第52話 ラミエルとサハロフとティアマット(二)

 青黒い潜水服に身を包んだ、艦長、神流毘栖、ベッキー、リタ、舞がSDVに乗り込むために、暗褐色のDDS(ドライデッキ・シェルター)に降りた。


 舞は神流毘栖から、口に当てるタイプのスプレーを渡された。

「注水前の処理だ。潜入する場所でも深度二十mあるから、潜水病の予防措置だ。スプレーから息を吸い込んで吐く動作を三十回ぐらいしろ。原始プログラム技術を応用した酸素が肺胞に定着して、窒素を血液中に溶け込まないようにする」


 舞は神流毘栖から渡されたスプレーを吸って、潜水病に備えた。全員が潜水用の小型ボンベを背負うと、DDSに注水が開始された。


 満水になったところでハッチを開いてSDVに乗り込んだ。

 SDVは筒状の乗り物で、運転席のみ前が見えるようになっていた。後部座席はスライド式のドアが閉じると、真っ暗になり、何も見えなかった。


 SDV内では運転席にベッキーが座り、残りが後部座席に膝を突き合わせて乗った。


 SDVは発進後、三十分ほどで停止した。艦長がSDVのスライド式ドアを開け、小さなライトで、建物にできた亀裂を差し示した。


 亀裂から建物内に進入した。少し進むと、水を遮る防水隔壁があった。

 艦長が扉付近でなんらかの操作をすると、扉が上に開いて、海水ごと扉の中に押し流された。が、すぐに、扉が再び閉じたので、海水の流入は停まった。


 施設内の機能は艦長の言葉通り機能しており、灯が点いていた。目の前には踝まで水に浸かった、双子鰐島のWWO施設と変わりない廊下が続いていた。


 艦長が率先して歩き出すと、赤い防水隔壁に突き当たった。艦長が隔壁の一部をスライドさせるとパネルが現れ、ポケット型コンピューターを翳すと、赤い防水隔壁が開いた。


 隔壁の向こう側に水がゆっくりと流れ、クリーム色の廊下を濡らした。

 赤い防水隔壁の向側は、完全に乾いていた。


(艦長の読みどおり、施設の中枢部分は無事なんだ。いったいこの中に、どれだけラミエルの仲間が潜んでいるんだろう)


 ベッキーが持ってきた袋を開けて電磁加速式の軍用ライフル、参千式電磁ライフルを手早く取り出した。次に、マガジンが詰まったベストを素早く着て、戦闘態勢に入った。


 参千式電磁ライフルは火薬式とは違い、フルオートや三発同時発射の三点バーストでは撃てない。


 参千式自動電磁ライフルは射撃モードは単発のセミオートのみだが、無音。威力も火薬式より大きいので、冷静かつ精密に当てられるのなら、電磁加速式のほうが強い。


 ベッキーが無言でSIG SAURE P228を舞に差し出したので受け取った。リタや艦長もベッキーからマシン・ピストルを手渡されていた。


 神流毘栖だけが、銃を手にしていなかった。神流毘栖は銃の替わりに、手に杖を持ち、ナイフが多数差してある、ベルトも身に着けた。


 杖は長さが百二十㎝、先端に赤いガラスのような玉が埋まっている。まるで、御伽噺の王様が持っているような杖だ。


 杖を武器として携帯するのは、神流毘栖を良く知らなければ、ふざけているのかと思う。


 だが、杖を持っているのが神流毘栖なので、間違いなく杖には何か仕掛けがある。

 最後に全員が足の裏に音を吸収するシートを貼り付け、準備完了。艦長は一同を見回してから小走りに、通路を走り始めた。


 施設内には監視カメラが仕掛けられていると思った。進入したのは、ラミエルに知れているはずだが、照明が非常用に切り替わったり警報が鳴り響いたりはしなかった。


 しばらく進んだところで、舞は不思議に思った。

(ラミエルは少なくとも潜水艦を三艦保有していた。ある程度まで大きな組織だから、信者とか同志がいると思っていたけど、施設内に人の気配がしないわ。ひょっとして罠とか)


 先の国連軍との戦いで全員が死んだ、ないしは逃亡した、という考え方もある。それにしても、人が以前いた気配がない。


(AI搭載型潜水艦にしても、変異鉄細菌にしても、使用するには人員を必要としないわ。ひょっとして、ラミエルの仲間って十人もいなかったのかしら)


 艦長が曲がり角で足を止めた。角の向こうからペタペタという足音が聞こえてきた。


 敵が来たと思ったが、すぐに、足音の質や間隔に違和感を持った。足音なのだから人だろうが、ペタペタという足音は、人にしてはどこか奇妙だった。


 神流毘栖が素早く、ベストから鏡を取り出し、角の先を確認した。神流毘栖は振り返って、ベッキーと艦長に向って指を素早く複雑に動かして見せた。


 艦長が頷くと、ベッキーも頷いた。

 おそらく、神流毘栖が手話で話しかけ、艦長とベッキーが了解したのだろう。舞にはどんな遣り取りがあったのかは全然わからなかった。


 だんだん足音が近付いてきた。突如、神流毘栖とベッキーが飛び出した。

 ベッキーが銃を向けた。すぐにドサリという音が二つした。舞は、敵が死んだと思った。


 世界にサード・ノアを引き起こそうとした側の人間だとしても、やはり死人を出すのは気が引けた。


 艦長が通路の先を確認して、小走りに走り出した。舞は艦長の後を追って角を曲がると、異様な物を目にして、思わず立ち止まった。


 神流毘栖の足元には、鮫と人間の中間のような黒い体から人間の手足が生えた、体長二m、二百㎞ほどの異形の存在が横たわっていた。


 頭部は鮫のように大きく、ギザギザの歯が並んで、背中は曲がっていた。水掻きが付いているが、確かに人の手足が付いていた。


 人間でもロボットでもない、まさに鮫人間と思しき物体が、白目を剥いて倒れていた。


 舞はもっとよく見ようとした。が、背中を小突かれた。振り向くと、神流毘栖が険しい顔で、先頭を進む艦長たちを指差した。


 舞は急げという意味だと思い、艦長を追いかけた。が、心は少なからず動揺した。

(何か、思いもよらないような事態が、この施設では起きている)


 以前、ガーファンクルは「確率現実症が人類を造った」と表現した。人がサルの進化系なら、目の前の存在は鮫が進化した人なのだろうか。


 人は知覚できないものを重要視しない。アプス水が視覚、嗅覚、味覚に影響を与えたのなら、人はアプス水の恐ろしさを直感的に意識しただろう。


 舞はラミエルの考えを推測して、脳内が冷たさで震えた。


(人類を水に敏感にするなら、水生生物から人類を作ればいい。ラミエルはサード・ノアで今の人類を滅ぼした後、より水に敏感な人類を作ることで、世界を安定化しようとしているかもしれない)


 世界に裏切られたラミエルは絶望して、より過激な思想に染まったのだろうか。

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