第二章

開戦の三日目-1


 翌日、目が覚めるとベッドに入っていても分かるぐらい部屋が冷えていた。この冬一番と言う寒さに僕はもう一度惰眠を貪ろうと瞼を閉じたが、隣の部屋にアルテアが居るのを思い出した。

 この寒さだ。アルテアだってまだ起きていないか布団にくるまっているだろうから先に居間を温めておこうと思い、意を決してベッドから体を起こした。

 寒さから防御するものがなくなった僕に朝の冷気が強烈な勢いで襲い掛かってくる。階段を降りて居間に着くと凍える手でファンヒーターのスイッチを入れる。

 暫く待って居間が温まった頃に二階に上がり、アルテアの部屋の前で声を掛けるとアルテアから返事があった。どうやらアルテアはもう起きていたようだ。


「もう起きています。入っても大丈夫です」


 僕がアルテアの部屋に入ると、アルテアは昨日と同じ袴姿に着替えて畳まれた布団の横で正座をしていた。綺麗に伸びた背筋は鉄か何か入っているのかと思えるほど真っすぐに伸び、瞼を閉じた顔はこの世の汚れを一切排除したようだった。

 布団の上にはこれまた綺麗に畳まれたパジャマが置いてあり、アイロンをかけた後のように綺麗に折りたたまれていた。


「おはよう。朝は早いんだね」


「おはようございます。私は日課で朝はこうやって瞑想する事にしているのです」


 だとすると僕が下に行った事でアルテアを起こしてしまったかもしれない。申し訳なく思っていと、


「大丈夫です。ツムグが下に行った頃には私はもう瞑想していましたから」


 余計に申し訳なく思えてくる。それにしても寒い日には布団の温かさから中々抜け出せない僕とは大違いだ。人間とは心がけ一つでここまで違うのかと思えてくる。

 そんな話をしている間にも僕の体はどんどん冷えて行くが、アルテアは寒くないのだろうか。もしかするとアルテアは寒さをあまり感じない体質なのかと思ったらそう言う訳ではなかった。


「精神を集中して心を落ち着ければある程度の暑さや寒さは何とかなるのです」


 それは我慢をしていると言う事だろう。言ってくれれば上着の一枚でも貸したのだが、ファンヒーターが点いた今、上着があるとかえって暑くなってしまう。


「こたつもあるし大丈夫です。気にしないでください」


 そう言うとアルテアが立ち上がった。僕はアルテアを連れて下に降りると居間で寛いでもらう事にし、台所に向かった。いつもと同じようにパンを焼いている間にスクランブルエッグを作る。

 ボウルに卵と牛乳、塩を入れ、泡立て器でよく溶きほぐした後、フライパンにバターを入れてフランパンを熱する。弱火にして溶いた卵を入れると底をへらで救い上げるようにしてかき混ぜる。

 少し時間はかかってしまうが、こうした方がホテルとかの朝食に出てくるようなスクランブルエッグができるのだ。トースターで焼いたパンとコーヒーを淹れれば完成だ。

 僕は出来上がった朝食を持ってアルテアの所に行くとアルテアはスクランブルエッグを知らないようで、興味深そうに料理を見ていた。


「いただきます」


 昨日僕が教えた通り、両手を合わせて「いただきます」をするとアルテアは料理を食べ始めた。

 最初はどうやって食べたらいいか分からなそうだったが、僕がパンの上にスクランブルエッグを乗せて食べるのを見ると、アルテアも同じようにして朝食を楽しんでいる。


「ただいまー。お母さんが帰ってきましたよー」


 今日も元気に帰ってきた母さんだったが、部屋に入って僕以外にアルテア女性がいるのを見て固まってしまう。

 何があったのかと思ったが、そう言えばアルテアを紹介していないのを忘れていた。アルテアも母さんのテンションに固まってしまい、二人が固まった状態で見つめ合っている。取り敢えず母さんにアルテアを紹介しようとしたが、母さんが先に口を開いた。


「紡ちゃんがお嫁さんを連れてきた!」


 はっ!? いきなり何を言うんだウチの母親は。僕はまだ高校生だぞ。とは言え、母さんを説得しないとアルテアが追い出されてしまうので、何とか母さんが納得するような理由を考えるがその必要はなかった。


「キャァァァア! かわいぃぃぃぃぃ! お母さん初孫は女の子が良いわ。ねぇ、ねぇ、貴方名前は何て言うの?」


 突拍子もない事を口走った母さんが動き出したと思ったら僕ではなく、アルテアに抱き着いて頬ずりしている。アルテアが僕の方を向いてヘルプを要求するが、こうなってしまった母さんを僕は止められない。


「ア、アルテアと言います。よ、よろしくお願いします」


 頬ずりを少し嫌そうにしながらもアルテアは自分の名前を母さんに伝える。パジャマと言い母さんの対応と言いアルテアが真面目な子で助かった。


「アルテア? 変わった名前ね。どんな字を書くの?」


 見た目が日本人っぽいアルテアにどんな漢字を書くか聞く母さんだが、アルテアに漢字なんてない。


「へぇー。カタカタの名前なのね。それで? 式は何時? 和服を着ている所を見ると今日にでも挙げるの?」


 馬鹿な事を言うんじゃない。本当に息子が「今日式を挙げます」と言われたら困るだろ。いや、この様子だとあまり困らなそうだな。


「挙げないよ。アルテアは高校の留学生で、ホームステイとしてこの家に来ているんだ」


 そんな驚いたような顔をされてもこちらの方が困る。と言うか本気で今日式を挙げると思っていたのか。一番有り得る可能性としてホームステイと言う事にしておいた。月星高校では実際に留学生がおり、ホームステイをしているのだ。


「じゃあ、暫くは家にいるんだ。よろしくねアルテアちゃん。私は紡ちゃんのお母さんの奏海かなみです。かなちゃんで良いわよ」


 女子高生のようにキャッキャと騒ぐ母さんと、その様子を落ち着いた雰囲気で見つめるアルテアを見ると、どちらが年上なのか分からない。アルテアは同い年と分かっているので、確実に母さんのが年上なのだが。


「母さん、アルテアは来たばっかりで服を持ってないらしいから一緒に買いに行ってきてくれないか?」


「あら? そうなの? アルテアちゃんは和装をしているぐらいだからよっぽど日本が好きなのね。良いわよ。お母さんが頑張って選んであげる」


 僕が一緒に買いに行こうとしたが、母さんが今日は休みだったのを思い出したので母さんに行ってもらう事にする。寝ないで行く事になるが、今の母さんのテンションなら大丈夫だろう。


「じゃあ、母さんアルテアをよろしくね」


 母さんにアルテアを任せて僕は昨日作った豚肉と大根の炒め煮を詰めた弁当を持って家を出る。昨日と打って変わって綺麗な青空が顔をのぞかせるが、そのせいで冷気は昨日よりも強く、自転車を漕いでいると耳が痛くなってくる。

 学校に着いた僕は午前中の授業が終わるとお弁当を持って屋上に行く。確か今日は針生が友達と食事をすると言っていたので一人での食事だ。

 いつもの定番となっている場所に腰を下ろすと、持ってきたお弁当を広げた。


「紡! 貴方こんな所で何やってるのよ!」


 僕の後ろから声が掛かった。何かと思って後ろを振り向くと、私服姿の針生が腰に手を当てて仁王立ちをしていた。友達と食事をすると言っていたのにどうしてここに居るのだろう。そしてなぜ私服?


「学校なんて休むにきまってるでしょ! もしかしてと思って来てみたら紡はやっぱり学校に来ているし」


 やっぱりとは失礼な。時々授業はサボるが、学校には真面目に来るのが僕だ。ズル休みはこれまでに一度もない。


「そんな事聞いてないわよ。それよりもどうしてアルテアも連れずに学校に居るのかって聞いてるの」


 アルテアを学校に連れて来られる訳がない。母さんには留学生と言って誤魔化したが、学校に連れて来てしまったらなんて誤魔化したらいいか思い付かない。


「思いつかないじゃないわよ。そもそも学校に来なければ良いのよ。紡は死にたいの? 自殺願望があるの?」


 変な事を言う針生だ。僕は死にたいと思ってもいないし、自殺願望は持った事はない。それにアルテアと一緒に戦うと決めた所だこんな所で自殺なんてするはずがない。

 当然の答えを返すが、針生が思っているのとは違った回答だったようだ。元々怒っていたのだろうが針生はさらに怒り出した。


「そんなこと聞いてないわよ! 今! この時に襲われたらどうするのって言ってるの!!」


 地団駄を踏みながら怒る針生は少し可愛かったが、この時に襲われたらって、ここは学校だよ。こんな所で襲ってくる奴がいる訳がないじゃないか。


「へぇー。何なら今からヴァルハラに貴方を襲わせましょうか? そうすれば私の言ってる事が分かるでしょ?」


 針生が嫌らしい笑みを浮かべると後ろに控えていたヴァルハラが前に出た。マズイ。これ以上針生を怒らせてしまうと同盟なんて無視して本気でヴァルハラに襲われてしまう。

 僕は両手を前に出して針生にストップをかける。やっと理解したかと言う表情で針生はヴァルハラに下がるように言うとヴァルハラは大人しく針生の後ろに着いた。


「は~。分かった? そういう事よ。紡は今、戦いをしているの。アルテアを連れずに出歩けばこういう事だってあり得るのよ」


 針生の言わんとしている事は分からんでもない。だが、それは針生が僕を憑代ハウンターと知っているからであって、他の人にはバレていないはずだ。


「そうとも言い切れないわよ。紡は昨日、アルテアを連れて帰るために街の中を通っていたんでしょ? その時誰かに見られていたら襲われる事もあるんじゃない?」


 確かに正論だ。昨日、アルテアを連れて帰る所を見られていたら、一人でいる今は絶好のチャンスだ。なるほど。何となく針生が言いたいことが分かってきた。


「どうやら分かってくれたようね。紡は今日はもう帰りなさい。一人じゃ危ないわ」


 ん? 僕が帰るのは良いとして針生はどうするのだろう。


「私? 私はこれから敵を探しに行くのよ。私たち二人以外はまだ誰が敵なのか、どういう相手がいるのか分かってないものね」


 そうか、針生はこれから敵を探しに行くのか……。なら、学校に来た理由は何なのだ? 私服だしわざわざ学校に来る必要が無いような気がするが。


「ほ、ほらあれよ。たまたま近くを通りかかったから寄ったと言うか……。何にしても偶然よ。偶然」


 なぜか慌てる針生だが、そのおかげで僕は敵に襲われると言うリスクをなくす事ができるので感謝しかない。


「じゃあ、私はそろそろ行くわ。紡も早く帰るのよ」


 手を振って僕から離れて行く針生だが、屋上の入り口に行く訳ではなく、屋上の端っこの方に歩いて行った。屋上のフェンスを乗り越えると、針生はもう一度僕に手を振るとそのまま屋上から飛び降りた。

 僕に自殺願望がとか言っておきながら自分が自殺するのかと思い、僕は走ってフェンスの所まで行くと、針生の後に飛び降りたヴァルハラが落ちる針生を抱きかかえ、地面に着地するや否や山の木々の中に入って行った。

 確かにあの方法の方が階段を降りるよりも早いし、誰にも見つからないのだが、ヴァルハラの事を信頼していないとできない事だ。いつの間にそんな信頼関係を築いたのだろうか。

 針生の事はヴァルハラに任せれば大丈夫だろう。僕は急いでお弁当の置いてあった所に戻ると残っていたご飯を掻き込んだ。寒空の下で放置していたおかげで、教室にあった時の温かさがなくなってしまったお弁当は味もなくなってしまったような感じがしてあまり美味しく感じなかった。

 お弁当を食べ終わった僕は針生に言われた通り、今日は早退しようと教室に戻ったのだが、いきなり流れてきた校内放送に動きを止めた。


「本日は午前授業で終了となります。生徒の皆さんは速やかに帰宅してください。繰り返します――」


 何度か同じ内容を繰り返す放送に、教室内は騒然とする。だが、思わぬ休みは好意的に取られ、生徒たちはカフェに行ってお茶をしようとする者や、市立図書館に行って勉強をしようとする者など、各々帰り支度をし始めた。


「こんな時間に下校だなんて何にもする事がないよ。お前もそうだろ? どこかファストフードにでも行こうぜ」


 蛯谷が僕を誘って暇をつぶそうとするが悪いが蛯谷に付き合って遊びに行く事はできない。僕は早く家に帰えらなければいけないし、アルテアと今後どうしていくか話さなければならないのだ。


「二年H組の釆原君。職員室に来てください」


 蛯谷に断りを入れようとする前に再び流れてきた校内放送で呼び出されてしまった。


「お前また何か悪さでもしたのか? 仕方がない一人で帰るか」


 流石に僕の用事が終わるまでは待ってくれないようだ。まあ、どの道遊びに行けないのでちょうど良かったが。

 それにしても悪さなどした記憶がないのに呼び出しとは一体何なんだろう。早く帰りたい衝動を抑えながら僕は荷物を置いたまま職員室に向かって行く。何か用事を押し付けられたら荷物は邪魔になってしまうからだ。

 職員室に向かう途中、昨日図書室の鍵を預かったまま返すのを忘れていた。ついでなので一緒に返してしまおう。それにしても今回の呼び出しの理由は何だろう。いくら考えても呼び出される理由は思いつかなかった。強いて言えば鍵の件だが、それは僕が悪いわけではなく、先に帰った先生が悪いのだ。

 職員室に着き、担任の沖之島先生に鍵を返すと生徒指導室に行くように言われてしまった。何も悪い事をしていないのに呼び出された上に生徒指導室に行かされるのは不本意だが、どうやら沖之島先生も他の先生から言われただけで理由などは知らないようだ。

 沖之島先生以外に目を付けられるような覚えはないが、先生に言われたので逃げ出す事もできず、大人しく生徒指導室に向かって歩き出した。こんな事なら放送を無視して置けば良かったと思いながら。


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