第30話 地底湖の底で、水が呼ぶ者(四)
ベッキーの名を呼びながら、歩き出した。島は苔むした木々が密集してできているため、足場は良くなかった。もっとも、歩けないほどではなかった。
島は小さいと思ったが、予想外に広かった。進めど進めど、対岸が見えてこなかった。
舞は脳内マイクロ・マシンのGPS機能から位置を知ろうとしたが、うまくいかなかった。原因が空を覆うアプス水にあるのか、敵の妨害工作かはわからない。
歩きながら、通信を百回近く試したが、通信エラーになった。舞はそれでも祈りを込めて通信を送ると、約一秒だが衛星と繋がって、情報が得られた。
衛星と通信できる可能性があるなら、と外部に連絡をとろうとしたが、繋がらなかった。
「でもいいや、一秒でも繋がった幸運を感謝しよう」
外部との連絡がつかないのは困った事態だが、位置情報がわかっただけでもいい。 舞は神流毘栖から貰った地図を見た。
意外な事実を知った。舞はアプス水浄化プラントまで、歩いて三kmのところにいた。
もし、霧が晴れていたら、プラントが見えるかもしれない距離だ。助けを待たなくても、浄化プラントまで歩いていけば、助かる。
プラントに艦長やWWOの職員の人がいなくても、プラントまで辿り着ければ、どうにかなる。
プラントはもう存在しない可能性もあるが、ネガティブなケースだけを想定しても、事態は好転しない。
プラントまでどうにか辿り着きたかったが、夜の闇が訪れつつあった。暗い中を行動するか、迷った。
「急げば辿り着けるかもしれないけど、道は悪いわ。途中で暗くなるのは確実よね。暗くなって危険に気が付かず、穴にでも落ちれば、這い上がれない」
真っ暗な道を歩いて、尖った枝を踏み抜けば、歩けなくなる可能性もあった。
考えている間にも、辺りは暗くなっていった。
「プラントを目指すなら。急いだほうが良いけど、どうしよう」
舞は無理をしないと決めた。
夜、暗い湖で一夜を明かすのはゾッとしないが、やはり暗い道を無理に歩くのは危険だ。それに、プラントまで道が繋がっているとは限らない。
途中で泳ぐ状況に直面して、暗い湖を泳いで、流されてきた流木に当りでもしたら、それこそ死神だけが喜ぶ。
夜は冷えるだろうが、救助者用衣の保温性や防湿性は水中で経験済み。台風が過ぎたあとだから、暴風雨に曝される心配もない。
救助者用衣の性能なら、このまま地面で寝ても体温を奪われて、低体温症になることはないだろう。
雨が降らない状況を祈り、じっと、座って一晩を明かそうと決めた。夜になったが、寒さは全く感じなかった。
舞が神流毘栖から受け取ったライトを点けても、虫が寄ってこなかった。
気温が高い地域の水辺なのに蚊、ブヨ、に悩まされないのは嬉しい。もっとも、原因が地底湖に含まれる、アプス水の影響で虫が生きていけないのだとしたら、複雑な心境だ。
人間の呼吸量は一日で約七千五百リットル。こうして、アプス水が絶えず空気中にある環境下では、一日も呼吸していれば、アプス水を相当体内に取り込む状況になる。
舞はライトの光りを眺めながら、ぼんやりと思った。
「アプス水を吸い込むのって奇病を促進したりするのかな。それとも、もう体内にアプス水が入った人には無効なのかな」
考えてもどうにもならないとわかっていた。されど、何かを考えずにはいられなかった。
脳内マイクロ・マシンにアクセスして音楽を聴きたい願望もあったが、止めた。小さな物音の聞き逃しが生死を分けるかもしれない。
眠ってしまおうかとも思った。でも、すぐには眠れなかった。
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