第44話 艦長これは反乱です(十)

 ガーファンクルが立ち上がり、去ろうとしたので、舞はガーファンクルを呼び止めた。


 奇病について、先がわからないというなら、それでいいが、自暴自棄にはならない。


 たとえ、明日世界の終わりを招いても、知りたい情報は聞いておきたい。

「待って、ガーファンクル叔父さん。ラミエルって、誰」


 ガーファンクルは立ち止まって振り返った。

「ラミエル。ああ、ノアの方舟の話で、ノアに洪水が来るのを告知した天使のことかい」


 ガーファンクルは明らかにとぼけている。

「違うわ、ガーファンクル叔父さん。守お祖父ちゃんと関係しているほうのラミエルさんよ。何か関係があるんでしょ。教えてよ」


 ガーファンクルは椅子に座り直した。ガーファンクルはとぼけ続けるか、とも思った。が、素直そうに話し出した。


「ラミエルは、サハロフと同じ私の友人だ。原子プログラム技術者として守の治療に当っていた人物だよ。ただ、ラミエルもまた治療に当る中、水分子奇病を発症して死んだよ」


 ラミエルが死んでいるのは信じられなかった。とはいえ、ガーファンクルが嘘を言っているようには思えない。


「じゃあ、AI搭載の艦船の制御を乗っ取って国連と敵対しているラミエルとは別人なの」


「おそらくは別人だろうが、なぜラミエルを名乗っているのかは、不明だ」

「おそらく」が意味するのは、ガーファンクルは可能性はゼロではないと見ている。


 水分子奇病者は死ぬとWWOに引き取られ、専用の炉で火葬された後、遺族に遺灰が渡される。ラミエルの墓が、どこかにあるのだろうか。


「お祖父ちゃんや、ラミエルさんの死体は、どこに埋葬されたの」

「双子鰐島の地下にある特殊区画だよ」


 またも、おかしな言い回しだ、ガーファンクル叔父さんは「この島」ではなく、「双子鰐島」と答えた。


 舞は一つの可能性を見出した。

「ガーファンクル叔父さん。ラミエルさんは、もう一つ存在する双子鰐島で亡くなった。もう一つの双子鰐島が、国連と敵対するラミエルの拠点なのね。だからおそらくって返事をしたのね」


 ガーファンクルは肯定も否定もしない、ただ黙って舞を見つめていた。

「ラミエルさんには、きっと世界を憎む動機もあるのね。動機はお祖父ちゃんが、世界に消された件と関係ある。違う」


「舞は、本当に頭のよい子だね」

 ガーファンクルは一度、ふっと目を閉じた。


 推測が当ったと思った。ガーファンクルは真実を伝えるかどうか迷っているのだろう。


 舞はガーファンクルが教えてくれなくても、真実を求め続けるつもりだ。だが、できればガーファンクルの口から聞きたかった。


 数秒して、目を再び開いた時には、目には静かな覚悟が宿っているようだった。

 ガーファンクルは唐突に講義をしだした。


「ゼロ質量素粒子の存在は、どこに、どれくらい、どのくらいの時間、存在するのかは実際にはわからない。ゼロ質量素粒子の存在は数式で計算して求めているんだ。ゼロ質量素粒子一個は〇・九十九フェムト秒のある状態と〇・〇一フェムト秒のない状態に分かれる。重要なのはゼロ質量素粒子がない状態を迎えると、ゼロ質素粒子がなぜか消滅する事実だ」


 舞は、大学で習った原始プログラム技術概論の授業を思い出した。


「確か、消滅は全てのゼロ質量素粒子がゼロにならなければいけない。つまり、ゼロ質量素粒子は一個だと、約一フェムト秒の寿命を持つけど。二個なら、消滅確率が〇・九九×〇・九九だから約百倍安定。おおよそ、百フェムト秒の寿命がある。八個だと、えーと、九十二ミリ秒存在できるってことかしら」


 ガーファンクルは頷いた。

「ゼロ質量素粒子の寿命は、一定範囲内に数を増やせば増やすほど、延ばせる。だけど、ゼロ質量素粒子は、どんなに多くなっても、理論上ゼロになる瞬間があるんだよ。つまり、確率現実症で一斉にゼロになる状態を意図的に引き起こせるのなら。アプス水の原始プログラムが消滅して、アプス水をただの水分子に戻せるんだよ」


 ガーファンクルはどこか寂しく、どこか優しい老人の顔で告げた。

「ラミエルはね、世界からアプス水を全部すっかり消して、世界の環境を元通りにしようとしたんだよ」


「悪いことには聞こえないけど」

 ガーファンクルは学者らしく、説明した。


「今、地球本来の姿は、南半球は水害が猛威を振るい、北半球は旱魃が蔓延しているのが本来の姿なんだよ。だが、そうはなっていない、北半球では今も秘密裏にアプス水を作り続け、水を得ている。地球本来の姿に戻すとは、北半球が大打撃を受けることなんだよ」


 教科書では、アプス水の作成は原則禁止されたとなっている。国連を動かしている有力国は北半球に属していた。違反国が監視側にいるのなら、歯止めが利かない。


 舞は素直な感想を述べた。

「北半球を維持するためにアプス水を作り続け、南半球の浄化プラントで帳尻を合わせているのね。でも、均衡はとれていない。オーストラリアでは陸地が崩壊し、世界で奇病が蔓延している。アプス水を使い続ければ、人類は滅びるんじゃないの」


「神様の視点で考えれば、一度アプス水を消去して、人間に過ちを償わせる。その後、長時間を掛けて、地球が回復するのを待って、人類が再起するのが最善だろう。だが、今を生きる人間は償うどころか、反省すらしない道を選択したんだよ」


 ガーファンクルは奇病に関わる人間として、人類の反省しない道を行く事態を見届けるという選択をしたのだろう。


 ラミエルはおそらく、強硬に最善の道を進もうとした。今、国連に敵対するラミエルはラミエルさんに代わって、何かを成し遂げようとする者かもしれない。


 アプス水を消そうとしたラミエルの復讐を、浄化プラントを破壊し、世界に危機を突きつけて回避させる。


 賢明とはいえない選択肢だが、危険かつ手荒な手段を採らなければ、人類は行動を変えないと判断したのだろうか。


 過去の人間の選択を「ああしていれば」と、非難する気もないし、人類は常に最良の選択をしなければいけないとは思わない。


 ラミエルが正しく、ガーファンクルが間違っているとも思えない。

 舞は考え付いた推測を述べた。


「ラミエルさんは、確率現実症という奇病から、一度にアプス水を消す方法を思いついた。けど、セカンド・ノアの影響が終わり、急速に砂漠化が進む北半球の国の人々が、アプス水の一斉消去を許さなかった」


 ガーファンクルは俯き、寂しそうに言葉を漏らした

「だいたい、そうだよ。守もラミエルも島の隔離区域に監禁され、奇病で死んでいった」


 奇病で死んだのか暗殺されたのかは、結局、ガーファンクルにはわからないのだろう。


 ガーファンクルが舞の奇病を隠した理由はわかった。

 舞は、何ができるといわけではないが、できるだけ当時の状況を知りたいと思った。他に聞ける人物は、ガーファンクルの友人であるサハロフさんだろう。


「サハロフさんて、どんな人。ガーファンクルおじさんみたいな、優しい人」

 ガーファンクルは臭い発酵食品の臭いでも嗅がされたように顔を顰めた。


「まあ、優しく、頭のいい人物ではあるよ。詐欺師のようにね」

 老獪なガーファンクルに、詐欺師呼ばわりされるところも見ると、サハロフという人間には一癖あるのかもしれない。


「サハロフさんと話がしたいわ」

「サハロフを紹介することは、残念ながらできない。サハロフはラミエルの研究仲間だったせいもあるが、身を隠しているんだ。まあ、時が来たら会えるように手配するよ」


 舞はガーファンクルの考えに、引っかかりを感じた。身を隠しているのは理解できるが、今までガーファンクルはサハロフと頻繁に話をしているようなことを言っていた。舞とサハロフを会わせられない理由があるのだろうか。


 舞は以前、艦長室で撮った映像を、病室の立体ディスプレィに表示して、ガーファンクルに確認した。


 ガーファンクルと守お祖父ちゃん、の他に、もう一人の写っていた白人男性は、ラミエルではなく、サハロフさんだと言った。


 ガーファンクルは立ち上がった。


「すまいないが、舞。もっと話を聞いて上げたいが、今は忙しくてね。また今度、会おう。いや、科学が通用しないのなら、会っても、もう何もしてあげられないかもしれないがね」


 舞は、手にしたサイコロを返そうとした。が、ふと思いついて、部屋の入口に「七」と叫んでサイコロを投げた。


 舞はベッドから立ち上がり、サイコロに近付く。

 サイコロは一の目を上にして停まった。


「大丈夫よ、ガーファンクル叔父さん、確率現実症っていっても、なんでもありってわけじゃなさそう。七って叫んでも、一が出たもの。人類を滅ぼすことも、きっとないわ」


 舞はサイコロを拾おうとした。そのとき、リサが部屋に入ってきた。リサはサイコロを踏んで、慌てて足をどけた。


 サイコロは二つに割れて、二と五の面が上に出ていた。

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