ハロー!ワーク!!
「おはよう、ラルベル。よく眠れたかい?早く顔洗って降りといで」
階下から聞こえるおかみさんの明るい声に、ラルベルは返事をして鏡の前に立つ。
部屋に置かれたかわいらしい姿見の中には、一人の少女。
髪はやわらかにウエーブした蜂蜜色、瞳は濃茶色で、よくみると縁がわずかに赤みがかっている。顔を近づけないと見えないくらいの赤だがら、ほとんどの人は気づかないけれど。
肌は昼間でも薄暗い森の中で暮らしていただけあって、やや健康的とは言えない白。きっとこれから町で暮らすうちに健康的な顔色に変わっていくだろう。
ラルベルがこの町にきて三日。
何かの団長をしているというゴブリン、――じゃなくダンベルトに行き倒れていたところを助けられて、ラルベルはこうして生きている。
ダンベルトは、がっしりとした大きな身体に血の底から響くような声の持ち主で、ゴブリンや熊といった迫力がある。しかも時折眼光がくわっ!と鋭くなることがあって、そりゃもう……。
満腹感に気が緩んでいたところにその目を向けられた時のことを思い出して、ラルベルはぶるり、と体を震わせる。
この部屋は、ダンベルトが若い頃にお世話になった下宿先のおかみさんの家で、もうお嫁にいったという娘さんの部屋を好意で貸してくれている。もっとも今のところ貸しを返す当てはまだない。なにせ無職で無一文なのだから。
今日はこれから仕事探しに出かけるのだ。早く仕事を見つけて一日も早く働き始めないと、食い扶持が……。
生粋のヴァンパイアはコップ二杯程度の生き血で数か月間生き延びることができるが、ラルベルは違う。本来ならば生き血から得られる豊富かつ高濃度な栄養を、通常人間の大人が一日に必要とするカロリーの三倍は摂取しないと体がもたないのだ。
であるからして、ラルベルはなんとしてでも仕事をみつけ、即刻働きだす必要があった。
これから食べる朝食だって、いつまでもおかみさんに甘えるわけにいかないのだから。量も遠慮しちゃうしね……。
鼻息も荒く、意気揚々と階下でおかみさんの用意してくれた朝食をものの数分でたいらげ、いざ町へ出るラルベル。
ヴァンパイアと人間のハーフ少女、嫌血家ラルベルの新生活のスタートである。
「おはようございます!ダンベルトさん。先日はごちそう様でした。あと、仕事の口利きもありがとうございます」
「おはよう。しっかり休めたみたいだな。もう準備はできたのか?」
仕事の口を紹介してくれるという親切なダンベルトに会いに、まずは第二師団の町の詰所を訪れたラルベル。揃いの濃紺の制服に身を包んだ部下の人たちは、少し遠巻きにこちらをちらちらとうかがっている。
どうやらラルベルをみて、何かひそひそと話しているようだ。
――私の恰好、どっか変かな……?
あまりにじろじろと見られるので、なんだか心配になってくる。
服はおかみさんから娘さんのおさがりを借りた。
とても清楚でかわいらしい青のワンピースだし、仕事の面接にもぴったりだ。鏡でチェックした時はまぁなかなかいいんじゃない?とか思ったんだけど。髪だって、清潔かつ爽やかな印象にみえるよう幅広の水色リボンで後ろにひとつに結んでいる。
自分の服をじっと見下ろすラルベルを、ダンベルトは「いくぞ!」と詰所から強引に追い出す。
「あの、ダンベルトさん。私の恰好、どっか変ですか?皆さんになにかみられていたような……」
「気にするな。あいつらにはあとでいつもの倍の仕事を押し付けてやるから、心配いらん。それより店に行くぞ」
そう言って歩き出したダンベルトの後を、ラルベルは少し遅れて着いていく。
大きな歩幅でさっさと歩くダンベルト。そのあとを、細かい歩幅でちょこちょこと早足で着いていくラルベル。
「ちょっ、……と。待ってください!ダンベルトさん!少し、は、早い、……です!」
「す、すまん!ついいつもの癖で。悪かった、ゆっくり行こう」
慌てて謝ると、今度はラルベルの隣をほんの少し離れて並んで歩く。
ようやく息も整ったラルベルは、隣を小さな歩幅でできるだけゆっくりと歩くダンベルトをちらりと見上げる。どうも小さな歩幅で歩くのに慣れていないようで、ひょこひょことおかしな歩き方になっている。
ラルベルがこの町にきたのは生まれて初めてである。想像以上に大きな町だ。たくさんの店が立ち並び、通りを行き交う人も多く活気に満ちている。せいぜい二十人人ほどのヴァンパイアの集落とは大違いだ。
「ここだ。海猫亭」
一軒の店の前で立ち止まるダンベルト。思わずその大きな背中に激突しそうになって、すんでのところで回避する。
見上げると、『海猫亭』と書かれた大きな看板には猫の絵が描かれている。
――ん?海猫って鳥じゃなかったか?猫、だっけ?
首を傾げつつも、店に足を踏み入れるダンベルトに続いて、ラルベルも店内に入っていく。
「おぅ!いらっしゃい、ダンベルトのだんな。今日は何にします?」
威勢のいいちょっと、いや結構お腹の出た主人がダンベルトに声をかける。
その顔を見たラルベルは――。
「……にゃんこ?」
ちょっとつり目気味の大きな目に小さな鼻。ふんわりとしたコック帽をかぶり、口は大き目で、にんまりと口角をあげて笑うさまはご機嫌な猫そのままで、つい心の声がうっかり漏れてしまった。
だから海猫なのかもしれないと、ラルベルはひとり納得する。
そのつぶやきが聞こえたのか、こちらに視線をうつした店主が一言。
「だんなの彼女かい?もしやついに年貢を?……にしても、まさかだんながこんな幼顔が好みだったとは……」
店主の言葉に、「違う!」とかぶせるように否定するダンベルトである。
「いや、コホン。この子はな、仕事を探してるっていうんでここならどうかと思って連れてきたんだよ。こうみえても十七歳で体力はありそうなんだが」
その言葉に店主は大きな目をさらに大きく見開いて、ラルベルをしげしげと全身を上から下まで観察する。
「名前は?」
「ラ……、ラルベル・モンテールと申します!私、今すぐにでも働きたいんです。皿洗いでも力仕事でもなんでもやりますので、ぜひお願いしますっ」
ぱっと弾かれたように背筋をしゃんと伸ばし、ぺこりとお辞儀をするラルベル。
いい印象を持ってもらわなければ!食い扶持確保という大切な使命を思い出し、頭を下げたまま店主の反応をうかがう。
「じゃあさっそく今日から働いてみる?ちょうど前の子がやめて、人手が足りないんだよ。勤務は二交代制で、十一時の仕込みから午後三時まで。もしくは午後三時から夜十時までのどちらかね。あと、エプロンは貸出し、まかない付きね。それと店が終わったら残り物を持って帰ってもいいよ」
矢継ぎ早に店主から説明される勤務内容の一点に、ラルベルは食いつく。
「まかないいただけるんですかっ!?しかも残りの料理も?……やった~!!!」
満面の笑みでこぶしを上げるラルベルに、店主の猫のような目がまん丸に見開かれる。
「そんなに喜んでもらえるなら、よかったね……」
店主の顔が、ほんの少し心配そうないぶかしむような表情に変わったことに、ラルベルは気づかない。
その様子をみていたダンベルトは、不安に駆られて小さくため息をつくのだった。
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