開戦の三日目-3
地面に背中からたたきつけられた僕は再び「グエッ!」とアヒルのような声を上げた。この声は意外と喉を酷使するようで無駄に喉にダメージを受けてしまった。
僕が落ちた場所は自転車置き場にある方のアスファルトで、少し行けば僕の自転車が置いてあるのだが、そこに辿り着くのはかなり困難のように思えた。それはエルバートが自転車置き場に行く道に立ち塞がっているからだ。
「やっと逃げるのを諦めたか。どこに行こうとしていたか知らねぇが、俺から逃げるなんて無理だと思え」
確かに逃げるのは難しそうだ。僕のスピードではエルバートを振り切って自転車の所まで行くのは無理だ。だが、ここで大人しく殺されてしまうほど僕もお人好しではない。もし殺されるにしても、アルテアや針生たちが有利に動けるようにエルバートの特徴なりできれば弱点を見つけておきたい。
「おっ。少しはやる気になったみたいだな。良いぜ相手してやるよ。そう来なくっちゃ面白くねぇからな」
僕が戦う構えを取った事でエルバートが口角を上げて喜んだ。こんな一般人を倒して嬉しいのだろうか。
「一般人? 笑わせるな。
エルバートが言っているのは『ギフト』の事だろう。『ギフト』の事をエルバートが知っていると言う事は赤崎先輩も『ギフト』を貰っている事になる。もしかして本当に僕だけが貰えていないのではないか。
こっちの世界の神様か異世界の方の神様かどちらか知らないけどそう言う差別は止めて欲しい。僕だって不思議な力が使いたいのだ。今からでも遅くないから持って来てくれないかな。
構えを取った僕にエルバートは人差し指を動かして掛かってこいと言うジェスチャーを取る。どうせこのまま逃げ回った所で追いつかれて殺されてしまうだけだ。攻撃させてくれるなら攻撃した方が何かを掴めるかもしれない。
覚悟を決めた僕は剣道の授業でやった時と同じように気合を入れるために声を上げる。
「ぅるぁぁあああああああ!!」
大きく右腕を振り上げてエルバートに向かう。振り下ろした右拳は確実にエルバートに当たる所まで行っていたのだが、無情にも空を切ってしまう。
なっ!? 馬鹿な。
「何だ。何か能力を使うんじゃないのか。まあ良い。そんな大事な能力ならあの世まで持って行ってそこで十分に発揮しな」
振り下ろした後そのまま走り抜けたため距離が空いてしまったが、エルバートは瓦礫を蹴散らして僕に向かってくる。真横に薙いだ一撃は鈍い光を放ちながら僕の腹に届こうとしていた。だが、僕はその一撃を紙一重で躱す。どうやって躱したかは僕にも分からない。敢えて理由を上げるとすれば極限まで集中力を高めていたおかげだろう。躱す事ができた僕を僕自身が驚いてしまっているのだから。
そんな僕以上に驚いているのがエルバートだ。しかし、その表情は驚きから怒りに変わっていく。こめかみに青筋立てたエルバートの雰囲気は先ほどまでとは比較にならないほどピリピリしている。一撃を躱されたぐらいでそこまで怒る事ないじゃないか。
「何を言ってやがる。お前みたいなガキに俺の攻撃が躱されたんだぞ! これが屈辱じゃなくて何だって言うんだ!!」
僕から言わせてもらえば運が悪かったとしか言いようがない。たまたま避けられただけでもう一度やってみろと言われてもできる自信などない。多分で言うと死んでしまう方が可能性が高い。
怒りの治まらない様子のエルバートは本能のままに足を振るってくると僕の鳩尾に見事に当たった。やはり何度もエルバートの攻撃を避けるなんて事はできる物ではないと実感する。
吹き飛ばされた僕は校舎の壁に背中から当たると崩れ落ちてしまうが、そんな事で攻撃を止めるほどエルバートは優しくない。崩れ落ちている僕に向かって更に蹴りを放ってくる。鋭い蹴りは鉈の攻撃と全く遜色がなく、蹴りが壁に当たると、そこに大きな穴をあけた。僕が崩れ落ちたのが幸いしてエルバートは狙いを外してしまったのだ。
「チッ! また外したか。お前何か力を使っているだろ!」
だから僕は『ギフト』を貰ってないんだって。けど、そんな事は言わないけどね。勘違いしてくれているなら、そっちの方が有利になるかもしれないし。
僕は瓦礫を払いのけながら素早く立ち上がると、エルバートから距離を取る。生徒指導室から逃げ出してきて、ここまで動きっぱなしなのでそろそろ体力も尽きてくるころだ。息も荒れ、体温もかなり上がっているため、今が冬だと言う事さえ忘れてしまいそうになる。
「もう良いよ。お前は良くやったよ。俺を相手にここまで生きていたんだ。誇りに思って死ね」
怒りの表情だったエルバートが落ち着いた優しい顔になったので何かと思えば、やっぱり僕を殺したいだけらしい。誇りに思って死ぬなんてごめんだ。どうせ死ぬんだったら弱点の一つでも暴いて死んだ方がまだマシだ。
エルバートが攻め寄せる。少し距離があったので、良く見れば攻撃を回避できると思ったのが間違いだった。途中でスピードを上げたエルバートに驚いてしまい、下に落ちていた瓦礫に躓いてしまったのだ。
「しまった!!」
人間、油断をすると碌なことが起こらない。躓いた僕は地面に倒れてしまった。すぐに上体を起こすが、エルバートはすでに僕の目の前まで来ており、鉈を下ろす寸前だ。
流石にこの状況から鉈を避ける事はできない。弱点の一つでも見つけておきたかったのだが、それもできそうにない。アルテアが勝つように何とか手助けしたいと思っていたがそれも無理だ。できれば早く僕の代わりとなる人を見つけて欲しい。それだけを考えると僕は静かに目を閉じた。
だが、何時まで経っても鉈が僕の上に振り下ろされる事はなかった。不思議に思った僕は恐々目を開けると、そこには先日見た右腕が剣になっている女性が、エルバートの鉈の攻撃を止めており、ギチギチと剣と鉈が擦り合う音が聞こえてくる。
これ以上は押すのは不可能だと判断したエルバートは一度、後ろに飛び退いて女性の方に向かって鉈を構える。
「テメー何者だ! 人の邪魔しやがってタダで済むと思うなよ!」
僕を殺す絶好の機会を邪魔されたエルバートは怒りの表情で女性を見つめる。どうやら僕は命拾いをしたようだ。殺されると思って緊張していた体の彼方此方が痛い。
「あ、ありがとうございます。」
女性に助けてくれたお礼を言うとお返しとばかりに剣を向けられた。女性はお礼を言われるのが嫌いなのだろうか。
「慣れ合う事はしたくありません。今は助けたからと言って油断しないように」
なるほど一理ある。僕を助けてくれたからと言って仲間と言う訳ではないのだ。だが、エルバートの鉈を軽々と防げる能力は普通の女性とは思えない。となるとこの女性もまた、
女性の姿を見て僕はアルテアから聞いた種族を思い出す。ドワーフ族やエルフ族と言った特徴のある種族ではない。右腕が剣になっていると言うのを考えると、アンドロイド族と言うのが一番しっくりくる。
「彼を殺すのは自由だけどその間に私は貴方を倒します」
僕の事なんて放っておいて女性はエルバートに向けて右手を――剣を振るって行く。僕に対しては圧倒的な強さだったが、流石に
女性の右腕と言うか剣と鉈が時折、火花を出しながら何度も交差する。凄まじいスピードで動いている二人だが、攻撃は当たれば確実に相手を倒せるような必殺の物だった。
この二人の動きを見ればエルバートが今まで僕に対してどれぐらい手を抜いていたのかがよく分かる。本来ならこのタイミングで逃げるのが一番なのだが、僕は二人の戦いに見入ってしまった。見蕩れてしまった。
どちらも本来は敵なのだろうが、どちらを応援するかと言えば女性の方だろう。僕が女性の方が好きとかそう言うのは関係なく、やはり助けてくれた方を応援したくなる。
最初は互角に戦っていた二人だが、エルバートの方が強いのだろうか段々と攻撃をしている回数が増えている。
倒れたせいで座り込んでいる僕の横まで女性が下がってきた所で、エルバートが鉈を横に薙ぐ。エルバートは僕の事が目に入っていないようで横に薙いだ鉈は僕の頭の真上をギリギリの所で通過していく。女性の方は下がった事で体勢を崩しており、エルバートの攻撃に反応できていない。このままでは女性が殺されてしまう。そう思った僕の体は勝手に動いていた。
女性の腰にタックルをして押し倒すと、ギリギリの所で鉈を躱す事ができた。女性に覆いかぶさる追うな感じになってしまったが、僕はそれほど嬉しくなかった。それは女性の体が人間の体と違って硬かったからだ。皮膚の感触とかは僕と変わらない感じなのだが、芯の部分で硬いのだ。
「貴様! 俺の戦いに手を出すとはいい度胸じゃねぇか! 覚悟はできてるんだろうな!」
エルバートが大きな声を上げるが、最初は僕と戦っていたはずなので手を出しても問題ないのじゃないのか。そんな事を考えていた僕を押しのけて女性が立ちあがる。
「お礼は言いません。私は助けてなどとは一言も言ってない」
お礼を言われるためにやった訳ではないので別に良いけど、僕に剣を向けるのは止めて欲しい。雰囲気から本気じゃないのが分かるから良いけど。
「戦いの邪魔です。貴方は早くどこかに逃げて行ってください」
そう言われるのは願ってもない事だ。今のはエルバートが僕の事を頭に入れてなかったからできた事で、同じ事をやろうと思っても警戒されてできないだろう。
「俺が逃がすと思うか? お前は殺すって決めてるんだ! そこで大人しく待っていやがれ!」
僕に向けていた剣を女性がエルバートに向ける。その剣は僕に向けていた時と違い、殺気が籠り触れればどんなものでも斬れてしまいそうだった。
「貴方の相手は私です。間違えないように」
二人の戦いが再び始まった。学校の片隅で行われている戦いは女性が息を吹き返しエルバートを押し込んでいる。
僕の出来る事はこの戦いではもうなさそうだ。と言うか初めからできる事なんてないのだが、女性からも逃げろと言われたので、僕はここから逃げる事にする。何か女性を置き去りにして逃げるみたいだが、相手が普通の女性ではなく
二人の戦いを邪魔しないように、そして見つからないように姿勢を低くして急いで自転車置き場まで駆けて行く。自転車に跨り、ペダルを漕ぐと一気に山を下る。もう一度教室に戻るつもりだったのでダウンジャケットも鞄も置いて来てしまったが今度取りに戻ろう。
「追って――来ないみたいだな」
全力で山道を下り終えた僕は後ろを振り返るが、エルバートが追ってきている様子はない。だが、あの驚異的なスピードだ。戦いが終わってしまえば何時追いつかれてもおかしくないので、僕は再び全力で自転車を漕いで家に向かう。
それにしても赤崎先輩が
何とか無事に家に帰りついた僕は自転車置き場に自転車を置くと、息を切らしながら玄関に入った。これで一安心と思い、玄関に座り込んで息を整えていると、ボロボロになった制服が目についた。
泥で汚れ、鉈によって切られてしまった制服は流石にもう着られるような感じはしない。何となく斬られた所を捲りあげると、下に着ていたシャツも同様に斬られており、そこに血が滲んでいた。思ったよりも重症の様子だが、痛みはそれほど感じないのが不思議だ。
「上手く避けていたと思ってたけど攻撃が当たってたんだな」
シャツには結構な量の血が付いており、今もその範囲は広がっている。傷の事を気にし始めたからだろうか、お腹からジクジクと鈍い痛みがしてくる。
下痢の前触れのような痛みは次第に大きくなっていき、遂には座っている事さえできないほど激しい痛みに変わっていく。脈に合わせて強く波打つ痛みで僕は玄関で倒れてしまった。
多分家に着くまではアドレナリンが出ていて感じなかったのだが、家に着いた事で安心して痛みを感じるようになってしまったのだろう。
倒れ込んだ状態でお腹を押さえ、何とかこれ以上血が出ないようにするが、ほとんど意味がなく抑えた手の隙間からどんどん血が流れ、玄関の床にまで血が到達してしまった。
「マジかよ。これって死んじゃう奴じゃないのか?」
あまりに大量な血と、大きな傷で僕は本日二度目の死を意識した。そう何度も死を意識する事はないので珍しい体験なのだが、こんな体験はこれっきりにしたい。
何とか助けを呼ばないと……。アルテアや母さんが買い物から帰ってきていれば家にいるはずだ。そう思って声を出そうとするが、上手く声が出なくなっている。
声が出ないのなら何か音が出るようなものがないかと探すと、探すまでもなく目の前には靴が置いてあった。左手でお腹を押さえながら右手で靴を持つと、床に思い切り叩きつけた。
「パーン!」
乾いた大きな音が玄関に鳴り響くと、居間にいたアルテアがその音を聞きつけて部屋から出て来てくれた。部屋から出て来たアルテアは僕の様子を見ると、普通じゃないとすぐに感じ、近寄ってきた。
「ツムグ! 大丈夫ですか! これは酷い……」
そんなアルテアはどうやら服を買いに行った後のようで和装から買ったばかりの服に着替えていた。白ニットにジャカードスカートはとても良く似合っている。
アルテアが何か一生懸命、僕に話しかけてくるが、僕にはもう何を言っているのかよく聞こえない。薄れ行く意識の中、僕は意識がなくなってしまう前に一言だけ告げておく。
「その服、似合っているよ……アルテア」
その言葉を最後に僕は意識を手放した。
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