活動の四日目-2


 ストーカーの凶刃が鷹木に迫る。警戒していた事もあるが咄嗟に反応した体はストーカーの振り下ろした包丁を手を掴む事で止めることに成功する。

 ギリギリの所で止めた包丁は僕の目の前で止まった。だが、手を掴まれたぐらいではストーカーは力を抜く事はせず、このままでは僕の眉間に包丁が刺さってしまう。やばい。このままでは押し込まれてしまう。じりじりと迫ってくる包丁に喉が鳴った。

 その時、お店で頼んだタンドリーチキンを今か今かと待っていたアルテアが異常を感じ、ストーカーに体当たりをして弾き飛ばしてくれた。ストーカの手から離れた包丁を蹴り飛ばして遠ざけると取り敢えず命の危険は去ったと言えよう。

 アルテアがそのままストーカーを抑え込んでいるのを見て僕は声を上げる。周囲にいた人も異変を感じると辺りは騒然となってきた。すぐに警備員が走ってこちらに来ると僕は状況を説明し、警備員にストーカーを引き渡した。

 ストーカーが何かを叫んでいるようだったが、僕に抱き着いて震えている鷹木をなだめるのに手一杯だった僕の耳では聞き取れなかった。もしかして今の状況について文句を言っていたのではないだろうか。


「怖かった。今まで襲ってくる事なんてなかったのに……」


 震えている鷹木の目には涙が浮かんでいた。それほど怖かったのだろう。そんなのに巻き込まれた僕はたまったものではないが、誰も怪我をしていないので良しとしよう。だが、周囲の目もあるのでそろそろ離れて欲しい。


「そうね。誰も怪我がなくて良かったわ。それにしても釆原君って意外に強いのね」


 僕の要望だけを見事に無視する鷹木だが、勘違いしてもらっては困る。強いのは僕ではなくアルテアの方だ。僕は男の包丁を掴んだだけで何もしていない。


「謙遜しなくても大丈夫よ。私はちゃんと分かっているから。前から知っているから」


 周りにいたやじ馬もストーカーが連れて行かれた事で徐々に減って行き、屋台の前には僕たちだけになってしまった。

 僕は喉が渇いたのでジュースを注文するが、アルテアは先ほど頼んだタンドリーチキンを更に一つ追加で注文していた。動いたせいでお腹が減ってしまったのだろう。


「匂いを嗅いだらどうしても我慢できなくなってしまって。駄目でしょうか?」


 いや、良いんじゃないかな。ここは鷹木が出してくれるって言うし、最大の功労者だ。タンドリーチキンの一つや二つ安いものだろう。


「ねぇねぇ、最初から気になってたんだけど、この子は釆原君とどういう関係なの? 凄く可愛いし、さっきの動きも人間とは思えないほどだったんだけど」


 今更か! と思わないでもないが、ストーカーを巻く事を最優先にしていた鷹木だ、やっと余裕が出て来たのだろう。何と言って誤魔化せばいいのか。留学生と言ってしまうと同じ学校の鷹木には嘘だとすぐに分かってしまう。

 僕が頭をフル回転して何とか鷹木が納得するような理由を考えていると、アルテアが自己紹介を始めた。


「私はアルテア。今はツムグの家でお世話になっています。どうぞよろしくお願いします」


 丁寧な自己紹介だが、余計な情報が入ってしまっている。アルテアが頭を上げると同時に鷹木は持っていたジュースを落としてしまった。


「何? 貴方たち同棲してるの? ごめんなさい。私知らなかった」


 何かを勘違いしてしまった鷹木が足元に落としたジュースをそのままに走り去っていく。あまりに急な事で僕は鷹木を追う事ができず、アルテアと顔を見合わせてしまった。


「ツムグ、追わなくて良いのですか? どうやら彼女はツムグの事を好きみたいですけど」


 えっ? そうなの? 今日初めて話したばっかりだぞ。しかも相手は元が付くとは言えアイドルだ。僕の事が好きだなんて有り得ない。どう考えてもアルテアの勘違いだろう。

 鷹木が居なくなった所で僕たちは動物園を出る。一通り見て回った所、憑代ハウンターらしき人物も居ないため、これ以上ここに居ても意味がない。

 次にどこに行こうか考えると、買い物に行かないといけないのを思い出した。動物園からだと、いつも買い物をしているスーパーまでは結構距離があるのだが散歩がてら行くとするか。

 僕がアルテアを先導してスーパーに向かって歩いていると、アルテアが付いて来てないのに気付いた。

 後ろで立ち止まっているアルテアの所まで行き、何を見ているのかと視線をアルテアが向けている方に向けるが、そこにはサッカースタジアムがあるだけで何か変わった感じはない。


「どうしたの? このスタジアムに何かあるの?」


 僕がアルテアに声を掛けるが、アルテアは無言で首を振る。何か気になる事があれば言って欲しいが、アルテアは何事もなかったように歩き出してしまった。


「私の思い過ごしのようです。さあ、行きましょう。スーパーと言う所は初めてです」


 アルテアが僕の方を振り向いて先を促す。その顔は先ほどまでの険しい表情から年相応の女性の笑顔に変わっていた。何が気になっていたかは気になるが買い物を優先する事にし、二人でスーパーに向かって歩いていく。

 スーパーに付いた僕は予定通り、鶏肉を多めにかごに入れて行く。一回の買い物で大体、四日分ほどの食料を買ってくので、買い物かごの中はすぐに一杯になってしまう。野菜や卵など他にも必要な物を買うと、最後にお米を持ってレジに向かって行く。


「そのお米は私が持ちます。貸してください」


 そう言うとアルテアは僕からお米の袋を奪ってしまった。十キロあるお米は女性には重いだろうと思うのだが、アルテアは軽々と持ってしまっている。

 あの身体能力があれば、十キロなんて大した重さではないようだ。だが、女性に重いお米を持たせて男である僕が買い物かごと言うのは何か恥ずかしい。

 できれば交換してほしいが、「力がある方が重い物を持った方が良いです」と言って交換してくれなかった。

 買ったものを袋に入れて僕たちは家に向かって歩いていく。鷹木に色々連れまわされた事もあり、少し疲れてしまった僕は近くにあった公園で休憩をしていく事をアルテアに提案する。


「そうですね。ツムグもまだ体調が完全に戻った訳ではないですし、少し休んでいきましょう」


 冬の公園はあまり人がおらず落ち着いたというより寂しい感じがする。周囲に生える木々にも葉は付いておらず、隙間から見える暗くなりかけた空により一層寂寥感に襲われる。

 僕が黙ってベンチに座っていると、アルテアも何も言わず隣に座ってくれた。何か楽しい話をしている訳ではないが、隣で黙って座ってくれているだけで心地が良い。


 何もない所を見つめる僕の脳裏に昔の事が浮かんでくる。この公園に来た事はなかったが、昔、家の近くの小さな公園で父さんと一緒に遊んだ時の事だ。

 小さかった僕は泣き虫で躓いて転ぶとすぐに泣いていた。転んだ僕を抱き起した父さんは泣き止まない僕に、いつも首から下げていたネックレス型のハーモニカを吹いてくれた。

 僕は父さんの吹くハーモニカが好きで、いくら号泣していてもハーモニカの音が聞こえてくると、ピタリと鳴くのを止めて父さんのハーモニカに夢中になっていた。

 一通り、ハーモニカを吹いた後、父さんは必ず僕の頭を撫でてくれた。大きな手から父さんの温かさが伝わって来て、僕は何故泣いたかさえ忘れてしまうのだった。

 父さんが死んだ時、僕は遺品としてペンダント型のハーモニカを譲り受け、そのハーモニカは今も大事に僕の部屋に置いてある。

 最初は母さんにそのハーモニカを持っていてもらおうと思ったのだが、母さんは僕が持っていた方が父さんも喜ぶと言って受け取ってくれなかった。

 それから何度かハーモニカの練習をしてみたが、小さいハーモニカでは上手に吹く事ができず、僕はハーモニカを吹くのを止めてしまった。


 辺りの寒さに体が震えるが、僕の顔の所だけは暖かかった。目を開けて周囲を見渡すと九十度風景が傾いていた。いつの間にか僕は寝てしまっていたようで、僕の頭はアルテアの太腿に乗っかっていた。いわゆる膝枕と言う奴だ。

 慌てて上体を起こし、よだれがアルテアに付いたりしていないかを確認する。勝手に膝枕をした上に買ったばかりのアルテアの服を汚してしまったら大変だ。


「大丈夫です。どこも汚れてはいません。もう少し寝ているようだったら起こそうと思っていましたが起きたようですね」


 アルテアの声はどこか懐かしい優しい声だった。僕が起きた事を確認するとアルテアはベンチから立ち上がった。景色は大分暗くなっており、時間を確認すると六時を少し回ったくらいだ。

 針生が七時ぐらいに来るとと言っていたので、確かにそろそろ家に戻らないと針生が来た時に僕たちが居ないと言う恐ろしい事になりかねない。

 しかし、膝枕なんて何年ぶりだろう。最後に膝枕をしてもらったのは母さんに耳掃除をしてもらった時だろうけど、もう何年前なのかさえ思い出せない。久しぶりに味わった感触に僕は頬を何度も撫でた。

 アルテアに続いて僕も荷物を持って立ち上がると一緒に公園を後にする。勝手に膝枕をしてしまった恥ずかしさもあり、僕はなるべくアルテアの顔を見ないように歩いて行った。

 家に着くと母さんは居間で僕の帰りを待っていた。何も僕が心配だから待っていたのではなく、ただ単に仕事に行く前の食事がしたくて待っていたのだ。


「紡ちゃん、おかえりー。お母さんはお腹が空きすぎだよー」


 母さんが飼い犬のように食事を要求してきた。買ってきた荷物を冷蔵庫に仕舞うと、僕は夕食の準備を始める。鶏肉を多めに買ってきたので、今回も鶏肉を使った料理にしよう。

 鶏肉を肉叩きで薄く延ばした後、塩、胡椒して、フライパンで完全に火が入るまで焼いている間に食パンにマスタードとマヨネーズを塗っておく。焼き上げた鶏肉をパンの上に置き、さらにとろけるチーズを乗せて、もう一枚のパンで挟む。

 溶き卵に今作ったパンを浸して、フライパンで食パンを焼くと綺麗な焼き目が付いた。それにコンソメスープを付ければ完成だ。


「わぁ~。美味しそうなサンドイッチ」


 サンドイッチではなくクロックムッシュなのだが、その辺りは気にする所ではない。アルテアも今まで見た事の無い鶏肉料理で興味津々で見つめている。

 もう絶えられないと言った感じで、「いただきます」と母さんとアルテアが言うと一気に頬張り始めた。とろけるチーズと鶏肉の相性が非常に良く、パンのサクッと言った歯応えがアクセントを与えてくれる。


「鶏肉とパンの香ばしさが非常に合ってます。動物園で食べたタンドリーチキンとはまた違った感じでとても美味しいです」


 どうやら今回の料理もアルテアを満足させる事ができたようだ。僕も食べてみるが、自分で思っていた以上に美味しくて、また機会があれば作ってみようと思う。

 数分もすると皿の上からはクロックムッシュはすでに消えていた。この世の幸せと言った感じで、食後の余韻を楽しんでいる二人だが、母さんはもう出勤する時間だ。


「あぁー。仕事行きたくないなぁー。アルテアちゃん代わってくれない?」


 変な事を言うんじゃない。アルテアが本気にしたらどうするんだ。ってアルテアもこたつから立ち上がらないでくれ。渋々ながらも母さんは居間から出て行くと、自分の部屋に戻って出勤の準備を始めた。

 暫くして母さんが戻ってくると、名残惜しそうに仕事に出かけて行く。


「それじゃあ、行って来ま~す。二人だからって変な事しちゃ駄目よ。あっ、別にしても良いわ。お母さんは孫が見たいもの」


 余計な事を言ってないで早く仕事に行ってくれ。玄関まで母さんを見送った僕は居間に戻るとちょうど七時ごろだった。

 もうすぐで針生が来ると思うが、少し時間がありそうだったので、僕がコーヒーを淹れるために台所でお湯を沸かしている時に家のチャイムが鳴った。多分、針生が来たのだろう。アルテアに代わりに出てもらって僕はコーヒーの準備を止め、代わりに紅茶を用意する。


「こんばんは。あら。二人っきりだったの? これは悪いタイミングでお邪魔しちゃったわね」


 母さんと言い、嫌らしい笑みを浮かべる針生と言い、本当に余計な事ばかり言ってくる。アルテアは母さんたちが言っている事の意味を分かっているのだろうか。

 僕と違って何の反応も見せない所を見ると分かってないかもしれない。それなら別にいいんだけどね。


「あっ。紅茶を淹れてくれるなら、これを使ってちょうだい」


 そう言って針生は手に持っていた紙袋を僕に渡してきた。僕は紙袋の中を見ると、そこには紅茶が入っていた。


「あまり良い紅茶を使っている感じじゃなかったから、私の家から持ってきたわ。今度から私にはこの紅茶を出してね」


 どうやらこの前に僕が出した紅茶が気に入らなかったようだ。今日の買い物で紅茶を買うのを忘れていたのでちょうど良い。針生が持て来た紅茶がどれほどの物か試しに淹れてみる事にする。ティーポットに茶葉を入れて沸騰したお湯を入れると紅茶の良い香りがしてきた。この時点で僕の使っていた紅茶とは明らかに違う。

 蒸らす時間を利用してティーカップを用意し、針生たちが待っているこたつに紅茶を運んでいく。十分蒸らした後、紅茶をティーカップに注ぐと花のような香りが部屋に充満した。


「どう? 全然違うでしょ」


 確かに僕の使っていた紅茶とは全然違う。ティーカップに入っている紅茶の色も透明感の強い輝きを持った色をしていて見た目にも違うのが分かる。悔しいがこれは僕の完全に負けのようだ。

 三人で紅茶を楽しんでいるのだが、今日はお茶会をするために集まったのではない。僕は針生が家に来た理由を尋ねる事にした。


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