開戦の三日目-2


 僕が生徒指導室に着くと、部屋には誰も居なかった。人を呼び出しておいて誰も居ないなんて失礼なと思いながらも空いている椅子に勝手に座る。

 早く帰りたいのだが、暇な時間ができてしまった。その時、僕はふと、明日バイトに行く予定だった事を思い出した。流石に今の状況ではバイトには行けそうもないので、藪原さんのお店に電話をするが、藪原さんは電話に出なかった。

 この時間なら開店しているのでお店にいるはずだが、もしかしたらお店が忙しいのかもしれない。あの店はお昼時も結構忙しいのだ。僕はまた後で電話をする事にしてスマホをポケットにしまうと、生徒指導室のドアが開き人が入ってきた。


「ここが生徒指導室なのね。初めて来たわ。あっ、貴方が釆原君ね」


 入ってきたのは赤崎先輩だった。赤崎先輩は元生徒会長で、一年の下期から三年の上期まで生徒会長を務めいた人物だ。そして理事長の孫だ。理事長が溺愛しており、赤崎先輩の意向には校長先生ですら逆らうことはできないと噂がある。

 僕は赤崎先輩とは一度も話した事はないが、その顔は全校集会や生徒会主催のイベントとかで指揮を取っていたので見た事はあった。だが、赤崎先輩が僕の名前を知っていたのは正直驚いた。

 僕は生徒会とは無縁の人間なので、そう言うイベントとかがない限り生徒会がどんな仕事をしているのかも知らないし、興味のない。そんな僕を赤崎先輩はどこで知ったのだろう。


「フフフッ。釆原君は私たちの間では有名だもの。知っていて当然よ」


 そうなのか? 僕は生徒会の中では有名だったのか。そんな目立った動きはした覚えはないのだが、今度からは気を付けておこう。下手に目を付けられて今回みたいな事になるのは御免だ。

 赤崎先輩が入ってきて扉を閉めてしまったと言う事は他に誰も来ないのだろうか。てっきり校長先生とかが入ってくるものだと思っていたのだが。


「来ないわよ。私が貴方を呼び出したんだもの。先生たちにも先に帰ってもらったから今、学校に居るのは私たちだけよ」


 なんと! 先生たちすらもう帰ってしまったのか。流石赤崎先輩だ。こんな事ができる生徒は他には誰もない。やろうと思う生徒もいないだろうが。そうなると図書室の鍵はまた今度だな。

 先生たちまで帰して二人きりになった所で何をするつもりなのだろう。愛の告白……なんて雰囲気はとてもないし、そのためだけなら生徒や先生を全員返してしまう必要もない。


 路肩の石でも見るような冷たい視線を向ける赤崎先輩は生徒会長時代、理事長の孫と言う事もあり良くも悪くも色々な改革を行っていた。

 その最たるものが食堂の改革で、どこかのホテルの一流の料理人を採用し、二百円や三百円、高くても五百円ぐらいの学食に一食一万円と言うとんでもないメニューを登場させたのだ。

 しかも食堂とは別の特別室を作ってそこで食事をすると言う改革と言うより改造まで行っていた。

 その一万円のメニューは赤崎先輩以外ほとんど頼む者は居ないのだが、そこは日本でも指折りの企業の子息や一流芸能人の愛息が通う学校。頻繁ではないが、注文する人物もいるのだ。学校の昼食に一万円を出すなんて考えも及ばない僕とは生きている世界が違うのだ。

 後有名だったのが、クラスの改革だ。これは赤崎先輩が主導してやったと言うより、理事長がやったと言った方が良いだろう。

 僕たちのクラスは一クラス三十数人だが、赤崎先輩のクラスは一クラスで五人しかいない。そのクラスに入るには成績はもちろんの事、家柄とかも審査されて決められるとの話だ。

 日本でも有数の赤崎家のご令嬢と一緒のクラスになれるとなると、それはすなわち赤崎家と繋がりが持てると言う事なので、赤崎先輩が入学した時の入学試験は前年の数倍の倍率だったらしい。

 そのクラスは五人しか生徒がいないが、全員の家柄が素晴らしいので、そのクラスには執事やメイドが一緒に授業に出ていると言う話だ。

 鉛筆が床に落ちたら執事が代わりに拾い、ページを捲る時はメイドが代わりに捲ると言ったクラスだったらしい。それぐらいは自分でやれよと僕は思うのだが、そう言う噂が広がっていた。


「その噂は本当だけどね。今も外には私専属のメイドが控えているわ。何かあったら入ってくるように言いつけてあるもの」


 別にメイドくらいいても僕は構わないのだが、一緒にしないのは何か理由があるのだろう。先生たちも帰らせ、午前中だけの授業になったのもその理由のためではないだろうか。


「えぇ、そうよ。今から私がやろうと思っている事に邪魔だったから全員帰ってもらったわ」


 平然と他の生徒の事を邪魔と言ってのけるのは流石赤崎先輩だ。本来ならその邪魔な生徒の内の一人である僕がここに呼ばれた理由は何だろう。赤崎先輩に何かをした記憶はないのだが。


「別に貴方が私に何かをしたからって言う事で呼び出したわけではないわ。ただ少し気になった事があったから呼びだしただけよ」


 何かをした訳ではないのなら良かった。僕や母さんが生活して行く上で赤崎財閥が直接かかわっている事はないが、細部まで考えるとどこかで赤崎財閥と関わってしまっているため、何かあったら生活ができなくなってしまうのだ。

 それでは気になった事があると言うのは何なのだろう。そもそも赤崎先輩は三年なので、最近は学校に来ても居なかったはずだから僕が気になる事なんてあるようには思えない。


「そう言えば、釆原君は最近、針生さんと仲が良いみたいね」


 何故ここで針生の名前が? もしかして針生が教室に来た事がほとんど学校に来ない三年生にまでその噂が広まっているのかも知れない。そう思うと少しうんざりしてしまう。こうなると二年はおろか一年にまで噂が広がっているだろう。


「まあ、仲良くさせてもらってますけど……。それが何か?」


「あぁ、勘違いしないでちょうだい。私は貴方が誰と仲良くてもなんとも思わないわ。だって貴方は私の恋愛の対象にはならないから。ただ、仲良く話している所を見たって人がいたからちょっと聞いてみただけよ」


 別に勘違いなどしていない。けど、何かフラれたような気持ちになるのは納得がいかない。それに赤崎先輩がもし僕に興味があるならそんな冷笑を浮かべたりをしない。赤崎先輩が僕に対して何か思っているなどとは最初から思っていないけど、僕と針生が話している所を見たのは誰かは気になった。

 針生が教室に来た事はあったが、仲良く話している姿はあまり見られていないはず――だ。だとしたら昼食を食べていた時だろうか? だが、屋上には僕たちの他には誰も居なかったはずだが。


「フフフッ。貴方、屋上でお弁当を食べているのを誰にも見られてないと思っている訳? この学校には至る所に監視カメラがあるのよ。貴方の動きなんてトイレに行ったとしても見失わないわ」


 確かに学校には監視カメラが設置されているが、防犯のために設置されていると聞いていたので、それを赤崎先輩が見ているとは思わなかった。しかもトイレまでってそんな所にまで監視カメラが付いているなんて気が付かなかった。


「貴方さっきまで針生さんと話をしていたでしょ? それを見てしまったのよ」


 今日、針生に会ったのはお弁当の時だけなので、その時の事を言っているのだろう。だが、それを見たからと言って先生や生徒を全員帰らせて、午前中授業にしてしまう理由が分からない。


「そう? まだ分からないの? まあ良いわ。私の話はこれで終わりよ」


 えっ!? これで終わり? 赤崎先輩は僕と一体何の話をしたかったんだ? 全く分からない。でも、赤崎先輩が終わりと言うなら終わりなのだろう。何時までもこんな所に居ても仕方がないので椅子から腰を浮かすと赤崎先輩が入り口に向かって声を掛けた。


「入ってらっしゃい。私の話は終わったわ」


 そう言うと生徒指導室の扉が開き、一人の人物が中に入ってきた。その人物は赤髪の青年でどう見ても学生には見えなかった。ヴァルハラと比べてもそん色のない上背で、体の大きさで言えばヴァルハラよりも大きかった。

 生徒指導室に入ってきた男性は赤崎先輩の後ろに立つと僕を睨みつけてきた。初対面のはずなのに睨まれると言うのは気分の良い物ではない。

 そのまま部屋を出て行ってしまったの良かったのだろうが、赤崎先輩がいる手前、無視をして出ていく事もできず、僕は浮かした腰を下ろして席に着いた。


「こいつがさっき言ってた奴か?」


「えぇ、そうよ。間違いないわ」


 どうやらこの男性も僕の事を知っているようだ。一体僕の存在はどこまで知れ渡ってしまっているのだろう。


「紹介が遅くなったわね。彼は私と契約をした使徒アパスルでエルバートと言うわ。そう言えば分かるかしら?」


 はあ!? 使徒アパスル? なんで使徒アパスルがこんな所に? それに契約って赤崎先輩と?

 使徒アパスルと聞いて僕の頭は一気に混乱する。パニックになる中でも一つだけしっかりと分かる事がある。早く逃げなければならない――と言う事だ。針生の言った通り早く家に帰っていればと今頃になって後悔する。


「お前が憑代ハウンターか。使徒アパスルは何処の種族だ? 今どこにいる?」


 そんな事言えるわけがない。針生のように同盟を結んでいるならいざ知らず、味方か敵かもわからない相手に情報を提供してしまうような事はできない。


「だんまりか。その態度は褒められたものじゃねえが正解だ。敵に情報をぺらぺら話すもんじゃない。だが、相手が悪かったな。俺を相手にその態度は怒りを買うだけだ」


 エルバートがニヤリと笑うと口元から犬歯が見え怪しく光るのが見える。嫌な予感がした僕は椅子から立ち上がろうとしたが一歩遅かった。エルバートは大きくジャンプして僕に飛びかかって来たのだ。エルバートが天井に届くかと言う所まで来た時、その手に鉈のような物が握られているのが分かった。

 鉈は刃の部分以外は装飾が施されており、その装飾は竜を型取っているように見えた。一メートル以上はある大きさの鉈を持ち上げるのは僕なら両手でやっとと言う所だろうが、エルバートは片手で軽々持って攻撃してきたのだ。

 振り下ろされた鉈は机ごと僕の座っていた椅子を破壊する。粉々に砕け散った机や椅子がドミノ倒しのように他の机や椅子、窓を破壊していく。間一髪の所で横に飛んだ僕は何とか避ける事ができたが教室の惨状に戦慄した。昼食の時の針生の警告がなければ相手に対して警戒する事もなく僕は今の一撃で死んでいただろう。

 エルバートの振り下ろした鉈は机と椅子を破壊するだけでは終わらなかった。床に衝撃を与えた一撃は床に罅が入った後、一拍置くと轟音と共に床を破壊してしまった。その衝撃のせいで大地震が起きた時のように部屋が揺れる。破壊された床は攻撃を避けた僕を巻き込み、瓦礫と一緒に下の部屋に崩れ落ちた。


「痛ってぇぇぇ!」


 なんて馬鹿力なんだ。机や椅子を破壊するだけじゃなく、床まで破壊するなんてとてもじゃないが人間が真似できるものではない。

 下に落ちた僕が辺りを見回すと埃と粉塵で一メートル先さえも見えないほど視界が悪くなっていた。だが、これは逃げるチャンスだ。このチャンスを逃してしまえば逃げるのは難しくなる。一階分落ちた僕は受け身も取れず背中を打ち付けてしまったが動けないほどではない。痛みを堪えて立ち上がると視界が悪い中、出入り口があるであろう方向に向かって走り出した。

 相手は使徒アパスルだ。これで逃げ切れるとは思っていない。そう思った僕は空いている教室に逃げ込み、掃除道具入れの中に姿を隠した。


「おいおい、かくれんぼかよ。面倒臭ぇなぁ。だがそれは失敗だぞ。これだけ近いと俺の憑代ハウンターでなくともある程度位置が分かるんだ」


 上の階から飛び降りてきたエルバートは僕が隠れている部屋に入ってくると、見事に僕が隠れている掃除道具入れの前で立ち止まった。

 マズイ。本当に他の憑代ハウンターでも位置が分かるのか。逃げ場のない所に隠れたのは失敗だった。緊張で張り裂けそうになる心臓を抑え、荒くなる呼吸を手で口を塞いで音が出ないようにする。どうする? 一か八か飛び出してみるか? いや、それではエルバートの前に出るだけで鉈を振り下ろされて終わりだ。

 エルバートが笑みを浮かべ大きく鉈を振り上げるのが掃除道具入れの隙間からも見える。一筋の汗が頬を伝り僕の今の状況を嘲笑うように気楽に足元に滴った。飛び出すべきかこのまま隠れるべきかどちらの答えが最適解なのか頭の中で計算するが中々答えは出てこない。

 僕が考えている間にもエルバートは振り上げた鉈を振り下ろした。床をも砕く一撃が掃除道具入れにぶつかり、


「ガチャ―――ン!!」


 どう行動するか悩んでいる僕の耳に大きな音と共に振動が伝わってきた。僕の体は傷一つない。それはエルバートが二つ並んでいた掃除道具入れの僕の居ない方の掃除道具入れに攻撃をしたからだ。今しかない。そう思った僕は意を決して掃除道具入れを飛び出した。

 思いっきり扉を開けて飛び出した僕はエルバートの横を通り抜け、部屋から脱出する事ができた。危なかった。もし隣の掃除道具入れに隠れていたら今頃僕の体は掃除道具入れと一緒にグチャグチャになってしまっていただろう。

 隠れる事が無理ならもう昇降口まで走るしかない。生徒指導室が四階にあったので一つ下の階に落ちた僕は今、三階にいるはずだ。廊下を走る僕は脇目も振らず階段を目指す。まだ数メートルしか走ってないが、僕の呼吸はすでに乱れ、フルマラソンを完走した後と思えるほど足は重くなっていた。

 後ろから迫って来たエルバートが僕に向かって笑みを浮かべながら鉈を振り下ろしてくる。「ゴウッ!」と言う風斬り音を伴った鉈を紙一重で避けると階段を転げるように駆け降りる。あと一階降りれば昇降口のある所まで行けると思った希望は、上から飛び降りてきたエルバートに前を防がれてしまった事で砕かれてしまう。

 こんな所で諦める訳にはいかない。前を防がれてしまった事で僕は降りてきた階段を使うのを中止し、反対側にある階段を使おうと再び廊下を走り出した。


「ちょこまかと動き回りやがって、面倒臭ぇ野郎だな」


 階段を防いでいたエルバートが頭を掻きながら僕を追いかけてくる。必死に逃げる僕だが、スピードで使徒アパスルに勝てる訳もなくすぐに追いつかれると、エルバートは僕の背中に向かって蹴りを放ってきた。

 走ってきた勢いを利用しての蹴りは避ける事はできず、背中を蹴られた僕は反対側の階段の所まで吹き飛ばされてしまった。距離にすると数十メートルぐらい吹き飛ばされただろうか。僕は壁にぶち当たると、「グエッ!」とアヒルが鳴くような声を出してやっと止まる事ができた。

 壁にぶつかった事で一瞬気を失ってしまった僕は膝から崩れ落ちる。だが、これが幸いした。エルバートが僕の頭に鉈を振り下ろしていたのだ。狙っていた場所に僕の頭がなくなった事で鉈は僕がぶつかった壁を破壊する。瓦礫と共に外に投げ出された僕は頭から落ちるのを防ぐため強引に体を捻る。

 何とか体を捻り、アスファルトに叩きつけられた僕の体は背中から落ちるのに成功した。


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