家出の六日目-2


 ストーカーがなぜか僕に向かっておどおどとした感じで声を上げた。


「ぼ、僕の、僕の、あーちんに、あーちんに手を出すな!」


 誰だ。あーちんって。と思ったが、ここには僕と鷹木とストーカーしか居ないので、あーちんとは必然的に鷹木と言う事になる。


「私がアイドルだった頃の愛称よ。『鷹木 愛花音』って本名で活動していたからそう呼ばれていたわ。もうアイドルは止めたんだからそう言う呼び方は止めて欲しいんだけどね」


 サイドテールを揺らしながら肩をすくめる。しかし、ストーカーにキッとした表情で睨みつけると、その動きにストーカーは防御するような態勢を取った。


「貴方また懲りずに私の後を付いてきたの!? 警察を呼ぶわよ!!」


「ヒッ! ごめんなさい。ごめんなさい」


 鷹木の一喝に怯えたのか、その表情に怯えたのか分からないが、ストーカーは両手を前に出して壁に隠れる仕草をして謝ってきた。

 刃物を取り出して鷹木を襲うぐらいなので、もっと狂暴そうな人間なのかと思ったが、意外と気弱な人なのかもしれない。


「そう見えていきなりキレるのが彼の特徴よ。気を付けなさい」


 鷹木が僕に耳打ちをすると、鷹木が言った通りストーカーがいきなりキレだした。


「お、お前、お前は何なんだ! 僕の、僕のあーちんと仲良くしやがって!! い、今すぐ離れろ!!」


 ストーカーが大声を上げると、頭を掻きむしり始めた。これだけでも見ていて気持ち悪いのだが、暫くするとストーカーは下を向いたまま「クククッ」と不気味に笑い始めた。

 怯えたり、怒ったり、笑ったりと感情の忙しい男だ。今の所、何かをしてくる訳でもなさそうだし、アルテアを探しに行きたい僕は出入り口に向かって歩き出すと男が急に大きな声を上げた。


「りんりん! こ、この、この男を、この男をやっつけてくれ!」


 ストーカーの呼びかけに塔屋の上から一人の女性が姿を現した。小股の切れ上がった女性は塔屋から重力など関係ないと言わんばかりにふわりと飛び降りた。


「りんりんは止めてって言ってるでしょ。私はリディアって名前があるんだから」


 どうやらストーカーに呼ばれた愛称が気に入ってないようだ。りんりんって結構かわいいと思うが、本人的にはそう言う呼び方は嫌なのだろう。

 リディアはそれからも「二度とその呼び方は止めて」とか「今度言ったら屋上から突き落とす」とか物騒な事をストーカーに言っている。ストーカーが何度も謝ると気が済んだようでリディアはこちらを向いて口角を上げる。


「お兄さんに恨みがある訳じゃないけど、これも仕事だから仕方がないのよ。痛くせずにすぐに終わらせるから我慢してね」


 意外な事にリディアはやる気らしい。いくら僕でも女性にやられてしまうほど弱くはない。そう思った僕の考えはとても浅はかだった。

 リディアの手から光が溢れ、その手には細身の剣、レイピアが握られていた。あの光はアルテアが武器を出したりしていた時と同じ光だ。だとするとリディアは使徒アパスルで、ストーカーは憑代ハウンターなのか?

 前言撤回。相手が普通の女性なら負けない自信もあるが、使徒アパスルなら話は別だ。僕に使徒アパスルと対峙する能力はないし、何よりも鷹木を守りながらだと逃げられるかどうかすら怪しい。寒いはずの屋上なのに僕の頬に一筋の汗が流れる。


「仕方ないわね。釆原君を巻き込みたくなかったんだけど、狙いが釆原君なら、こっちもやるしかないわね。出て来てシルヴェーヌ!」


 僕がリディアと対峙し、今にも戦いが始まろうとした時、後ろにいた鷹木が声を上げた。その声に僕が後ろを振り向くと鷹木の隣にはこれまた細身の耳の尖った女性が立っていた。

 時々、知り合いでも尖がった耳の人はいるが、シルヴェーヌの耳の尖がり方はどう見ても人間の物とは思えなかった。僕の知識をフル回転して例えるとするとそれはエルフだ。

 シルヴェーヌも使徒アパスルだとすると鷹木が憑代ハウンターと言う事になる。それほど大きくない屋上に憑代ハウンターが三人と使徒アパスルが二人と言う状況はとてもじゃないが異常と言えるだろう。


「釆原君がどうして憑代ハウンターなんて言葉知ってるの? もしかして探しているアルテアって使徒アパスルなの?」


 思わず顔を見合わせた鷹木は信じられないと言った表情をしていた。それは僕の方も同じで、鷹木が憑代ハウンターだなんてとても信じられなかった。

 だが、鷹木が憑代ハウンターと分かった事で僕は後退りして鷹木から距離を取った。少しでも油断をすれば隣にいるシルヴェーヌが襲ってくるかもしれないと思ったからだ。

 鷹木とシルヴェーヌ組、ストーカーとリディア組、そして僕でちょうど三角形を作るような配置になった所に今日一番の強い風が吹く。屋上に積もった雪を巻き上げつつ吹く風に、腕を壁にしてやり過ごしていた所で、リディアがレイピアを僕に突き刺してきた。

 しまった! 警戒はしていたのだが突然の風に気を取られ、完全に不意を突かれた攻撃に慌てたのが功を奏した。雪で足が滑ってしまい、尻餅をついた事でリディアの攻撃を躱せたのだ。


「シルヴェーヌ!!」


 鷹木の声に反応し、シルヴェーヌが光の中から鞭を取り出すと伸ばした鞭は座り込んだ僕に再び向かって来ていたレイピアに絡みついた。

 鞭によって止まったレイピアの隙を突いて素早く立ち上がり、その場から離れる。もしかしたら鷹木は僕を助けるためにシルヴェーヌを動かしてくれたのかもしれない。そうだとしたら鷹木は味方と思っても良いのか? 僕の中に微かな希望が生まれる。

 僕が鷹木に一歩近づこうとするとシルヴェーヌの鞭が飛んできた。シルヴェーヌはリディアと戦闘を始めていたので、偶然、僕の所に鞭が飛んできたのかと思ったが、シルヴェーヌの目は明らかに近づくなと言う目をしていた。

 その眼力に僕は出そうとしていた足を戻し、シルヴェーヌとリディアの戦いを静観する事にした。今動けば間違いなくシルヴェーヌに殺されると思ったからだ。

 鞭が屋上の床に当たるたびに雪が舞い上がり、風を切る鋭い音が聞こえてくる。その音を聞くだけで当たった時の衝撃が想像でき、体が震えてくる。だが、リディアはレイピアを使いながら見事に避けてみせる。

 細身の女性同士の戦いとは思えないスピードと力強さだが、使徒アパスルの戦いと思えば不思議ではない。


「その様子からすると貴方はエルフ族の人ね。ハーピーである私には相性が悪いけど、それは種族としてみた場合の話、個人では負ける訳にはいかないわ」


 やはりシルヴェーヌはエルフだったようだ。そして相手の方はハーピーだと自分の種族を言った。ハーピーと言うと羽の生えた鳥のような姿を想像するが、今の姿はどう見ても普通の働く女性にしか見えなかった。


「すぐに種族の優位性がどれほどの物か教えてあげるわ。貴方では絶対に私には勝てないもの」


 シルヴェーヌが言い返すと再び鞭をリディアに向けて伸ばす。格好は働く女性そのものだが、ハーピーと言われてリディアの動きを見れば確かにその動きは鳥のように軽やかだ。鞭が届く瞬間に躱す姿はどこか空を飛んでいるかのようにも見える。

 鞭を躱したリディアが距離を詰めてレイピアをシルヴェーヌの顔に向かって突き出す。眉間に突き刺さったかと思ったレイピアは何もない所を突いていたようだ。シルヴェーヌは残像が見えるほどの速さで躱していた。


 鷹木の方に近づくのはシルヴェーヌに牽制されてしまったが、出入り口に向かうのならもしかしてシルヴェーヌは何もしてこないかもしれない。これは賭けだが、このままこの場に居ても無為に時間だけが過ぎてしまうのだ。

 僕は木の根が張ってしまったような足を床から引き剥がし、出入り口に向かって走り出す。襲われると思ったのか出入り口で立っていたストーカーが袋の中から包丁を取り出すが、僕は走るスピードを落とさずにストーカーの前まで行くと積もっていた雪を蹴りあげた。巻き上げられた雪はストーカーの視界を奪うと僕はその横を通り抜けてビルの中に入ると急いで扉を閉めた。

 鍵を閉めると外から扉を叩く音がするが、そんな事には構わず階段を駆け下りる。後ろからストーカーが追ってくる様子はないが、僕はエレベータの前に到着すると、下に行くボタンを連打する。

 早く! 早く! 連打した所でエレベーターが早く来る事がないのは分かっているがどうしても連打せずにはいられなかった。やっと来たエレベータに飛び乗るとやっと落ち着く事ができた。

 息を切らして下に着くのを待つ僕の心臓は張り裂けそうなぐらい激しく動いている。全力で走ったのは勿論だが、それよりも鷹木が憑代ハウンターである事実を知った事の方が心臓の動きを速めてしまっている原因だ。

 「何で鷹木までが……」そんな言葉を何度も繰り返している内にエレベータは一階に着いた。屋上ではまだ戦いが続いているのだろうか? そう言えば去り際に見た鷹木の顔はどこか寂しそうで、何かを言っているような気がしたが、それが何かは聞き取る事ができなかった。あれは一体何を言っていたのだろう。

 重い足取りでビルを出た僕はもう一度屋上を見上げる。流石にここからでは屋上は高すぎて様子は伺えない。

 一度、使徒アパスルがビルを垂直に登っていく姿を見ているので、逆に屋上から降りて来てもおかしくない。ビルを出た僕はなるべくビルから遠ざかる。

 屋上から逃げ出した時の鷹木の様子がやはり気になるので、スマホを取り出し登録された鷹木のIDにメッセージを入れておく。これで何かあったら返信があるだろう。

 できればもう一度ちゃんと会って話がしたいが、今の状況では無理と判断し、僕はアルテアの探索を再開させる。


 アルテアが居そうな所はどこかと考えると、学校が思いついた。最初に会ったのも学校に行く途中の山腹だったし、ヴァルハラと共闘したのも学校だ。どうして今まで思いつかなかったのか不思議なぐらい居てもおかしくない場所だ。

 辺りはすでに陽が落ちて暗くなり始めている。二月はやはり陽が落ちるのは早いのだと感じる。今日も母さんの朝食を作れそうにないが、我慢してもらうしかない。

 山道の入り口まで来ると、「良し!」と気合を入れて山を登り始める。学校に行く時には自転車なのだが、今回は歩きだ。更に言うと山道の雪は積もったままなので、登るのも大変だ。

 夜の山は何時通っても不気味で、所々設置してある街灯の淡い光が僕の心許ない心境を表しているように周囲を少しだけ照らしている。

 山道に足跡がないと言う事はここは誰も通っていないと言う事だ。もしかしたらここにもアルテアは居ないのかもしれないが、他に思い付く所がないのでとにかく学校を目指して登っていく。

 「ザクッ! ザクッ!」と歩くたびに雪を踏みしめる音が寂然ひっそりとした山腹に響く。昼の温かさから一変して底冷えする寒さは溶けかけた雪を氷のように変えていた。

 山の中腹まで登ってくると街灯の下に一人の女性が立っているのが見えた。袴姿に後ろで縛った髪が腰まで伸びた女性で宵待草のような儚さは始めて見た時よりもぼんやりと見えた。

 その姿に笑みが漏れそうになるが、首を振って笑みを閉じ込める。ゆっくりとアルテアの元に歩いていくと僕の存在に気付いたアルテアが僕の方を向いた。

 アルテアの近くに来た僕はアルテアが震えているのが分かった。寒そうなアルテアに何か暖かいものをと思ったが、ダウンジャケットもダッフルコートもないので、上に来ていたパーカーを脱いでアルテアの肩にかけた。


「私にはこの世界で行く所などありませんでした。ツムグと一緒に歩いた所を廻ったのですがやはり違うような感じがして気付いたら私はここに立っていたのです」


 白一色の世界でアルテアは、黒く低い声で呟いた。他に人がいたとしてもその声は僕にしか聞こえないのではないだろうかと言うようなぐらい小さい声だった。


「私は自分で正しいと思った事を実行しただけ。ですが、それはツムグを傷つける事になってしまった。何がいけないのか私には分からい。分からないのです」


 消え入りそうな声は声だけでなくアルテアの存在が本当に消えてしまうのではないかとさえ思われた。僕はアルテアに一歩近づくとアルテアを包み込むように抱きしめた。

 このまま力を入れたら折れてしまうのではないかと思えるような細い体は寒さに晒され、凍り付いてしまうほど冷たかった。


「僕はアルテアのした事を許さない。僕の頭に記憶された事を消す事はできないから。だけど、僕はアルテアの事を守ると決めたんだ。アルテアがレガリアをすべて集めるまで僕は君を離さない」


 アルテアの顔の横に僕の顔があるため、アルテアがどういう表情をしているのか僕からは見えない。怒っているかもしれない、笑っているかもしれない、泣いているかもしれない。どんな表情でも構わない。僕にできる事はアルテアを守る事だけだ。


「私はツムグの大切な人を傷つけてしまった。殺してしまった。それでも……。それでもまだ、私の事を助けてくれるのですか?」


 助けるんじゃない。守るんだ。アルテアのしたことは僕にとって許せる事ではない。だが、それと同じように僕はアルテアがこの戦いに勝ち抜くために全力を尽くすと決めた――誓ったんだ。


「ぐぅぅぅぅ!」


 周囲の静けさを破って、どこか抜けたような音が響いた。


「すみません。昨日から何も食べてなくて……」


 アルテアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。お金を持っていないアルテアは、多分、昨日から何も食べてないのだろう。少し落ち着いた所でお腹が鳴ってしまうのは仕方がない。

 アルテアも見つかった事だし帰ろうと思う。帰ったらアルテアの好きな鶏肉を使った料理をしてあげよう。

 僕はアルテアの手を引いて歩き始めた。雪の降る中ずっと外にいたアルテアの手は最初、氷でできているのではないかと思うほど冷たかったが、すぐに暖かくなり、今は熱いぐらいに思える。

 だが、アルテアは急に僕の手を離した。急になくなった感覚に僕が後ろを振り返ると、アルテアは雪の上に倒れ伏していた。


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