曖昧模糊 鷹木-1
小学校六年の時にスカウトされ、デビューすると鷹木はすぐにトップアイドルとなった。それから四年。鷹木はアイドルとしての立場を確固とした時に休養に入った。
表向きには学業に専念するためと言う事になっているのだが、鷹木はアイドルとして活動する事に疲れてしまったのだ。
全盛期の鷹木は分刻みでスケジュールが組まれており、中学、そして高校一年と友達と遊ぶ時間もほとんどなかった。そして何より鷹木を悩ませたのはストーカーの存在だ。
たまに休みになった日や、少しでも時間の空いた時など、プライベートで出かけても必ずと言っても良いほど鷹木の事を見張って後を付いてくる人物に、鷹木の心はむしばまれ、体調を崩し始めたのだ。
鷹木は事務所と相談の上で休業に踏み切った。事務所には相当止められたのだが、最後は鷹木の意見が尊重され、単独コンサートを最後に休養する事になった。
事務所には大学に入るまでと言う事で話が付いており、それまでの間、鷹木は失っていた青春を楽しもうとしていたのだが、やはりここでもストーカーの存在が鷹木を悩ませた。
今は休んでいるのでアイドルではないと思っている鷹木だが、それは鷹木だけであって、ストーカーからしてみれば、鷹木はまだアイドルのままだった。
「ハァ、ハァ、ハァ」
街を歩いていた鷹木はストーカーの気配を感じると走り出し、路地裏に入ってストーカーから姿を隠した。
「ここまで……くれば……、大丈夫……かな……」
サイドテールが特徴的な鷹木だが、走った事で汗が吹き出し髪の毛が顔についてしまっている。
息も絶え絶えに路地裏から表の様子を窺うと紙袋を持ったストーカーが鷹木の姿を探している。その男は鷹木がデビューした時からのファンで鷹木が休養した一番の要因となった男だ。
「またあいつか。いつもいつも、一体何なのよ。これじゃあ折角休業した意味がないじゃない」
相手の顔を確認した鷹木は大きく溜息を吐く。ストーカーはここ最近ずっと鷹木の後を付けて来ており、付けられている雰囲気を感じると今回のように路地裏に入ったりして姿を隠していた。
一体どうやって行動を把握されているか鷹木には思いつく事がなかった。もしかしたら一日中家を見張っている……と思うと震えが込み上げてきた。
「私が何とかしてあげましょうか?」
路地裏で隠れていた鷹木の隣には見た事もない女性が立っていた。いつの間に隣に来たか分からないが、すらっとした長身の女性はフードを被っているが、アイドルをやっていた鷹木から見てもその女性の美しさは目を見張るものがあった。
「貴方は……。いえ、それよりもストーカーを何とかしてくれるの? 何とか出来るの?」
鷹木にとってその女性が誰なのかと言う事よりもストーカーを撃退してくれる事の方が重要だった。少し胡散臭いとは思いながらもストーカーを何とか出来るならしてもらいたいと鷹木は思った。
「えぇ、可能です。ただし、貴方が私と契約してくれればの話ですけど」
契約と聞いて鷹木は一気に相手の事を信用できなくなった。アイドルをやっていた時に様々な人間が近寄ってきて、どう考えても怪しい契約とかを迫ってくる状況は嫌と言うほどあったからだ。
契約を断った事で相手が引いてくれればいいが、逆切れをして鷹木に脅迫まがいの事をしてくる輩も昔いたので、鷹木は一歩女性から距離を取って警戒する。
「フフフッ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。取って食べたりしないですわ」
優しい笑みを浮かべる女性だが、それでも鷹木は警戒を解かない。芸能界ではそんな笑顔は何の意味はなく、裏では酷い事をしている人も居るのだ。
「契約って何なの? 私はお金なんて持ってないわよ。アイドルも今は休業してるし、アルバイトもしてないもの」
それは手持ちのお金が少ないだけで、鷹木の口座には億を優に超える額の金額が貯金されている。鷹木は将来のためにとそのお金をなるべく使わないようにして生活しているのだ。
「アイドルやアルバイトが何か知りませんが、お金なんていただきませんよ。そうですね。私がいただくのは貴方の運命と言った所でしょうか」
鷹木は眉間にしわを寄せる。運命を対価に契約をするなんてあまりにも怪しすぎるのだ。本来ならこの時点で逃げ出してもおかしくないのだが、鷹木はその女性の存在感の薄さと美しさとストーカーを何とかしてもらいたい一心でこの場から離れる事ができなかった。
「運命? それは私に何かをさせるって事? メディアとかに出る気は一切ないわよ。私はアイドルを止めたんだもの」
鷹木が思いついた運命とは何かの商品の広告塔になって怪しい商売を行い、捕まるときは鷹木諸共玉砕すると言う物だった。
そうなってしまえばニュースに出るのは主に鷹木の方で、相手の方はほとんど人の記憶に残らない。そうして何食わぬ顔で新しい商売を始めるというのが想像できた。
「いいえ。そんな事をしてもらう必要はありません。私が必要と思った時に私に声を掛けてくれるだけで良いのです」
それぐらいなら負担にもならないので契約を。――とはならない。最初は簡単な契約を持ちかけておいて、徐々にハードルを上げて行くことだってあるのだ。それに相手の素性も分からないのでは信用できない。
「それだけ熱心に誘ってくるのに貴方は自分の正体を明かさないの? 何時までもフードを被っていては相手は信用しないわよ」
相手の素性を探るためにも姿はちゃんと見ておいた方が良いと思った鷹木はフードについて指摘する。女性はハッっと自分の頭に手をやると、やっと自分がフードを被ったままだと分かったようだ。慌ててフードを捲り上げると美しいと思った顔がはっきりと見えた。
鷹木の予想は間違っておらず、緑色の髪に白い肌。バランスの取れた目鼻立ちはハリウッドにでも居そうな感じだった。ただ一カ所を除いて。
女性の耳は長く尖がっていた。時折動く耳は特殊メークかとも思ったが、ここまで本物のように動く特殊メークを鷹木は知らなかった。
「その耳は――本物なの? 特殊メークと言う訳ではないよね? 貴方は何者?」
鷹木が女性に質問すると、女性の尖った耳がピクリと動いた。その様子を見た鷹木は女性の耳が本物だと確信する。流石に特殊メークではここまではできない。
「えぇ、本物ですよ。契約さえしてもらえば実際に触ってもらっても構いません。そして、私はエルフ族のシルヴェーヌ。シルヴェーヌ=ナセリと申します。どうぞお見知りおきを」
シルヴェーヌは流れるような所作で手を胸の辺りに持って来て頭を下げる。鷹木はシルヴェーヌの存在に非常に興味がわいた。こんな事は芸能界に居た時にもない事だった。
エルフと言うのは本や映画で見たり知ったりしていたが、それはフィクションの話であり、実際に会ったり話したりする事になるとは思ってもみなかった。
「私はシルヴェーヌが必要な時に声を掛けるだけで良いの? 他に何かする必要はないの?」
先ほどよりも前向きな質問にシルヴェーヌは自然と笑みが浮かぶ。鷹木の中で徐々にだが契約と言う物に興味が湧いてきた。
「えぇ、声を掛けるだけで構いません。だた、必要な時ですので、一緒に居てもらう事にはなると思いますけど」
その程度なら問題ない。それどころか本当にシルヴェーヌがストーカーを撃退できるのなら一緒に居ればストーカーからも身を守るのには持ってこいなのではないかと鷹木は考える。
そう思ってしまえばもう鷹木に断るという考えはなく、シルヴェーヌの気が変わってしまわない内に契約をしてしまいたいと思うようになっていた。
「それぐらいなら問題ないわ。そうね。うーん。……大……丈夫かな。良いわ。分かったわ。契約をしましょう。何をすればいいの?」
暫しの逡巡の後、鷹木が契約の意思を見せた事で、改めてシルヴェーヌは頭を下げる。顔には笑みが溢れており、本当に嬉しいようだ。
「ありがとうございます。それでは指を私の方に向けてもらえないでしょうか」
そんな事で契約ができるのかと思いつつも鷹木はシルヴェーヌに向かって指を向ける。昔映画で見たエイリアンと少年が指を合わせるみたいな事をするのだろうか。
「もう少し腕を伸ばしてもらっていいですか?」
良く分からないが素直に指示に従う。自分の胸の前でシルヴェーヌを指していたのだが徐々に腕を伸ばしていく。
するとシルヴェーヌはその指に向かって歩き出し、鷹木の付きだした指はシルヴェーヌの体の中に入って行ってしまった。
「えっ!? 何? 何が起こっているの?」
手品やマジックと言った類の物でなければ、人の指が体の中に入って行ってしまう事など有り得ない。その有り得ない事を体験した事で鷹木は思わず腕を引いてしまいそうになる。
「腕を引っ込めては駄目です!! そのまま……。腕は引かずにそのまま指を下に動かしてください」
シルヴェーヌの大きな声に鷹木の体が固まったおかげで、腕を引いてしまう事はなかった。鷹木は引きつった表情で二度ほど頷くと言われた通り指を下に動かした。
何かを引っ掻くような感覚が指先に伝わると、鷹木は急に激しい頭痛に襲われた。
『契約者には一つギフトを与える』
その声が鷹木の頭に鳴り響くと、不思議と頭痛は治まっていた。蹲って頭を押さえていた鷹木は何が起こったのか分からず辺りを見渡すと、先ほどは気薄な存在だったシルヴェーヌが、今ははっきりとした存在感を持って目の前に立っている。
「改めまして、契約をしていただき、ありがとうございます。私はシルヴェーヌ。レガリアを求める物です」
シルヴェーヌは腰を折って深々と頭を下げる。だが、状況が分からない鷹木はキョトンとしたままだ。今ので契約が完了したのか不安になってくる。
そしてあの頭痛と声だ。頭痛の方は今は何ともないのだが、あの声は一体何だったのだろうと鷹木が考えていると、シルヴェーヌが早速約束を果たそうとする。
「それでは約束通り、どなたかを排除しましょう。どの人かわかればそれだけで十分ですので教えていただけませんか?」
排除と言うのがどういう事をするのか分からないので不安になるが、ストーカーが居なくなるのならと思い、大通りの方を見ると紙袋を持った人物を見つけた。鷹木は恐る恐るその人物を指さす。
「あの人よ。あの人が私の事を付け回しているの。何とかしてちょうだい」
シルヴェーヌは軽く頷くと、路地裏を飛び出した。その速さはとても目で追えるものではなく、鷹木が遅れてシルヴェーヌの動いた方を見ると、そこにはすでにストーカーの姿はなかった。
どこに行ったのかストーカーの姿を探すと、街路樹の下でぐったりとしているストーカーの姿が見える。シルヴェーヌの細い足が高く上がっている所を見ると、どうやらストーカーを蹴り飛ばしたようだ。
あの細身の体からどうして人を蹴り飛ばすような力が出るのか不思議なのだが、その行動は周囲の注目を集めてしまっている。
「ちょっと、何やってるのよ。目立ち過ぎよ。こんな所でそんなことしたら注目を集めちゃうでしょ」
路地裏を飛び出した鷹木はシルヴェーヌの腕を掴むと、その場からダッシュで離れた。ここまで注目を集めてしまっては、すぐに警察が来てしまってもおかしくないからだ。
そうなったらシルヴェーヌの事を説明できない。エルフですと言って、それなら仕方がないなと言うような警察は存在しないからだ。
走れるだけ走り、現場からかなり離れたビルの陰で鷹木は切らしてしまった息を整える。隣にいるシルヴェーヌの方を見ると鷹木とは対象に息が切れるどころか乱れても居なかった。
「私は何か間違った事をしてしまったのでしょうか? 言われた通り排除しただけなのですが?」
これは一度ちゃんと話す必要がある。排除と言っても色々なやり方があるはずだ。例えば話し合いで何とかするとか。それがいきなり蹴りを入れての攻撃だ。このままシルヴェーヌを好きにさせてしまったら人を殺しかねない。
少し息切れも落ち着いた鷹木はどこか話ができそうな所を探すが、本町の中心地からは離れてしまったため、喫茶店とかも近くにありそうになかった。
周囲を見渡している時にシルヴェーヌの姿が目に入った。整った顔なのだが、どうしても尖った耳に目が行ってしまう。これでは喫茶店があったとしても入らない方が無難だ。
さっきも大勢の人に見られてしまったので、シルヴェーヌの特徴はすぐに広まってしまう可能性がある。そうなっては落ち着いて話す事などできないだろう。
仕方がないので、鷹木は自分の部屋にシルヴェーヌを連れていく事にする。鷹木は実家を出て一人でマンションの一室を借りているので、そこでなら他の人の視線が気になる事はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます