離別
窓から差し込む日の光が無くなり日が暮れたことを知るエミル。日光の代わりに差し込む月明かりに、まだ月替りがしていないことに安堵した。しかし、それと同時に明日は出られるのだろうかという不安にも襲われる。
結局あれから誰一人牢屋には訪れず今に至っている。普段であれば空腹に苦しんでいてもおかしくないのだろうが、不思議と何も感じないエミル。精神的なものなのか、それとも死んでいるからなのか。何にしても今日はこのまま寝てしまおう。横になり目を閉じるエミル。
「エミル」
静寂の時が流れ意識を落とし掛けた頃、誰かの呼ぶ声でエミルは起き上がった。声がした方、格子の向こう側に顔を向けると、イリアが大きな荷物を背負ってそこに立っていた。
「イリっ……」
予想外の人物の登場に思わずエミルは大声を上げそうになったが、しーっと人差し指を口に当てるイリアに制され言葉を飲み込んだ。
「今出してあげるわ」
イリアは荷物を下ろし手に持った鍵を扉の鍵穴に差し込んだ。彼女の様子から見ても村長の指示とは考えられない。おそらくイリアの独断で鍵も盗んできたものなのだろう。これから行うであろう彼女の行動を考えるとエミルは頭を抱えそうになった。
「さぁ、見つからないうちに逃げましょう」
イリアは手早くエミルを両手を拘束していた縄をナイフで切ると、その手を掴み牢屋の外へと連れ出した。
「ちょ、ちょっと待ってよイリア。逃げるって一体どこに……それに逃げるって何があったの?」
エミルに問いかけられイリアは立ち止まると、表情を曇らせ悔しそうに呟いた。
「誰も……誰も信じてくれなかったの……」
何を言っているのだろう。エミルにはその言葉の意味が理解出来なかった。村長の娘という立場にある彼女ならば、その言葉が届かないということはないだろう。この村において自分とは真逆の存在だ。そんな彼女が信用されないというなら、それは自分に関連していること――まさかという考えがエミルの頭を過ぎる。そんなわけがないと嫌な予感を否定するが、無情にもイリアはそれを許さなかった。
「エミルが教えてくれた通りにゴブリンの危険性とか、月替りのこともみんな説明したけど誰も聞いてくれなかったの。それどころか、あのゴブリンはた偶然見つかっただけで……危険なことをするエミルをもう村には置いておけないって……」
「そんな……それじゃあゴブリン駆除の依頼は?」
「……報告すらしていないわ」
首を横に振るイリアを見てエミルは絶望した。どれだけ信用されていなくても実際にゴブリンが現れればギルドに依頼を出す物だと思っていた。最悪ゴブリンが現れたことをギルドに報告さえしてくれれば、その危険性を職員に説明され結果的に依頼することになるだろう考えていたのだ。
それがまさか――そこまで信用されていないというのだろうか。
「一緒に逃げましょう。私……エミルとならこの村を捨てても構わないわ」
そんな彼女の言葉に首を縦に振れるはずがなかった。今のエミルにとって村を追い出されるというのはむしろ好都合だ。ここでイリアを拒絶すればさよならをしなくてはいけない理由が出来る。そんな簡単なことがわかっているはずなのに、エミルはすぐに首を横に振ることが出来なかった。このまま彼女の手を取って約束も、罪悪感も、何もかも捨てて逃げてしまえるならば……
そんな誘惑をどうにか振り切りエミルはイリアを拒絶した。
「それは…………ダメだよイリア。一緒に連れていくことは出来ない……」
「なんで……どうしてそんなこと言うの?」
「ごめん……僕じゃ君を守ることが出来ないから……」
「平気よ。むしろ私があなたを守ってあげるわ」
「……ダメだよ。ダメなんだ」
まるで自身に言い聞かせているかのようにイリアを拒絶するエミル。
「それにこんな時間に外へ出るなんて危険すぎるよ。ただでさえ月替わりが近いのに、ゴブリンの巣を駆除してないなんて……」
実際に巣を確認したわけではないが、その性質上一匹見つかれば必ず近くに巣があるはずだ。ゴブリンという魔物は一匹つけるとその十倍は存在するというほど繁殖力が強い。放置し続ければ国を飲み込むといわれるほどだ。
初めてその姿を確認してからまだ日が浅く、エミル以外見たものがいないという点からそれほどの数がいないのかもしれないが油断は出来ない。最悪村を襲撃に来ることだって考えられるのだ。
そんななか子供二人で夜の森へ出向くなんてただの自殺行為以外の何物でもない。
「とにかく今日のところはこのまま……」
カーンカーンカーン!!
突然の警鐘が言葉を遮った。エミルはその意味を瞬時に察しイリアの手を掴み牢屋の中へと連れ込む。
「っ……早くこっちに!」
「えっ……いったい何が……」
まだ状況を理解できず戸惑うイリアをよそに、エミルは中から扉に鍵を掛ける。その間も警鐘は鳴り止まず悲鳴のようなものまで聞こえている。その喧騒は次第に激しさを増していき、まるでエミルには自身の終わりを告げているように聞こえた。いくら牢の中とはいえ、木製の格子ではそう長くは持たないだろう。
終わりのときは近い。
いつでもタツヤにメッセージと送れるように準備し、エミルは覚悟を決めた。
「聞いてイリア……僕は……」
言葉が……続かなかった。覚悟も決め、ずっと別れの言葉を考えていたはずなのに、いざその瞬間を迎えると何も思い浮かばない。
「エミル?どうし……キャァァァ!」
そんなエミルを急かすかのように小屋の扉が破られた。暗闇の向こうで光る瞳に悲鳴を上げるイリア。一瞬でもタツヤを裏切ろうとしたエミルを神様が罰しているのだろうか?
一刻一秒でも早くと急かすように事態が急変していく。
「早く逃げましょう!早く……でも、どこに!?」
格子を破ろうと棍棒を振り上げるゴブリンにパニック状態のイリア。とてもじゃないが落ち着いて別れを告げられる状況ではないが、それでも早く告げなければ二人共死んでしまう。
「聞いてイリア」
「何言ってるの、そんな場合じゃ……」
「お願い、イリア。もう時間がないんだ。だから」
「やめて、そんなこと言わないで。何かきっと助かる方法が……」
「違う……違うんだ。聞いてイリア……僕は……僕はもう死んでいるだ……」
ドン!ドン!と何度も棍棒を叩きつけられ、格子がその形を変えていく。
「えっ……死んでるって……何を言っているかわからないわ」
「信じられないかもしれないけど、本当なんだ。僕はあのときゴブリンに殺されてしまったんだ。けれどタツヤが神様にお願いしてくれて……それで、こうやって君にお別れを言う機会を貰えたんだ」
バキッ!バキッ!と格子がうめき声を上げている。
「やめて!やめてよ!神様って何?タツヤって誰なの?エミルが何を言っているのかまったくわからないわ!」
どんなに彼女が泣き叫ぼうと時の流れは止まらない。
「大丈夫。イリアのこともこの村のこともきっとタツヤが守ってくれるから……だからねイリア……」
これが最後だと言わんばかりにゴブリンが棍棒を大きく振り上げた。もう時間はないようだ。エミルは送信ボタンを押した。そして最後に言おうと決めていた言葉を――伝えることが出来なかった。
「……ごめんね、イリア」
そしてエミルはこの世界から姿を消した。
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