曖昧模糊 鷹木-2


 鷹木はシルヴェーヌを連れて自宅に戻ってきた。シルヴェーヌをリビングの椅子に座らせると、鷹木は紅茶を淹れるために台所に行く。

 色々あったので落ち着くためにはコーヒーよりは紅茶の方が良いと思ったからだ。紅茶を淹れてシルヴェーヌの所に持って行くと、シルヴェーヌは物珍しそうに部屋の中を見渡していた。

 一人暮らしのためそこまでは大きくない三DKの部屋はそんなに珍しい物ではないと鷹木は思いつつも、シルヴェーヌの前に紅茶を置き、鷹木も相対する位置に座った。


「素晴らしい部屋ですね。外があれだけ寒かったのに部屋の中に入ったらその寒さを全く感じなくなりました」


 帰ってきてすぐに暖房を入れた事もあるのだろうが、ほぼ新築のこのマンションは気密性が高いので、冬でも意外と暖かいのだ。


「飲んでちょうだい。部屋が完全に温まるまでにはもう少しかかるし、体の中から暖かくなるわよ」


 シルヴェーヌは紅茶の匂いを楽しんだ後、一口口を付ける。


「美味しいですね。しかも香りも良い。私の居た所ではここまで美味しい飲み物はありませんでした」


 シルヴェーヌの耳がピクリと動く。もしかしたら嬉しい事とかあったら無意識のうちに耳が動いてしまうのかもしれない。

 こうやって対面でシルヴェーヌを改めてみるが、本当に綺麗な女性だ。体の線が細く無駄な肉など付いていない体型だが弱々しさは一切なく伸ばされた背中は一本芯が入っているように見える。


「どうしたのですか? ボーっとして。何か私に付いているでしょうか?」


 あまりにも鷹木が見つめてくるため、シルヴェーヌは自分の体に何かついているのかと思い体の彼方此方を見渡していた。


「アハハッ。大丈夫よ。体には何も付いていないわ」


 鷹木がシルヴェーヌに何も付いていない事を教えてあげると、シルヴェーヌは少し照れながら笑みを浮かべる。


「それじゃあ、契約について詳しく聞かせてもらえないかしら。必要な時だけ声を掛ければ良いとは聞いたけど、詳しい事はまだ聞いてないものね」


 シルヴェーヌが紅茶を口に付けた後、契約について話し始めた。シルヴェーヌから語られる現実とは思えない話は鷹木の頭を混乱させるには十分だった。

 種族の争いなど今の日本に居てはニュースでどこかの国の争いとして聞くぐらいだ。目の前の人物が実際の当事者として目の前にいるのが鷹木は信じられなかった。

 種族で信じられなかったのはその種類がバラエティーに富んでいた事だ。それこそ一堂に会すればファンタジー映画が一本作れるぐらいに。

 その話を全てフィクションとして聞く事は鷹木には出来なかった。それは、実際に先ほどストーカーを蹴り飛ばしたシルヴェーヌを見てしまったからだ。

 鷹木自体身体能力が高いわけではないが、それでも目にも止まらないような速さで動いたり、人を蹴り飛ばして数メートル吹き飛ばすなど、とても人間が出来る物ではない。それがこんな線の細い女性なのだからなおさらだ。


「ふぅ。考えても分からないわね。あまりにも荒唐無稽な話で私には付いて行けない。でも、私は信じるわ。貴方の事を信じてみる」


 鷹木は椅子から立ち上がってシルヴェーヌに向かって手を伸ばす。すると、シルヴェーヌも立ち上がり、丁寧に鷹木の手を握り返す。その手は柔らかく、女性特有の繊細さが感じられた。


「よろしくお願いします。私もできる限り貴方……そう言えばまだ名前を聞いていなかったですね」


「私は鷹木よ。鷹木たかぎ 愛花音あかね。よろしくね。シルヴェーヌ」


「愛花音ですか。綺麗な響きですね。こちらこそよろしく愛花音。私もできる限り愛花音の手伝いをします」


 それから鷹木とシルヴェーヌは夜通し話し続けた。女性同士と言う事で話が尽きる事はなく、お互いのファッションの事や生活習慣など、まるで仲の良い友達が遊びに来た時のように話は尽きなかった。


 鷹木は学校が休みと言う事もあり、本町を散策していた。シルヴェーヌは一緒に歩いた時に注目を浴びたり、色々な人に声を掛けられたりしたので、隠れて付いてくるようにお願いしてある。

 あれだけ美しい女性が街を歩いていれば声を掛けられるのも仕方がないと鷹木は思う。もし鷹木が芸能事務所のスカウトをやっていたなら間違いなくスカウトをしているだろうからだ。

 すると鷹木の前に一人の男性の姿が目に入った。その男性は鷹木とは同級生で、先日もあった事のある人物だ。


「あれ? 釆原君じゃない。こんな所でどうしたの?」


 鷹木は高鳴る心を抑えつつ、釆原に声を掛ける。先日、ストーカーを巻くために付き合わせた釆原だったが、その時から鷹木は釆原の事が気になっていたのだ。

 たまたま学校でも見た事のある顔があったのでストーカーから逃げるために付き合わせたのだが、その時に身を挺して鷹木を助けてくれた事で、鷹木はもう一度会えないかと思っていたが、こんな所で会えるなんて驚きだ。

 釆原は人を探しているようだ。先日会った時に一緒にいた女性で名前は忘れてしまったが、どこか古風な感じのする髪を後ろで縛った女性はシルヴェーヌと比較しても見劣りしない美貌だったのを思い出す。


「そう言えばこの前、鷹木と会った時にアルテアも居たな。鷹木は覚えてる?」


「覚えているわよ。あの時一緒にいた綺麗な女性でしょ? あの人アルテアって言うんだ。アルテアって何者なの? 姉弟(兄妹)じゃないわよね? 顔が似てないもの」


 いくら何でも姉弟ではないと思いつつも一応聞いてみる事にする。釆原の回答は遠くに住んでいる従妹と言う事だったが、従妹にしても似てないような気がする。

 アルテアの顔は覚えているので鷹木も釆原に付き合って人探しをする事にする。これは一緒にいるチャンスだ。こんなチャンスを逃す手はない。鷹木は一緒に探す事を提案し、釆原の腕に絡みついた。

 釆原が鷹木を離そうと腕を振ってくるが、鷹木も負けずにしがみ付く。このままでは離されてしまうと思った鷹木は誰にも教えてない場所に釆原を連れて行く事を思いついた。


「そう言えば秘密の場所があるわ。普段余り人が来ない所だから、もしかしたらそこにアルテアが居るかもしれないわよ」


 一緒に行くには良い案だと思った鷹木だったが、釆原は予想に反して一人で行くから場所を教えてくれと言ってくる。

 せっかく景色の良い場所なのに別々に行ってしまっては意味がないと思った鷹木は少々強引だが、釆原の腕を引っ張って秘密の場所に向かって歩いていく。


「釆原君ってスマホとか持ってる? メッセージアプリとか入れてる?」


 もう勢いで行ってしまえと思った鷹木は自分のメッセージアプリのIDを釆原のスマホに登録する事を画策する。

 釆原がスマホを取り出し、何かを確認している隙にスマホを奪い取る。どうやら釆原はメッセージアプリを確認していたようで、そこには相手の名前が表示されていた。

 『針生』と表示されている相手は月星高校でも有名なあの針生ではないかと鷹木は考える。もしこれが本当にあの針生なら予想外の強敵だ。鷹木は素早くスマホを操作すると自分のIDを登録する。


「私のIDを登録しておいたから、これでいつでも連絡が取れるわよ。嬉しい?」


 スマホを受け取った釆原の反応は薄い。元とは言え、アイドルをやっていたので多少喜んでくれるものと思った鷹木は少しショックを受けてしまった。


「でも、いつでも連絡が取れるなら二人で手分けしてアルテアを探した方良いんじゃないか?」


 釆原がそんな事を言ってきたので、鷹木は苛ついた。そんなに自分と一緒にいるのが嫌なのだろうか。


「そう、それなら私は帰るわよ」


 鷹木はむくれた表情で家に帰ろうとすると、釆原はすぐに「嬉しい」と言ってくれた。無理やり言わせた感があるが、それでも「嬉しい」と言ってくれたのが鷹木は嬉しかった。

 鷹木が駅から少し離れた場所にある高層ビルの前で立ち止ちどまるとビルの方を指さした。


「ここに入るわよ」


 鷹木は釆原の手を引いてビルの中に入っていく。ビルには飲食店も入っており、お昼のこの時間はビルで働いている人や、近隣の人が押し寄せ、繁盛している。

 こういう所で二人で食事をしたら楽しいだろうなと考える鷹木だが、今日はそれが目的でこのビルに来たのではないので、断腸の思いで飲食店を横切る。

 ビルのエレベーターの前に着くと鷹木は上に行くボタンを押す。エレベーターに乗り込み着いた所はこのビルで行ける最上階だった。

 釆原が部屋に入らないのかと聞いてくるが、部屋に入るはずがない。釆原はもちろん鷹木もセキュリティーカードは持ってないのだ。

 鷹木はそのまま通路を歩いて行くと通路の一番奥にある非常階段の扉の前で立ち止まった。


「このビルは階段を使えば上に行けるの。ほとんどの人が知らないからここにはめったに人が来ないわ」


 鷹木がそう言って非常階段の扉を開けると、外から冷気が入ってきた。冷たい空気をまともに受けた鷹木だが、秘密の場所がもう少しと思えば寒さなど感じなかった。

 階段を登り終わると、鷹木が目指していた場所の目の前に出た。前にある扉を開ければ、そこが目指していた場所なのだ。

 釆原が少し遅れて到着したのを見計らって鷹木は扉を開けた。そこには鷹木の予想を上回るような幻想的な白銀の世界が広がっていた。

 こんな素敵な場所は見た事がないと思った鷹木は思わず屋上に飛び出していた。誰も踏み入れていない場所に最初に足を踏み入れるのは思ったよりも気持ちが良い。

 新雪を踏みしめる音を楽しみながら屋上の中央まで行くが、釆原はまだ扉の所で立ち止まったままだった。


「釆原君もいらっしゃいよ。気持ち良いわよ」


 鷹木の呼びかけに釆原もやっと屋上に出てくる。少々風が強いがこれぐらいなら普段屋上に来た時と変わらないので気になるほどではない。

 屋上に出て来た釆原も思った以上に喜んでくれているようだ。はしゃぎまわる釆原に鷹木は屋上にある雪で雪玉を作ると釆原に向かって投げる。釆原に当たった雪玉は当たった瞬間に崩れ、パラパラと下に落ちて行った。


「やーい。ざまーみろ。アハハッ」


 童心に帰ったように雪をぶつけ合う。久しぶりにやる雪合戦は芸能界に居た時に写真撮影用で撮った雪合戦とは違い、心から楽しめた。こういう事が鷹木が休業してまでやりたかった事だ。


「久しぶりに雪合戦なんてしたわ。この年になって本気で雪合戦するなんて思っても見なかったわ」


 暫く雪合戦に興じた鷹木たちだが、最後に投げた鷹木の雪が釆原に当たった所で終了となった。特に終わりと言う事は言わないがお互いに疲れてしまったのだ。

 雪合戦が終わると釆原が鷹木の方をじっと見てくる。それは鷹木の事が可愛いから見て来るのではないと言うのは鷹木にも分かる。釆原が鷹木の方を見てきたのはアルテアがここに居ないと分かったからだ。


「釆原君。アルテアが居ないなんて見ればわかるわ。流石私の秘密の場所ね。誰にもバレていないわ」


 あくまでも平静を装い言ってみたが釆原は気に入らなかったようで拳を握っている。危険を感じた鷹木は釆原の手首を掴むと屋上の金網の前まで走り出した。あのままにして置いたら怒られてしまったかもしれないからだ。

 金網の所まで来て下を見下ろすと、眼下に広がる街並みも雪に包まれて幻想的な風景を作り出していた。釆原もその景色に目を奪われていたのだが、アルテアが居ないと分かると出入り口に向けて歩き出してしまった。


「えぇー、もう帰っちゃうの? 折角こんないい景色の所に来たんだから、もっとゆっくりしていけばいいのに」


 正直に言ってしまえば景色なんてどうでも良くもう少し釆原と一緒にいたかった。だが、これ以上引き留めて釆原からの印象が悪くなってしまっては、素晴らしい景色を見た意味がなくなってしまうと思い、鷹木も諦めて出入り口の方に歩き始める。

 不意に釆原が立ち止まった事を不思議に思った鷹木は、釆原の後ろから顔を出して出入り口を見ると、紙袋を持ったストーカーが立ち塞がっていた。


 ――この場所がストーカーにバレた?


 鷹木にとってこの場所は思い入れもあるとっておきの場所だった。それなのにストーカーにバレてしまってはもうここには来れない。ここに来ればストーカーが見ているのではないかと不安になってしまうからだ。


「ぼ、僕の、僕の、あーちんに、あーちんに手を出すな!」


 ストーカーが鷹木の事をそう呼んだ。会うドル時代の愛称なのだが、ストーカーにそう呼ばれると寒気がしてくる。


「貴方また懲りずに私の後を付いてきたの!? 警察を呼ぶわよ!!」


「ヒッ! ごめんなさい。ごめんなさい」


 鷹木の一喝にストーカーは怯えてしまった。普段は気弱なのでそのままでいてくれたら楽なのだが、何かをきっかけに急にキレだすから手に負えない。

 ストーカーは釆原が鷹木の近くにいるのが気に入らず、頭を掻きむしると急に声を上げた。


「りんりん! こ、この、この男を、この男をやっつけてくれ!」


 ストーカーの声に反応して塔屋の上から姿を現したのは小股の切れ上がった女性だった。女性はシルヴェーヌと比較しても決して見劣りしないほど美しい女性だった。


「りんりんは止めてって言ってるでしょ。私はリディアって名前があるんだから」


 リディアと名乗った女性は塔屋から重力など関係ないと言わんばかりにふわりと飛び降りた。


「お兄さんに恨みがある訳じゃないけど、命令だから仕方がないのよ。痛くせずにすぐに終わらせるから我慢してね」


 そう言って女性は釆原を狙って攻撃を始めた。折角の秘密の場所が荒らされて行く。それは鷹木にとってとてもではないが我慢できる事ではない。しかもそれが釆原を攻撃してのことだ。我慢の限界に達した鷹木はシルヴェーヌを呼ぶことを決意する。


「仕方ないわね。釆原君を巻き込みたくなかったんだけど、狙いが釆原君なら、こっちもやるしかないわね。出て来てシルヴェーヌ!」


 その声に隣のビルの屋上に姿を隠して見ていたシルヴェーヌが鷹木の居るビルに飛び移ってきた。


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