第56話 豪雨とオリーブの枝(二)

 中央制御室に向かう途中、遠くから鈍い音がし、ほどなく施設の壁が軋む音が聞こえた。


 何が起きているかはわからないが、ラミエルがまた何か手を打ったのだろう。

 中央制御室の近くでは、見たこともない大型の銃器を持った鮫人間が四人、倒れていた。鮫人間の側には杖を携えた、神流毘栖がいた。


 中央制御室に入ると、ベッキーの足音が制御室の前で立ち止まった。おそらく、敵の新手の出現に備えて、神流毘栖と一緒に迎え撃つのだろう。


 舞は艦長がいる奥の扉の前に来ると、扉は自動で開いた。艦長がラミエルから扉の制御を幾分か取り戻した証拠だった。


 扉の奥には壁には疲労した表情の艦長が、壁に凭れ掛かるようにして座っていた。

 リタは疲労している艦長に目もくれず、宙を見つめて佇んでいた。


「艦長、早く脱出しましょう。祖父から、ティアマットという、原始プログラムを受け取ってきました」


 艦長は短い舞の説明で全てを察知したようで、フラフラしながら立ち上がった。

「残念だが、戻る時間はない。サード・ノアは始まり、施設はじきに大爆発に見舞われる」


 言葉は敗北宣言に等しかったが、艦長の顔には疲労こそ見えるものの、絶望の色はない。


 艦長はここが正面場だとの覚悟を露わにして発言した。

「ここから、ティアマットの情報をブリタニア号に送る。即興でアプス水消滅弾道ミサイルを改造して、ラミエルをここで撃つ」


 ブリタニア号の大きな柱のようなミサイル格納庫には、弾道ミサイルが入っていた。柱は二本あった。つまり、ミサイルはあと一発、残っている。


 舞は、どうやって情報を送るかわからなかった。だが、艦長がリタに視線を向けた時、舞は艦長の秘策を理解した。


「リタは奇病に罹っていて、水分子共鳴現象を利用できるんですね」

 サハロフである艦長とガーファンクルが秘密裏に連絡が可能だったのも、リタとリサのお蔭だろう。リタはリサを含む兄弟たちと情報を遣り取りできるのではないのだろうか。


 リタが時折ボーッとした表情で宙を見つめていたのは、遠くにいる兄弟たちと他愛もないお喋りをしていたからだと仮定すれば、説明がつく。


「ブリタニア号にはリサが乗っていたんですか、でも、どこに」

 艦長はわずかに苦い顔して、苛立ったように言葉を出した。


「舞君はリタにティアマットを渡してくれさえすればいい、後はリタがやってくれる」


 言い方から推測すると、艦長はすでにここまでの事態を想定していたかのように思えた。


 舞はティアマットの渡し方をなんとなく、理解していた。

 虚ろなリタの唇に舞の唇を重ね合わせ、そっと息を吹き込んだ。舞の頭に、殴られたような痛みが走った。舞は堪らずしゃがみ込んだ。


 リタが「リラ、行くよ」と呟いた。


 リラは死んだとベッキーから聞いていた。艦長室に侵入した時以来、リラには会っていない。ブリタニア号のどこかに隠れていたとも思えなかった。


 舞は次の瞬間、艦長が実行したであろう恐ろしい行為を推測した。

(ブリタニア号には最初から六人いた。リラは最初からミサイルの中にいたのよ)


 リラはおそらく、祖父のように水の塊になってしまった。

 いや、艦長によって水の塊にされたのかもしれない。艦長が水に意思を込められる方法を既に知っていたのは、そのためだ。


 艦長は水になったリラを、アプス水となりながらも意思を保つ処理をして、ミサイルに封じ込めたのだ。今日この時、ティアマットを転写して空に打ち上げるためだけに。


 虎と遭遇した時、ベッキーが日本にいたのは、舞の体に情報伝達の処理を施し、双子鰐島に身柄を確実に運ぶためだったのだろう。


 艦長は、本当は会わないで済ませようと、WWOの襲撃チームをスタンバイさせたが、虎が逃げ出す偶発事件が起った。


 対応できる人で急遽必要になったので、ベッキーと神流毘栖が手を貸さざるえなくなった。だから、ベッキーはブリタニア号で会ったときは初対面だと嘘をついた。


 最初にブリタニア号に乗った時に、殴られたような頭痛を感じた時があった。

 あれは艦長が、舞がティアマットを入手したときのために、リタを介して情報を伝達できるかどうかの実験を行ったせいではないだろうか。


 あの時は実験が失敗して、舞が昏倒した。艦長は気を失った舞を医務室に運び、治療に見せかけて、情報伝達の方法の調整を掛けた。だからこそ、脳が影響を受けて一時的にブリタニア号にいたリラが見えた。


 リサを介しての情報伝達の人体試験も、事前に行っていた節がある。舞の前任の子だ。

 前任の子も、同じようにリラを見た、だからこそ「幽霊が見える」と記したメモを残したのではないだろうか。


 もっと疑って見れば、前任の子は、人体試験が原因で死期を早めたかもしれない。

 こうなってくると、艦長が子供の姿をしているのも怪しい。艦長は若返りを肯定しなかったのは、奇病で若返ったのではないからかもしれない。


 もしかすると、艦長はアプス水化して、子供の体に艦長の意思が入ったアプス水を注入することで、子供の体を乗取った可能性もある。


(全てはラミエルを倒し、サード・ノアを防ぐため。だけど、そのために何者をも犠牲にする。セカンド・ノアを知る世代だからこそ、できる執念。でも私は、そんな艦長が怖い)


 リタが業務口調で、ブツブツと喋り出した。

「ティアマット転送完了。原始プログラム・チェック、オール・グリーン。ティアマットによる充分なアプス水消滅効果を確認、コード変更作業をスキップ。発射準備、問題ありません」


 リタが恋人と別れるような寂しげな笑顔を見せ、「艦長、行ってきます」と言った。


 艦長に対するリラの別れの言葉だと、舞は思った。

 艦長がリタに敬礼をすると、リタの顔から笑顔が消えた。


(リラがラミエルに向って、飛んでいった)

 リタの体が崩れ落ちた。艦長は気を失ったリタの頬を、勢いよく平手打ちした。艦長が十数回、リタをぶつと、リタが目を覚ました。


 艦長は首筋のモジュラー・ジャックからケーブルを引き抜くと、苦痛を浮かべた顔で、舞とリタに命令した。


「もう、あとは結果を待つだけだ。ここにいても、やることがない。脱出する」

 リタは「はあい」と返事をして、頬を擦りながら、立ち上がった。頬を擦るリタの顔は、どこか悲しげに見えた。

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