第57話 豪雨とオリーブの枝(三)

 艦長、リタ、舞は、神流毘栖とベッキーと合流した。艦長は進入してきた場所には戻らず、別の場所を目指していた。


 先頭を艦長が進み、一歩遅れてベッキーが続いていた。

 艦長がどこを目指しているのか、わからなかったが、舞には艦長がどこに行くかよりも、体を襲う痛みと格闘していた。


 リタとキスをしてティアマットを渡して以来、頭痛がした。痛みは強くはなかったが、頭から背中へと段々広がっていた。


 後ろから神流毘栖の叱責が飛んだ。

「舞、どうしたペースが落ちているぞ、急げ」


 気付けば、横にいたリタが、かなり前を行っている。舞は気付かないうちに遅れていた。


 艦長、ベッキー、リタが先頭グループとなり、舞、神流毘栖が十mほど離れた後続グループになっていた。


 痛みが足を鈍らせていた。できることなら、座り込みたかった。現状では、足を止めるのは、死を意味する。舞は痛みに耐えながら、走っていった。


 長い上り階段を上っていると、階段の途中の扉から、火薬式の軍用ライフルを持った、ひときわ大きな鮫人間が出てきた。


 艦長と距離が離れたため、鮫人間を挟む形になった。鮫人間の出現に艦長が気がついて、足を止めた。すぐに、ベッキーやリタも振り向いて足を止めたが、鮫人の出現に背後をとられ、反応が遅れた。


 鮫人間は迷わず舞に背を向けて、銃を構えた。


(まずい、この距離でフルオートで撃たれたら、艦長たちが死ぬ。ベッキーの電磁ライフルなら鮫人間を貫通するから、ベッキーはきっと、私や神流毘栖を気にして撃てない。どうにかしないと)


 舞の思考が終わるより早く、神流毘栖が動いた。人間とは思えない素早さで、階段を駆け上がった。


 神流毘栖は杖を両手で、鮫人間の左側部を素早く打った。音は軽く、全く重さが乗っていなかった。


 神流毘栖の体重は鮫人間の約五分の一。本来なら倒せるとは思えないのに、鮫人間の体がグラリと揺れた。舞は素早く横に避けて、転がり落ちてくる鮫人間をやり過ごした。


 鮫人間が階下へと転がって行くと、艦長が無言で走り出した。

 神流毘栖が舞に先を急ぐように、顎で促した。


 舞が走り始めると、神流毘栖が横を並走しながら説明した。


「杖は水分子に作用する。杖が軽く相手の体に触れるだけでも、水分子を振動させ、水を含むものなら、瞬時に沸騰破壊する。防刃仕様も防弾仕様も、関係ない。使い方によっては、一過性の虚血性貧血を起させることも可能だ」


 曖昧に相槌を打った。なぜ、こんな時に神流毘栖が杖の説明をするのか、全然わからなかった。意味は後で考えよう。


 痛みが腰まで降りてきた。長い上り階段を上がるたびに腰が痛むので、とても辛かった。もし、痛みが膝まで降りてくれば、階段を上がれなくなる可能性もあった。


 艦長が上り階段を上がると、扉を開けて部屋に入った。

 舞もやっとのことで、部屋に入ると、思わず座り込んだ。どこが終点かはわからないが、今は少しでも休めるのが嬉しかった。


 部屋は災害時の物資を保管して置く場所で、広さは街中のコンビニより少し広い程度。隅には「Toilet」や「Shower」と書かれた縦長の箱があり、小さな避難施設のようになっていた。


 棚に毛布、水、ライフ・ジャケット等の物資が、透明なプラスチック製の棚に入って固定されていた。抽斗には封印が施されているので、部屋自体使用された形跡がなかった。おそらく似たような部屋が、今いるフロアーにはいくつもあるのだろう。


 部屋は、施設が水害で損害を被った時に、切離して物資だけでも確保できるように設計されていた。セカンド・ノアで施設ごと物資を失う苦い経験をした人類の知恵だ。


 艦長は全員が部屋に入ったのを確認すると、扉の横にあるパネルを操作した。

 扉の前にもう一枚の扉が降りてきて、部屋を密閉した。


 艦長が全員に説明した。


「ラミエルは緊急用の物資を必要としなかったらから、このフロアーには一切、手を加えていない。部屋の本来の機能が生きているなら、施設から切離し、海上に浮上させられるはずだ。リタ、部屋を切離すのを手伝ってくれ」


 リタは頷くと、艦長と共に作業を開始した。

 座り込む舞の横にベッキーが来て、心配そうに声を掛けてきた。


「大丈夫、舞ちゃん。すごく辛そうだよ。どこか怪我をしているの」

 舞は無理に微笑もうとした。


「怪我なんかしていないわ。大丈夫よ、ベッキー。ちょっと、背中が痛いだけよ」

 正直、ちょっとどころの話ではない。寝転がって「痛い、痛い」と泣き言をこぼしたい気分だ。少なくともブリタニア号に戻るまでは我慢しなければ、皆の足を引っ張る。


 ベッキーが何かに気が付き、神流毘栖に頼んだ。

「そうだ、神流毘栖。カンナビノールの薬剤パッチ。あれは、本来、医療用の痛み止めだろう。貸して、せめて痛みだけでも」


 たとえ麻薬の痛み止めでも、この痛みから逃れられるなら喉から手が出るほど欲しいと舞は純粋に思った。が、神流毘栖は首を振った。


「残念だが、もうあまり痛くないから、いつも持ち歩いていないんだ」

 ベッキーの声が幾分か険しくなった。


「もう、あまり痛くないって、どういうこと。奇病による痛みはないって、言ってたよね」


 神流毘栖は表情を変えずに、淡々と釈明した。

「すまない。ベッキー、私は嘘をついていた。本当は結構、痛かった。オピオイド系の麻薬鎮痛剤なら痛みをかなり止められるんだが、眠気が強く出て、仕事にならなかった。艦長に色々と試してもらった結果、カンナビノールは痛み止めとしては効果が薄かったが、唯一、眠くならなかった。だから、いつも使っていた」


 神流毘栖は不機嫌な様子を見せても、痛みに苦しむ素振りは全く見せていなかった。


 舞は神流毘栖の痛みに一切、気が付かなかった。けれども、神流毘栖の告白を聞けば、舞に対する神流毘栖の態度も理解できる気がした。


(神流毘栖はベッキーと親しくするから、私を嫌っていると思った。けど、あれは痛みによるイライラを私にぶつけていたのかも)


 ベッキーが神流毘栖を、母のように叱った。


「なんで黙っていたの。痛覚消去手術とか、痛みを止める方法は他にもあっただろう。痛みは我慢するなって、言ったろう。痛みに耐えてもいいことなんて、一つもない」


 舞は完璧に神流毘栖の演技に騙された。が、ベッキーはどこかで薄々感じていたらしい。


 神流毘栖はベッキーから視線を逸らして、寂しげな顔をした。

「痛みを消す手術は、いくつか検討した。結果、私が奇病で得た利点、人並み外れた直感や、反射を失いかねなかった。戦えない私は、単なる子供、要らない子だ」


 ベッキーは怒りを露わにして、神流毘栖をなじった。

「だから、痛みに耐え続けたの。私は使えないと思ったら、神流毘栖を捨てるって本当に思ったの」


 神流毘栖が顔を険しくして、逆に詰め寄った。


「じゃあ、ベッキーなら、どうなんだ。好きな人が危険な場所に飛び込もうとしているのに、力になれない。力があれば救えたという状況で、好きな人が死んでしまう事態を想像しないのか。それでも、痛みからの解放と引き換えに手術を受けられるのか」


 痛みに曝されている舞は、神流毘栖は本当にベッキーが好きなんだと思った。

 神流毘栖がどれほど痛い思いをしていたのかは知らないが、舞は一時間も経っていないのに、泣き言をベッキーに漏らした。


 ベッキーが銃を置いて神流毘栖を正面から抱きしめて、優しく言葉を掛けた。

「わかった。もう怒らない。私がお前でも同じようにしたよ。私は誓う。お前を置いていったりしない。だからお前も誓って欲しい。私に対してだけでも正直になって欲しい」


 神流毘栖が抱きしめるベッキーの腕に手を添え、小さな声で答えた。

「わかった。もう、いつ死んでもいいとか、言わない」

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