第7話

桜井さくらいはさり気なく自分の体を見せつけるようにして、俺の耳元でこそぐるようにささやいた。お金を握っている俺の手を離さないといわんばかりに強く掴んだ。どうやって接近すればいいかあれほど悩んで苦労したのに一瞬で解決してしまった。やはりこの女に近づくためのキーワードはお金だったようだ。俺は少し悩むふりをして深刻な顔をしてみせる。


「え? はい? 遊ぶとはどういう……」


桜井は、やっとつれたと思ったのかほほえみながら掴んでいた俺の手を引いた。


「大人同士の遊びといえばあれに決まっているじゃないですか。ご近所さん同士仲良くしましょう、私たち。ほほっ。さあ、家に少し寄って行って。」


意外なくらい積極的だった。それだけお金に困っているようだった。貸してくれと頼むつもりだろうか。このように彼女の部屋に上がり込んで、彼女と寝転がったら攻略になるのだろうか。そう思うと彼女の貪欲さを痛いほど知りながらも心臓がドキドキした。結局は家に上がり込んでしまった。彼女は俺をソファーに座るように勧める。


「旦那さんは?」


俺が正面に掛かっている結婚写真を見ながら尋ねると彼女は急に悲しそうな表情を浮かべた。


「離婚しました。だから最近寂しいです……。」


離婚だなんて、笑わせてくれるな。別居中であることは既に知っているのに離婚というセリフは何だ? それに離婚したのに未だに結婚写真を飾っておくのもおかしいだろう。でたらめ極まりない嘘だと思いながらソファーから起き上がった。少し緊張したのかトイレに行きたくなった。


「ちょっとトイレ借りてもいいですか?」


「もちろん。あちらです。」


俺は彼女が言葉を発する前既にトイレに入って来てしまった。しまった。トイレがどこのあるかしっていたため、軽率にも身体が動いてしまったのだ。初めて訪れた人がトイレの位置を知っているなんて怪しすぎないか。


トイレから出てみると桜井はキッチンで飲み物を注いでいた。特に俺のことを怪しいと思ってはいない様子だった。相変わらず彼女の視線は俺の手の中にある札束にだけ向けていた。そこで、テーブルに札束を置いてみる。視線は自然と札束を追ってくる。


すると急に時間が止まってしまった。白い光に包まれる。どうやらまた選択肢が出てきそうだ。やはり世界が止まると、目の前に2つの選択肢が現れた。


[選択.1 書斎に侵入する]

[選択.2 話をする]


何故急に書斎。俺は2番を選んだ。書斎という選択肢はあまりにもと突拍子もない。選択を終えると再び身体が自由になった。桜井さくらいはコップに注がれたオレンジジュースを手に持ち質問を投げかけてくる。


「お金持ちのようね」


眼差しが非常に妖艶だった。キラキラと輝いていた。これがまさにお金に対する執着のようだ。


「いやいや、本当は預かったお金です。遊びに使おうと友達と集めたお金というか……ハハっ!」


桜井は俺の言葉を聞くとさりげなく舌打ちをした。そして俺にコップを渡してきた。そして俺の唇に自分の唇を軽く押し当ててきた。キスだ。分厚い唇の感触がとても柔らかかった。そして彼女は自然に俺の口の中に舌を押し入れてきた。しばらくキスをしてから口を離した。唾液がまるで細い糸のように、離れた唇の間に垂れ下がった。


「もっといいことする?とりあえずそれを全部飲んだら寝室へ行こう。」


どういう魂胆だ?


俺は札束をテーブルの上に置いた。するとやはり彼女の視線は札束の方へと向かう。ここではどうすべきだろう。一体何が攻略なのかがわからない。このゲームがエロゲーを標榜しているのなら彼女と寝なければならないということか。


おさまらないキスの興奮。

手に持つコップを札束の横に置き彼女の手を引いた。しかし桜井(さくらい)は首を横に振ると、再びコップを俺に渡してくる。


「私がわざわざ入れたジュースなのに飲んでくれないの?」


そう言いながらも相変わらず彼女の視線は札束の方に止まる。

ここまでする女がいるのかと非常に情けなかったが、とりあえずジュースを1杯飲んだ。そして攻略のために再び彼女の手を引いた。いや、引こうとした。


しかし桜井は俺の手を振り払って大きく笑い始めた。


それと同時に急に内臓の奥が煮えかえるような苦しみを感じた。血液が逆流するようなまるで胃が張り裂けるような感じだ。酷い苦痛で胸の奥をひっくり返すようだった。そして何かが食道から逆流して飛び出る。俺は思わず首を掴みながら倒れた。無意識に生きようとして手を動かす。[ロード]ウインドウを読み込めたのが奇跡だった。


世界が白く変わる。


あの狂った女は飲み物に毒を盛り毒殺を試みたのだ。まさか50万円程度のお金を奪おうとそんなことをするとは思いもよらなかった。これは殺人ではないか。俺はあまりの恐怖に冷汗をかいていた。ドラマなどで出てくる青酸カリウムのような即死する毒だったら [ロード]を選択している時間すらなかっただろう。それに1杯しか飲んでいないことも運がよく、本当に奇跡だったのだ。


そう考えてみると、あの時俺に金持ちなのかと聞いていた。その時はコップをまだ手に持った状態だった。そこで、もし金持ちだと答えていたら、お金をもっと巻き上げようと毒を飲ませるのを保留していたかもしれない。考えれば考えるほど唖然とした。


どうするべきだ?

とあえずもう一度行ってみるしかないか。彼女が出すどんなものも口にしなければ良い。わかっていればいくらでも注意することはできる。彼女は女だ。力では俺に勝てない。しかし、実際の攻略とは既に違うところに関心が向き始めた。現れた選択肢。書斎へ行く。その突拍子もない選択肢が現れた理由。


攻略と関係があるのはむしろこの選択肢なのではと思った。

そこで再度、彼女の家へと移動して全く同じように行動してみると、さっきと同じ選択肢が現れた。


[選択.1 書斎に侵入する。]

[選択.2 話をする。]


そう、まさにこれだ。

2番はもはや死亡フラグだった。

1番を選択した方が攻略に近づくのでは。そうひらめいた。


そしてすぐに選択肢1を選び書斎へ走った。すると、桜井は急にびっくりしながら声をあげた。


「ちょっと待って!そこは駄目!」


反応が明らかにおかしかった。書斎のドアを開けてみる。以前調査した時はほこりまみれだった部屋だ。何が変わったというんだ?


目の前に入ってきた書斎は変わっていなかった。目の前はだ。

視線を何気なく下に向けるとそこには男が倒れていた。口から泡を吹いて倒れている姿は[ロード]直前の俺の姿そのものだった。


くそっ。

俺を殺そうとしただけでなく、お金を渡そうとしない不倫相手まですでに殺していたのか。あんなに玄関を監視していたのに、この男の帰る姿が見えなかったのは全て理由があった。死んだからだ。

そうこう考えるうちに、桜井はいつの間にか台所から包丁を持ってきて飛びかかろうとしていた。


「死ねえぇぇえ!」


驚きで呆然として固まってしまったが、女とは言っても凶器を持った状態なら話は別だ。俺が格闘技を習ったわけでもない。俺は慌てて書斎のドアを閉めた。そして、中からドアに鍵をかけてしまった。


頭の中が混乱した。男の死体と並んで部屋に閉じ込められた俺の境遇が奇怪だった。どうしよう、通報すべきだろうか。そこに、もっといい方法が思いついた。通報しても出動までには時間がかかるはず。


これが[睡眠スプレー]の存在理由ではないだろうか。女性を襲うために作られたのではなく護身用に準備された[アイテム]ということだ。


そう考えると、すぐさま[ゲームウインドウ]に入った。すると目の前にメッセージが現れる。

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