第10話

うん?

気が付いた時には体のどこかは知らないが、浮遊している気分だった。 体が思うように動かない。 それに驚いたことは、白く曇った視界の片隅には、俺が動いているという事実だった。

しかし、おかしい。

明らかに俺はここにいるのに、違う所で俺が見えているとは。 おかしいゲームに入り込んでしまったがゆえに、もはや魂までもが離脱してしまったのだろうか。 そう考えたが、しかし、目の前に見えている場面には、確かに見覚えがあった。

まるで、回想のシーンのようだ。

いや、これは回想だ。

そう。 俺は確かにミッションを攻略し終え、眠りに付いたはずだ。

そう、今も眠っているのではないだろうか。

もしかしてこれは明晰夢なのか?

今となっては奇妙なことまで経験する。

しかし、目の前に見える俺は、俺の意思とは関係なく動いていた。 そのおかげで俺はやっと気づいた。

今俺が見ているものが、どういった場面なのかを。

これは。

俺がこのゲームに入りこむ前に経験したもう一つの非日常。

どうして今、あの時のことをみているのかは、わからない。

もしかしてゲームと関連した手がかりともなるだろうか。 そう考えると俺は目を大きく開いて、あの時の俺をじっくり睨みつけ始めた。 このゲームが何の理由もなくこの場面を再現するはずはないだろうから。

夢の中の俺は、一生懸命歩いている。

夢の中の俺というより、過去の俺だけど。

俺が歩いているあの街は決して忘れることはない。

「きゃあああああっ。」

そうだ、この悲鳴。

この悲鳴のせいで、俺はコンビニの買い物袋を手に持ったまま、音を頼りに四方をきょろきょろと見渡した。

俺は無茶な正義感の欠片を握り、悲鳴をあげた人を探し始めた。

俺自身も惨めな境遇に置かれていたくせに。

危機に瀕する人を見て見ぬふりできない性分だとは。

そうこういているうちに俺はかなり不幸にも、路地に倒れている一人の男を発見した。

苦痛に耐えかねて暴れている50代くらいだろうか、中年の男。

既に地面は血でいっぱい染まっていた。

これほどたくさんの血を見たのは、この時が初めてだった。

今は桜井が殺害した死体を見ていたためなのか、ある程度冷静にいられるが。

あの時の俺は、かなり驚いてうろたえていた。

そうだ、今見えている場面。 かなり動揺して地面に座り込む俺が見えている。

そして、愚かにも落としてしまったコンビニの買い物袋。

「大丈夫ですか?」

そして、俺は落とした袋は構わず、倒れている人へと近づいた。 人として当然すべきことではなかろうか。

「う、うう……。」

その時、倒れた男は俺に絶えず手振りをしていた。 自分の方へ近づいて、近づいて、と言っているかのように。 俺は死んでいく男が最期に何か残したい言葉でもあるだろうと思った。

映画とかによく出てくるではないか。 犯人に関してというか。 そう想像しつつ俺はその男に近づいた。

「こ、これ……。」

すると、男は自分の横に置いてあった包丁をぷるぷると震える手で俺の方へ握らせた。 その行為にどういう意味があるのかは、あの時俺は全く理解が出来なかった。 あまりにも緊縛した状況の中、まともに判断することができなかった。 ただ気づけば、俺はどさくさに紛れて包丁を受けとっていた。

「これはどういうことですか? それより、すぐ救急車を呼びますから。」

俺は、空いている手でポケットの中にある携帯を取り出そうと動いた。

しかし、男は俺が包丁を受け取ると否や、そのまま顔を伏して息絶えてしまった。

まるで包丁を渡す行為をするために、辛うじて耐えていたかのように。

「そこのキミ、動くな。警察だ。」

まさにその瞬間。

嘘のように警察が登場した。 そのタイミングを何といえばいいだろう。 まるで待ち構えていたかのようで、現にあり得ないとしか言いようがない。

「包丁を捨てろ!」

死んだ男が渡してくれた包丁を手に持って、男に体を密着させている俺。

警察はこの場面をそのまま見ていたのだ。 そして、その時、気づいた。

何かが間違っていると。

人気のない路地。

防犯カメラもないこの路地

周りは誰もいなかった。 いや、包丁を持っている俺がいた。 未だ包丁からは血がぽたぽたと落ちる。 そして、俺は男に何かをささやいているように映っていたであろう。

俺が考えても自分を犯人だと疑いそうな状況。

こうして遠くから記憶のかけらを見ている俺にさえも、何も考えず見ているとしたら、俺が犯人だった。

現行犯だ。

瞬間、恐怖が俺の全身を襲ってきた。 その時、俺は本能的に逃亡を選択してしまった。

職もないニートの俺にとってみれば、警察と世間がもたらす鋭い視線に対する反作用は思ったより大きかった。

俺はひたすら反対側へと逃げた。

しかし、瞬時に後悔した。

戻って警察に事情を説明した方が良いという考えが頭を横切った。

このままでは、おそらく犯人だと烙印され、指名手配されるだろう。

ぐらりとする想像が俺の頭の中をかき乱した。

一方、捕まえられたら誰も俺のことを信じてくれず、

有罪判決となってしまえば、俺はこれからどうなるのかという恐怖が押し寄せてきた。

「くそ、あのおじさん。」

そう、あの男は一体何を企んでいたのだろう。

このままでは破滅だ。 確実に人生は終わってしまう。

何か、突破口が必要だった。 この理不尽な状況に打ち勝つ突破口。

俺は家に帰らなかった。 それは愚かな行動だったからだ。 近くの人気のない暗い堤防にしゃがみこんでいる俺は必死に頭を回した。

俺に処された状況に対する仮説を。

大きな悲鳴が聞こえて声の方に追いかけていた。 すると、中年の男が倒れていた。 この状況は誰が見ても殺人事件のワンシーン。 しかし、犯人の姿は見えず、見えるのはただ凶器と血のみ。

包丁と血。 血と包丁。 包丁と血。

これが殺人としたら、あの男は何故俺に包丁を必死に渡そうとしたのだろうか。

一体なぜ。

俺を犯人に仕立てるために?

何のメリットがあって?

もしも犯人が存在しないとしたら。 すなわち自殺だとしたら。

その場合、悲鳴をあげるのは話にならないのではないか。 俺に包丁を渡そうとしたあの行動もいささか矛盾している気がする。

しかし、犯人が存在していたら?

勿論、ここでも俺に包丁を渡そうとした行為が矛盾する。

そこまで考えていると、呆れかえてきた。 あの男は自分の命を持って、一体何をしたかったのだろうか。

一人では手に負えないと思った俺は、オンラインゲームの友達に電話を掛けた。

アイロニかもしれないが、今一番信用できる人はゲームで出会った友達だった。

オンラインゲームの同じギルド所属で、当時の数多くのゲームでの難関を共に乗り越えてきた仲間だった。

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