第5話 私は病気なのでしょうか?(五)
誰だって、病気で病院になんて入っていたい訳はない。体に異常がなく、他人の迷惑にならないなら、すぐにも外に出たい。
「なら、治療を拒否して、普通の生活に――」
ガーファンクルは、手で舞の発言を遮り、すぐに舞の考えを正した。
「いやいやいや、勘違いしてもらっては困る。普通の生活という選択肢は存在しない。治療を拒否する場合、水分子奇病発生者は薬殺処分にするのが、国際的な取り決めだから」
「な、そんなの、選択の余地ないじゃない」
『自分には選択肢は最初からない』と舞は思い知った。いや、確かに『普通に暮らす』選択肢があれば、強襲→拉致→監禁の流れにはならない。
舞の心境は『恨めしい』という言葉がピッタリだった。舞は目に力を込めて、ガーファンクルに幽霊のように恨めしい念を送った。
ガーファンクルはクリスマスマスに飾るサンタクロースの人形よろしく、微笑むばかり。
舞はしばらく、サンタクロース顔と睨めっこし、観念した。
「わかったわ。ガーファンクルおじさん、治療を受け入れるわ」
舞はがっくり落ち込んだ。
「あーあ、これからしばらくは、病院で寝てばかりの生活か」
ガーファンクルは「とんでもない」とばかりに、すぐに否定した。
「おやおや、何を言ってるんだ、舞。病院暮らしにはならないと思うよ」
「え、だって治療が始まるんでしょう」
「じゃあ、まずこれを」
ガーファンクルは空間を指で弾いた。すると、薄い立体ディスプレィが現れた。
訳がわからなかった。けれども、空間に現れたディスプレィを覗いた。
ディスプレィの先頭にはEstimateと表題らしき文字があり、後ろには見慣れない英語の単語と数字がズラズラと並んでいた。
さっそくEstimateの文字を脳内の辞書から検索した。するとお見積もりがヒットする。
最初に絶句し、続く十単語を翻訳した段階で理解した。ガーファンクルの提示した画面は、これから掛かる治療費の内訳なのだ。
すぐに、最終ページを見た。Totalの欄には電話番号のような桁の数字が並んでいた。しかも、単位は一月分だ。
思わず、桁の後ろを確認して小数点を探した。が、.00のような記載はなかった。
子供ではないので、医療費がタダだとは思わない。にしても、電話番号のような高額だとも思わなかった。
水分子奇病は世界的に有名な病気だ。果たして治療費がこんなに高いものだろうが。もし、そうなら世界の大半の人は治療を受けられないだろう。
ガーファンクルの悪質な冗談だと思いたかった。残念ながら、ガーファンクルの顔には睫一本ほどのジョークも浮かんでいない。
舞は猛烈に抗議した。
「こんなの、払えるわけないじゃない」
「だから、病院で寝てはいられないと思うって言ったろ」
舞はあまりの仕打ちに憤った。
「じゃあ、何。お金がないから、私は薬殺処分になるの」
「まあ、まあ、落ち着きなさい」
ガーファンクルは空中に立体電卓を取り出し、四則演算を開始した。
「まず、レートを円換算にするから、これくらい。WHOからの支援がこれだけ、WWOの医療助成がこれくらい。日本の国民健康保険からの補助が、これくらいで――」
桁が見る見る小さくなる。それでも、舞が大学に通うために借りている部屋の家賃にして、二倍強の数字だ。
「うっ、払えない額ではないけど、これは、ちょっと」
舞が躊躇うと、ガーファンクルは子供が忘れ物をしないよう注意を促すように付け加えた。
「ああ、生活費は別に掛かるから、頭に入れておきなさい」
払えない額ではない事実が、治療費をより現実的に問題として浮かび上がらせた。
舞はまだ学生で収入はない。親に頼めば医療費くらい援助してくれるだろう。でも、舞は親に迷惑を掛けたくない。
(働くしかないかな)
人生設計は大きく変わるが、舞には働きに出るのが真っ当な選択に思えた。問題もあった。舞の奇病はただでさえ環境を選ぶ。
果たして社会に舞を受け入れてくれる就職口があるだろうか。
舞はジッとガーファンクルの顔を見た。
「舞、そんな顔をするのは、よしなさい。幸福が逃げていくよ」
「もう、とっくに、脱兎のごとく、逃げたわよ」
「で、だ。舞、これからずっと掛かる医療費を親に負担してもらうのが気が引けるなら、仕事を紹介しよう」
舞は警戒した。
(なんだか、話の流れがスムーズ過ぎる。これはガーファンクルおじさんの望んだ展開ではないだろうか)
舞は、そっぽを向いた。
「働く気がしないな」
「そうか。なら、仕方ない。舞の生活は、私がなんとかしよう。どうせ、もう家族も皆、死んだ一人身だ。舞の一人や二人、どうにかしてあげるよ」
(嫌にガーファンクル叔父さんが素直だわ)
ガーファンクルは背を向けて、「寂しい老人です」といわんばかりに肩を落とした。
「ただ、私はもう年だ。いつまで、舞の面倒を見て上げられるか、わからない」
芝居がかったガーファンクルの口調に、拍車が掛かった。
ガーファンクルはまるで、素人劇団に所属する俳優が歌うように言葉を続けた。
「ああ、心配だ、可愛い舞を一人残してしまえば、どうすればいいだろう。でも、舞は勤労を拒否して、このくたびれた老いぼれに頼り切っている。ああ、こんなか弱い老人に大きな子供を支えきれるだろうか、おお神よ」
芝居は一目瞭然だ。が、ガーファンクルが遠回しに「頼りたければ、頼ればいいさ。でも本当に、それでいいのか」との言葉も理解できる。
ガーファンクルの敷いたレールの乗るのは嫌だ。だが、依存するのはもっと嫌だ。
(たとえ、ガーファンクルおじさんでも、他人の力には頼りたくない。自分の行く道は、自分で決めるわ)
より悪い選択をしないために決断した。舞は苦渋の選択として、ガーファンクルの敷いたレールに乗ってやろうと思った。
(いいわ、レールには乗りましょう。だけど、いざとなったら、擦り傷を作っても、飛び降りてやるんだから)
舞は決意も固く、申し出た。
「いいです。働きます。でも、職探しのお世話は結構です。自分で探します」
ガーファンクルは振り返るとケロリとした表情で、いとも簡単に舞の言葉を否定した。
「ああ、それは無理だ」
「いや、無理って。子供じゃないんですから。仕事ぐらい、自分で見つけられます」
「そうじゃなくて。奇病発病者が島で働くには、治療上、公衆衛生上の見地から、主治医が斡旋する決まりになっている。だから法的に舞の就職先の斡旋は私しかできないんだよ。という訳ではい、これ」
空中に次の立体ディスプレィが現れ、求人票が出た。舞は、さっと求人票に目を通した。
「職種は公務員でWWOの奇病対策課係員。給与や待遇には問題はなさそうね。特殊な資格は必要なし。職場で使われる言語は日本語。採用試験は面接のみか」
ガーファンクルはニコニコしながら、就職を勧めた。
「そうそう、そこの課長さんは私の親しい友人だから。舞の確率現象症について話をしても大丈夫な人物だよ。病気のサポートも万全だ。さあもう、言うことなしだろう。そこに、決めてしまいなさい」
一見すると問題も障害もなさそうだったが、問題がなさすぎて、作為的な意思を感じた。
舞はとりあえず、次の求人を見ようとしたが、ページがなかった。
「求人は一件だけ。あれ、他には?」
ガーファンクルは「当然だ」といわんばかりに「ないよ」と即答した。
「ないって、求人一件じゃ、選びようがないでしょ」
ガーファンクルは、外出時にどちらの服を着ていけばいいか奥さんに尋ねられた旦那のように、そっけなく答えた
「そうだね。でも、もう、それでいいじゃない」
「あんたは、コンピューター・ゲームの王様か! どこまで一本道なのよ!」と舞は突っ込みたかった。でも、舞は言葉を飲み込んだ。
横道に逸れない親切設計と言えばそうだが、現実として選択肢が一つしかないのは、反感を覚える。
別に自分は世界を救いたいとは思わない。展開はゲーム以上に性質が悪かった。ゲームなら、止めればいいが、生活は辞めるわけにはいかない。
「わかったわ、叔父さん。採用試験を受けます。ただし、面接で落ちたら、他の職場を紹介してください」
ガーファンクルが眉を顰めて、確認してきた。
「まさか、面接でワザと落ちるような非常識な受け答えをしないだろうね」
舞は、はっきりと決意を伝える。
「ご心配なく。やると決めた以上は、全力でやります。それに、相手のあることなので、いい加減な気持ちで面接を受けるような失礼はしません」
「そうか、よかった。では、面接終了、評価は優。では、採用するとしよう。はい、これ」
立体ディスプレィ通知に地図が送られてきた。
「え、いや、ちょっと、採用って」
「ああ、言い忘れたけど、私に人事権があるから、採用に問題はないよ。日本で言う所の、縁故採用というやつだ」
「えっーえー」
そう、舞は、ガーファンクルの敷いたレールの上にいたのではなく、ガーファンクルが張ったケーブルの下を、ゴンドラで進んでいたのだ。
飛び降りるという選択すら、存在しなかった。
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