家出の六日目-3
急に倒れてしまったアルテアの姿を見て何が起こったのか分からなかった。分かったのは倒れているアルテアから血が出ており、白い雪を赤く変えていると言う事だった。
「アハハハッ! 何時襲われるかもわからないのに油断なんてするからこうなるんだよ」
倒れているアルテアの後ろに立っていたのはシェーラだった。その手に付けている鉤爪からはアルテアの物と思われる血が滴り落ちている。
鉤爪から落ちる血は雪に接触するとアルテアから流れている血と同じ色で雪を染めて行く。それは僕の頭の中と同じようだった。アルテアが倒れた事で真っ白だった僕の頭は怒りで赤く、赤く、黒く染まっていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
殺す! 殺す! 殺す!
相手が誰であろうが関係ない。アルテアと繋いでいた右手を血が滲むほど強く握り、シェーラを殺すために。生まれて初めて明確な殺意を持って接近する。
シェーラは余裕を持って一歩横に移動する事で僕の攻撃を避けようとするが、限界にまで高まった集中力に僕にはシェーラが避ける姿が
それでも構わず拳を振るうとシェーラは見た通り横に動いて避ける。誰も居ない所に拳を振るった事で前のめりに体勢を崩した僕はさらに一歩踏み込んで倒れるのを回避する。横に避けたシェーラに背中を晒すような格好になった僕に鉤爪を突き刺そうと大きく振りかぶるが、それが僕の狙いだ。
一歩踏み込んだ足を軸にして反対の足を後ろに蹴りあげるとそのまま倒れ込むようにシェーラに向けて踵で攻撃を放つ。シェーラは予想外の攻撃に体が固まっており、逃げる事ができない。
ボクシングのカウンターのような形になった踵はシェーラの顎に食い込み、脳を揺らして意識を刈り取る。倒れ込みながらの攻撃だったので倒れてしまった僕は素早く立ち上がる。
「アルテアの痛み思い知れ!!」
拳を再び強く握りしめた事で滲んでいた血が飛沫となって飛び散る。途中にある空気をすべて押しのけ、僕の拳はシェーラの顔面に至る。音が消えた世界でグシャリと肉が潰れる音が響く。僕の脳には骨の軋む音が響き、人を殴るのはこんなにも不愉快なのかと思い知る。それでも僕は力を緩めることなく拳の感触がなくなるまで力を加え続けた。
ピンポン玉のように弾かれたシェーラの体が雪の上を滑る。殴り終えた拳からは血が滴り、ズキズキとした鈍い痛みが拳から伝わってくる。だが、そんな痛みも今の僕には効果がない。やってやった。やってやったんだ。
「どうだ!! 思い知ったか!! この野郎!!」
腹の底から湧き出た声を上げ、真っ赤に腫れ上がった拳を見せつけるように顔の前でガッツポーズを作る。だが僕は知っている。こんな事で
倒れていたシェーラが頭を振りながら起き上がる。口の中が切れたのか血の混じった唾を吐き出すとシェーラは口角を上げる。
「ただの人間だと思って油断していたようね。だけど、もう油断はしないわ。徹底的に痛めつけてやる」
一発入れてやった事に少し冷静になった僕はシェーラの鋭い眼光にたじろいでしまう。一発入れた事には満足だが、これで死んでしまうとなると少し残念だ。アルテアを守りたかった。アルテアを勝たせてあげたかった。そんな思いが僕の心に去来する。
シェーラは鉤爪を光の中に仕舞うと素手で僕を殴りつけてきた。右、左と確実に僕の顔面を殴ってくる。どうやら本当に僕を痛めつけてから殺す気だ。悔しいがすべての力を使い果たした僕には避ける事もできない。
シェーラの拳が僕の腹を貫くとあまりの痛みに体がくの字に折れ曲がった。そこに放たれた蹴りに僕の体は雪の上を滑って行く。シェーラに殴られ、腫れてしまった頬は雪で冷やされて気持ちよかった。
「シェーラ! 何を遊んでいるんだ! 誰か来てしまう前にその男を殺してしまえ!!」
遠くの方から声が聞こえる。あの声は確かシェーラの
その声にシェーラは再び光の中から鉤爪を取り出すと僕が倒れている所までやって来た。
「人間としては良くやったと思うよ。私に一撃入れたんだ誇りに思って良い。すぐに
そんな誇りなど要らない。僕が欲しかったのはアルテアの勝利だけだ。だが、体の動かない状況では望むべくもない。
僕の前で立ち止まったシェーラは大きく鉤爪を振り上げると、僕に向かって振り下ろしてくる。迫りくる鉤爪はアルテアの血が付着しており、そこだけ輝きが消えたように見えた。
そっと目を閉じた僕は来るべき時が来るのを待つ。心残りはやはりアルテアを守り切れなかった事だろう。僕にもっと力があったとしても
せめてアルテアがここから逃げ出して新しい
あっ、後、母さんにも誰か伝えておいてくれないかな。学校も休校になっているので死体が見つかるのは遅くなってしまうだろうか。もしかしたら
そうそう、針生で思い出したが、針生と鷹木の事を忘れていた。針生には色々迷惑をかけたな。迷惑ついでに母さんとこれからも仲良くしてほしい。鷹木はあれからどうなったんだろう。できれば針生と同盟を組んで二人で勝ち抜いて欲しい。
後は……って遅いわ!! あまりにシェーラの攻撃が来ず思わず目を開けると目の前にいたはずのシェーラはいつの間にか僕から離れ、山道の下の方を見ていた。
「自分が守ると決めたのなら最後まで諦めるな。諦めてしまえばそこで終わりだぞ」
倒れたまま声の聞こえた方を向くと闇の中からヴァルハラが姿を現した。どうして? と思っていると針生が僕の所に駆け寄ってきた。
「大丈夫? 紡。間に合ってよかったわ。ちょうどシェーラを探していたら紡がやられてるんだもの。びっくりしたわ」
びっくりしたのは僕の方だ。このタイミングで針生たちが現れるとは思ってなかったので、色々考えていた事がすべて吹き飛んでしまった。
だが、分かる事がある。僕はまだ生きているんだ。生きてさえいれば何とかなる。僕の心に希望が満ちてくる。
アルテアは大丈夫だろうか? 僕はうつ伏せの状態から起き上がろうとするが、シェーラをに殴られたせいで上手く起き上がる事ができない。
「無理をしないの。大丈夫よ。ほら、ヴァルハラがアルテアをこっちに連れて来てくれてるから」
針生の肩を貸りて立ち上がった僕の方にヴァルハラがアルテアを抱えて歩いてきた。両手をだらりと下げたアルテアはぐったりとしており、まだ意識は戻ってないようだ。
「止血だけはしておけ、後で治療をしてやる」
僕が一人で立つことができてないのにアルテアをこちらに投げてきた。慌てて針生から体を離し、アルテアをキャッチするとヨロヨロと後ろに後退し、木にぶつかって尻餅をついてしまった。
それでも何とかアルテアを落とさずにキャッチできたことに安堵すると、なぜか針生が残念そうな顔をしてこちらを見ていた。そんなにアルテアをキャッチしたかったのだろうか。
それにしても怪我人に怪我人を投げ寄越すなんてどれだけ乱暴な事をするんだとヴァルハラに文句を言おうとしたが、ヴァルハラはすでにシェーラと戦闘を始めていた。
文句を言うタイミングを失った僕はアルテアの方に目を移すと、アルテアは背中から血を流しており、半着に三本の線が付いていた。シェーラに後ろから鉤爪で攻撃をされた時についたのだろう。
パーカーを脱いでしまった僕はもう一枚服を脱ぐとアルテアの傷口を塞ぐように巻きつけた。これで何とか止血代わりになっただろうが、そのせいで僕はTシャツを一枚着ているだけになってしまった。
「そのコート高かったんだから、後でちゃんと返しなさいよ」
寒さに耐える僕を見て、針生は自分の着ていたコートを貸してくれた。そのまま着てしまうよりアルテアと一緒に暖かくなった方が一石二鳥と思った僕は、アルテアを僕にもたれかけさせ、その上からコートを掛けた。僕とコートでアルテアをサンドイッチする形になり、これなら僕も寒くないし、アルテアも温められる。
僕にコートを貸してしまって針生は大丈夫なのだろうかと思って針生の方を見ると、平然とした顔で立っているが、指先が震えているのが分かった。今度、針生には美味しい紅茶を淹れてあげよう。
金属のぶつかり合う音が聞こえてきたのでそちらの方に目を向けるとヴァルハラとシェーラが激しく戦いを続けていた。
ヴァルハラは拳銃から剣を伸ばして戦っているが、拳銃を持っているのだから距離を取って戦った方が有利になるはずなのにどうしてそうしないのだろう。
「あの銃から放たれる弾は魔弾って言うんだけど、結構魔力を使うらしいのよね。だから、あんまり弾を撃つって事はしないんですって」
なるほど。銃を乱発して魔力切れを起こしてしまうのを避けているのか。それもこれも銃剣術でもシェーラを押しているからできる事なのだろう。
こちらの様子をチラチラと確認しながら戦っていたヴァルハラも、僕たちが少し落ち着いたような雰囲気になった事で戦いに集中し始めた。
「どうやら向こうも落ち着いたようだ。そろそろ本気で行かせてもらうぞ」
憂いの無くなったヴァルハラは猛攻を開始する。その手には更にもう一つ拳銃が握られており、二丁拳銃のような格好になっていた。
片方の拳銃でシェーラの鉤爪を抑えつつ空いているもう一つの拳銃についている剣の方で攻撃をしていく。どこかヴァルハラの雰囲気が荒々しく感じるのは怒っているからだろうか。
ヴァルハラとはそんなに会話をした訳ではないが、結構義理深いと言うか仲間思いと言うかなんて言ったら良いか分からないが、良い奴なんだろう。
「シェーラ! 何やってるんだ! この前のリベンジをしたいんじゃなかったのか!」
後ろで見ていた劔が苛ついた表情で大きな声を上げる。その言葉に息を吹き返すシェーラだが、それも長くは続かない。地力に勝るヴァルハラが徐々に盛り返して来ると劔の我慢は限界だった。
「蹴散らせ、シェーラ!」
劔が
「古の契約に縛られし可哀そうな
シェーラの詠唱が終わるとアスファルトの道路が盛り上がり、地面を突き破ってゴーレムが出て来た。前回は三体いたゴーレムだが、今回出て来たのは一体だけだった。だが、前回の三体の時とは明らかにゴーレムの色が違っていた。
透明な薄緑色のような物でできた体は石ではなく翡翠のように美しい。しかし違ったのは体の色だけではない。綺麗な薄緑色の体で、以前のゴーレムとは比べ物にならないぐらい俊敏に動いていた。
「このゴーレムは前のとは違うぞ。私が召喚できる中で一番のゴーレムだからな。無残につぶれて死ね」
薄緑色のゴーレムが雪を蹴散らしてヴァルハラの前に出る。ヴァルハラは振り下ろされた拳を避けるが、ゴーレムは素早く体勢を立て直し、更にヴァルハラに拳を下ろしていく。
ゴーレムの連続した攻撃にヴァルハラは防戦一方になっていく。だが、そんな事で終わってしまうヴァルハラではない。上手くゴーレムの攻撃を躱すと、銃剣でゴーレムの体を斬りつける。
前回のゴーレムはそれだけで少しずつだが体が崩れて行ったのだが、今回のゴーレムは傷をつける事さえできない。
「チッ! 銃剣での攻撃では傷一つ付かんか。これならどうだ!」
ゴーレムから距離を取ったヴァルハラが銃に魔力を込め、引鉄を引く。すると音もなく魔弾が発射された。イメージとしては高性能なサイレンサーが付いた銃から弾が発射された感じだろうか。
放たれた魔弾はゴーレムの顔面に見事に命中したのだが、ゴーレムは何事もなかったようにヴァルハラに攻撃をしてくる。
「クソッ! これでも駄目か。なんて硬さだ」
それでもヴァルハラは諦めずに攻撃していくが、ゴーレムの硬い体に傷をつける事はできない。それどころかゴーレムが振るった一撃でヴァルハラの方が弾き飛ばされてしまった。
ガードをしていたので致命傷になるような事はなかったが、ガードをした腕はたった一撃でボロボロになっており、露見した腕は青紫色に変色していた。
これ以上は厳しいと思ったのかヴァルハラはこちらに視線を送ってくる。仮面を着けているので意図的にこちらを見たのか、無意識にこちらを向いただけなのか分からないが、針生は何かを感じ取ったようだ。
僕の隣にいた針生がスッと立ち上がると大きく息を吐く。周囲の寒さに白い息が周囲に広がった。どこかピリピリとした雰囲気が隣にいる僕にまで伝わってくる。針生は目を閉じ、精神を集中すると大きく目を開いた。
「支配せよ、ヴァルハラ!」
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