出会いの二日目-2


 僕はなるべく午後の授業が始まるギリギリに教室に戻った。針生が教室に来た事で質問攻めにあうのが分かっていたからだ。

 案の定、教室に戻ると僕を見つけた蛯谷が飛んでくる。それに続いて他のクラスメートまで集まりだして質問攻めにあってしまった。僕の席にこれだけの人が集まるのは入学以来初めてだ。


「釆原! 説明しろよ! 針生さんといつの間に仲良くなったんだよ!」


 凄い剣幕で僕の席まで来た蛯谷だが説明する事なんて何もない。僕だって知らない間にお弁当を食べる約束をさせられていただけだから。


「あの針生さんだぞ。俺を振った針生さんなんだぞ」


 なんだその枕詞は。蛯谷が針生にフラれたのは知っているが、それと今回の事がどう繋がっているのか僕には分からない。


「ねぇ、ねぇ、釆原君。私たちにも針生さん紹介してくれない?」


 もう一年近く同じクラスなのだが、今まで話した事がない女性から針生を紹介してと言われてしまった。女性同士なんだから紹介とかじゃなく普通に話しかければ良いと思うのだが、針生は女性にとっても話しずらい存在なのだろうか。

 本当に仲が良いのなら紹介する事もやぶさかでないのだが、ただお弁当を一緒に食べているだけだからな。それを仲が良いと言って良いのかどうか。


「一緒に昼食を取るなんて仲が良いに決まってるだろ。針生は本当に仲が良い人しか昼食を取らないんだからお前が一緒に昼食を取ってるって事は仲が良いってことなんだよ」


 その言葉をそのまま受け取ると針生もやっぱりぼっちなんじゃないかと思える。本人は否定していたがこれはかなり可能性が高くなった。


「クソッ! 俺がお間の立場だったら軽妙なトークで針生さんを飽きさせたりしないのに」


 なんだか僕と一緒に針生が居ると、針生がつまらないと思ってるみたいだが、以外と楽しそうだぞ。今日なんてお弁当の写真を一杯取ってたし。


「それで? 釆原君。針生さんは紹介してくれるの?」


 紹介するぐらいなら別に問題ないだろう。その後どうなるかは本人たちの問題で僕には関係ない事だし。

 女性陣に針生に言っておくと約束すると飛び跳ねて喜び、自分の席に戻って行った。針生一人にそんな大げさなと思う僕はおかしいのだろうか。

 午後の授業が始まるチャイムが鳴った所で蛯谷始めまだ僕の席の周りに残っていた生徒が蜘蛛の子を知らすように自分の席に戻って行った。ふぅ、やっと解放された。


 今日の授業がすべて終わると僕は逃げるように教室を後にした。これ以上質問攻めにあうのは御免だったし、先生からの呼び出しがあったからだ。

 職員室に入り、担任の沖之島おきのしま先生の所に行くと待っていたのは授業をさぼった罰として図書室の整理を行う事だった。不可抗力でサボってしまっただけなのでと抵抗してみたがどう言い訳をしても無駄だった。

 抵抗虚しく図書室の鍵を先生から受け取ると、重い足取りで図書室に向かって行く。何で僕だけが……と思わずにはいられないが。

 図書室の前には一人の女性が開くのを待っていた。確かあの女性はクラスメートの五十木いかるぎだ。大人しい印象の女性でクラスメートになってほぼ一年が終わろうとしているが、他の大勢の女子生徒と同様に一度も話した事は無かった。

 五十木は知らないかもしれないが、今日は図書室が開く事は無い。図書委員が風邪をひいて休んでいるからだ。そのせいで僕が図書室の整理を行う事になったので、五十木には残念ながら帰ってもらうしかない。


「今日は図書室は開かないよ。風邪で図書委員が休みなんだってさ」


 いきなり僕に話しかけられた事に五十木は驚いて飛び退き、図書室と僕の顔を交互に見る。暫くすると状況を理解したのかそのまま俯いてしまった。よほど違う本が読みたかったのだろうか。

 俯いたまま五十木は両手で本を持って、それを僕の前に差し出してきた。何か卒業式で卒業証書を貰う時みたいな体勢になっている。どうやら僕に本を返しておいて欲しいみたいだ。

 僕が本を掴んだ瞬間、五十木は廊下を走って行ってしまった。そんなに僕が怖いのだろうか。ちょっとショックだ。僕は暫く頭を掻きながら五十木が行ってしまった方を眺めていたが、こうしていても本の整理が終わる訳ではないので、鍵を開けて図書室に入り、本の整理を始める事にする。


 図書室に入ると、机には先生が言った通り本が山積みになっていた。僕は五十木から受け取った本を返却机に置くと、山積みになった本を片付け始める。

 本には種類ごとに分別されたシールが貼ってあり、同じ種類が貼ってある場所に戻していけばいいのだが、これがなかなか時間のかかる作業だった。そもそも僕は何処に同じシールが貼ってあるか知らないからだ。

 地道に一冊ずつ本棚に戻していき、最後の一冊を戻し終えた時には、窓の外は真っ暗になってしまっていた。スマホを取り出して時間を確認すると七時を過ぎており、下校時間などとっくに過ぎていた。

 一人でやる量じゃないって。そりゃこんな時間にもなるよ。誰も居ない廊下を愚痴りながら図書室の鍵を返しに職員室に行くと、職員室も鍵がしまっており、先生も全員が帰宅した後のようだ。

 嘘だろ? 生徒がまだ残てるんだぞ。せめて『帰る』の一言ぐらい言ってくれよ。やりきれない思いが思わず口から洩れる。

 生徒より先生が全員帰ってしまった事に納得いかないが、現実として先生はもう居ない。明日文句を言う事にして、図書室の鍵をポケットに入れると、僕も帰るために自転車置き場に向かった。

 暗くて分からなかったのだが、外に出ると雪がまだ降っていて、このまま降り続いたら積もり始めてしまうので早く帰らなければ途中で帰れなくなるかもしれない。

 自転車置き場に着いた僕は自転車のライトを付けると、深い闇となった山道に向かって自転車を漕ぎ始める。

 昨日の夜に腕が剣になっている女性に襲われた事が思い出される。昨日も暗い時間だったのでいつも以上に辺りを警戒してしまう。だが、それが失敗だった。

 カーブに差し掛かった所で段差舗装されている道路にハンドルを取られてしまったのだ。普通に走っていればこんな所でハンドルを取られる事はないのだが、警戒していた事が裏目に出てしまった。

 道路が雪で濡れていた事もあり、自転車はバランスを崩してしまった。何とか転倒は免れたのだが、ポケットに入れていた図書室の鍵が落ちてしまい、落ちた場所まで戻る羽目になってしまった。


 あんな所でハンドルを取られるなんて注意して運転しなきゃと思いながら鍵を落としてしまった所まで自転車を押して戻ると、そこには一人の女性が立っていた。さっき通った時には居なかったはずだ。もしかしたらこの女性も右腕が剣に変わっているのかと思い、注意深く見るがそんな事はなかった。

 街灯の下に立っている女性は、昨日僕たちが着たような剣道着の袴姿ではなく、明治時代とかに着ていただろう普段着としての袴姿だった。ピンクを基調とした袴姿は、この時期に見ると少し寂しげに見える。

 女性の髪は腰まである長いストレートで、頭の後ろで束ねた姿は服装とも相まって僕に武士を連想させた。

 女性は僕が落としてしまった鍵の前で立ち止まっており、視線を鍵に落としている。気付いているなら拾ってくれても良いのにと思いつつ、ガードレールに自転車を立てかけ、女性の前まで歩を進めた。

 頼りない街灯の灯りがぼんやりと女性を照らす。振っている雪が女性の体を通り抜けているように見えるのは光の加減のせいだろうか。


「この鍵は僕が落としたものだと思うのですが拾って良いですか?」


 女性からの応答はない。もしかして幽霊じゃないだろうかと思うほどの存在感の女性だが、その割にははっきりと姿は見えている。


「これ……。貴方のじゃないですよね?」


「えぇ、違うわ。その鍵は貴方が落とした物よ」


 やっと女性から返答があった。水琴窟のように澄んだ声は僕の心に染み入り、何時までも耳から消える事はない。雪は止む気配はなく物音一つせず降り続く。道路に降り注いだ雪はすぐにはその形を崩さず暫くしてからゆっくりと姿を消していく。

 女性は僕が鍵を拾ったのを見届けると、ガードレールの所まで行き、眼下に広がる街並みを眺めた。山の中腹から見る街並みは少し霞んでおり、家から漏れる光は淡く温かな世界を作り出している。


「あの……。こんな所で何をしているんですか?」


 別に話しかけずにそのまま帰ってしまえば良かったのだろうが、どうしても女性の事が気になって声を掛けてしまった。これが僕の人生を大きく変える事も知らず。


「何もしていないわ。人を探しているだけだから」


 人を探しているなら何もしてない訳ないと思うのだが、女性は僕の方を見向きもせず、街並みを寂しそうに眺めている。雪が降っている寒空の下、こんな所に女性を一人にしておく訳にはいかない。

 こんな場所にいるんだ、もしかしたら探している人と言うのは高校の生徒なのかもしれない。それなら僕が手伝ってあげることで早く見つかるのではないか。そう思った僕は手伝いを申し出る。


「僕も一緒に探しますよ。探している人ってどんな人なんですか? 学校の関係者すか?」


「……分からないわ」


 分からないってどういう事だ? 人を探しているのにどんな人か分からないなんて、それじゃあこの女性はどうやって目的の人物を見つけるつもりなのだろう。

 その時、急に強い横風が山を撫でるように通り抜けた。一瞬にして体温を奪われた僕は寒さで耳が痛くなっているが、女性の方は風など感じないか微動だにしない。女性は袴姿で、上半身は半着を着ているのだが、その上に何か羽織っている訳でもないので、絶対に風が吹いたら寒いはずなのに。

 女性は大丈夫なのかもしれないが見ている僕が寒くなってしまうので、僕は自分の着ているダウンジャケットを脱ぐと女性の肩にそっと掛けた。掛けたはずだった──。しかし、ダウンジャケットは女性の体をすり抜けて引っかかる事もなく地面に落ちてしまった。


「えっ!?」


 素っ頓狂な声を上げてしまった。ダウンジャケットが女性の体を通過した? いや、そんな事はあるはずがない。僕の掛け方が悪くて落ちてしまっただけだ。そうだ、そうに違いない。

 僕は恐る恐るダウンジャケットを拾い上げると、もう一度、今度は確実に女性の体に覆いかぶさるようにダウンジャケットを掛ける。だが、ダウンジャケットは女性の体に留まる事なく女性の体をすり抜けて下に落ちてしまった。

 冷たい風が吹き、下に落ちたダウンジャケットを動かすが、ダウンジャケットはやはり女性の体を通り抜けている。見間違いじゃなかったんだ。どこかで見間違いであってほしいと思っていた僕の願いは無残にも打ち砕かれた。

 だとするとこの女性は一体何なんだ? 幽霊? にしては会話も成立していたし、ハッキリと見え過ぎだ。枯れたススキの穂か? いや、姿は間違いなく人間そのものだ。

 怖いもの見たさと言うのであろうか、興味本位と言うのだろうか、あまりにも浅はかな考えだが、僕はその女性に触れてみたくなった。怖じけづきながらも伸ばす僕の指は震えを伴いながら女性に向かって行く。

 昨日も思ったが、偶然とは恐ろしいものだ。それまで街を眺めて動かなかった女性の髪が揺れた。風に吹かれた訳ではない。女性が体ごと僕の方を向いたのだ。

 急に振り向いた事で僕は伸ばした手を引っ込める事どころか逆に伸ばしてしまい、女性の胸に手が──当たってない……。当たるどころか女性に胸に僕の手がめり込んでしまった。


「うわっ!!」


 めり込んだ手には何の感触もなかった。女性の体の中に確実に入っているのにだ。流石に怖くなった僕は慌てて手を引っ込めるが、その際に指を動かしたせいで何かに触った気がした。

 だが、そんな事は関係ない力の限り手を引っ込めたため、僕は後ろに引っ張られるような感じで道路に倒れ込んでしまった。無事に手を引き抜く事ができて安心した僕だったが、急に激しい頭痛に襲われ、何も考えられなくなってしまう。

 ズキン、ズキンと音が聞こえて来る程の痛みは、頭を押さえた所で治まる事は無く、締め付けられるような痛みは徐々に強くなっていっている感じがした。

 激しい痛みの中、僕は何とか目を開けて女性の方を見ると、真っ青な月が彼女の後ろに鎮座していた。いつの間にか雪は止み、風によって雲が移動してしまったようだ。

 月を背景に立つ女性の姿は幻想的で、絵画の一部が現実の世界に再現されたと思えるほどだった。その姿に見蕩れている僕は頭痛の事などすっかり忘れてしまっていた。


「やっと見つけた。私の憑代ハウンター。貴方だったんですね」


 先ほどまで触る事ができなかった女性がアスファルトに倒れている僕に抱き着いて来ている。そこには確かに肉感がある。それに憑代ハウンターとは……。僕の頭は何が起こっているのか理解できずパンクする寸前だ。

 多くの事をいっぺんに処理できるほど僕の頭は性能が良くない。一つずつ処理をしていこう。女性が体を離して立ち上がった所で、僕も同じように立ち上がる。まずは女性に触る事ができるかだ。さっき、僕の伸ばした手は女性の体に入り込んでしまったのだが、今、女性は僕に抱き着く事ができた。僕からは触れないが、女性からは触れると言う事だろうか?

 ゆっくりと女性に向かって手を伸ばすが女性が避けるような行動はせず、何をするのかと言った感じの表情で手を見つめている。手が女性の体に触れる。今度は女性の体をすり抜ける事は無く、女性に触る事ができた。その肉感は柔らかく弾力のある物で、ちょうど僕の手のひらに収まるぐらいの大きさだった。

 そう、僕は思わず女性の胸を揉んでいたのだ。ハッっと意識を取り戻し、女性の胸から手を離すが、女性の方は特に反応を示さなかった。普通の女性なら僕にビンタの一つでもしても良い所だが、目の前の女性は声すら上げる事は無かった。


「ごめんなさい! 触れるかどうか確認しただけで、悪気なんてなかったんです!」


 慌てて釈明を行うが、やはり女性は気にした様子はない。僕としては何か言って貰った方が逆に安心するのだが、反応がないと言うのは少し不気味だった。


「気にしていません。私に触れるかどうか確認しようとしたのでしょ? 悪気のない行いに怒る事などしません」


 確かに僕に悪気はなかったが、女性の反応としたら怒らないと言うのはどういう事なんだろう。会ったばかりで興味を持てと言うのも酷な話だが、もう少し反応が有って欲しい。

 僕は手に残る女性の胸を触った感触を何となく寂しく感じてしまった。僕にもっと男としての魅力があれば女性はこんな反応にならなかったんじゃないか。そんな些細な事に頭を悩ましていると、再び強い横風が吹いた。

 女性の長く黒い髪が風になびいた姿は僕を現実から引き離すには十分な美しさだった。女性は僕の触られたせいで少しずれてしまった半着の胸元を直すと、自分の身体を両腕で抱きしめるようにして寒さに耐えている。雪は止んだのだが、気温が上がっている訳ではないので、寒さは厳しいままだ。

 寒そうにしている様子を見た僕はダウンジャケットを拾い上げると、女性の肩にダウンジャケットを掛けた。今度は無事にダウンジャケットは女性の体を包み込んだ。


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