出会いの二日目-1


 あまり良く眠れず僕はいつもよりも早い時間に目が覚めてしまった。これほどまで早い時間に起きたのはいつ以来だろう。朝の寒さは昨日よりも厳しかったのだっが、二度寝をする気分すら起きなかった。

 早く起きた所で特にやる事もないので暇をつぶす意味を込めて母さんの朝食の準備を始める。これもそんなに時間のかかる物ではないが、ただボーっとしているよりはマシだろう。

 朝食の準備もほとんど終わった頃に居間の扉が開き、元気に手を上げながら母さんが帰ってきた。


「ただいまー。お母さんが帰ってきましたよー」


 こういう落ち込んでいると言うか気分が晴れない時の母さんの元気は非常にありがたいのだが、もう良い年なんだから少しは落ち着いて欲しい。


「あぁー。紡ちゃん駄目なんだよ。女性に年齢の事を言っちゃあ」


 昔からそう言う事は良く言われたが僕は未だになぜ年齢の事を言っては駄目なのかが理解できない。理解できないので試しにこう言ってみる。


「母さん、年齢の割には肌が綺麗だよね」


「まぁ、紡ちゃんは正直ね。何か買って欲しいものでもあるの?」


 さっきは年齢の事を言って怒られたのだが、今度は怒られない。褒める時は年齢の事を言っても大丈夫だが、それ以外で年齢の事を言うと駄目と言う事なのだろうか。

 難しい事は置いておいて僕は朝食の仕上げを始める。母さんの朝食は昨日お店で作った生姜焼きで、僕の朝食はいつもと同じようにトーストに目玉焼きだ。

 暇そうにこたつに突っ伏してミカンを摘まんでいた母さんだが、僕が生姜焼きを運んでいくと急に背筋を伸ばして料理が前に置かれるのを待った。


「これってバイト先の生姜焼き? お母さんお店の生姜焼き大好きなんだよね」


 言うが早いか母さんは生姜焼きを食べ始める。良い具合に生姜の効いた豚肉は、僕も何度か食べて美味しさを確認しているので美味しくないはずがない。

 頬に手を当てて生姜焼きを堪能する母さんが何かを思い出したように目を大きく開いた。


「そうだ。今日はお母さん早く家を出なくちゃいけないから朝食は要らないわよ」


 ここで言う朝食は今食べている生姜焼きの事ではなく、出勤前に食べるご飯の事だ。たまに早く出て行く事があるので今日の夜も早出の日だと思い、聞き流しながらお弁当の中に生姜焼きを詰めていく。


「分かった。家の鍵だけは閉めておいてね。じゃあ、学校に行ってくるよ」


 ダウンジャケットを着て、お弁当を鞄の中に入れると僕は母さんに手を振って家を出た。凍り付くような空気の中、自転車に跨り空を見ると昨日とは打って変わって厚い雲が空を覆っていた。

 天気予報では降水確率三十パーセントと言っていたが、どこまで信じて良いのか分からないので、レインコートを用意して学校に向かって走り出す。


 学校に着いた僕がホームルームを受けていると、先生に放課後来るようにと言われてしまった。どうやら昨日、午後の授業をサボってしまった事へのお叱りがあるようだ。


「釆原、昨日何してたんだよ。一時限ぐらいサボるのはよくある事だが、午後の授業全部サボるなんて珍しいな」


 蛯谷が授業の始まるほんの僅かな隙を突いて僕の所にやってきた。サボる事が良くあるだなんて失礼な事を言う奴だが、昨日は完全に僕の失態なので言い返せない。


「あの寒空の中で昼寝? 良く生きて帰って来れたな。お前の話は良いや、それよりも聞いてくれよ」


 僕の話は良いってどういう事だ。別に話題にしたい訳じゃなかったのに蛯谷が勝手に話題にしただけだろ。本当に失礼な奴だ。まあ、まだ休憩時間も残ってるから聞いてやるけど。


「昨日の帰りに鷹木さんに告白したんだよ」


 なんと! 僕は目を見開いて驚いた。確かに告白すると言っていたが、その日の内に告白するとは思わなかった。蛯谷の表情を見る限り明るい表情をしているので、もしかしたら告白が上手く行ったのではないか?


「やっぱり分かるか? そうなんだよ上手く行ったんだよ」


 サムズアップする蛯谷がムカつく。でも、まあ、一応友人なのだ。友人の告白が上手く行ったのなら祝福しておこう。


「ありがとう。これで俺も鷹木さんの後ろを歩いていても通報される事なないぜ」


 ん? 通報? 何かおかしくないか? 暴力を振るったわけでもないのに後ろを歩くだけで通報なんて。僕は念のために蛯谷がなんて言って鷹木に告白したのか聞いてみた。


「えっ!? 聞きたいのか? まいったなぁ」


 照れる蛯谷は無性にムカつく。そこまで興味がある訳ではないが、ただ何と言ったかだけが気になるのだ。


「仕方がないから教えてやろう。でも、告白の言葉なんて多少の違いはあれみんな同じだろ?」


 そう。言い方の違いはあれど、大体は「好きです。付き合ってください」と言うのが基本的な告白の言葉だ。蛯谷も同じように告白したと信じたい。


「結婚前提でお付き合いしてください! それが難しいならせめて後ろを歩いていても驚いて逃げないでください!」


 最初の言葉はいきなりな感じがするが、まだ納得のいくものだ。それに比べて後の言葉はあまりにもおかしいだろ。しかもこれでOKされたとしてどっちでOKされたんだ? 結婚前提の方か? 逃げないでと言う方か?

 どっちでOKされたのか考えている僕に、何がおかしいのかと首を傾げる蛯谷。お互い声が出ないまま始業のチャイムが鳴ってしまった。慌てて席に戻る蛯谷だが、僕にはその背中を見送る事しかできなかった。

 まあ、良いか。上手く告白が成功したと言うのならそう言う事にしておこう。僕にはあまり関係ない話だ。


 午前中の授業が終わり、外を見ると雨ではなく雪が散り始めた桜のようにチラチラと舞い始めている。僕が屋上に行くか迷っていると急に教室の中が騒がしくなった。

 基本的に大人しい生徒が多いクラスがこれほど騒がしくなるのは珍しい。特に騒がしくなっている入り口の辺り目を移すと、人ごみの中に針生の姿が見えた――ような気がした。いくら針生でも他の生徒が一杯いる中で僕を訪ねてくる訳がないと思い、席から半分立ち上がった所でクラスメートの女子生徒から声が掛かった。


「釆原くーん。面会よ。は・りゅ・う・さんから」


 針生の名前の所だけ強調して言う女子生徒を殴りたくなったが、グッと堪える。騒然となるクラスで何か視線を感じてそちらの方に顔を向けると蛯谷が鬼のような形相で僕の方を睨んでいた。

 俺でも針生さんとはちゃんと話した事がないのにいつの間に仲良くなったんだ。この裏切り者。そんな顔をしているが、お前は鷹木さんと付き合う事になったのだろう。その眼差しは止めろ。

 こちらを睨みつけてくる蛯谷を無視して針生が居る入り口とは別の入り口から出て行こうとすると、針生が慌てて僕を追ってきた。


「ちょっと! 私が折角会いに来たのに何で逃げるのよ!」


 僕の肩を掴んで足を止めさせてきた針生が怒りながら言ってきた。そんなのは決まっている。あんな公衆の面前で針生と会話なんてする勇気は僕にはない。絶対に後で何か言われるし。

 だから少しでも被害を少なくするため他人のフリをして教室を出ようとしたのだ。察してくれ。


「察しろも何も紡が私のメッセージを無視するからでしょ。何度も送っているのに」


 針生は頬を膨らませて怒るが、僕には何の事だか分からない。針生が暗にスマホを見ろとジャスチャーをしてきた所で、昨日僕のスマホが勝手に弄られ、メッセージアプリをインストールされたのを思い出した。

 ポケットからスマホを取り出して確認してみると、休憩の時間毎に針生からメッセージが来ていた。針生の方を見ると顎をしゃくって早く見ろと言っている。


【今日は寒いし、雨か雪が降ってきそうだから屋上以外の場所にしない?】


【どこか特別教室にでもこっそり入ってそこでお弁当にする?】


【おーい。返事がなかったら教室まで行っちゃうよ】


 どうやら返事がなかったので、本当に教室に来たようだ。これは流石に確認していなかった僕が悪い。針生が怒るのも当然だ。素直に頭を下げて謝罪をすると針生は慌てて僕の頭を上げさせた。


「ちょ、ちょっと。こんな所で頭を下げないでよ。私がやらせてるみたいに見えるでしょ」


 周りに居る生徒からすれば、針生が僕に無理やり頭を下げさせているように見えるかもしれない。そんな視線に耐えられないのか針生は僕の手を引っ張って教室の入り口から立ち去っていく。

 階段の踊り場に来た針生は辺りを見渡し、人の目がないのを確認すると、ほっとしたように一息吐いた。


「もう。あんな所で頭を下げられたら私が悪者みたいじゃない。ちゃんとメッセージは確認してよね。それで? お弁当まだでしょ? どこで食べるの?」


 針生の手にはしっかりとピンクのランチクロスで包まれたお弁当箱が握られている。お弁当を食べる場所としては屋上と食堂、教室があるが、屋上以外は人の目があり、落ち着いてお弁当など食べられるはずがない。屋上は雪がチラつき始めているから無理だ。そうなると針生のメッセージに有った特別教室となるが、意外と特別教室は人気で、こっそり入っている人は多い。

 そこで僕の出した答えは屋上の前の踊り場だ。そもそも屋上に行く人が居ないため、その前の踊り場にも誰も来ないのだ。


「なるほどね。屋上が駄目ならその前の踊り場って事ね。良いわね。それじゃあ行きましょう」


 僕の意見に賛同すると針生は屋上に向かって歩き始めた。僕は一緒にお弁当を食べるのではないと言う感じで針生から少し離れて付いて行くが、全く無駄な努力だった事を知ったのはかなり後になってからだ。

 踊り場に着き、ドアを背にして床に座ると、床の冷たさが制服など無意味と言わんばかりにお尻に突き刺さった。ここで素人は慌ててしまうのだが、屋上に何度も通った僕はプロだ。こういう状況も想定してある。

 踊り場の隅に置かれている使われていないロッカーの上から段ボールを取り出すと、床に敷いてその上に座った。レジャーシートの代わりみたいなものだ。


「凄いわね。そんな物まで用意してあるんだ」


 感心する針生が靴を脱いで段ボールの上に乗るとわざわざ僕の隣に座った。


「何で僕の隣に座るの? 広いんだから座る所はそこじゃなくても良いんじゃない?」


「紡もおかしな事を言うわね。もちろん寒いからに決まってるじゃない。私が風邪をひいたらどうするの?」


 どうするも何も安静にして治してくれ。お見舞いにリンゴぐらいなら持って行くから。


「お見舞いにリンゴって面白みがないわね。そうね。ロンネフェルトなら文句ないわね」


 ロ……ロンネ……なんだって? そんな外国人みたいな名前の物は知らない。


「冗談よ。お見舞いに来てくれるならリンゴでも嬉しいわ。それよりも風邪をひかないようにしてくれた方がもっと嬉しいけど」


 月星高校は廊下にまで暖房が入っているのだが、流石に屋上に行く踊り場には暖房が届いておらず、外の寒さに比べればましだが、それでも床は氷のように冷たいし、周囲の気温も低いのだ。

 少し体を縮こませるように針生が横座りをしてお弁当を広げ始めてしまったので、僕も針生に合わせてお弁当を広げ食べ始めようとしたが針生に止められてしまった。


「ちょっと待って。写真撮らせてよ写真!」


 針生はスマホを取り出すと勝手に僕のお弁当の写真を撮り始めた。これはお弁当を写真に撮ってSNSに上げると言う奴か? お店の料理ならまだしも生姜焼きのお弁当なんてSNSにアップした所で誰も見ないと思うが。

 それにしても何度シャッターを押すのだろう。そんなに一杯写真を撮った所で全部使うのだろうか?


「全部は使わないわよ。後で一番映りの良い写真だけ残すのよ」


 そう言って最後には僕の顔まで写真を撮ると、「あはははっ」と声を上げて笑い出した。

 いたずらなのだろうが僕の顔なんて写真に撮った所で何も面白い事はないと思うのだが、針生の笑い声は何時までも止まず、スマホをポケットに仕舞うと僕のお弁当を確認してくる。


「今日は生姜焼きなの? 一枚貰うわね」


 僕がまだ食べ始めても居ないのにお弁当箱の中に入っていた豚肉と玉葱を摘まみ上げると、そのまま口の中に入れてしまった。これでは昨日と同じ展開じゃないか。


「何? この生姜焼き凄く美味しい。紡のお母さんはお店でも出せるんじゃない?」


 美味しいと言ってくれるのは嬉しいが、これ以上僕の母さんの間違った評価が高くなるのは本人に申し訳ないと思い、針生に本当の事を告げる。


「凄い。紡は料理ができるんだ。それじゃあ、昨日のハンバーグも?」


 無言で頷くと針生は驚いた表情を浮かべた。その表情はすぐに悔しそうな表情に変わると自分のお弁当の中からウインナーを摘まみ、それを僕のご飯の上に置いた。


「食べてちょうだい。生姜焼きには及ばないけど、私が作ったウインナーよ」


 作ったと言ってもウインナーを作ったと言う訳ではないだろう。切れ目が入ったウインナーを口に運ぶとトマトの風味が口の中に広がり、胡椒の刺激的な辛みが舌を刺激した。どうやら焼いただけではなく、その後にひと手間加えてあるらしい。


「どうかな? ウインナーを焼いた後にパスタソースを絡めてブラックペッパーを振ったんだけど」


 なるほど。トマトの風味はパスタソースを絡めた事で感じられたのか。昨日の玉子焼きと言い、このウインナーと言い、針生はひと手間加えて美味しくするのが上手なようだ。


「うん。美味しい。こんな美味しいウインナーを食べたのは初めてだよ」


 それはお世辞でも何でもなかった。僕はウインナーに手を加えてこうやって食べた事が無かったからだ。

 僕の言葉を聞いた針生は耳が真っ赤になっていた。それに気付いていない針生は平静を装って食事を続けるのだが、時々箸からご飯をこぼしていた。動揺が見え見えだ。


「そうだ。残念だけど、明日はクラスメートと食事をするから来れないわ」


 そんな事はわざわざ言ってこなくても良いのにと思いながらも僕は無言で頷いた。


「なんでそんな反応なのよ。もっと悔しがったり、寂しがったりできないの?」


 できないよ。別に僕が針生に頼んで一緒に食事をしている訳ではない。それに針生だって友達との食事は大切だろう。それを邪魔する権利は僕にはない。

 正論を言っただけだが、なぜか針生は頬を膨らまして立ち上がると、そそくさと教室に戻ってしまった。何か気に障った事でも言ったのかと思ったが、心当たりはない。

 頭を掻きながら段ボールを元の位置に戻すと、もうすぐ授業が始まる時間なので僕も教室に戻って行く。今日はちゃんと授業に出るつもりだ。


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