最後の一日

 神様に頂いた薬を飲むとエミルはその場で意識を失った。次に彼が目を覚ましたのは見覚えのある場所だった。もっとも見たことがあるのは外側からの景色で、格子の内側から見たことはない。ここに入れられるまでの経緯はわからなかったが、普段の村での彼の立場を考えたら別段不思議なことではなかった。


「たぶん誰もタツヤの話を聞いてくれなかったんだろうな……」


 エミルにはゴブリンの死体に気が付きもせず逆上して怒鳴り散らす村長の姿が容易に想像できた。しかし実際に死体がある以上村人の誰かが気がつくはずだ。そうなればエミルが村の近くでゴブリンを見たということが証明され、冒険者に討伐依頼を出せば近隣からゴブリンの巣穴が発見されることになる。イリア以外誰も信じようとはしなかったが、村の危機を予見していたエミルの考えが正しかったと証明されることになるのだ。


「もし僕がゴブリンを倒せていたら、昔のように戻れていたのかな……」


 後悔とは少し違う寂しさのような感情が溢れ、それを振り払うように頭を振るエミル。 

 どういった結果になっても、明日村を出なくてはいけない。イリアに、この世界に別れを告げなくてはいけないのだ。どんなに願おうとエミルの運命はすでに決まってしまっている。


「どんな言葉を残すべきなのだろうか?」


 自身への哀傷から目を反らすために思考を切り替えるエミル。

 残すものへの言葉。それは遺書と言ってもいいだろう。つい最近成人したとはいえ、十二年しか生きていないエミルは考えようとしたことすらない。

 参考になりそうなのは両親の言葉だろうか?

 冒険者だったエミルの両親は仕事柄遺書のような言葉をエミルに残していた。


『もし私達が帰らない場合は決して探さず、死んだものとして忘れなさい』 


 幼い頃はこの言葉の意味を理解出来なかったエミルだが、今だから両親の優しさだったのだと理解出来た。

 消えない傷となって心に残るならいっその事忘れて欲しい。その人が大切であるほど傷は深く残ることになる。それが理解出来るのであれば、自分もまた忘れてもらえるように言葉を残すべきなのだろう。

 だけど……とエミルの心はそれを否定する。

 たとえ二度と会えないとしても自分のことを忘れて欲しくはないと思った。

 忘れられてしまうと本当に自分が死んでしまうような気がしてしまう。いや、確かに死ぬことにはちがいないが、自分が生きたという証みたいなものまで消えてしまうような……

 言い表せない感情に苛まれてしまいそこで思考を停止するエミル。

 これ以上は何を考えても堂々巡りになりそうと眠りにつくことにした。

 明日になれば嫌でも解決されるだろうと。


 そして次の日。

 エミルの予想とは違い太陽が登りきっても牢を出ることは出来なかった。

 それどころか朝から誰一人として姿を現さず、みんなに忘れられてしまっているのではないかという不安に駆られてしまった。


「どうしよう……日が傾くまでには村を出る約束だったのに……」


 暗くなる前に次の村へたどり着くことを考えるとあまり遅くなるわけにはいかないのだ。


「……とりあずタツヤの事情を伝える必要があるよね」


 最悪の場合村を出るのは明日になる可能性もある。そのことを説明しないといけないなとエミルが思っていると、重大な事実に気がついた。


「どうやって会えばいいんだろう……」


 あの場所が精神世界ということはわかっているが行き方がわからなかった。初めてエミルがあの場所へ訪れたときは知らない間にたどり着いていたし、返ってくるときは神様に頂いた薬を使っている。

 昨晩普通に眠れたことを考えると意識を失ったところで行くことは出来ないだろう。

 いったいどうすれば……


「あっ……そうだ。確かポケットに神様が置いていってくれたものが……」


 縛られたままの手で恐る恐る自身のポケットを探ると、硬いものに手が触れ安堵した。精神世界での出来事なのでもしかするかもと思ったが、そうではなかったらしい。

 エミルはどうにかポケットの中の物を取り出し、それを手にした。

 それは丁度片手に収まる大きさの薄い板で、片面がガラスのようなもので作られた未知の塊だった。名前もわからないそれは、おそらくこの世界で遺物アーティファクト と呼ばれるで、科学という世界改変前の禁じられた知識に分類されるものだろう。

 昨日神様がいなくなったあといつの間にか机の上に同じものが二つ置いてあり、片方をタツヤが、もう片方をエミルが所持するこになったのだ。簡単に使い方を教わりはしたが、本当に使っても大丈夫なものなのだろうかと危惧するエミル。

 昔読んだ本に科学 を再現した国が数千万の竜に滅ぼされたという話を思い出してしまったのだ。

 流石にそれはおとぎ話だとは思うが、この世界にはそんな話があるくらい禁忌とされているのだ。

 しかし現状にはそれくらいしかタツヤと連絡を取る方法がなく、神様から頂いたものだなのだからとエミルはそう自分に言い聞かせることにした。


「……何も起こってない……よね……」


 エミルはそれから顔を背け、昨日教えられた通りに恐恐と動かしてみる。

 次の瞬間世界が終わりを迎えなかったことに安堵し、タツヤに事情を伝えようとしたが文字を入力するのがとても難しい。手を縛られているとかそういうことでなく、その行為事態が難しいのだ。

 明らかに手で書いた方がてっとり場合のではないかと思いつつも、なんとか必要最低限の言葉を書き込むことができタツヤに送ることが出来たのは、かなりの時間を要してのことだった。

 それから少しと待たずに返事が届いたのだが、送られてきたのは気にするなという文字と絵が書いてあるだけ。それを見たエミルは、さっきまでの自分の苦労や、簡易的とも感じられる返事の内容に思わずため息をついてしまうのだった。

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