大切にしたいもの

 



 昨日港で仕入れてきたあの魚が、大きなまな板の上にいる。

 通常使っているものよりさらに大きいまな板を使っているのだが、それでも魚がはみ出している。


「大きいですね……」

「そうだな……」

「どうやって調理するんです?」

「………………………………」


 厨房の料理人たちも、大きすぎてどう扱うか考えあぐねているようだ。

 もともとウロは大きい魚らしいがこれは中でも特別サイズらしく、数年に一度揚がるかどうかといったレベルらしい。むろん、高級魚である。


 この魚を依頼したその客は、今日ここ海猫亭でパーティーを開くのだそうだ。もちろんラルベルも店員としてバリバリ働く予定である。


「いいのが入ったね~。こりゃ一匹で色んな料理が作れそうね。まずはカルパッチョに季節野菜と合わせてガーリック炒めもいいねぇ。あとはフライ料理と、ピラフと……」


 ラルベルはごくりと唾をのむ。

 おいしそうなのはもちろんだけど、そうして心を込めて作られた料理を前に楽しそうに賑やかに食事を楽しむお客さんたちの姿を想像すると、胸があたたかくなる。

 食事って、幸せだ。一緒に食事を楽しめる相手がいるって、本当に幸せで特別だ。

 そして、そのお手伝いができるこのお仕事が、ラルベルは好きだなと思う。


「さぁさ!ぼーっとしてないで、準備することは山ほどあるよ。みんな今日は頼んだよ!」


 弾かれたように、にわかに動き出す料理人たちとラルベル。

 あっという間に時間は過ぎて、いよいよパーティーまであと三十分と迫った頃。


「ラルベルちゃんは一度下宿に戻っておいで。マルタさんが待ってるからね」


 ノールにそう言われてきょとん、と立ち止まるラルベル。

 下宿はここからすぐだけど、何のために戻るんだろう。もう気の早いお客さんが入ってくる頃なのに。


「でもそろそろお客さんが」


 無理やり背中を押し出されるように店を出されたラルベルは、首を傾げながらも仕方なく下宿へと戻る。


「ただいま~、マルタさん。なんかね、ノールさんが急に下宿に戻れって」


 話している途中のラルベルをマルタは待ってましたとばかりに部屋に引きずりこむと、ぽいっと布の固まりを投げてよこす。

 広げてみるとそれは一枚のワンピース。綺麗な桃色で全体に白く細いストライプが縦に入っていて、かわいいんだけど甘すぎず爽やかだ。うん、かわいいよ。かわいい、けど。


「このワンピースがどうかしたんですか?」


 あれよあれよとほぼ強制的に着替えさせられるラルベル。しかも髪もきれいに梳かされてハーフアップに結わえられ、白い幅広のリボンで飾りつけられる。

 頭の中がはてなマークでいっぱいである。


「あの、私この後仕事があるんですが。大きなパーティーが入っていてですね、私汗だくで仕事する予定なんですが」


 まったく状況がつかめない。私はあの巨大魚を使ったスペシャル料理を運ぶのだ。エールジョッキを両手いっぱいにお客さんのもとに運ぶのだ。

 とにかく早く店に戻ろうとマルタさんに声をかけようとした、その時。


 ――コンコンコン。


 ノックとともに玄関のドアが開く。


「準備はできたか。そろそろ行……」


 言いかけて、その人は桃色ワンピース姿のラルベルを見て固まる。


「ダンベルトさん?こんなとこで何してるんですか?しかもその恰好……」


 なぜかダンベルトはいつもの制服ではなく、それよりももっとカチッとした首の詰まったかしこまった格好をしている。正装、なのかな?でもちょっと窮屈そうだ。まぁ、かっこいいといえなくもないけど。


 しばし固まったのち、ようやくぎこちなくこちらに近づいてくるとおもむろに自分の腕にラルベルの手をかけさせるダンベルト。


 ――ん?これはいわゆるエスコートというものでは?


 ぎこちなく赤い顔をして固まるダンベルトを、不思議そうな顔で見上げるラルベル。


「……ちょっと。邪魔だから行くんならさっさと出ておくれ。鍵をかけられないじゃないか。そんなところでいつまでも見つめ合ってたら料理が冷めちまう」


 何が何だかよくわからないが、ダンベルトにエスコートされながら三人で家を出る。



「遅かったじゃないか!みんなお待ちかねよ!」


 海猫亭にはなぜか常連さんたちが集まっていた。ざっと見ただけで数十人はいるだろうか。


「え?みなさん揃ってどうしたんですか?」

「さぁさ、主役はこっちだよ」


 そう言って、ダンベルトにエスコートされたままのラルベルをみんなの真ん中に引っ張っていく。


「あの……、これは一体?主役ってどういう……」


 うろたえるラルベルを、大勢の見知った顔が取り囲む。

 常連のスープルさんやいつもお菓子を差し入れてくれるゼルバさんの姿もある。みんないつもよくしてくれる大切なお客さんたちだ。それにいつも仲良くしてくれる町の人たちも。


「では、ノールさん一言!」


 拍手の後、ノールがジョッキを片手に、咳ばらいをしつつ話し出す。


「え~、ではまずはこの会の発案者である常連のみなさまに感謝を。そして今日の主役、ラルベルちゃんに」


 驚いて目を見開いたままのラルベルをみながら、ノールは続ける。


「ラルベルちゃん、いつも元気に明るくこの店を盛り立ててくれてありがとう。ラルベルちゃんが来てからこの店の売り上げは倍増よ!ちょっと遅くなったけど、これはラルベルちゃんの歓迎会ね。この町にようこそ!心から歓迎するよ。これからもよろしくね」


 ノールが話し終わると、店内はわ~っと歓声と拍手に包まれる。


「こんなに小さい子がひとりで出稼ぎに来たって聞いたときは、驚いたよ。ここは港が近い分気性の荒い者もいるし、男ばっかりで怖がるんじゃないかと思ったけど。ラルベルちゃんの笑顔をみると疲れも吹き飛ぶんだよ」


 常連のゼルバがそう声をかけると、まわりの客たちもうんうんと頷く。


「なんだか娘みたいでねぇ。今日も頑張ってるかな~と思うと、ついついこの店に足が向いちゃうんだよ」


 と話すのはスープル。


「ひとりで知らない町で暮らすってのは不安だからな。それがこんな小さい女の子ときたらつい心配でな。でも男顔負けの食いっぷりを見てると、こっちも食欲がわくってもんよ」


 ようやく事の次第を飲み込むラルベルである。


 ――これって、私の歓迎会?私のために計画してくれたパーティー?素敵なワンピースにダンベルトさんのエスコートまで用意して?


 ヴァンパイアは人間から嫌われ、うとまれる存在だ。なのにそんな自分を歓迎してくれる。しかも、こんなに素敵なパーティーまで用意して。あの魚だって、たくさん食べるラルベルのために用意してくれたに違いない。もちろんヴァンパイアであることは隠しているけれど。


 ラルベルは胸がきゅっとなる。


 次々にかけられるあたたかい言葉に茫然と固まったままのラルベルの目から、思わずぽろりと涙がこぼれる。

 何か言わなきゃと思うけれど、喉が詰まったように声が出てこない。

 まるであやすようにダンベルトに肩をぽんぽん叩かれて、ふりしぼるように声を出すラルベル。


「……ノールさん、みなさん。私、びっくりしちゃって。……急にやってきた私にみなさん本当に優しくしてこれて、こんな会まで開いてくれて。本当に嬉しい……!」


 みんなラルベルがたどたどしく話すのを、じっと優しい表情で見つめている。


「ノールさん、皆さん。ダンベルトさんもマルタさんも。本当にありがとうございます!こんなふうにあたたかく歓迎してもらえるなんて、私思っていなくて。私はここにきてたくさんのことを知ったの。人のあたたかさも、働くことの楽しさも、誰かと一緒に食べる食事の楽しさも。だからこの町でみなさんに出会えて、働けて、本当に嬉しいんです。だから、これからもどうぞよろしくお願いしますっ!私、もっともっと元気に頑張りますね!」


 そう言って、ハーフアップに結んだ髪を揺らして頭を下げる。

 湧き上がる拍手とあたたかい歓声とに、ラルベルは涙で頬を濡らしながら思う。


 

 私、この町が好きだ。町の人たちも、この仕事も、もちろん私を拾ってくれたダンベルトさんも。

 この町で生きてみよう。ヴァンパイアだけど、この町で生きてみたい。

 ここがいつか本当の私の居場所になるように。

 

 ラルベルの心が、あたたかく満たされていく。

 なんだか体中に力がみなぎっていくみたいだ。




「さぁさ!みんなどんどん食べとくれ~!料理も酒もじゃんじゃん出すからね、楽しんでおくれ」


 ノールの大きな掛け声で、もうその後は次から次へと料理が運ばれてきて、ラルベルはこれでもかというくらいにおおいに食べた。あのウロ料理も。


 飢えていた日々が嘘のようだ。


 ラルベルはパンパンに膨れ上がったおなかをさすりながら、いつものように料理やジョッキを運ぶ。こうしていつものようにテーブルの間を走り回って働いている方が、落ち着くのだ。

 馴染みのお客さんたちとわいわい言葉を交わしながら、弾けるような笑顔で動き回るラルベルの姿を、ダンベルトは眩しい思いで見つめていた。


 あの時拾った少女が、こんなにこの町を気に入ってくれ、好きだといってくれる。

 それはこの町を守るダンベルトにとって、これ以上ないくらい喜ばしい言葉だ。

 第二師団の団長としても、この町に住むひとりの住人としても。


 ――もしあの時自分が見つけなかったら。もし危険な目にでもあっていたら。


 あの時ラルベルを見つけたのが自分で本当に良かったと、心から安堵する。


 ――これからもずっとここで、こんなふうに笑っていてくれるといい。


 そう願うダンベルトであった。


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