出会いの二日目-3


 ダウンジャケットを肩にかけた女性は、そのダウンジャケットに包まるように暖を取った。


「ありがとう。不思議なぐらい暖かい……」


 女性はダウンジャケットの暖かさに感動をしているが、逆にダウンジャケットを手放した僕は少し落ち着いた事で寒さが身に染みてくるようになった。


「少し話をしたいんだけど……、家に来る?」


 女性をいきなり家に誘うなんて怪しまれても仕方がないのだが、この寒さから早く開放されたい僕は喫茶店に行くとかの違った案は思い浮かんでこなかった。


「──行きましょう。私も話したい事がありますから」


 意を決した表情で同意した女性に僕は頷くと、ガードレールに立て掛けて置いた自転車を押して山道を下り始める。


「どうしてその乗り物に乗らないのですか?」


 自転車に乗らず押して下って行く僕に女性は不思議そうな顔をしていた。それは勿論、ロードバイクの自転車では二人乗りはできないし、そもそも自転車で二人乗りは駄目だ。

 二人乗りができないとなると僕が自転車を押して歩かないと女性が付いて来れないと言う配慮だったのだが、女性にはその理由が分からないようだった。


「自転車に乗っちゃったら付いて来れないでしょ? だから押して家まで行こうとしたんだけど?」


「気にしなくて大丈夫です。付いて行きますから乗ってください」


 自転車──それも下り坂で付いて来られる訳がない。だが、女性の真剣な表情を見ると本当に付いてくるんじゃないかと思えてしまうから不思議だ。

 それに昨日の夜の事もある。必死で自転車を漕いで逃げた僕を右腕が剣になった女性はいとも簡単に追いついてきたのだ。頭を振るって昨日の事を忘れようとする。昨日の事を思い出すと今でも震えが始まりそうだったからだ。

 少し漕いで自転車に付いて来られるかどうか確認すればいい事だ。少なくとも今、目の前にいる女性は自転車に追いついてきたとして襲ってくる事はないだろう。

 僕は自転車に跨り、山道を下り始めた。下り坂でスピードに乗った自転車は少し漕いだだけでもかなりのスピードが出ており、走って追いつく事など普通の人間では不可能な速さになっていた。

 あまり女性を引き離してはいけないので、ある程度下った所でブレーキをかけて自転車を止めると、後ろを振り返って女性の姿を確認する。やはりと言うか当然と言うか後ろには女性の姿はなかった。


「どうしたのですか? 行かないのですか?」


 元の場所に戻って女性を迎えに行こうとした所で突然真横から声が聞こえてきた。予想外の所からの声で驚いて自転車ごと倒れてしまうと、そこには平然とした顔の女性が立っていた。


「えっ!? なんで!? かなりのスピードだったから引き離したんじゃ……」


 女性の顔と元居た場所を何度も交互に見る僕は女性がここいるのがどうしても信じられなかった。信じたくないと言った方が正しいのかもしれない。

 僕の額から一筋の汗が流れる。こんなにも寒い夜空の下で。冷や汗をかくと言うのはたまに使ったりする表現だが、実際に汗が出たのは生まれて初めてだ。


「あの……。今のスピードを走って付いてきたんですか?」


 目の前に女性が居る事で間違いはないのだが、一応確認のために聞いてみる。


「そうですが、何か?」


 何を当然な事を質問しているんだと言う感じで、小首を傾げる女性を見て僕は大きく息を吐く。もう考えても仕方がないと思い立ち上がって自転車を引き起こす。


「いや、何でもない。それじゃあ行くよ」


 女性が普通に付いて来られる事を確認した僕は再び自転車を漕ぎ始める。雪の止んだ山道を下る僕は時折後ろを振り返ると、確かに走って付いてくる女性の姿があった。

 風にたなびく女性の髪が、左右に揺れている。どうやら女性はまだ余裕があるようで、顔を左右に動かして景色を確認しているようだ。とんでもない身体能力だが、もう、こういう事ができる女性だと割り切って自転車を漕ぐ足に力を入れる。

 山を下り終わった僕はそのまま家に向かって自転車を走らせる。時折ヘッドライトを付けた自動車とすれ違うのだが、運転手には僕たちはどう見えているのだろう。

 意外と自転車のライトをつけているため、僕の方に注意が行ってしまって女性の方には注意が向かないのかもしれない。


 薄っすらと積もり始めていた雪の上を走り抜き、程なくして無事に家に着いた僕は自転車置き場に自転車を止める。一緒に付いて来ていた女性は息一つ切れる事なく平然とした顔で立っている姿を見るとワープしてきたんじゃないかと思える。

 全く持ってどういう身体能力をしているのか分からない。僕ならここまで走ってくるだけで息も絶え絶えと言う感じになってしまうのに。それを言うとまず自転車に付いて来られるスピードがおかしいのだが。

 ダウンジャケットを女性に貸して寒空の中、自転車を漕いできた僕は女性を案内しつつ、足早に鍵を開けて家の中に入ると急いで石油ファンヒーターのスイッチを入れる。これ以上、寒さに我慢をするのは限界だ。

 温風が出てくるまでの時間が長い。点火まで約一分ぐらいなので普段はそれほど気にする時間ではないのだが、今の状況ではこの一分が一時間にも感じられる。

 燃焼音が鳴るとやっと温風が出て来て、僕の体を温め始める。冷え切った僕の体が暖かくなり始めるがスース―した感覚が残っている。どこからか風が入っているのかと思い、そちらの方に目を向けると女性が部屋の入り口で立ち止まっている。

 そこに居られると部屋が温まらないので、女性を部屋に入れると、こたつのある場所に座ってもらった。これでやっと部屋が暖かくなる。暖かくなる間、僕はやかんでお湯を沸かしてコーヒーを淹れると二人分を持ってこたつの上に置く。


「寒いから飲んでください」


 ファンヒーターを点けてもすぐに部屋が暖かくなるわけではないので、熱いコーヒーは体の中から温めるのにはちょうど良い。僕は持ってきたコーヒーに口を付けると、女性も同じようにコーヒーに口を付けた。


「美味しいわ。こんな美味しい飲み物は初めて」


 インスタントなので、そこまで驚くほどの美味しさではないと思うのだが、寒い中を帰って来たと言うスパイスがコーヒーを美味しくしているのだろう。

 コーヒーを半分ぐらい飲んだ所で女性に話を聞こうと思ったのだが、何から話して良いか分からない。お互い初めてと言う事でやはりここは自己紹介から始めるのが良いだろう。


「僕は釆原。釆原 紡。君の名前は?」


「私はアルテア。アルテア・マベルリーニです。ツムグと契約をした事で肉体を得る事ができました」


 凄い。簡単に自己紹介をしただけなのに、すでに分からない事が一杯だ。契約? 肉体? 一体アルテアは何を言っているのだろう。

 落ち着け。落ち着くんだ。一つずつ、一つずつ処理していくぞ。まずは何だ? そうだ、契約だ。僕は何時アルテアと契約をしたんだ? 書類に判子を押したわけでもないのに。


「覚えていませんか? ツムグが私の心臓に傷を付けたのです。それで契約が成立しました」


 自分の手を胸に当ててアルテアが心臓に傷をづけたと言ってくる。何かそんな言い方をされると、僕が乱暴して女性を傷物にしたみたいだが、決してそんな事はしていない。

 僕がやった事と言えばアルテアにダウンジャケットを掛けてあげた事と、そうだ! 伸ばした手がアルテアの体にめり込んで……。その後、手を引こうとした時に何かに触った感覚があったが、もしかしたらあれがアルテアの心臓だったのかもしれない。

 人間の心臓なんて触った事がないからあれが本当に心臓なのかどうか分からないけど、それ以外、何かをした記憶がない。でも、そんな事をしてしまえば普通の人間なら死んでるよな。と言うか手が体の中に入った段階で死んでるか。


「あの時の私は幽体だったので、手が体を通り抜けるのは仕方がない事だったのです。ただ、憑代ハウンター以外が同じ事をしても私の心臓に触る事はできません」


 その話が本当だとしたら、アルテアが鍵を拾ってくれなかったのは幽体だったから鍵が拾えなかったって事なのか。それにしてもさっきから言っている憑代ハウンターと言うのは何なんだ?


憑代ハウンターとは私をこちらの世界に呼び寄せる呼び水となる物で、こちらの世界に来てからは契約をする事で肉体の転移と魔力の供給をしてくれる者の事を言います」


 落ち着け、落ち着くんだ僕。えーっと、コーヒーを飲んで落ち着こう。分からない事ばかりで頭が爆発しそうになる僕は何とか落ち着こうとする。


 えーっと何だ。そう、「こちらの世界」と言う言葉だ。これは何を意味しているのだろう。もしかして異世界から来たとかいうつもりじゃないだろうな。


「ツムグから見れば異世界になるのでしょう。どこに転移するか私にも分からなかったのですが、明らかに私の居た世界と風景や雰囲気が違います。ですので、異世界と言う言葉が一番しっくりくると思います」


 マジですか。にわかには信じられない話だが、アルテアは嘘を言っているような感じではない。アルテアは異世界から来たと言うのか。

 だが、そんな事が信じられるか? 偶然知り合った女性が実は異世界から来たのですと言われて信じるほど僕は人間ができていない。せめて何か証明になるような物はないのだろうか。


「証明ですか。私は嘘は言って無いのですが、何をすれば証明になるのでしょう?」


 そう言われると僕の方が困ってしまう。異世界がどんなところか知らないので何かされた所で「これができるから異世界から来ました」と言われても僕には判断が付かない。

 なら異世界がどういう所か知るところから始めた方が良いのではないか? ここは日本と言う国だがアルテアはどいう名前の国から来たのだろう?


「私はエウルカ国の出身です。エウルカ国は九つの種族で構成された国で、私は人間族の出身になります」


 失敗した。一つ質問をすると二個、三個と疑問が増えてしまう。アルテアが日本人ではないのは分かった。見た目は凄く日本人風なのだが日本出身ではないのだから日本人ではない。

 良し! 話を戻そう。次は……そう、契約。契約だ。僕は契約をした覚えがないのだが、それはどういうことなんだ?


「契約は私の心臓に傷を付ける事で成立しました。私は今、王を決める戦いをしています。そのためにはこちらの世界に住む人間と契約をして肉体をこちらに持って来る必要があったのです」


 えっと……。僕がアルテアの心臓を傷つけた事で契約が成立してしまったと。何の説明もないし契約だなんて悪徳商法も真っ青だ。クーリングオフはできないのだろうか。


「クーリングオフ? それはどういう物でしょうか? 転移した時にこちらの世界の情報もある程度得ていますが、その言葉は分からないです」


 そう言えばエウルカ国と言う国の出身だと言うアルテアと普通に会話を出来ている。エウルカ国が日本語と同じ体系の言葉だったとしても、ここまで会話が成立するのはおかしい。

 だとすると、さっきの「こちらの世界の情報もある程度得ている」と言うのは、それと一緒に会話も通じるようになったと言う事なのだろうか。

 まあ、クーリングオフなんて最初からできると思ってないから良いけど、その契約とやらは僕に何を強いる物なのだろう。


「特に何かを強いると言う契約ではありません。私は憑代ハウンターから魔力の供給を受けますが、普段と同じような生活をしてもらっても大丈夫です」


 僕に魔力があるなんて思えないが、今の所、体調の異変は感じられないので、それぐらいなら問題ないだろう。


「しかし、他の使徒アパスルから襲われる可能性がありますので、私からは離れない方が良いでしょう」


 えっ!? 襲われるって何? もしかしてそれがさっきアルテアが言っていた王を決める戦いがどうとかって事なのか?


「そうです。私たちは今、国の王を決める戦いをしています。私の居た所で戦いをしてしまえば被害が出てしまうため、魔法によって別の場所に転移をして、そこで次の王を決める事になったのです。それは九つの種族の代表がこちらの世界に来ている事を示します。私たち使徒アパスルは相手を倒すのと同様に憑代ハウンターを襲う事もあるのです」


 僕の頭に昨日の出来事がフラッシュバックしてくる。あの田んぼで戦っていた二人はアルテアの言う使徒アパスルだったのではないか? あの身体能力はアルテアと同じように自転車のスピードに付いて来れていたし、ビルを垂直に登ったりもしていた。

 それを考えると僕の体は震えに襲われる。あの時、襲撃者の女性が引いてくれたから助かったが、もしかしたら死んでしまっていたのかもしれない。それにしても自分の国で戦うと被害が出るから他の所で戦うなんて迷惑この上ないな。


「話を聞く限り同じ使徒アパスルでしょう。襲われて生きて帰って来られた事は幸運と言う言葉以外言いようがありません」


 僕はいつの間にかそんな戦いに巻き込まれてしまっていたのか。クーリングオフができない以上、契約は仕方がないとして、その契約で僕に何かメリットはあるのだろうか?


憑代ハウンターには三回の強制命令権インペリウムが与えられます。それを使えば私の意思に関係なく行動をさせる事ができます」


 なんと! 契約の対価にそんな凄い事ができるようになるのか。これは使ってみるしかない。でもどうやれば良いのだろう。分からないので適当にアルテアに命令してみる事にする。

 でも、どういう命令をすれば僕の命令に強制的に従わせたと分かるのだろうか。頭を捻る僕は一つの命令を思い浮いた。


「じゃあ、立ち上がってパンツ見せて」


 さっき会ったばかりの男にいきなりパンツを見せる事なんてできない。これができるようなら本当に強制命令権インペリウムが僕にあると言う事が証明できる。

 さぁ、出来る物ならパンツを見せてもらおう。まあ、できる訳ないのだが。

 だが、僕の予想に反して、アルテアは何食わぬ顔でこたつから立ち上がると、袴の紐を解く。袴が下にストンと落ちると、白くスラリとした足が見えた。

 あっまずい。これは本当にパンツを見せる気だ。僕が命令した事とは言え本当にパンツを見せてもらおうと思った訳ではない。これ以上は流石に不味いと思い、慌てて止めようとしたが、アルテアは半着を捲り上げるとその下からは純白のパンツが現れた。

 純白のパンツの前には小さいリボンが付いており、自分を主張しすぎる事の無いリボンは僕の好みとしたパンツのデザインとほとんど同じだった。美しさの中にも力強さが感じられ、小さい布はお淑やかさを表しているように思えた。あまりの美しさに目を奪われてしまった僕だが、意識を取り戻すと慌ててパンツから目を離した。

 両手を使ってパンツをなるべく見ないようにし、視線を外すためアルテアの顔を見るが、アルテアは恥ずかしそうにしている素振りは全くなく、さも当然と言った顔で自分のパンツを僕に見せつけている。

 凄い罪悪感だ。強制命令権インペリウムを確認するためとは言え、もっと違った命令をした方が良かったと後悔をする。だが、これで本当に僕に強制命令権インペリウムがあるのが確認できた。


「誰か来ます!」


 その時、僕にパンツを見せたまま、アルテアが庭の方に向かって声を張り上げた。


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