ラルベル、ゴブリンと出会う



 ラルベルは、やっぱり飢えていた。


 生まれ育った故郷を、集落の仲間たちにおおいに心配されながら旅立って四日。

 曲がりくねる険しい山道を降り、流れの速い沢を渡り、ようやくいつも買い出しに訪れる町を過ぎ、そこからさらに南にいって大きな町にたどりつく………、その前に。


 ――ラルベルは、力尽きた。


 何せ集落を出る前に用意できたのは、ロルがくれた飴と木の実がいくつかのみだ。それだけが、あの集落にある生き血以外の食料だったのである。それらが尽きたあとは水でのどを潤して、なんとかここまで来たのだったが。


「……もう、ダメだ。お母さん、お父さん、先立つ不孝をお許し……っていうか、なんで置いて行った……!こんなところで人生が終わるとは、無念……」


 ぶつぶつと残りわずかな気力を振り絞り、思いつく限りの悪態をつくラルベル。だんだん意識が遠くなって、少しずつ指先の感覚も薄くなっていく。

 いよいよ最後の時か……。

 ラルベルがこの世との別れの覚悟を決めた、その時。


ばっしゃーんっ!!!!


「……がはっっ!!!うっ、ぶはっ!!!!な!なにっ???」


 目を閉じていた顔面に、突如冷たい液体がぶちまけられた。口と鼻が塞がれて息ができない。つーん、と鼻の奥に痛みを感じながら、がばっと身を起こす。


「なに?なんなの?」


 突然の衝撃に、まわりをきょろきょろと見まわすラルベル。


「ここで何してる……。お前、何者だ」


 地響きのような野太い声が頭上に降り注ぐ。

 すきっ腹に響くその声におそるおそる頭をあげると、そこにはひとりの大男が立っていた。仁王立ちで、こちらを眼光鋭く見下ろしながら。

 逆光で顔はよく見えなかったが、その姿はまるで。


「まさかお迎え……?熊?ゴブリン!?うわぁ~……ゴブリン天使が天国にお迎えとか、斬新~……」


 すでに意識が薄れかけていたラルベルは、もにょもにょとつぶやきながらその意識をついに手放した。



 次に目が覚めた時、ラルベルはあたたかなふんわりとしたベッドで毛布にくるまっていた。最後の記憶に残っているのは、恐ろしい巨体のゴブリン天使である。

 ラルベルは思った。きっと私、どっかの世界に転送されて貴族のお嬢様なんかに転生したに違いないと。


 ベッドからずりずりと這い出すラルベル。

 その姿は髪はぼさぼさ、身につけているのは寝乱れてくしゃくしゃに皺の寄った白い寝間着1枚と、まるでゾンビのよう。とんだ貴族令嬢である。


「ここはどこ、なんでしょうねぇ~……」


 人の気配のしない部屋の中で、独り言ちるラルベル。自分の声が静かな部屋に落ちて、そしてまた静まり返る。

 転生したはいいが、ここはばぁやとか執事を呼ぶべきなのか?と考えこむラルベルの耳に。


「ん?……目が覚めたのか」


 部屋のドアが開いて、とっさにラルベルは目を見開いて固まる。


「体は大丈夫か?昨日は悪かったな、つい……。おい、何してる?」


 突如現れた大男に、思わずラルベルは部屋の大きな窓枠に片足をかけて、外に逃げ出そうとしていた。


「えっと……、あの」


 頭はパニックである。


 こう見えてもラルベルは同族の仲間たちと森の奥のこじんまりとした集落で生まれ育ち、そこで慎ましやかに暮らしてきた、いわば箱入り娘である。ちょっと意味は違うけど。 

 人間と接する機会も父をのぞいてはなかったし、あの集落しか知らずに育った純粋培養の箱入り娘なのだ。


「どこへいくつもりだ。そこから降りたら、多分死ぬぞ。ここ、四階だからな」


 野太い声が、ラルベルに向けられる。


「……」


 四階と聞いてそれがどのくらいの高さをさすのかはよく分からなかったが、おそらく命が危ぶまれるほど危険な高さなのだろうことは理解する。すごすごと片足を窓枠から下ろし、その場に正座するラルベル。


 ――ゴブリンだ。ゴブリン天使だ。


 目の前に立っているのは、ラルベルが意識をうしなう前に一瞬視界にうつった、あの天使、いやゴブリンその人だった。

 ラルベルはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。


 ――どうやら私は転生したのではなく、ゴブリンに捕まってしまったようだ。


 お父さんお母さん。神様。ロル。集落のみんな。さようなら。

 私の人生もここまでのようです。


 真っ青な顔で震える手を胸の前で握り合わせて、十字を切るラルベル。


 十字を切ったのは、いつか町にいった時に子供がやってるのを見たことがあるから。絶体絶命の時にやるんだと、その子たちが言っていた。だから、実践してみたのだ。

 目をつぶり、ゴブリンを視界から追い出して恐怖から逃れるラルベルの頭上で、深く長いため息が吐き出された。


「おかしいの、拾っちまったなぁ……」


 目をつむるラルベルの耳に、ゴブリンの嘆きが聞こえた。



 ゴブリン、もといダンベルトはこのあたりの複数の町すべてを警護する、王家直属の第二師団団長である。

 第一師団は主に王宮とその周囲の王都一帯の警護を、第二師団はその周囲の町全域の警護に当たっている。第二師団の団長といえば、王侯貴族はもとより、町の人間たちからの信頼も厚い、誰もが憧れてやまない存在であった。


 強靭な筋肉で覆われたその大きな体に、日に焼けた肌。

 赤茶の波がかった髪。

 縁がわずかに青みがかったヘーゼルの瞳。

 

 そして、その声。

 深みのあるやわらかなその声質で紡ぎだされるその声は、王侯貴族のみならず町の者たちもうっとりと聞きほれるほど甘く、そして頼もしいのだ。

 優しさと強さを併せ持った、部下からの信頼も厚いエリート中のエリート。


 ダンベルトは、紛れもなく誰もが知る有名人であった。



 そのダンベルトに向かって、ゴブリンと言い放つこの娘。


 ダンベルトは自分の容姿にも人気にも特に自信も興味もない人間ではあったが、さすがにゴブリンと言われたのはうまれて初めてだった。しかも、まるでこちらを人さらいか強盗をみるかのようなその眼差しと態度。

 さすがにショックを受けていた。


 ――ゴブリン。


 物語に出てくる巨体を揺らしてこん棒で殴り掛かってくる狂暴な生き物。

 俺は、あんなに物騒な雰囲気を醸し出していたのか……?


 ただいつものように町の周囲を見回っていたら、倒れている少女をみつけて声をかけてもぼんやりしているから、気つけ代わりに水をかけてやっただけなのに?


 ダンベルトは目の前で正座して震えている少女を見やる。

 そんなに自分が怖いのか……?

 そう思いながら見ていて、ふと気がつく。


 ――こいつ、時々薄目を開けてこっちの様子をうかがっていやがる……。


 無性にムカッとして、ダンベルトは少女に問いかける。


「おい、いい加減立て。実はそんなに怖がってないだろ。バレてるぞ」


 その言葉に少女は大きな目を丸く見開いて、すくっと立ち上がった。

 そして、その顔にえへへ…と小さく困ったような笑みを浮かべると、一言。


「あの……なにか食べるものをいただけません?おなか、すいちゃって。えへへ」


 その言葉にかぶせるように、少女のおなかのあたりからぐぎゅるるるる~、と高らかに音が響き渡る。


 本当におかしなものを拾ってしまったと、その場に崩れ落ちるのをなんとかこらえるダンベルトであった。




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