不審者、現る




 あくる朝、ラルベルはとても気持ちの良い朝を迎えていた。

 ぐっすり眠ったようで、頭も体もすっきりだ。けれどなぜだか、ベッドに入った記憶どころか寝巻きに着替えた記憶もまったくない。

 首をひねりながら、ふと部屋の真ん中に置かれたテーブルに視線を移す。


「……あっ、ボンボン!」


 ボンボンの箱はテーブルの上にきちんと蓋を閉めた状態で置かれていたが、紅茶を入れたはずのカップが見当たらない。しかも、どんな味だったのかよく覚えてない……。


「そういえば途中でぼや~っとして……あれ?誰か来てたっけ?」


なんとなく、本当におぼろ気だが誰かと話したような気がする。マルタさんだろうか。

 それはいいとして、味だ!味は?どんな味だったのだ?!ラルベルの二時間労働分の味!もう食べられないかもしれないのに……。

 がっくりと肩を落とすラルベルであった。



「おはようございます!マルタさん。昨日カップ片付けてくれたんですよね?すみません」

「お……おはよう、ラルベル。その、体はなんともないかい?たとえばフラフラするとか、頭が痛むとか」


テーブルに置かれた籠に、昨日もらってきた干しブドウパンがあるのを見て、さっそく頬張るラルベル。


「ん?元気いっぱいですよ。どうしてですか?」


 きょとんと口をモゴモゴさせながら答えるラルベルに、マルタは「いや、ならいいんだよ。良かった……」となんともいえない表情で台所の奥へいってしまった。


「……変なマルタさん」


 ラルベルは不思議そうにその背中をみつつも、仕事の時間が迫っているのに気がついて大急ぎで家を出るのだった。




 海猫亭は、その日も盛況だった。ラルベルは今日も元気いっぱいにお客さんと明るく言葉を交わしながら、店内をてきぱきと動き回る。

 昨日もらった干しブドウのパンはとてもふかふかしていて甘みがあっておいしかったとくれた料理人に話したら、今度はまた別のパンを試作するからまた味見してくれと頼まれた。そんなおいしい依頼ならいつでもござれだ。


「ラルベルちゃん、今日も元気だねぇ。いつもの頼むよ、大盛りで!」

「はぁい!ついでにフライもどう?いい魚が入ってますよ」


 常連のおじさんと会話しながら、ふと店の外から視線を感じた気がして、目をやる。


 ――あれぇ?誰かいた気がしたんだけど。気のせいかな?


 気を取り直して、注文を厨房に伝えに行く。


「ノールさん、豚ゴロ甘辛炒め、大盛りお願いしま~す。あと、ほろ鳥のオーロラソースがけも」

「四番さんあがったよ。ネギ抜きね」


 常連客がほとんどであるからして、いつも頼むメニューや好みの量、苦手なものなどを頭に入れて注文を取っていくのも大切な仕事だ。ラルベルは食べ物がらみの事柄に関しては物覚えが非常に良かったから、特に問題なくこなしている。ある意味これはチートと言えるかもしれない。


 そういえば、とエールジョッキを片手に三杯ともう片方で大皿料理をもちながら、ラルベルは思う。

 今朝のマルタさんはどうも様子がおかしかったし、昨日の記憶がどうもあいまいなのはいったいなぜだろうと。それに、どうも誰かと話した記憶もマルタさんではないような……?

 そんなことを考えながら店内を歩いていると。


「どうしたね、ラルベルちゃん。恋でもしたかね」


 先日ビスケットを差し入れしてくれた常連のスープルさんが話しかける。


「恋?誰がですか?スープルさん、誰かに恋してるんですか?」

「何言ってるんだい。俺にはちゃあんと愛しのカミさんと二人の子どもがいるよ。ラルベルちゃんさ」


 目を丸くしてスープルさんをまじまじ見つめるラルベル。


「私がですか?なんでですか。恋なんかしてませんよ。そんな相手もいませんし」

「そうかい?いやぁ、朝からなんだかちょっとぼんやりしてるし、外には、なぁ……」


 そう言って店の外に視線をやる。

 ラルベルがその視線の先を追っていくと、そこには何かがいた。


 ――ん?あれは……あのもそっとした固まりは。


 厨房からまだ声がかからないのを確認して、店の外でもぞもぞと動くそれに、そ~っと近づいていくラルベル。それが何であるのかを理解したラルベルは、おおいに呆れた。

 さっき感じた気配は、これか。


「……そこで何やってるんです?ダンベルトさん」


 そんな高さの植木の茂みに、その大きな体を隠しきれると思ったんだろうか?

 どう考えても体の半分も隠しきれていないその巨体を、ラルベルは大きくため息をつきながら見つめる。


「いや、あの。これはだな……」


 なんだかはっきりしない物言いで、でもラルベルの方を見ようとはしない。とりあえずは口ごもるダンベルトをずりずりと店内に引きずって、空いたテーブルにつかせる。


「何か用なら、まず注文して下さい。ちょうどお昼なんだし」


 あぁ、とか、んん、とかうなりながら、本日のおすすめである白身魚のフライと夏魚のハーブグリルを注文するダンベルト。


 ――どっちもわいわいシェアする系の大皿料理でボリュームあるんだけど、これほんとに両方食べる気なんだろうか?……まぁ、いいか。


 ラルベルはちゃっちゃと厨房にオーダーを済ませると、接客の合間を縫ってダンベルトに話しかける。


「それで、あんなとこで何してたんです?どうみても不審者でしたよ。遠巻きに見て何人かお客さん逃げていっちゃったじゃないですか。営業妨害です」


 しょんぼりとうなだれるダンベルト。


「……すまん」


 スープルさんが、二人の横をにこにこ笑いながら「仲良くね~」と言いながら店を出ていく。

 お昼のピークもそろそろ終盤だ。次々とお昼の休憩を終えたお客さんたちが、ごちそうさま~と満足げな表情で帰っていくのを笑顔で見送る。


 ダンベルトはなんだか元気なく、でもこちらをちらちらと気にしているようだ。


「ダンベルトさん、今日はなんだか変ですね。朝はマルタさんもちょっとおかしかったし。どうかしたんですか?」


 そこへちょうどダンベルトの注文した品があがったと、厨房から声がかかる。出来立て熱々の大皿をダンベルトのもとに運ぶラルベル。


 ど~ん、とダンベルトの目の前に置かれた大きな皿が二つ。頼んだ本人も目を見開いて固まっている。


「一人で食べれます? これ。なんなら手伝ってあげましょうか? 私これから休憩なんで」


 青い顔で頷くダンベルトである。バタバタとやっと一仕事終えて、昼休憩の時間。ダンベルトのいる席に向かい、席に着く。どうやら食べ始めずに待ってくれていたようだ。


「お待たせしました。じゃあせっかくなので温かいうちに食べましょうか」


 まだ料理はあたたかそうな湯気を立てている。大皿から小皿に料理を取り分けて、食べ始める二人。


 ――そういえば、ダンベルトに食事をごちそうしてもらったことも残りものを渡しにいったこともあるけれど、こうして向かい合って一緒にごはんを食べるのは初めてだ。


 なんだか不思議な気持ちで向かいに座って、黙々と料理を口に運ぶダンベルトを見る。


 そもそもラルベルが育ったのは、血を吸って生きる吸血鬼の集落だ。両親が旅に出てからはずっと一人で食事するのが当たり前だった。誰かと一緒にとる食事というのはあたたかくて、とても嬉しいことなんだと思う。

 目の前で大きな熱々のフライをはふはふと頬張るランベルトに、ラルベルは口元を緩ませた。

 が、それとこれとは別問題である。営業妨害は許されない。


「それで?なんでさっきはあんな風にこそこそしてたんです?」


 ラルベルの直球の質問に喉を詰まらせるダンベルト。ゴホゴホと水でフライを流し込むと、少し待ての手振りをして答える。


「いや、だからな。昨日の夜のことなんだが……」


 いいかけて、次の瞬間はっと何かに気づいたようにダンベルトはラルベルの後ろに視線を移す。

 そしてなぜだか少し青い顔をして「いや、やっぱり後で……」と言いながら、ハーブグリルを口に押し込むと黙ってしまった。


「……夜? まぁ、とりあえず休憩終わっちゃうし、急いで食べちゃいましょう」


 何を言いかけたのか気にはなるものの、のんびりしていたら休憩が終わってしまう。ラルベルはぱくぱくと料理を平らげながら、挙動不審のダンベルトをいぶかしげに見つめるのであった。






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