第24話 亡霊の影と溶ける大陸(四)

 もう艦長室に入ってだいぶ時間が経ったので、捜索を一旦この辺りで打ち切ろう。

 最後に舞は脳内マイクロ・マシンを使い、網膜に写っている写真のコピーを取ってから、写真を元に戻して、艦長室を出た。


 艦長室を出ると、リラがいなかった。舞は無責任なリラに少し怒りを覚えた。

「もう、頼りにならない見張りね」


 艦長室を施錠すると、早足に歩いて、鍵束を元に戻した。

 よし、ばれていないはず。


 艦内を歩いてリラを探したが、リラはいなかった。

 艦を出たが、リラは見当たらない。基地内の二階事務室に戻っても、リラは不在だった。


「あれ、どこに行ったのかしら」

 舞はリラが見当たらず、不安になった。


(もしかして、見張りをやるって言っていたけど、本当は艦長に通報しに行ったとか)


 事務室の扉が開いて、ベッキーが入ってきた。

 ベッキーは気さくに舞を招待した。


「あ、舞ちゃん、お帰り。中庭で舞ちゃんの歓迎会を兼ねた、バーベキューをやるんだけど、一緒にどう」


 舞は平静を装い、リラの所在を聞いた。

「今、行くわ。でも、リラがいないのよ。ひょっとして、リラはもう行っているの」


 ベッキーは、きょとんして尋ねた。

「リラって、誰?」


「建物内で仕事をしているリラよ。ほら、リサの妹のリラ・クンラウォンよ」

 ベッキーの顔が、僅かに曇った。


「舞ちゃん、何かの間違いじゃないの? リラって子は、ウチにいないよ」

 そんなはずは絶対ない。リラは確かに存在した。それとも、リラは、リタが舞いをからかうために吐いた、嘘の名前だったのだろうか。


「じゃあ、リタは」

「リタは休みだよ」


 リタがいない? では、さっきのリラと名乗った人物は、誰だったのだろう。三重セキュリティの関係からリラが全く外部の人間だとは思えない。


 外部の人間なら建物内に入れないし、最近に入ったばかりの舞の存在を知るわけない。

「いや、でも、確かに、リタそっくりな子がいたのよ」


 ベッキーは、事務室内からゴミ袋を入手して、もう一度、強く否定した。

「リラって子は、いないよ。事務所の管理はグエンさん一人がしている。さあ、行こう、舞ちゃん、バーベキューが始まるよ」


 バーベキューは、基地の中庭に用意されていた。中庭といっても、テニスコートが一つ入るほど広かった。


 火は既に熾され、炭に肉の脂が落ちて焼ける、食欲をそそる良い煙の臭いがしていた。


 肉を焼く三つのバーベキュー・ピットの周りにはジーンズにエプロンをした大柄な女性がいた。


 大柄な女性は色黒で、四十代の後半くらい。髪を後ろで縛って、化粧はほとんどしていない。女性は舞に気が付くと、笑顔で寄ってきた。


「あんたが、舞ちゃんかい? 初めまして、グエン・ティ・ホアだよ」

 グエンは事務所の管理人というより、船乗り相手の食堂の女大将と言った感じだった。


 グエンは陽気に言葉を続けた。

「日本人なんだってね。ウチの死んだ亭主も、日本人だよ」


 なんとなくだが、グエンは今は一人身なのだと、舞は思った。

 すぐに良い言葉を思い出せずにいると、すぐにグエンが気を利かせた。


「いいよ、いいよ。硬くならなくて。今日は舞ちゃんの歓迎会を兼ねているから、いっぱい食べておくれ」


 舞はお客さんに甘んじることなく、準備をしようと思った。

「何か、手伝いましょうか」


 グエンは厳しい表情で、ピシャリと舞の申し出を断った。

「いや、バーベキューは手伝わなくていい。バーベキューは火加減が命だから」


 ベッキーが舞に笑顔で教えてくれた。

「グエンさんは、ピットマスター。日本だとバーベキュー奉行っていうのかな。だから、手を出されるのが嫌なんだよ」


 舞が席に着くと、神流毘栖、艦長がやってきて。後に続いて、ガーファンクルとリサが入ってきた。


 舞はさっそく、リサにこっそり聞いた。

「ねえ、リサ。さっき、リサの妹のリラだって名乗って、私をからかったでしょ」

 リサは微笑んでから、あっけらかんと答えた。


「からかってなんていないよ。リサは今、ガーファンクルと一緒に着いたところだよ」

 舞は人に聞かれないように注意をしながら、小声で確認する。


「じゃあ、リラって、姉妹はいないの」

「リラはいたけど、去年の夏に奇病が悪化して、死んだよ」


 訳がわからなった。

(リラは死人? でもはっきりと見た、声も聞いた。鍵だって開けてくれた)


 リサが嘘を吐いているのかと思った。だが、リサの表情は、まるで読めなかった。

(そもそも本当に、リサは六つ子なのかしら)


 六つ子が存在しないとは言わないが、滅多にいないはずだ。

 舞は、ある事実を思い出した。リサとリタを同時に見た記憶はない。


(本当は、リサという人物は一人しかいないんじゃないの。リサは、奇病のせいで六つ子だと思いこんで行動する、記憶障害を伴う六重人格を併発した奇病なのかしら)


 幽霊を見たと考えるより、リサの六重人格説が、まだ信じられる。

 思いついた仮説だが、確かめる術はなかった。


(でも、聞いても無駄よね。思い込みが強ければ、何を言っても無駄だし、問い詰めるのも悪い気がするわ。記憶障害も六重人格も、リサがリサの精神を守るために作り出した現象なら、そっとしておいてあげたほうがいい)


 舞はリサ、リタ、リラ、同一人物説を採用に傾いた。

 今度は、リサが舞に尋ねた。


「リラと会ったの」

 舞は「ええ」と答えた後に、すぐに気付いた。


(やっぱり、リサはおかしい。死んだ人間に会ったかなんて、聞くわけがない)

 リサの声が大きかったのか、ベッキーがリサの後ろ来て、苦い顔をしていた。


 ベッキーの表情を読めないのか、リサはベッキーに声を掛けた。

「ねえ、ベッキー。舞にもリラが見えるんだよ」


(舞も? 他に誰か、死んだリラを見た人がいるのだろうか)

 ベッキーはリサの問いをはぐらかし、「バーベキューが焼けたから」とバーベキュー・ピットに舞を誘導した。


 舞はベッキーに、そっと尋ねた。

「ねえ、ベッキー。リラって、リサの亡くなった妹だって、本当」


 ベッキーは明らかに答えたくない様子だったが、ボソリといった。

「そうだよ。でも、幽霊なんていないよ」


 おそらく、リラはリタの代わりにブリタニア号に乗っていたのではないかと思った。ベッキーはリラの死を間近で見たのだろう。


 ベッキーの性格から推測して、リラとも仲良くなったのではないだろうか。友達の死。だからこそ、ベッキーはリラの話題を避けたのだと、舞は思った。


 舞はベッキーの言葉と仕草で、強く思った。

(リラは本当にいて、亡くなったんだ。じゃあ、私が見たリラは、いったい)


 不意にベッドの下から出てきたメモを思い出した。

『ここは、地獄だ。海の底から、幽霊がやって来る。私はいずれ、私自身に殺される』


 心に暗い影が落ちた。でも、ベッキーの前では顔に出すわけにはいかない。

 舞の疑惑を他所に、グエンの威勢の良い声が上がった。


「さあ、グエン特性バーベキューが焼けたよ」

 グエンのバーベキューや甘辛いソースと柔らかい肉がマッチして、今まで食べたどんな焼肉やバーベキューより美味しかったが、謎のリラのせいで味が半分になった。

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