家出の六日目-1


 アルテアが帰ってきていない。外を見るとあれほど降っていた雪は止んでおり、太陽は夏場かと思うほどぎらついている。それでも積もった雪は溶けておらずこれでは歩くだけでも大変だ。

 それなのに帰って来ていないというのはどういう事だろう。僕は無性にアルテアの事が心配になる。もしかしてどこかで倒れてしまっているのではないだろうか。

 だが、アルテア……と言うか使徒アパスルが行き倒れなんて事があるだろうか。となるとアルテアが帰って来ていない理由は藪原さんに対する意見の食い違いからか。

 全くそんな事で帰って来なくなるなんて子供みたいだな。でも、僕も少し言い過ぎた感はあるので一概にアルテアだけが悪いとは言い難い。

 こたつの上に母さんの書置きをして帰ってきたら昨日作っておいた煮込みハンバーグを温めて食べるようにしてもらう。

 ダウンジャケットもダッフルコートも手元にはなくなってしまったので、なるべく重ね着をして外に出る。

 天気は良いのだが、雪が積もったせいで外は結構寒い。冬場の太陽はどうしてこうも暖かくならないのだろう。夏なんてこれだけ太陽が出ていれば汗が止まらないぐらい流れて来るのに。

 道路にはまだ雪が残っており、車が通った所だけ雪がかき分けられて轍ができている。これでは自転車を使うより歩いて探した方が安全だ。機動力を失ってしまうが僕は歩いてアルテアを探しに行く。


 そんな街に詳しくないアルテアが行く所はあまり多くないはずだ。以前、街を紹介した時に一緒に回った所を重点的に探すために本町の方に行ってみる。

 動物園やサッカー場を確認するが、アルテアの姿を見つける事ができない。ちなみにサッカー場はアンの結界が解けたのだろう、大勢の人が集まっており、警察官が周囲を警戒していた。

 自転車を使わずに一人で探すには限界がある。アルテアがどこかで止まっていてくれれば何とかなるだろうが、アルテアも動いていたら見つけることは困難だ。


「あれ? 釆原君じゃない。こんな所でどうしたの?」


 これからどうやってアルテアを探そうかと立ち止まっていると不意に後ろから声が掛かった。僕に声を掛けてきたのは先日ストーカーを巻くために色々と付き合わされた鷹木だった。

 声からしてアルテアではないのは分かっていたのだが、実際にアルテアではないと分かるとやはり少し残念だ。鷹木には申し訳ないが。

 それにしても鷹木が僕に何の用だろう。またストーカーを巻くのを手伝ってくれと言われても今日は断ろう。ストーカーとアルテアなら比べるもなくアルテアの方が優先だ。


「私だってストーカーには困ってるのよ。でも今日はストーカーの姿はまだ見てないわ。ただ、釆原君の姿を見つけたから声を掛けただけよ」


 まあ、ストーカーだって用事があるだろうからずっとと言う訳にはいかないのだろう。知らないけど。

 声を掛けてくれたのは嬉しいのだが、僕がアルテアを探すため、「それじゃ」と言って立ち去ろうとするとパーカーのフードを引っ張られた。フードを引っ張るのは反則だ。何も抵抗できないじゃないか。


「何でもう行っちゃうのよ。せっかく会ったんだからどこか行きましょうよ。そうだ! 食事なんてどう?」


 そんな事を言われても残念だが僕は今忙しいのだ。アルテアを探さなければいけないのでこんな所で油を売っている暇はない。食事の断りを入れ、「それじゃ」と言って再び立ち去ろうとすると再びパーカーのフードを引っ張られた。

 一体何なんだよ! 僕のフードを引っ張らないと鷹木は死んでしまう病気にでもかかっているのか? これで首を絞められて死んでしまったらニュースでパーカーのフードを引っ張られた事による窒息死なんて報道がされてしまうぞ。そんな恥ずかしい死に方は嫌だ。


「釆原君ってもしかして女性に興味がないの? 私の知っている男性は私が食事に誘ったら喜んで付き合ってくれるよ」


 失礼な。女性に興味がない訳がない。僕だって思春期真っただ中の高校生だ。当然女性には興味はあるし女性とデートが出来るなら喜んでする。そりゃあ、鷹木は元アイドルと言う事もありかわいいとは思う。だが、今僕の優先順位の一位はアルテアだ。

 そう言えばこの前、鷹木と会った時にアルテアも居たな。だとしたら鷹木にもアルテアを探してもらえば早く見つけられるかもしれない。二手に分かれて探せば一人より早く見つけられるのではないか?


「覚えているわよ。あの時一緒にいた綺麗な女性でしょ? あの人アルテアって言うんだ。アルテアって何者なの? 姉弟(兄妹)じゃないわよね? 顔が似てないもの。そもそも日本人の名前じゃないわよね?」


 姉弟じゃないのは確かだ。かと言ってアルテアの事を詳しく話してしまう訳にはいかないので、遠くに住んでいる従妹と言う事にしておこう。これなら僕と一緒に居た事もおかしくないし、今探しているのも不自然じゃない。


「へぇー。従妹ね。それにしては似てなさ過ぎるわね。まあ良いわ。この前助けてもらったお礼も兼ねて一緒に探してあげる」


 そう言った鷹木が僕の腕に絡みついてきた。なぜ腕を組む。鷹木には手分けしてアルテアを探してほしいのだが、一向に腕を離そうとしない。


探してあげるって言ったでしょ? 別れちゃったら意味ないじゃない」


 いや、別れて探さないと意味がないのだが……。それに鷹木は確か蛯谷と付き合っていたはずだ。こんな所を蛯谷に見られたら大変だ。


「蛯谷君って、ノッカーの蛯谷君? 私、付き合ってないわよ。誰がそんな事言ったの?」


 なんと! 付き合ってなかったのか? 誰が言ったのと言われても本人に聞いたのだが。となると蛯谷があんなに嬉しそうに付き合う事になったと報告してきたのは蛯谷の勘違いだったのか。


「勘違いじゃないのかしら? 結婚前提とか逃げないでとか言ってて怖くなったから『いやぁ』って言って逃げただけよ。それを付き合っているって言われても困るわ」


 「いやぁ」が「いいぃ」に聞こえたって感じか。蛯谷は耳鼻科に行った方が良いな。それにしても蛯谷に伝えた方が良いのだろうか。でも、この事を伝えると蛯谷が落ち込んでしまうだろうな。って今は蛯谷の心配をしている時間はない。早くアルテアを探さなくては。

 それには鷹木を何とかしたい所だが、いくら腕を振っても離れてくれない。死んでも僕からは離れる気がないようだ。


「そう言えば秘密の場所があるわ。普段余り人が来ない所だから、もしかしたらそこにアルテアが居るかもしれないわよ」


 そんな場所があるのか。じゃあ、その場所を早く教えてくれ。だが、鷹木はかたくなに場所を教えてくれず、僕の腕を引っ張って歩き出してしまった。

 なすがままに腕を引っ張られる僕は何を言っても一緒に付いてくるつもりだと判断し、大人しく鷹木に引っ張られる事にした。


「釆原君ってスマホとか持ってる? メッセージアプリとか入れてる?」


 スマホ……。スマホか。何だろう嫌な予感がする。僕のスマホには針生に勝手に弄られてメッセージアプリが入っている。そう言えば針生から何かメッセージが来ているかもしれない。嫌な予感よりもメッセージの確認を優先してしまったのは間違いだった。

 鷹木は僕が取り出したスマホを取り上げると何やら勝手に弄り始めた。なぜ、針生と言い、鷹木と言い、女性は僕のスマホを勝手に弄るのだろう。僕のスマホに女性を引き付ける何かがあるのかもしれない。顔をしかめる僕に操作を終えた鷹木は気持ち良いぐらいの笑顔でスマホを返してきた。


「私のIDを登録しておいたから、これでいつでも連絡が取れるわよ。嬉しい?」


 嬉しいも何もいつでも連絡が取れるなら二人で手分けしてアルテアを探した方が良いのではないだろうか。


「そう、それなら私は帰るわよ」


 待て待て。どうしてそうなる。どもまで行くのか分からないがここで帰られてしまったら今までの時間が無駄になってしまう。僕が慌てて嬉しいと笑顔を作ると何とか帰るのは諦めてくれた。

 鷹木は駅から少し離れた場所にある高層ビルの前で立ち止まった。低層階は飲食店とかが入っており、高層階はオフィスとなっているビルで、僕には今まで用のないビルだった。


「ここよ。このビルに入るわよ」


 鷹木は僕の手を引いてビルの中に入っていく。ビルの飲食店ではこのビルで働いている人だろうかサラリーマンが食事をしており、結構繁盛しているように見える。

 藪原さんのお店もこれぐらいの時間は同じように混雑していたなと思い起こして少し寂しい気持ちになってしまった。

 鷹木が言っていた秘密の場所と言うのはここの事なのだろうか。それなら悪いが一人で食事をして欲しい。僕はアルテアを探したいのだ。


「食事なんてしないわよ。アルテアを探すんでしょ? それぐらい私も分かっているわ」


 どうやら鷹木は当初の目的を忘れておらず、飲食店を素通りしてビルのエレベーターの前に行くと上に行くボタンを押した。暫く待つとエレベーターが到着し、エレベーターに乗り込むと僕たちの他にはサラリーマンの方々が一緒に乗り込んできた。

 上層階に行く人たちの中で僕たちは完全に場違いなのだが、鷹木は平然とした顔で乗っている。こんな所にアルテアが居るのかと思うが、ここまで来た以上最後まで付き合うしかないだろう。

 エレベーターのドアが開くと明らかにオフィスの入っているフロアで、通路から先のオフィスに入るにはセキュリティーカードが必要なのが分かる。当然僕はセキュリティーカードなんて持っていないので部屋に入る事はできない。


「部屋になんて入らないわよ。仕事をしに来た訳じゃないんだし、セキュリティーカードなんて持ってないしね」


 そうなんだが、それなら、どうしてこんな所に来たのだろう。鷹木が通路を歩き始めたのを見て遅れないように付いて行く。


「このビルは階段を使えば上に行けるの。ほとんどの人が知らないからここにはめったに人が来ないわ」


 そう言って鷹木が立ち止まったのは、通路の一番奥にある非常階段の扉の前だった。確かにこんな所にある非常階段なんて誰も使わないだろう。

 非常階段の扉を開けると、外から冷気が入ってきた。非常階段には暖房など入ってないので、フロアとの温度差が激しい。

 誰も居ない非常階段に鷹木と僕の足音が響く。本当にこんな所に勝手に入って良いのか不安になるが、鷹木はまったく気にした様子もなく階段を上がっていく。

 階段を登り終わると、そこには再び扉があった。どうやら屋上に続く扉のようだ。鍵がかかってないのか鷹木がその扉を開ける。このビルのセキュリティーは大丈夫なのだろうか。

 扉を開けたと同時に外からの光が入って来てその眩しさから僕の視界は一瞬奪われてしまう。眩しさに捻った首を元に戻すと、屋上は雪が積もっており、白一色の風景が僕の目に飛び込んできた。

 誰も足を踏み入れてない屋上は幻想的で鷹木がそこに足を踏み入れる。新雪に鷹木の足跡が残り、屋上の真ん中辺りで鷹木が立ち止まった。


「釆原君もいらっしゃいよ。気持ち良いわよ」


 屋上に出た鷹木が手を振って僕を呼び寄せる。僕はもう子供ではないので、こんな新雪を見てもテンションが上がる訳ではない――が、自分の思いとは裏腹に体は思いっきり元気に屋上に飛び出した。

 「きゅっきゅっ」っと新雪を踏む音気持ちいい。だが、何も遮る物がない屋上は強い風が吹いており、重ね着をしている僕の体温を容赦なく奪って行く。

 雪の積もった屋上にテンションが上がったのか、鷹木ははしゃぎまわっている。そんな鷹木から投げられた雪玉が僕の頭に当たった。


「やーい。ざまーみろ。アハハッ」


 子供がいたずらをする時のような笑顔を向ける鷹木に、僕も足元にある雪で雪玉を作って応戦する。

 お互いが雪玉を作ると図らずも雪合戦が開始された。鷹木は思ったより素早いというか、僕が投げようとすると上手く死角に入って僕の攻撃を躱していた。それに対し、僕は鷹木の薙げる雪玉にことごとく当たっている。

 女性だと思って侮っていたが、これは本気で相手をしなければならない。だが、いくら真剣に鷹木を狙っても雪玉を当てる事はできなかった。暫く雪合戦に興じていた僕はこんな事をするためにここに来たのではないと思いだした。


「久しぶりに雪合戦なんてしたわ。この年になって本気で雪合戦するなんて思っても見なかったわ」


 鷹木も十分に楽しんだのか雪合戦は僕の負けで終了した。それだけ遊んでおいてなんだが、ここにはアルテアはいないようだ。無言で鷹木の方を見つめ、いないじゃないかと圧力をかけるが、鷹木は気にした様子はない。


「釆原君。アルテアが居ないなんて見ればわかるわ。流石私の秘密の場所ね。誰にもバレていないわ」


 僕の隣で胸を張って堂々と言ってのける鷹木を、今なら殴っても犯罪にならないと思う。


「ちょっとなんで拳を握っているのよ。アルテアはいなかったけど、良い景色だからノーカンよ。ノーカン」


 一体何がノーカンなのか分からないが、景色が良いのは間違いない。鷹木は握りこんだ僕の拳の手首を掴んで走り出し、屋上の一番端っこの方にまで来た。

 金網の前で立ち止まると大きく息を吸い込んだ。眼下に見える街並みは雪に覆われており別世界に来たのではないかと思えるほどの風景だった。


「こんな最高の景色の中で吸う空気ってなんでこんなにおいしいのかしら」


 確かに寒い事を除けば景色も良いし、空気も美味しい。だが、僕の目的はこんな所でのんびり寛ぐ事ではない。アルテアが居ないと分かればこの場所に用はないのだ。


「えぇー、もう帰っちゃうの? 折角こんないい景色の所に来たんだから、もっとゆっくりしていけばいいのに」


 頬を膨らませて不満をあらわにする鷹木だがここまで付き合ったのだ。これ以上文句を言われても困る。

 僕は屋上の入り口に向かって歩き出すと、そこには一人の男性が立っていた。紙袋を手にした二十歳ぐらいの男性で、眼鏡をかけている姿は先日鷹木を襲ったストーカーだった。


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