面があったのだ。


「あれ? ヴァルハラ? どうしてここに?」


 正気を取り戻した針生はヴァルハラの顔を見てキョトンとしている。今までパニックを起こしていたのが嘘のように正気を取り戻したのだ。その間にヴァルハラは針生を拘束していた縄を銃剣で切裂いた。

 やっと体が自由になった針生は立ち上がって自分の姿を確認すると、全身が血に濡れており、再びパニックを起こしそうになるが何とか堪える。


「あら助けてしまったの? ここで殺しておければ良かったけど仕方がないわね」


 仲間に針生を殺すように命じた女性が大して悔しそうにするでもなく、ヴァルハラに銃を向けられながらそう言ってくる。


「こんな場所で一戦始めようと言うのかしら? 何もしないなら大人しく出て行くけど、この提案に乗ってくれる?」


「分かった。じゃあ、さっさと出ていけ。敵対するような行動をしなければこちらも手は出さない」


 ヴァルハラは銃を上に向けてすぐには攻撃できないような姿勢になると、女性は踵を返して部屋の出口に向かって行く。床に倒れていた釼がゆっくりと立ち上がると虚ろな目をして女性の後に続いて部屋を出て行った。

 女性が居なくなった事を確認すると、ヴァルハラは銃を光の中に仕舞い、針生の方に顔を向けてくる。


「私たちも行くか。何時までもここに居ても気分の良いものじゃないだろう。説明はその後してやろう」


 部屋の中は正に血の海と言った感じで床はもちろん、壁や天井にまで血が飛び散っていた。鉄臭い匂いが鼻を刺激し、とても何分もここに居られるような感じではなかった。

 針生は下に転がっているであろう死体を見ないようにしながら部屋を出る。どうやらここは地下室だったようで、上に向かう階段がすぐ近くにあった。

 部屋を出た針生はまずは大きく深呼吸をする。鼻に残っている鉄の匂いが消えるまで何度も空気を入れ替えるとようやく冷静に頭が働くようになった。


「この部屋はどうしましょう。警察に連絡した方が良いのかな?」


 死体の事を思い出すと気分が悪くなってしまうので、なるべく部屋の中をイメージしないように針生が呟く。


「このまま放っておいて良いだろう。変に関わって余計な時間を取られてしまう方が後々面倒臭い事になってしまう」


 ヴァルハラがそう言うのならと思い、針生は警察に連絡する事を止めた。このまま何事もなく階段を登って行っても良いのだが、周りに人がいると殺人現場が見つかった時に怪しまれると思い、ヴァルハラに抱えてもらい、一気に階段を登り、この場所を離れる事にする。一瞬にして地上に出たヴァルハラはスピードを緩めることなく地面を蹴って近くのビルの屋上まで到達する。

 眼下に広がる景色を見ると、どうやら本町の外れのようで、太陽が出始めている所を見ると朝方のようだった。この時間は登校や出勤の前なので地下室の前の通りにはあまり人が行きかっていなかった。


「これぐらいの人通りだと私たちの姿は見られていないようね」


 まずは第一段階クリアと言った感じで安堵する針生だが、釼に殴られた頬が今頃になって痛み出した。


「少し腫れているな。家に帰ったら治療してやろう」


「えっ。この傷治るの? 良かった。こんな顔じゃ紡に会えないもんね」


「完全には厳しいと思うが、目立たない程度には治るから安心しろ」


 そう言って針生の家の方に大きくジャンプしたヴァルハラはなるべく人目に付かないようにビルの屋上を飛び、他人の家の屋根を伝って家に帰りついた。

 家に着いたヴァルハラは魔法を使って針生の傷を治療する。治療の前に鏡で自分の顔を見た針生はヴァルハラの魔法でも傷が残ったらどうしようと不安だったが、実際に魔法をかけてもらった後、再び鏡を見ると本当に傷跡はなくなっていた。

 一体どう言う原理で傷が治ったのか分からないが、少なくとも釆原に会っても傷があったなんてバレないだろうと思うと嬉しくなった。


「凄い。本当に傷が分からなくなっちゃった。良かったー」


 全身血まみれになってしまっていたので、針生はシャワーを浴びた後にヴァルハラに話を聞く事にした。脱衣所で裸になった針生が着ていた服を持ち上げると、血を吸った服はずっしりと重く洗濯した所で元の色に戻りそうもなかった。


「はぁ~。折角お気に入りの服だったのにこれじゃあもう着られないわね」


 少し残念だが、着ていた服はごみとして出す事にした。汚れもあるが、服を見るたびにあの状況を思い出してしまうからだ。

 シャワーを浴び終わった針生は紅茶を淹れてヴァルハラの前に座った。昨日の夜から何も食べていないが、食欲がなく紅茶ぐらいしか喉を通りそうもなかったからだ。


「まずは助けてくれてありがとう。お礼はちゃんと言っておくわ」


「いや、シェーラを倒した事で安心して綾那を一人にしてしまった私にも落ち度はある。アルテアを助ける事に意識が行き過ぎてしまったようだ」


 あの状況ならアルテアを助ける事に意識が行ったとしても仕方がないだろう。針生は紅茶を口に含むと話を続ける。


「それで? アルテアはもう大丈夫なの?」


「あぁ、大丈夫だろう。強制的に紡から魔力を供給させるようにしたから魔力さえ戻ればあの程度の傷なら元に戻るだろう」


 ――良かった。これでまだ一緒に戦える。


「それで、さっきの女性は使徒アパスルよね? 彼女は何をしていたの?」


 針生の居た場所からは釼が三人に体を掴まれている所しか見えなかったので、実際に女性が何をしていたかは見る事ができなかった。


「私も最初から見ていたわけではないが、特徴からして彼女はヴァンパイアだろう。綾那を襲おうとしていた人間が従僕化されていたのが良い証拠だ」


 その時の様子を思い出した針生は体が一瞬振るえる。いくら忘れようとしてもついさっきの事なのでどうしても思い出してしまう。


「従僕化? それって意のままに操るってこと?」


「そう言う認識であっている。ヴァンパイアに従僕化された人間は元に戻す事ができない。放っておけばほかの人間も襲いだしただろう。だからあの人間たちは殺すしかなかった」


 ヴァルハラの表情は仮面に隠れて分からないが、声の様子からすると悔しさが込み上げて来ているように思えた。


「じゃあ、釼が女性に付いて出て行ったのも従僕化されたって事?」


「あぁ、間違いないだろう。どうしてあの場にヴァンパイアが居たか分からないが、従僕化して連れて行ったのだろう」


 これは一度釆原と話した方が良いと思った針生はスマホのメッセージアプリに夜に家に行くとメッセージを入れる。


「私はちょっと仮眠をとるわ。時間になったら起こしてちょうだい」


 針生は釆原の家に行くまでの間、仮眠をとる事にした。ベッドに入ってもあの時の事が思い出されてしまい、結局、針生は一睡もする事なく釆原の家に行く事になった。


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