第10話 働く前から限界かもしれない(六)
電気機室の帰りに、逐電室の向かうために、ベッキーが食堂の前を通った。
食堂を覗くと、病院にいたリサがエプロンを着けて食事の準備をしている様子が見え、舞は思わず声を掛けた。
「あれ、リサ。貴女は病院だけでなく、ブリタニア号でも働いているの」
リサは舞いを見て、きょとんとした。が、ニコリと笑った。
「残念だけど、私は、リサじゃないよ。私は、リタ・クンラウォン。リサの妹だよ」
舞はリタを観察した。でも、病院で会ったリサと、まるで違いがわからなかった。
「ああ、双子?」
リタは首を軽く横に振った。
「ううん、六つ子。あと、兄が二人、弟が一人いるよ」
舞には兄弟がいないので、大家族の実情はよくわからない。リタの笑顔を見ていると、きっと楽しい家族なのだと思った。
「へー八人兄妹なんだ」
「ううん、でも、妹二人は奇病対策課の仕事中に殉職、弟はインドに養子に行ったから、現在は六人兄妹だよ」
リタはまるで他人事のように、妹が死んでいる事実を伝えた。やはり、奇病発病者には精神的に普通じゃない人物が多い。
「え、あ、そうなんだ」
ベッキーがリタの隣に立って、リタを紹介した。
「彼女は、リタ・クンラウォン。ブリタニア号の乗員の仕事の他に、給仕や洗濯なんかをやってくれている」
リタは微笑んだ。
「料理は得意だよ。日本の金持ちの家庭で働いていたから、日本食もできるよ」
舞はリタと話して、疑問を感じた。
「そういえば、この艦の人、皆、日本語を喋れるわよね」
リタは褐色の肌に太陽のような陽気を浮かべて、答えた。
「リタの両親は、タイの語学語学校の先生なのだ。お母さんから日本語、お父さんから英語を教えてもらったよ。だから、リタはタイ語、日本語、英語が話せるよ」
ベッキーが更に説明を付け加えた。
「まあ、神流毘栖は日本人だし、艦長は英語、ロシア語、ヘブライ語、日本語が話せる。私はアメリカ人だけど、父親は日本人。日本では八年暮らしていたから日本語も話せるってわけよ。で、なんで艦内言語が日本語かというと、舞ちゃんの前の子がほとんど、日本語しか話せなかったし、神流毘栖は英語があまり得意じゃないんだ。だから、私とリタと艦長が、日本語を使っている」
舞は英語の成績は悪くはなかった。おそらく、観光地で観光をするぐらいなら問題ないだろう。でも、職場で細やかなコミュニケーションを取るには不安が残る。
舞の本来の性格なら、英語を身に付けて、他人に負担を掛けさせまいと思う。が、職場の真ん中にドンと弾道ミサイルが置いてあるのだ。
(聞き間違いは、惨事を生むかも、日本語で良いというなら、当分は日本語でいこう)
ベッキーはリタと別れると、居住区画にある舞の部屋に案内してくれた。居住区にはトイレや洗面台はもちろん、洗濯機、シャワーに風呂もあった。
(どうやら、生活には困らなさそうね)
ベッキーは居住区にある《Mai》と書かれたプレートがある部屋の前に来た。
ベッキーが恭しく、扉を開けた。
「さあ、ここが貴女の居室ですよ、お姫様」
部屋は個室だった。広さは四畳半を一回り小さくしたスペースしかなかった。小さなスペースに、机とベッドにロッカーと収納ボックスがあり、ほとんど空スペースはなかった。
ベッドは、かって二段ベッドだったのか、上にはすっぽり空いたスペースがあり、空スペースに続く梯子が掛けてあったような痕があった。
ベッキーが入口に凭れ掛かって、説明をする。
「ここが舞ちゃんの部屋だよ。ベッドの上は見ての通り空いているから好きに使って。ベッドの下は収納スペースになっているから、そこも使うといいよ」
舞は少しほっとした。
「ちゃんと、狭いけど、個室が貰えるんだ」
「舞ちゃん、狭いなんて、とんでもない。昔は個室なんて、艦長しか持てなかったもんだよ。昔は、これくらいのスペースに、男共が六~十人は詰め込まれたらしい」
舞は、男たちがカタコンベに収納される、死体状に積み重なる部屋を想像して、うっとなった。
「え、そんなに狭かったの」
「そう、昔は、潜水艦の大きさはブリタニア号の約二倍あったけど、装置はどれも今の四倍以上はあった。乗員も百名以上だよ。スペースは御武器様が優先。だから、食堂のベンチの下に玉葱や芋を入れたりした。トーピード、いや、魚雷って言ったほうがわかるかな。魚雷の上にも、ベッドがあったりしたんだよ」
舞はロッカーを開けると、普段着や作業着が既に入っていた。前任者の物かと思った。だが、作業着には《Mai.W》のネームが、しっかり入っていた。
収納ボックスを開けると、部屋にあったとき同様に、舞の下着が綺麗に折り畳まれて入っていた。他にも、生活に必要な最低限の物は舞の部屋から持ち出されていた。
明らかに舞がブリタニア号に乗るという前提で段取りが済んでいた事実を意味していた。
舞は思わず笑ってしまった。
(ははは、いや、参ったわー。ここまで完全にやられると、もう、笑うしかないわね)
ベッドは日本にあったベッドより幅が狭いが、窮屈なわけではない。
ベッキーが先輩らしく、生活の上での心構えを説いた。
「基本的に水やお湯の明確な使用制限はないけど、節水には心掛けて。今の海は水浄化プラントが世界各地稼動しているから、まだマシになったけど。アプス水、放射性物質や化学物質で汚染された海域は、意外と多いんだ。汚染海域では水を作らないのが行動方針だから」
潜水艦の周りは水だらけ。原子力という膨大な電力があれば、水は不自由なく得られると考えていた舞には、少々意外な答えだった。
(世界の水は、もう元には戻らないのね)
舞はベッドとマットの間に、なんの気なしに手を入れた。
ベッドの隙間に挟まったメモを発見した。何気なしにメモを開いた。
『ここは地獄だ。海の底から幽霊がやって来る。私はいずれ私自身に殺される』
舞は思わず声を上げた。
「なによ、これ」
まるで、ミステリーにおいて殺人ゲームの初まりを知らせる言葉だ。
すぐにベッキーがやって来て、メモを見た。ベッキーは顔を顰めると、メモを丸めて屑篭に捨てた。
「御免ね、舞ちゃん。掃除が行き届いてなくて。前の子、ちょっと精神的に病んでいたんだよ。時折、詩とも呪いともつかないメモを部屋に貼る癖があったんだ。おそらく、メモの一つが、たまたま部屋に残っていたんだよ。気にしないで」
あまり、いい気分はしない。とはいえ、気にするなと言われれば、突っ込んでまでは聞き難い。
「舞ちゃん、じゃあ、最後に発射官室を見せるよ。もっとも、今は全部が自動化されているから、発令室から画面をソフトタッチするだけで発射できるから、見せられるものはないけど」
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