第9話 働く前から限界かもしれない(四)
艦長と別れたあと、舞とベッキーは、艦長室がある明るい廊下を歩いて行った。
舞は、潜水艦の緑色廊下に所々、赤く太い線が描かれているのが目に入った。
「ねえ、ベッキー。この赤い線は何?」
「人間は、同じ色が続く場所にいると、距離感がなくなるんだ。だからこうして、直線に伸びるスペースは、所々で色を変えているんだよ」
少し歩くと、黒色の門柱のような二本の柱が見えたので、舞は気軽に尋ねた。
「あの黒い丸い二本の柱も、そのため?」
「ああ、あれは、たんなる弾道ミサイル」
ベッキーがあまりにもさらりと言ったので、危うくすんなり舞いは受け入れてしまいそうになった。だが、次の瞬間、ぎょっと立ち止まった。
「だ、弾道ミサイル」
ベッキーは新聞記事の感想でも言うように説明した。
「そう、ウチの艦はSSBNだからね」
舞は弾道ミサイルという単語に驚き、言葉を失った。
でも、ベッキーは舞の沈黙を、言葉が理解できないためだと思ったのか、噛み砕いてSSBNの説明をした。
「ああ、そうか。潜水艦の表し方だけど。まず、submarineの頭文字二つを重ねてSSと表記。これに潜水艦の性質を加えて表記するんだよ。Bは大陸間弾道ミサイル、BallisticのB。Nは原子力推進、NuclearのNだよ」
舞は心の中で突っ込んだ。
(いやいや問題は、そこじゃないのよ)
舞は率直に聞いた。
「なんで、弾道ミサイルを」
「え、いや、それは必要だから、潜水艦だし」
どうして、奇病対策に弾道ミサイルが必要なのか。舞は、すぐに嫌な考えが浮かんだ。
(もしかして、感染拡大を防ぐために、そっくり街ごと住民を焼却するため、とか?)
舞はすぐには詳しい理由を聞けなかった。いや、質問を肯定されるのが嫌で、聞きたくなかった。
敵と戦うのも、譲歩しすぎのきらいがあるが、まあ、いいとしよう。だが、病気というだけで一般人を殺すのは、さすがに抵抗があった。
「もう艦を降りようか」と思った。
されど、逃げたくもなかった。感染拡大を防ぐためにやらなければならないなら、誰かがやらなければいけない。
舞が逃げても、ベッキーや神流毘栖がやるのだ。ベッキーや神流毘栖は、既にどこか精神的に綻びがある。これ以上の窮地に二人を追い込むのは、酷だ。
舞が黙ると、ベッキーは納得したと思ったのか、どんどん歩いていく。
ベッキーは会議室や医務室を通り抜けると、船尾の機械室と電気機室に案内してくれた。
機械室も電気機室も、舞には用途不明の機械だらけで、舞には逆の説明をされてもよくわからなかっただろう。ただ、やたらカラフルな配管が多い部屋だという印象は持った。
「配管が多いのね。色の違いは、種類の違い?」
「そうだよ。潜水艦は油圧、空気、真水、汚水、海水、姿勢と、深度調整用のトリム用排水だけで六配管。ああ、あと冷却用ナトリウムの管もあったけ」
冷却用ナトリウム配管と聞いて、重要事実を思い出した。
舞はすかさず確認した。
「原子力推進で、ナトリウム冷却ってことは、まさか、燃料はウラン?」
「そうだよ。最新式の重水素核融合炉じゃなくて、ウチは高濃縮ウランを使った原子炉を使っているんだよ」
舞は表情を変えないよう努力した。が、心中では激しく狼狽した。
(まずい、ガーファンクル叔父さん。『家の隣』ではなく、同じ『家の中』に原子炉があったよ)
舞は確率現象症を正直に告白するかどうか、悩んだ。
「あのね、ベッキー。私がいると、原子炉が暴走事故を起して艦を吹き飛ばし、辺りの海洋を汚染するかもしれないの」と正直に口に出したかった。
思いの丈を告げれば、謎の軍艦から降りる口実ができる。告知するのが、同じ艦に乗る人間に対する義務のような気もする。だが、病気の詳しい症状については、ガーファンクルから堅く口止めされている。
艦長は「奇病の細についてもガーファンクルから詳しく聞いている」と話していていた。
ガーファンクルも「艦長は私の親しい友人だから、舞の確率現実症について話しても大丈夫な人物だ」と太鼓判を押していた。
つまり、艦長は危険性を知っていて艦に乗せている、とも考えられる。
舞は、告白しようか、隠すべきかと、迷っていると、ベッキーがまた勘違いをし、気さくに声を掛けてくる。
「大丈夫、大丈夫。昔はナトリウム冷却って言えば、問題が多い危険な炉の代名詞だったけど。今では研究が完成されていて、滅多に事故は起きないから」
舞は笑顔を作るように努力した。けれでも、内心は穏やかではなかった。
(その、滅多に起きない=確率的に起こり得る というのが私の場合、曲者なんですが)
結局、舞はベッキーには後ろめたくても、確率現象症を打ち明けられなかった。
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