第二四九編 三月一五日

「――それではお先に失礼します、一色いっしき店長」

「ああうん、お疲れ様、久世くせちゃん。今日はありがとうね」

「……いえ。お疲れ様です」

「……」


 閉店業務を終えた後、着替えてすぐに事務所を出ていく真太郎しんたろうと、彼の背中を見送る店長。そして俺はコートの前ボタンをとめながら、そんな二人の様子をぼんやりと眺めていた。

 いつもの店長なら「今日は頑張ってくれたんだし、帰る前にコーヒー飲んでけよ!」などと引き止めている場面だろうが……真太郎のただごとでない様子を見てか、今は微笑を浮かべながらねぎらうに留めてくれている。……相変わらず空気が読めるのか読めないのかよく分からない人だ。


「じゃあ悠真ゆうま、先に出ているからね」

「……ああ。すぐ行く」


 仕事が始まってしまえば、真太郎は至っていつも通りだったが……それはあくまで見せかけの話。ふとした時、彼はやはり今日のことを気に病んでいるかのように暗い表情を浮かべていた。特に桃華ももかの突然の欠勤――あれがこたえてしまったのだろう。

 店長が言うには電話越しの彼女の声は酷く暗く、そして店長や俺たちに対して何度も何度も謝っていたそうだ。彼女の真面目な性格を考えれば無理もないが……しかし逆に言えば、今日の学校での一幕は桃華にとってそれほどショッキングな出来事だったということでもある。当事者である真太郎が責任を感じてしまうのも仕方がないのかもしれない。

 そしてそれは当然、俺だって同じだ。


「……それじゃあ、俺も帰ります」

「うん。……あっ、小野おのっち!」

「はい?」


 裏口へ向かおうとした俺を、店長の声が呼び止める。


「久世ちゃんのこと……よろしく頼むよ」

「!」


 店長には結局、事情をなにも説明出来ていない。それでもこうして頼んでくるということは……店長にはなんとなく察しがついているのだろうか。


「……はい」


 頷きを返し、今後こそ俺は事務所を出る。

 ――まだ俺に出来ることがあるのかは分からないけれど。



 ★



 見上げた夜空の中に、月と星の輝きは見つからない。朝よりは幾分か雲が薄くなったように見えるが、それでも変わらずの曇天模様だ。


「悪い、待たせた」

「ううん。さあ、帰ろうか」


 出たところで待ってくれていた真太郎に声を掛け、そのまま二人連れたって歩きだす。といっても俺や桃華の家と真太郎の家は〝甘色あまいろ〟を中心として反対方向にあるので、すぐ近くの通りまで出ればそのままサヨナラなのだが。……その短い道程を、俺たちは互いに無言のままゆっくりと歩く。


「……悠真。桃華のこと、なんだけれど」

「! お、おう」


 おもむろに桃華の名を出した彼に、俺は内心緊張しながら顔を向けた。


「――僕は、後悔していないよ」

「……え?」


 予想外の言葉を受け、ぱちくりと目をしばたたかせる俺。すると真太郎は「あっ、いやっ……も、桃華が僕のせいで休んだということは理解しているんだけれどね」とやや慌てたように付け足してから続ける。


「でも……桃華のことも美紗みさのことも、後悔はしていないんだ。彼女たちの本気の告白に、嘘偽りのない僕の気持ちを話すことが出来たから」

「真太郎……」

「……勿論、一度は身勝手な言葉で二人を傷付けてしまったという事実は消えない。彼女たちから嫌われることも覚悟してる。だけどそれがどんなに苦しくても……僕はもう逃げない」


 彼は言葉通り、覚悟を秘めた瞳で俺の目を見つめてきた。


「君があの時、本気で怒ってくれたお陰だ。なにもかも中途半端だった八方美人ぼくのことを君が殴り飛ばしてくれた。本当にありがとう、悠真」

「……殴られて礼言ってんじゃねえよ。店長がめちゃくちゃ心配してたぞ、『久世ちゃん、どこかの不良に絡まれたのかな!?』って。俺がったってバレたら面倒そうだ」

「ははっ! それならうっかり口を滑らせないようにしないとね。……桃華にも、同じ心配をされたから」


 冗談のように言って笑った真太郎は、寂しげに目を細める。


「(……真太郎こいつの『後悔してない』って言葉は、きっと嘘じゃない。でも……)」


 後悔はせずとも、覚悟を決めていても――痛いものは痛いんだ。

〝耐えられる〟と〝痛くない〟は決して等号イコールで結ぶことはできない。俺は、それも知っている。

 桃華の恋を応援してきたことに後悔はないし、自分の行動がどこまで行っても報われる類いのものではないという覚悟もあって……それでも常に心臓むねの痛みは伴った。

 今の真太郎も同じだ。桃華に〝失恋〟をした者とさせた者。立場はまったくの真逆でも――抱える痛みはきっと同じだ。


 だからこそ心苦しい。あの心臓をむしば疼痛とうつうをよく知るからこそ、同じ痛みを彼に味わわせていることが。

 だが俺は彼に謝ることは出来ない。それは彼に対する最大最低の裏切りに他ならないからだ。俺がどう感じようとも、真太郎が後悔していないと言うならば。


「(だからせめて……せめて、俺が桃華のフォローだけでもしてやらねえと――)」


 それが彼をき付けた俺の責任だと決意を固めようとした、その時だった。


「っ!」

「……え?」


 隣を歩いていた真太郎が急にその場でピタリと足を止めたので、釣られて俺も立ち止まる。見れば彼は驚愕したように目を見開いていて――瞬間、直感的に理解した。理解して……俺はゆっくりと真太郎の視線を追い、の方を見やる。


「も……桃華……?」


 その声は果たして俺と真太郎、どちらが発したものだったか。

 どちらにせよ俺たちの両の瞳は現れた少女――桐山きりやま桃華に釘付けにされる。


 ――長かった一日が、ようやく終わりの時を迎えようとしていた。

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