ボンボンは大人の味
「ただいま、マルタさん。これ、おみやげですよ~」
ラルベルは、海猫亭でもらってきた干しブドウ入りのパンをおかみのマルタに手渡す。料理人の一人が、ラルベルに味の感想を聞きたいと言ってくれたものだ。
マルタさんは干しブドウが好きだから、きっとさっそく明日の朝ごはんに出てくるだろう。
二階の部屋へと上がり、さっそくダンベルトにもらったボンボンの入った紙袋を、満面の笑みでそっとテーブルに置く。
ボンボンは、ちょっとの衝撃でも壊れてしまうくらい繊細なお菓子なのだという。綺麗な箱の中に並んだ、色とりどりのボンボン。淡いピンク、ホワイト、イエロー、濃いパープル、明るいグリーンの五色だ。
一気に食べてしまうのはもったいないので、今日は一つだけ、と心に決めるも色で迷ってしまう。木苺ソースとメローソース、レモネンソースの三種類があるとは聞いた気がする。
木苺は黒苺よりあっさりとして爽やかな酸味が特徴で、菓子によく使われる定番フルーツだ。
メローというのはシャクシャクとした食感がおいしい甘い夏向きのフルーツで、割と高級品に当たる。ちなみに食べたことはない。
レモネンというのは料理の酸味付けにもよく使われる酸っぱさが特徴のフルーツで、どちらかというと野菜よりの扱いだろうか。年中出回っているので、これに砂糖や蜂蜜をかけて食べるのが庶民の定番だ。
おそらく色からいってピンクは木苺、レモンイエローはレモネンだろう。グリーンはもしかしたらメローかもしれないが、メローにしては色が濃い気がする。
――う~ん……。
どれから食べようか大いに悩むその顔は、真剣そのものである。きっとこの機会を逃したら、ボンボンを食べる機会はもうないだろう。あの行列にどつかれながら並ぶ勇気は、正直ない。
それになんといっても高級品なのだ。おそらく一粒で、ラルベルの二時間労働分くらいの値段がするはずだ。予測のつく色のボンボンに手を伸ばしかけて、ラルベルはふと思う。
ダンベルトに渡した薄いパープルのボンボンと、今箱の中にある濃いパープルのボンボン。
「そうだ!濃い色のを食べて、明日ダンベルトさんに会いに行ったときに、こっちはこんな味でしたよ~って教えてあげよう。そうしよう!」
ラルベルは濃いパープルのボンボンをそっと優しく箱から取り出して、小さな包み紙の上に置く。
――まずは、楽しいティータイムを始める前に肝心のおいしい紅茶を淹れないと!
いそいそと戸棚からとっておきの茶葉の缶を取り出して、おととい町で買いそろえたティーポットに入れる。二つカップを用意して、ひとつはマルタさんにおすそわけだ。
トレイにそれらをのせて、お湯を沸かしに階下へと向かう。ぐらぐらとしっかり沸騰させたお湯を注いで、蒸らすこと五分。香りがよくたっておいしく入った紅茶をひとつマルタさんに渡して、部屋へ戻る。
さぁ!とっておきスペシャルティータイムのはじまりだ。
椅子に座り、そっと濃いパープルのボンボンを指でつかんで、いざぱくりとお口へ。
「……ん~!!……ん??」
まわりを包んでいる殻を歯で軽くカリっとかじると、中からあふれ出す液体。ブドウっぽい味がする。すごく濃厚で、これは……なんていうか。なんていうか………、もしかして?
次の瞬間ラルベルの視界がふわ~んと揺れて、腰が抜けるように椅子からストンっと体が勝手に崩れ落ちる。
「あれ~……??? なんか、体が変。力が入らなひ~……。むきゅ~…」
数十分後。
「さっきはおいしい紅茶をありがとうねぇ。ごちそうさま。カップ、洗って持ってきたから……。って、ラルベル!? あんた、どうしたんだい? え? ラルベル?具合でも悪いのかい? 」
カップをわざわざ返しにきてくれたマルタによって、酔っ払って床に倒れこむように寝っ転がるラルベルが発見されたのであった――。
その夜、ダンベルトがラルベルの下宿しているマルタのもとを訪れた。
「あんた!ラルベルになんてもんあげるんだい!あの子はまだ子供なんだよ?酒入りの菓子なんて」
実はダンベルトはボンボンが王都で話題の菓子だということは知っていたが、酒が入っている種類もあるとは知らなかったのである。詰所に戻ってあのボンボンを食べてみたところ、わずかに酒の味がしたため、慌ててラルベルのもとに駆け付けたわけなのだが。
「遅かったか……。ラルベルの様子は? 」
おそるおそる尋ねるダンベルトにマルタはため息交じりに、無言で二階を指さす。
「ラルベル。……俺だ、ダンベルトだ。入ってもいいか? 」
ドアをノックすると、部屋の中からはもにょもにょと何か話す声が聞こえるが、よく聞き取れない。ためらいつつも、「入るぞ…」と声をかけてドアを開ける。
そこには、トローンとした目でほんのり顔を赤く染めて床に座り込むラルベルがいた。白い薄い生地でできたワンピースのような寝間着一枚で。とっさに部屋の外にでようとするダンベルト。
夜なんだから寝間着なのは間違ってない。まったくもって正しい。良い子はそろそろ寝る時間ではある。
が、しかし。
――あれはいいのか……?
そろそろと部屋の中を振り返るダンベルト。
「……っ! いや、駄目だろうっ! 」
心の中で葛藤を繰り返す、この国の誇る精鋭、泣く子も黙る第二師団団長(二十六歳)。
ラルベルは無防備な格好で、床に足をだらんと投げ出して座っていた。足は、太ももの真ん中あたりまでむき出しの状態である。慌てて自分の身につけていた上着を、できるだけその方向を見ないように近づいてラルベルの膝にバサッとかける。これでなんとか視界は確保できただろう。
「ラルベル。……大丈夫か? すまない、酒が入っているとは知らなくて」
返事はない。返事はないが、ぼんやりとダンベルトの顔をじーっと見つめている。しかも、だんだんと近づいてくる。
じりじりとにじり寄るラルベル。
じりじりと後退するダンベルト。
ふたりのにらみ合いは続く。
「ラルベル? あのな、ちょっとお前横になったらどうだ? そのまま寝てしまうといい。うん、そうしろ。明日の仕事がもしダメそうなら俺からノールに話すから、な? 」
もう互いの鼻がくっつきそうなくらいの距離に近づきつつあるラルベルに、ダンベルトは慌ててその後頭部をがしっとつかんで引き離すと、自身の体をぐっとそらせて逃げる。
「……ふへへへ~。ダンベルトひゃんじゃないですか~。ここでなにしてるんでふか? 私にご用ですか~? 」
表情をくたっと緩ませて、ふよふよと笑うラルベル。一瞬後頭部をつかんでいた手が緩んで、反動でラルベルがダンベルトの方へ倒れこむ。
あっ!と思った時には、ラルベルはダンベルトの腕の中にすっぽりとくるまれるように、抱きとめられていた。
天を見上げるダンベルト。どうやらラルベルは、そのまま眠ってしまったらしい。すぅすぅと、気持ちのよさそうな寝息をたてて、ダンベルトの服の胸あたりをぎゅっとつかんでいる。
ラルベルの体温が伝わって、なんというかやわらかいというかふわふわしているというか。なんともいえない罪悪感にいっぱいになるダンベルトである。
ダンベルトはいい年ではあるのだが、色恋にはとんと免疫がない。どちらかと言えば女性は苦手だ。どう扱えばいいのかわからないし、触ったら壊れてしまいそうな脆さがあって。
――いや、でもラルベルは女性というよりは子どもだ。まだ十七歳なのだから。
そう思い直し、完全に預けきったその小さな体を引き剥がそうとして、ふと見下ろすダンベルト。
瞬間、ラルベルのやわらかそうな肌と蜂蜜色の髪からふわりといい香りが立ち上って、思わず硬直する。
――これは……。
ラルベルの薄く開いた唇からは気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。まったくなにも警戒していない安心しきった表情で。
その様子にダンベルトの心の中にどこかくすぐったいような、複雑な感情が湧き上がる。思わずその髪に触りたくなる衝動に駆られて、そんな自分に驚く。
「お前はどうしてそう無防備なのかな。俺はお前の保護者でも毛布でも、ないんだぞ。……俺はこういうことには慣れていなくてだな」
――今夜のことは不可抗力だ。うっかり拾った犬に抱きつかれたようなもんで、決して不埒な真似では。
ダンベルトは自身に言い訳するように、そっと眠り続けるラルベルをベッドに横たえ、後のことはマルタに任せて下宿を出る。
自分の服に残るラルベルの香りに、複雑な思いを抱えて帰途につくダンベルトであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます