曖昧模糊 針生-3


 針生は椅子から立ち上がって自分の部屋に戻ると、服装は制服姿から私服に変わっていた。大きなリボンで髪を止め、デニムのジャケットとグレーの短いスカートにストッキング姿だった。そして、手にはフード付きコートを持っており、防寒対策も万全で戻ってきたのだ。

 それに対してヴァルハラの方は動きやすさを重視しているのか、体のラインが見えるぐらいのシャツに運動をするときに履くような長ズボンと言う姿だった。


「貴方、その格好で外に行く気?」


「服の予備は持ってないものでな。まあ、大丈夫だろう」


 大丈夫な訳がないと針生は思う。それにそんな軽装で一緒にいられたら針生の方が寒く感じてしまう。こちらの気候が分からないのならさっきの光の中に予備の服ぐらい持って来ておけよと思うが、ない物は仕方がない。

 針生はもう一度、部屋に戻ると予備のコートを持ってきた。ピンク色のコートは女性っぽいのだがそれしか他に針生はコートは持っていないのだ。


「これを着なさい。どうせ暗いから色なんて分からないでしょ」


 ヴァルハラは結構身長があり、そんな大柄な男性がピンク色のコートを着ている姿は、針生のツボに入ってしまった。


「アハハハハッ! 似合ってる。似合ってるわよ、ヴァルハラ」


 笑いが止まらず外に出る針生だが、外の寒さに一気に笑いが収まってしまう。雪はほとんど止んでいるのだが、まだ細かい雪が降っており、寒さは相変わらず厳しい。

 最初は針生が先導して歩いていたのだが、いつの間にかヴァルハラの方が前に出て歩き始めていた。もしかしたら何か感じる物が有るのではないかと思い、針生はヴァルハラの後に付いて行く。


「ねぇ、さっきから勝手に歩き回ってるけど、何か感じる物が有るの?」


 一時間ほど歩いても、敵か味方か分からないが、他の使徒アパスルに会うどころか、ほとんど人に会わない状況に針生がたまらず声を掛ける。


「いや、何も感じないが、綾那は何か感じるのか?」


 ヴァルハラが先導しているので付いて行ってみればこれだ。意外とヴァルハラは使えないのかと思いつつ、他に当てもないので再びヴァルハラについて歩いて行くと、ヴァルハラの足が止まった。

 今度こそ何かを見つけたのかと周囲を見るが、そこにあるのは普通の家が一軒あるだけだった。さっきの事もあるので、あまり期待をせずにヴァルハラに尋ねる。


「どうしたの? ここに何かあるの?」


 暗闇の中浮かび上がる一軒家は二階建てで取り立てて怪しい所は感じられない。家の明かりは点いているので、多分中には人がいるのだと推測される。

 どう見ても普通の家があるだけだが、ヴァルハラは暫くその家を見つめて動かない。針生が後ろから見るヴァルハラ背中はどこか寂し気で、少し震えているように見えた。


「いや、何でもないさ。少し気になっただけだ。私の勘違いだな」


 再び歩き出そうとしたヴァルハラが、急に家の方に向き直ると「ガキッ!」っと音がする。ヴァルハラの手には拳銃が握られており、その銃で日本刀を防いでいた。

 拳銃の真ん中あたりに日本刀が振り下ろされている。その日本刀はヴァルハラの前に居る女性が振り下ろしたもので、ギチギチと今もお互いが押し合っている音が聞こえる。


「何? 敵? どうして?」


 針生がヴァルハラに声を掛けるが、ヴァルハラはそんな声を無視して受け止めた日本刀を弾くと、女性と共に暗闇に消えていく。このままここで戦ってしまえば針生を巻き込みかねないと言うヴァルハラの気遣いだ。

 ここの家の庭は結構広く戦うには十分な広さがあった。そのせいもあり所狭しと動き回る二人の姿を針生は全く追えなかった。針生が二人の姿を捉えられるのは鍔迫り合いをする時ぐらいで、それもほぼ一瞬の事だ。

 鍔迫り合いの時に出る火花で見える姿から相手は女性のように思えた。ヴァルハラに比べれば小柄な女性はそのスピードでヴァルハラを翻弄していく。

 針生とそれほど変わらない体型の女性がヴァルハラと戦っている姿は針生にとって驚きだった。同じような動きをしろと言われても針生ではとてもじゃないが同じ動きはできない。いや、針生だけでなくほとんどの人が同じ動きができないだろう。

 では女性がどうしてヴァルハラと渡り合う事ができているかと言うと、女性もヴァルハラと同じ使徒アパスルだと考えるのが一番しっくりくる。

 二人は庭の中央で鍔迫り合いを続けていたが、お互いが同時に後ろに飛び退いて距離を取る。

 相手の女性は日本刀のような武器で距離を取った所からは攻撃できない。対してヴァルハラは拳銃なので距離が離れていた方がその力を発揮できるだろう。だが、それは針生が今いる世界の常識に合わせての考えであって、他の世界から来た者にその常識は通用しなかった。

 距離を取った二人はお互い右手に力を籠めるとその手からソフトボールぐらいの大きさの光の弾を放出した。両者の中央でぶつかり合った光は周囲を白一色に変えると急速に色をなくし、庭は元の通りの黒一色の世界に戻った。

 しかし、ぶつかり合った光の弾はただ消えただけではなかった。ぶつかり合った事で分裂した光の弾の一部が針生に向かって飛んできたのだ。


「うわぁ! 危ない!!」


 針生は咄嗟に手を前に差し出すと魔力障壁を展開する。透明な魔力障壁では光の弾を防ぐには心許なかったが、魔力障壁は力強く光の弾を弾き、無事に針生を守る事に成功した。


「凄い。ヴァルハラの魔弾を防いだんだから大丈夫と分かっていてもやっぱり不安だったのよね」


 自分で展開した魔力障壁の性能に針生は安堵する。ヴァルハラに一度試してもらっていたが、やはり咄嗟に使用して魔法を防げるのを確認すると違った安心感が生まれてくる。

 実際に使える事が分かると、今度は魔力障壁の性能が気になる。現在はちょうど上半身が隠れるぐらいの大きさだが、どこまで大きくできるか、何個も同時に展開できるのか、色々試したい事も出てくるが、今はそれを試している時間はない。

 光の弾を放ち終えた二人が再び距離を詰めようとしている。このまま放っておいていたら何時まで経っても戦いは終わらないだろう。それに相手の女性もそうだが、ヴァルハラも本気で戦っているようには見えない。体に感じる空気と言うか雰囲気が優しいままなのだ。


「パーン!」


 針生が手を叩いて乾いた音を立てると距離を詰めようとしていた二人が同時に針生の方に向いた。声を出して止めるより音を出して止めた方が確実だと思った針生の考えは正解だった。


「そこまでよ。私たちは襲いに来たんじゃないわ」


 針生がヴァルハラの方に歩いて行くと、そこには一人の男性が立っていた。戦いに目を奪われて気が付かなかったが、どうやら家の中から出て来ていたようだ。

 だが、その男性の顔を見て、針生は心臓が止まりそうになった。呼吸は間違いなく止まってしまった。


 ――なんで? どうしてここに?


 針生の頭の中はそんな疑問で一杯になった。


「どうしてここに釆原君が居るの?」


 やっと呼吸をする事を思い出した針生が何とか声を絞り出す。いきなりの釆原の登場にそう言うだけで精一杯だった。


「どうしてってここは僕の家なんだけど。それよりも針生の方こそどうしてここに居るの?」


 ヴァルハラが見つめていた家はどうやら釆原の家だったようだ。偶然とは恐ろしいものだと思いながらも針生は釆原の家に興味が湧いてくる。気になる男性の家。入らないと言う考えはない。

 ここまで一時間ほど歩いてきたので、体も冷えてしまっており、休憩をするには持ってこいだ。針生は日本刀を持って釆原の後ろに控えている女性を気にする事なく、家に向かって歩き始めた。


「ここが紡の家ならちょうど良いわ。家の中で話をしましょ。外を歩いていたら体が冷えちゃったわ」


 釆原が針生を止めようとしていたようだが、針生は無視をして家の中に入って行った。針生が家の中に入ると居間にはこたつが鎮座していた。こたつに足を入れるとこたつの温かさが、つま先から全身に伝わってくる。

 飲み物を準備してくれようとした釆原に針生は紅茶を要求する。どうせ淹れてくれるなら自分の飲みたい物の方が美味しく感じるからだ。

 紅茶が来るまで針生は部屋の中を見回す。広くもなく、狭くもない、ちょうど良い大きさの部屋には真ん中にこたつがあり、部屋の奥にはテレビが置かれていた。ごく一般的な家の部屋と言う感じだが、それが気になる男性の家となると、どこか特別な所に来たような感じがする。

 釆原が淹れて来てくれた紅茶に口を付ける。それほど良い紅茶ではないが、体が冷えていた事もあり、飲んでいる場所も普段と違うのでいつもより美味しく思えた。

 針生の前に釆原と先ほどヴァルハラと戦っていた女性が座っている。釆原は学校で話をしている時と変わりない感じだが、女性の方は明らかに警戒しており、針生から目を離そうとはしない。


「紡も憑代ハウンターになったなんて驚いたわ。そっちの子が使徒アパスル?」


 話のとっかかりとして一応確認して置く。隣に座っている女性は半着に袴と言った江戸から明治に居た武士のような恰好をしていた。化粧をしているようには見えないので、すっぴんだろうが肌のきめの細かさや髪の美しさは女性として羨ましいと思えるほどだった。


「あぁ、アルテアって言うんだ。僕も今話を聞いていた所だ」


「へぇー。アルテアって言うんだ。見た目は私と同じぐらいに見えるけど、幾つなの?」


「私は今年で十七になります」


 こんな綺麗な女性が同い年だなんて針生はちょっとしたショックを受ける。これほど綺麗なら、どこかの事務所に所属してモデルをやっていてもおかしくない。背筋をピンと伸ばして座っている姿勢は容姿に負けず劣らず綺麗で猫背の釆原と比べると際立って見えた。


「そうなんだ。アルテアは私と同い年なのね。私は針生 綾那って言うの。仲良くしましょ」


 手を差し出すがすぐに握ってくる事はなかった。アルテアは釆原に確認を取ってから握手をしてきたのだ。それほど釆原の事を信用していると言う事だろう。その信頼関係に針生は少し嫉妬した。

 気持ちを切り替え、針生がヴァルハラから聞いた話の内容が本当なのか確認するためにアルテアからも話を聞いておく。アルテアからも同じような内容が語られるのならヴァルハラの言った事を信用して問題ないだろう。

 だが、強制命令権インペリウムの話をした所でいきなり躓いた。どうやら釆原はすでに強制命令権インペリウムを一度使ってしまったらしい。三回しか使えない強制命令権インペリウムを一体何に使ったのか気になった針生は釆原を問い詰める。


「何に使ったのよ! 強制命令権インペリウム使徒アパスルたちの能力を上げる事にも使えるのよ!」


 もしかしたらもう敵に襲われていてそれで使用したかもしれないとは後から思った事だ。

 釆原が驚いたような顔をしている。どうやら能力を上げる事に使える事を知らなかったようだ。能力を上げる以外で強制命令権インペリウムを使うなんてアルテアは見た目に反して扱いずらい人物なのかもしれない。


「パンツを――。パンツを見せてもらいました……」


 開いた口が塞がらないと言うのを始めて体験したかもしれない。言葉の上では良く言う言葉だが実際に自分が体験してみて針生はこういう事かと妙に納得する。

 しかし、アルテアの人格を疑ってしまった自分が恥ずかしい。よりによってアルテアのパンツを見るだけに強制命令権インペリウムを使うなんて思ってもみなかったのだ。

 余りの馬鹿馬鹿しさに声を上げてしまいそうになるが、我慢してゆっくり落ち着いて釆原に語り掛ける。


「紡も男の子だものね。仕方がないわよね。──ってなる訳ないでしょ! 私のパンツを見ておいてまだ足りないの! 馬鹿じゃない!?」


 が、我慢できなかった。言葉を紡いでいる内に感情が高ぶってしまったのだ。

 釆原も思春期の男性なので、そう言う物に興味が出てくるのは仕方がないが、三回しか使えない強制命令権インペリウムをそんな事に使うなんて、どれほど欲求不満なのだろう。

 こんな事ならもう少しちゃんと……と考えた所で針生は頭を振った。そんなはしたない事はとてもできない。考えただけで針生は恥ずかしくなってしまった。

 釆原の馬鹿な行動は後々何とか矯正する事にして話を続ける。アルテアから聞いた話ではヴァルハラの言っていた内容とほとんど変わりがなかった。と言う事はヴァルハラの言っていた事は本当の事だったと判断して良いようだ。

 アルテアの話が終わると『ギフト』の話をアルテアにしてみるが、アルテアも『ギフト』の事を知らないようだった。アルテアもヴァルハラも知らない能力。これは一体どういうことなのだろう。

 説明するより実際に見せた方が早いと考えた針生は手を前に出した所でアルテアが急に立ち上がった。


「いきなり何をしようとしているのですか! 戦うと言うなら表でやりましょう!」


 アルテアは意外と好戦的な性格をしているようだと針生は思った。だが、相手は使徒アパスルだ。普通に戦って勝てる要素などどこにもない。慌てて針生が手を振って戦う意思がないのをアピールすると倒れていた釆原がアルテアをなだめてくれた。

 渋々ながらも座り直したアルテアを見て針生は危険はなくなったと思い、再び手を前に出すと魔力障壁を展開した。


「これは凄い! 綾那は魔法が使えたのですか?」


 アルテアが驚いている様子を見ると、やはり『ギフト』の事は本当に知らなかったようだ。針生が『ギフト』について色々考えていると、釆原が手をこちらに伸ばしてきた。その手は魔力障壁を素通りすると針生と手を合わせるような形になってしまった。


「ちょ、ちょっと! なんで急に私の手に触れてくるのよ!」


 心の準備もしてない所で手を触れられてしまった事に針生は慌てて手を引っ込めた。触れた手を確認する針生は耳が真っ赤になっているのだが、針生自身は気付いていなかった。

 気になる男性に急に手を触られたらこんな反応にもなる。だが、今はまだ釆原には自分の思いを知られたくない針生は恥ずかしさを隠す意味でもアルテアに話を持って行った。


「い、今のが私がもらった『ギフト』よ。さっきのアルテアとヴァルハラとの戦いでも弾け飛んだ魔法を防いでいたわ」


「あ、あれは意図的ではなく、魔法を放ったらヴァルハラも魔法を撃って来てそれで、それで、綾那の方に飛んで行っただけです」


 上手いことアルテアが乗ってくれた。これでさっきのは誤魔化せると針生は安心した。


 どうやら釆原は『ギフト』を貰っていないらしい。となると『ギフト』を貰ったのは自分だけなのだろうか。それとも釆原だけが貰ってないのか現時点では判断が付かない。

 釆原が貰っていれば同じ能力なのかも確認しようとした針生だったが、梯子を外されてしまった。

 ある程度確認ができた事で針生は帰る事にする。時計は十時の少し前だから結構話し込んでしまったようだ。だが、その前に一番の目標である事をしておかなければならない。


「それじゃあそろそろ時間も遅いから私は帰ろうと思うけど、最後に――同盟を結びましょ」


 針生の差し出した手を釆原は握ってくれた。手を握る前にアルテアに一度確認する辺り良いコンビなのだと思ったが、針生の心に一瞬、痛みが走った。

 そんな事は微塵も表に出す事なく、この探索で一番の目的であった仲間を得る事ができた針生は満足して帰る事にする。


「私はこれで失礼するわ。まだ二人で話したい事もあるでしょうし、私もヴァルハラにもう少し確認したい事があるしね」


 こたつから立ち上がった針生の後ろにはいつの間にかヴァルハラが立っていた。上で漏れてくる声でも聴いていたのだろうかと思う針生だったが、あまり深くは考えず、ヴァルハラはこういう奴だと思う事にした。


「じゃあ、おやすみなさい。また明日ね」


 冬の夜は少し家にいただけでその寒さを増しており、冷たい空気が針生の頬を叩く。家との温度差もあり、普段よりも頬が痛い気がする。

 釆原が帰り際にくれたホッカイロを頬に当て、少しでも寒さを和らげようとする針生はヴァルハラが二階で何をしていたのか気になった。


「ヴァルハラは上で何をしていたの?」


「何もしてないさ。君たちが下で話している間に敵が来ないか見張っていただけだ。それよりも同盟の話はどうなったんだ?」


 何の面白みもない答えを返すヴァルハラだが、自分の事を見守っていてくれたと分かった針生はその行動が嬉しく思えた。


「もちろんバッチリよ! 紡がすでに契約していたのは驚いたけど、上手く行ったわ」


 針生はヴァルハラにサムズアップする。契約だけでなく、パンツを見るために強制命令権インペリウムを使った事には驚いたが、本人の名誉のためここは伏せておいた。


「さあ、帰りましょ。そう言えばヴァルハラは嫌いな食べ物とかあるの?」


 急に変わった話題にヴァルハラは少し戸惑いの表情を浮かべる──ように見えるが仮面のため良く分からない。暫く黙っていたヴァルハラは苦手な食べ物を口にする。


「私はピーマンが嫌いだ。あの苦みがどうしても受け付けない」


「なにそれ。子供みたい。それじゃあ今日はチンジャオロースね。全部食べるまで開放しないから覚悟しなさい」


 小学校の先生みたいな事を言う針生は、ケラケラと笑いながら夜の道を歩いていき、闇の中に消えて行った。


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