第34話 地底湖の底で、水が呼ぶ者(八)

 誰かが舞の頬を叩いた。舞が目を開けると、まっ白な神流毘栖の顔があった。

 神流毘栖がプラスチック製の五㏄ぐらいのスポイトで液体を舞の物を口に入れた。


 途端に口の中に、人生で一番の苦味を感じた。舞は思わず咳き込んで、液体を吐いた。


 神流毘栖が、新たなスポイトの先端を折り、容器を開けた。神流毘栖は薬を嫌がる子供を叱る母親のように、どこか怒ったような顔で促した。


「舞、苦くても飲め、薬だ。さあ、もう一度、あーんして。それとも、子供用のシロップで薄めたのが飲みたいか」


 舞は意識が朦朧としていたが、神流毘栖に馬鹿にされるのが癪だったので、黙って口を開けて薬を飲んだ。


 薬はべったりと舌に苦味を残しながら、喉の奥に未練がましく流れていった。

 薬を飲みこむと、神流毘栖が、五百㏄飲料パウチを差し出した。


「液体食料だ。ゆっくり飲め」

 舞は濃厚なオレンジジュースのような液体食料を受け取り飲んだ。飲みながら、視界を巡らすと、舞はティルト・ローターの中にいるようだった。


 記憶の中のティルト・ローターとは備品の位置が変わっていた。おそらく、墜落を免れたティルト・ローターを修理して、戻ってきたのだろう。


 ベッキーの姿を探した。いつも優しく声を掛けてくれたベッキーの姿は、見当たらない。


 もう見つかって、ダーウィンの基地で手当てを受けているのだろうか。

「ベッキーは、どうしたの? 見つかった?」


 神流毘栖は表情を変えず、黙っていた。舞は神流毘栖の態度から一抹の不安を感じた。


 神流毘栖ではなく、操縦席に座っている艦長が答えた。

「まだベッキーは見つかっていない。残念ながら、タイムリミットが迫っている」


 艦長は舞に背を向けたまま、話し続けた。

「もう、燃料が残り少ない。ダーウィンに帰還しなければならない。が、オーストラリアには大型の低気圧が近付いている。四時間後には、ここは嵐になる」


「サイクロンはどれくらい居座るんですか」

 声に感情を普段、表さない神流毘栖が、どこか寂しげに答えた。


「本来ここら辺はアプス水の影響でいつも、荒れている。今回はたまたま、サイクロンが過ぎたあとだから、天候が安定していた。天気予報では、このあと三日ほどオーストラリアに低気圧が居座り、嵐になる」


 嵐になれば、舞と同じく装備を持っていなかったベッキーの生存は絶望的だ。唯一の避難できそうなアプス水浄化プラントは魚雷で沈んだ。引き返せばベッキーは助からない。


 舞は神流毘栖の目が暗く「なぜ、発見されたのが舞で、ベッキーではないんだ」といっているように見えた。

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