第25話 亡霊の影と溶ける大陸(五)

 舞は潜水艦乗りとして必要であるという、本来ならば三ヵ月かけて行う訓練を、三泊四日で無理やり行った。


 休暇は舞を優しくした。舞は、体に触れてくるベッキーの心中を思いやった。

「ベッキーはきっと寂しいんだ。人恋しいって言うのか、温もりを求めているのかもしれない。だったら、温かさを分けてあげよう」


 温かさを分けると決めてから、ベッキーの視線は気にならなくなった。いや、ベッキーが肌を寄せてきたなら、舞も肌を寄せ返した。


 舞は神流毘栖からベッキーを取らないようにも気を付けた。神流毘栖が舞にだけ突き放したような態度を取るのは、ベッキーと仲良くするかだと思った。


「神流毘栖はきっと、友達が取れるようで、私を嫌っているのね。私はベッキーのようになれないかもしれないけど、できるだけ神流毘栖と友達になろう」


 舞は神流毘栖にも嫌がられても、ベッキー同様に積極的に触れ合った。神流毘栖は風呂から逃げる犬のように迷惑そうにしたが、完全に拒絶はしなかった。


 舞は感じた。

「神流毘栖も、いつ死んでもいいってよく言うけど。死ぬことと、寂しいことは同じじゃないよ。神流毘栖は私より六歳も幼いんだ。きっと、私より辛いよ」


 慌ただしい訓練が終わると、ブリタニア号はオーストラリアに向けて出港した。

 オセアニア地域は現在、最も、アプス水濃度が高かった。高いがゆえに多くのアプス水浄化プラントがあり、研究が盛んだと艦長から聞かされた。


 オーストラリアに行く途中、フィリピン沖では大きな台風が発生す予兆があったが、潜水艦に嵐は関係ない。


 潜水艦内の生活は相変わらず単調だった。が、神流毘栖やベッキーと打ち解けたおかげで、雰囲気は以前より良くなった。


 ブリタニア号は五日を掛けて、オーストラリアの町ダーウィンに到着した。

 ブリタニア号が浮上して、外の映像が舞の座る前にある立体ディスプレィに現れた。外は、台風の尾がまだ掛かっているらしく、風が強く、波が高かった。


 ダーウィンの空は厚い灰色の雲で覆われ、陸地のあちこちに小さな緑色の山が見えた。

(なんか、昔の映画でゾンビが出てくる土葬された、お墓の群れみたい)


 どこにも街らしいものはない。舞はダーウィンがまだ先だと思った。

 なんの気なしに、舞は小さい山を拡大映像で見た。


 ところが、小山は倒壊した苔むした建物だった。舞は驚き、次々に小山を拡大してみた。


 そうしたところ、全てが建物の痕跡があった。

 舞はダーウィンの町を見て、異様な光景に声を上げた。


「ひどい。ダーウィンは津波か何かで滅んだんですか」

 舞の横にいたベッキーが、少しだけやるせない表情で答えた。


「違うよ。街は津波で滅んだんじゃない。街はアプス水の影響で崩れたんだよ。いや、溶けたって、言ったほうが、わかり易いかもね」


 アプス水がコンクリートを崩落させ、錆に強いはずのステンレス鋼をも腐食させる効果ある事実を学校で習った。が、二十年や三十年で街が溶けるとは信じ難かった。


 ベッキーが艦長を見ると、艦長は頷いて説明した。

「酸性雨による侵食でも、三十年でここまでならない。ここから先の情報はWWOが公式に発表していない情報になるが」


 WWOが公式発表していない重要な情報となると、不確かな情報か、公表が世界的にパニックを起しかねない情報の、どちらか。


 おそらく、艦長がこれから言う情報は、前者を装った後者だ。

 舞は聞きたくないと思いつつも、艦長の言葉に耳を傾けられずにはいられなかった。


「原子プログラム技術が開発された当時、ゼロ質量素粒子は酸素と水素にのみ影響するはずだった。シミュレーションでも、アプス水は他の原子には影響しないとの予測を得ていた。だが、現実は違った」


 予測が大きくずれたのは、知っていた。高校の歴史の授業でも習ったが、当初の予測ではセカンド・ノアや水分子奇病の発生すら予測していなかった。


 艦長は淡々と説明を続けた。


「予測が外れた原因は、人類がアプス水を作りすぎたためだ。現在、シミュレーション時の予測より一万倍ほど、アプス水濃度が濃い。濃度を一万倍にシミュレーションし直すと、十年、二十年という短いサイクルですら他の原子に影響する可能性が明らかになった」


 二十一世紀初頭の人類は、水やエネルギー問題で窮地に立たされていたと聞いていた。エネルギーや水を渇望する人類は、十年先、二十年先を考える余裕はなかったのだろう。


 今になって思えば愚かしい考えだが、人類が常に賢明とはいえない選択をしてきたのも事実だ。


「原子は普遍な物ではない。原子が年月を経て、放射線を放出して、別の分子になる、原子核崩壊の現象を知っているかね」


 放射性物質が放射線を出して、より安定な原子に変化する現象は高校の物理で習った。


 舞は頷くと、艦長は説明を先に進めた。

「ゼロ質素粒子を含む水素が、水素以外の分子と接触したとする。接触すると、酸素原子を除く原子内にゼロ質素粒子が現れる。新たに生まれたゼロ質素粒子は、原子核崩壊を起こさせ、水素に変えてしまう。研究者の間では水素化原子核崩壊と呼んでいる。なぜか、水素化原子核崩壊は放射性物質より安定なはずの珪素と鉄に、高確率で起きる」


 鉄骨が鉄を含み、コンクリートは珪素を含む。ビルが崩壊した原因はわかった。が、オーストラリア以外では、ビルの崩落現象は聞いていない。


 水素化原子核崩壊は、アプス水の濃度がある一定水準を超えると、発生する頻度が爆発的に増えるのだろう。オセアニア地域は、地球上で最もアプス水濃度が濃い地域だからこそ、一番大きな被害を受けていると思われた。


 地球に占める元素の割合は水素が一%程度、酸素が三十%。

 鉄と珪素は、合わせれば約五十%にもなる。鉄と珪素が水素に変わっていけば、地球は文字通り、水の惑星になるかもしれない。


 神流毘栖が舞に背を向けながら、言葉を発した。

「二十一世紀の初頭、オセアニア地域には十四の国家があったが、今はオーストラリア、ニュージーランド、パラオ、アジア・オセアニア連合共和国の四ヵ国しかない。オセアニアの小さな島国は、今は海の底だ」


 舞は脳内マイクロ・マシンの辞書から「アジア・オセアニア連合」と検索した。

 アジア・オセアニア連合はマレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、インドネシア、東ティモール、パプアニューギニアと、かって呼ばれた国々だった。


 舞は辞書を引いて初めて、二十一世紀初頭には二百近い国が存在していた過去を知った。

(私が生まれる前に世界には、こんなにも多くの国があったんだ)


 艦長が、神流毘栖の言葉を補足した。

「アプス水が崩壊させたのは、建物だけではない。陸地もだ。オーストラリアは大陸にはアプス水により崩落してできた巨大な地底湖が、いくつもある」


 神流毘栖が艦長の言葉に続き、他人事のように、言葉に続けた。

「陸地が消え、水が膨張し、海面が上昇した。慌てた国連が環境制御のアプス水を投入した。だが、アプス水はもう簡単にはゼロ質量素粒子を放出しなくなっていたんだ。結局、人類は洪水と奇病で人の数を減らすとい確実な方法で、水不足とエネルギー不足を解決したというわけだ」


 ベッキーが少しだけやるせない顔で、説明を付け加えた。

「二千㎞の長さがあった珊瑚礁のグレート・バリア・リーフも、もうないよ。クィーンズランドの森もね。世界遺産で高さ二百m、二十㎞四方あった、バングル・バングルの赤い岩山も溶けて、大きな地底湖に変わったよ」


 オーストラリアの大地がセカンド・ノアの影響を強く受けたのは知っていた。けれども、そこまで酷い状態になっているとは、思いもよらなかった。

 二十一世紀初頭まで数千年も変わらぬ姿を保っていた自然は、もうない。

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