最終編 失恋の先で

 ――今でもたまに考えることがある。

 高校一年の秋、バイト先の喫茶店で幼馴染み二人の口から俺の〝失恋〟を知るより前。俺がまだ、終わらない初恋にぶら下がっていた頃。たとえば中学時代に、卒業式の日に、あるいは高校の入学式の日でもいい。

 俺の惚れた女の子が初恋に落ちる前に俺が〝勇気〟を出していたら――俺が彼女に、桃華ももかに告白をしていたら。


 そうしたら、今俺の瞳に映る世界はどうなっていただろうか。



「……知らないわよ、興味もないわ」

「……」


 単行本を片手に飲み放題のブラックコーヒーに口をつけるお嬢様にそう一蹴され、深緑色のエプロンを身に付けた喫茶店アルバイターこと俺、小野悠真おのゆうまはひくひくと頬をひきつらせていた。


「……てめぇなあ、仮にも友だちが真面目なトーンで話してるのを『知らない』『興味ない』の二連撃で打ちのめしてくるんじゃねえよ。お前はスズメバチか。アナキシーショックで死ぬぞ俺」

「それを言うなら『アナフィラキシーショック』でしょう。よく知りもしないのに雰囲気だけで言葉を使うものではないわ。そもそもなによ、今更そんなこと言い出して。後悔でもしているのかしら?」

「はんっ、誰が。……ちょっと『昔の俺、もっと頑張っとけよ』って思ってるだけだ」

「つまり後悔しているのね」


 ぱたんと本を閉じた常連客の〝七番さん〟――七海未来ななみみくは、カラになった皿の山に最後の一枚を重ねてから、トレンチを手に立つ店員おれのことを見上げてくる。春になってもサングラスマスクが欠かせないのは相変わらずのようで、ついでにその仏頂面もなにも変わっていない。


「……だからあの時、真剣に考えなさいと言ったでしょう」

「アホか。別にあの時の決断のことを言ってるんじゃねえよ。もっと前、高校入る前とかガキの頃とかの話。ほら、もし仮に中学の時に桃華に告ってたりだとか、そうでなくても小学校の頃に桃華に好きな人が出来てたりしたら色々変わってたと思わないか? 俺はさっさと他の女の子に移り気してたかもしれないし、そうなったら真太郎しんたろうとか七海おまえとも出会ってなかったかも――」

「『もしも~』『~だったら』の話になんの意味があるのよ。馬鹿げているわ。未来みらいに関する仮説ならまだしも、過去なんて絶対に変えようがないでしょう」

「お、おお……いやまあそうだけど……え? な、なんか怒ってる……?」

「……」


 妙に強い口調で俺の言葉を遮ったお嬢様は残っているコーヒー――というよりカップの底の方にまっていたドロドロの砂糖――を飲み干し、ピッ、と受け皿ごと俺に突きつけてくる。


「……別に。コーヒーおかわり」

「またかよ。何杯飲むんだよカフェイン中毒になんぞ。というかそろそろ閉店時間なんだけど……」


 言いつつもカップを受け取って厨房へ戻ろうと体の向きを変えると、なにやらレジの前で揉めている四人の人影が見えた。


「だーかーらッ! 私もここで働きたいんです! いいじゃないですか、バイト募集の貼り紙出てるんだから!?」

「い、いやでも志望動機が『真太郎さんの近くに居たいから』っていうのはちょっと……」

「あなたにだけは言われたくないってんですよ桐山きりやま先輩っ! あなただって真太郎さん目当てで入ったくせに!」

「わ、私は一応お店の方から勧誘されて入ったもん!」


 そこで言い争いをしていたのはかつての俺の想い人・桐山桃華とあのお嬢様の妹にして桃華の恋敵ライバル・七海美紗みさ。そしてそんな二人のことを一人のイケメンと一体の悪魔が片やハラハラ、片やどうでも良さそうに見守っている。


「なんですか自慢ですか、自慢ですか!? いい気にならないでくださいよね、真太郎さんと同じ学年の同じクラス、同じアルバイトをしてる程度のことで!」

「まあそのうちどれ一つとしてあんたは持ってないんだけどな、美紗」

金山かねやま先輩は黙っててくださいよ! いったいどっちの味方なんですか!?」

「いやどっちかと言えば桃華の味方だけど……ぶっちゃけ最近はもうどっちでも良くなってきたわ」

「や、やよいちゃんっ!?」

「だーって吹っ切れてからのあんた、もう私のサポートとか要らないじゃん。〝第二の七海美紗〟みたいになってるじゃん。それが出来るなら最初からそうしろよ、どんだけ労力かされたと思ってんの? マジで謝ってほしいんだけど。だいたいあんたは昔っから――」

「湧くように不満が溢れてくる! ご、ごめんって何度も謝ったよね私!?」


 悪魔改めしゅうとめのごとくグチグチ言って聞かせる金山やよいに、涙目になってしまう桃華。……くそ、やっぱり可愛いな。流石、俺が惚れた女なだけのことはある。

 そしてそんな桃華との間に挟まれている男――久世くせ真太郎は、口喧嘩する二人プラス一体に向かって「まあまあ」と両手を胸の前に出した。


「さ、三人とも落ち着こうよ。というか美紗、君ってたしか家の方針でアルバイトとか出来ないんじゃなかったっけ――」

「真太郎さんは黙っててくださいっ!」

「真太郎くんは黙っててっ!」

「つーか喋るにしてももっとハキハキ意見言いなよ。そんなだから〝塵屑ゴミクズロリコンの下痢八方美人ハーレム野郎〟なんて呼び名が広まるんだよ」

「広まってるの!? その不名誉なあだ名が!?」


「……なあオイ、真太郎あいつボコボコなんだけど。とても二人の美少女に迫られる学園の王子様とは思えない有り様なんだけど」

「ああなったのは主に貴方のせいだけれどね。そんなことより早くコーヒーを持ってきなさい」

「『そんなことより』って……」


 一応あの食物連鎖ピラミッドならぬ〝恋愛関係ピラミッド〟の頂点に座してるのはこのお嬢様なのだが……なんでそんな「我関せず」みたいな顔出来んの? 今に始まったことでもないのだろうが。


「ちょっとくらい生態系の頂点らしく振る舞ってやれよ……なんか真太郎があんなに苦労してるのが馬鹿みたいだろ」

「……。……、ね」

「……? なんだよ?」


 微妙になにか言いたげな目を向けてくるお嬢様に首を傾げると、彼女はスッと目を逸らして「……別に」と呟く。


「……いいから、早くコーヒー」

「あーはいはい、分かりましたよって」


 考えていることが分かりづらいところも変わらない友人に背を向け、俺はそれとなく足音を殺しながらレジ脇の仕切り戸を通って厨房へ向かう――が。


「あ! 小野! 先輩からも言ってあげてくださいよ! 桐山先輩このひとほんっっっとにしつこいんですけどっ!」

「なっ!? し、しつこくなんかないよ! ただ不純な動機でバイトに来られても困るってだけで……ね、ねえ悠真ゆうま!? 悠真も困るよね!?」

「……」


 騒がしいうえに目ざとい後輩と幼馴染みに発見されてしまい、俺は露骨に嫌そうな表情を作って彼らの方を振り向く。


「……仕事さえ出来るなら動機なんかどうでもいい」

「そんなあっ!?」

「ほら見たことですかっ! ふふん、やるじゃないですか小野先輩っ! ようやく桐山先輩を見捨てて私を応援する気になりま――」

。でも美紗ちゃんは要らない。俺の独断で不採用な」

「なんでえっ!? り、理由は!? 不採用の理由を教えて貰わないと納得出来ません!」

「『勘違いばっかで注文ミスが多そうだから』」

「~~~~~ッ!」

「すごいな小野あいつ、身に覚えがありすぎてぐうの音も出ない」


 だんだんとその場で悔しそうに地団駄を踏む美紗ちゃんに、金山が感心したようにこちらを見てくる。……こんなしょうもないことで感心されてもこれっぽっちも誇らしくないんだが。

 といってもあの日以来、美紗ちゃんはもはや一種の芸と化していたあの勘違い癖がかなり改善されたような気がする。聞いた話ではあの時もなにかでかい勘違いをやらかしていたそうなので、それを反省した結果だろうか。

 まあでも〝甘色あまいろ〟の後輩に来られるわけにもいくまい。先ほど金山も言っていた通り、最近の俺たちは以前と比べて桃華の手助けをする機会が激減したとはいえ……やはり俺は桃華の恋を応援したいのだから。


「あっ、ゆ、悠真。未来、コーヒーのおかわりかい?」

「ん? ああ、そうだけど……」


 俺が手にしているカップを見て、今度は真太郎がパッと表情を明るくした。……この後の展開はもはや想像がつく。


「あ、あの……もしよければ、その仕事僕に譲って貰えないかい?」

「……俺はいいんだけどさ、でもお前こないだも同じことしてなんか知らんけど七海あいつにめちゃくちゃ睨まれてなかったか?」

「うっ……! そ、それは、まあ彼女は僕じゃなくて悠真に持ってきてほしいんだろうけれど……」

「?」


 途端にズーン、と表情を沈ませた真太郎は、しかし次の瞬間には「だ、だけどっ!」と顔を上げた。


「僕はあの時決めたんだ! これからは悠真きみのように積極的に未来と関わっていこう、って! 〝臆病者〟の僕とは決別して、〝一歩〟を踏み出すんだ、って!」

「そ、そうか。……でも七番テーブル見てみ?」

「え? ……ヒィッ!?」


 俺が顎で指した先、定位置たる七番テーブルに座すお嬢様から遠距離タイプの殺気を秘めた視線を向けられ、イケメン野郎が顔に似合わない悲鳴とともに肩を震わせる。


「その……悪いことは言わないけど、ただ絡みにいけばいいってもんじゃないんじゃないか? 特に七海あいつ、偏屈だし……」

「そ、そうだね……あ、あの悠真、もし良かったら今度僕に未来と仲良くなる秘訣を教えて貰えないかな……?」

「なんでそうなるんだよ」


 結局俺の負担、差し引きプラマイゼロじゃねえか。そもそも俺は真太郎おまえと七海にどうこうなって貰っちゃ困るんだっつの。

 彼は今でも微妙に俺と桃華に対して気を遣っている部分があり、それゆえに自分と七海がくっつくことについて遠慮がない。そうなれば俺が気兼ねなく桃華を落としにいけるとか思ってるのかもしれないが……せっかく色々振り切った俺の覚悟を返してほしい。

 もう何度も話して聞かせてるんだけどなぁ、と思っていると、続いて慌てた様子で桃華が「だ、駄目だよ!」と話し掛けてきた。


「そ、そんな秘訣教えちゃ駄目だよ悠真! だ、だってほら、七海さんも真太郎くんのこと迷惑がってるみたいだし!?」

「ぐふっ!? め、メイワク……ッ!」

「うん分かった。分かったから桃華、その言葉のナイフは仕舞おうか。形振なりふり構わないのはいいけど、肝心の真太郎を刺し殺さんばかりの勢いになってるから」

「あっ……! ご、ごめんね真太郎くん! わ、悪気はなくて、ただ事実を言っただけだから……!」

「ジジツ……ッ!」

「トドメさしてどうする!?」

「桐山先輩――ーッ! あなたって人は、やっぱり真太郎さんのことを傷付けてーッ!」

「ぎゃあああああっ!? ち、違うよ美紗ちゃん! 私はただ事実を、事実をーっ!?」


 閉店間際とはいえ、まだ一応営業時間中の店内で暴れ始める美紗ちゃんとそんな彼女に追われる桃華。そしてうるさい二人に対して静かに怒気を燃やす七海に、そんなお嬢様のことをオイオイ泣きながら見つめる真太郎。


「……な? 言っただろ、もこっちで大変だってさ」

「いや……こっちの方がよっぽど大変なのでは……?」

「かもね」


 ぼそっとこぼした俺に、金山は楽しそうにケラケラと笑った。


「おーい小野っちー! さっきからなんの騒ぎだー? そろそろ店閉めるからー!」

「へーい! ……ってあっ、ちょっと待って店長、最後にコーヒー一杯だけ淹れてくださいっ!」



 ――今でも、たまに考えることがある。

 俺の惚れた女の子が初恋に落ちる前に俺が〝勇気〟を出していたら。俺が彼女に、桃華ももかに告白をしていたら。

 そうしたら、今俺の瞳に映る世界はどうなっていただろうか。

 どうなってしまっていただろうか。

 たしかに過去なんて変えようもない。道は先に、未来みらいにしかないのだから。

 けれどちょっとだけ、思う。「昔の俺、もっと頑張っとけよ」と。

 そしてそれ以上に――の俺は思うのだ。


〝失恋〟はゴールではなくスタート地点なのかもしれない。

 その先にある未来みらいに、幸せに続く道標みちしるべなのかもしれない。


「(……なんて、な)」


 そりゃもちろん、失恋なんかしない方がいいに決まっている。

 経験せずに幸せになれるなら、その方がいいに決まっている。

 それでもたくさんの失恋にまみれた俺たちの恋愛劇は、決して悲劇ではなかったから。

 少なくともこの後で、あのダサいマグカップで飲むコーヒーは、今日も変わらず美味うまいだろうから。



 失恋の詩 ~Lost Love Lyrics~ 最終編 



『失恋の先で』

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