第二四六編 〝こたえ〟


「な――なんですか、今さら……!」


 状況を飲み込めない様子で、美紗みさが震えた声を出した。


「私のことあんなフリ方しておいて……つ、都合が良すぎます!」

「……うん、分かってるよ」


 苦い顔をした真太郎しんたろうが頷き――場に集っていた四人の少女たちから視線の集中砲火を受ける。

 注目を浴びることには慣れている彼だが、今回ばかりは話が別だ。なぜならその中に好意的な色は微塵も含まれていないのだから。


 一人は昨日の夜、自己満足の身勝手な言葉に傷付けられ、困惑と怒りに満ちた目をした中学生の少女。

 一人は今朝、つのりに募った想いを伝えられたもののそれを一蹴し、変わらず感情のない瞳を向けてくるお嬢様。

 一人は先ほど、渾身の告白に独りがりの優しい嘘を返され、赤くなった目元に悲しみをにじませている友人。そしてその隣には彼女のもう一人の幼馴染みが、非難がましいとも哀れんでいるとも解釈できる複雑な表情のまま腕を組んで仁王立ちしていた。

 敵意というほどのものはなくとも、間違いなくこの空間において真太郎はアウェー側に立たされていると言えよう。基本的に人に好かれやすい彼は、喉の奥が詰まるような緊張感を覚える。


「し、真太郎くん……顔、どうしたの……?」

「? ……ああ、これは……」


 桃華ももかに問われ、つい今しがたとある少年に遠慮なく殴りつけられた頬に軽く触れる。表面が腫れ上がったようにジンジンと熱を帯びている他、拳が直撃した拍子に頬の内側が裂けたのか、舌で確認してみると微妙に血の味がした。……傷口が塞がった頃には口内炎で難儀しそうである。


「真太郎くん……?」

「えっ? あ、ご、ごめん。僕の顔のことは気にしないで」

「そ、そう……?」

「うん」

「……」

「……」


 いつもならもう少し踏み込んで聞いてくる桃華も、今ばかりは遠慮がちだった。それでもず心配してくれる彼女の優しさが――真太郎の心ににぶく響く。

 気まずい沈黙が生まれる体育館裏。するとそんな空気に耐えかねたように「だあああああっ!?」と美紗が大声を上げた。


「もうっ!? なんなんですかこの重苦しい空気は!? 真太郎さんも桐山きりやまさんも! 泣きたいのはこっちだって言ってるでしょさっきからっ!? だいたい真太郎さん! 話があるとか言っといてなに黙ってるんですか!?」

「ご、ごめんっ! ……と、というか、そういえばどうして美紗が高校ここに……?」

「それをあなたが聞きますか!? 桐山さんに話をつけに来たんですよ! 昨日あなたにフラれたから!」

「えっ……どうして桃華に……?」

「ちょうど今さっき私にも分からなくなったところですッ!」


 よく分からないテンションで話す美紗に「そ、そうなんだね」と曖昧に返す真太郎。彼が知る美紗は一部の悠真れいがいを除いて基本的に礼儀正しい子であったはずなのだが……失恋のショックのせいで少しおかしくなっているのだろうか。


「(よく見たら、目の下に酷いくまが……)」


 真太郎じぶんが〝ケジメ〟という名の身勝手を押し付けたせいで、彼女は眠れぬ夜を過ごしたのかもしれない。耳にこびりついた昨夜ゆうべの彼女の悲痛な叫びが、脳裏にフラッシュバックする。


「……で?」


 焦れたように、腕組みの姿勢のまま茶髪のギャル――金山かねやまやよいが口を挟んだ。


「話ってなんなわけ、久世くせくん。さっきの美紗ちゃんの言葉じゃないけどさ、今さら話すことなんかもうないんじゃないの」


 キツい言葉のように思えるが、彼女の口調はどこまでも平坦フラットだった。

 この場に居たということはおそらくやよいもおおよその事情は把握しているはず。ならば桃華の親友たる彼女なら真太郎に対して怒っていてもおかしくはないと思ったのだが……彼女はまるでこの結果が分かっていたかのように落ち着き払っている。どちらかと言えばこのタイミングで再び桃華の前に現れた真太郎の言葉によって桃華が余計さらに傷付くことを警戒しているようにさえ見えた。

 ……しかし。


「……うん。僕は――伝えるべき言葉を間違えていたから」


 真太郎はまっすぐに桃華、そして美紗の方を見つめてそう言った。

 見方によれば、これだって自己満足に過ぎないのだろう。真太郎がこれから伝えようとしている言葉は、決して彼女たちに笑顔を取り戻させることが出来るたぐいのそれではないのだから。

 しかし、それでも伝えねばならない。痛む頬を歪め、ぐっと奥歯を食い縛る。


『久世真太郎の答えを、桃華アイツに聞かせてやってくれよ』


『その不細工なツラを見せてこいッ! この馬鹿野郎ッ!』


 表面だけを取り繕ったような自分ではなく、この腫れ上がった醜い顔で――を。

 今度こそ一歩を踏み出すために。そしてなにより――背は押さぬと言いながら乱暴な言葉で思いきり送り出してくれた友にむくいるために。


「……そっか」


 やよいは小さく呟き、それから黙って二歩後ろへ下がった。それこそ、まるでをすべて知っているかのように。こうなることを予見していたかのように。


「(もしかしたら彼女は……ううん、今はいい)」


 一度瞑目めいもくし、思考回路を切り替える。聞きたいことがあるなら後からいくらでも聞けばいい。悠真だってまだ話していないことがあると言っていたじゃないか。

 すべてを聞き出すつもりはない、けれど話してくれるならすべてを聞こう。

 だからそのためにも、今はすべきことをしよう。逃げてばかりの〝臆病者〟のままでは、彼に合わせる顔もない。


「……桃華、美紗。聞いてほしい」


 意を決して真太郎が二人に向けて呼び掛けると、桃華はなにがなにやら分からない様子で、一方美紗はわずかになにかを察したような表情で、それぞれ顔を上げる。


「僕は――君達のどちらとも付き合うことは出来ない」

「ッ!」

「……」


 瞬間、桃華がぎゅっと唇を結ぶ。その様子を見てやよいが一瞬顔を強張こわばらせ――しかしなにも言わぬまま長く息を吐き出す。


「……わざわざ二回も言うんですね」


 代わりに呆れたような声を出したのは美紗だった。彼女は苦笑とも呼べない笑みを浮かべて静かに肩を落とす。……その疲れたような目尻に小さく光るものがあったのは、気のせいではないのだろう。

 二人の様子を見ていると、やはり胸が痛む。だが……真太郎は言葉を続けた。


「ごめん……美紗、君が言った通りだったよ」

「!」

「気持ちを受け入れることは出来ないくせに君達から嫌われたくないなんて……虫が良すぎる話だった」


『……本当に、酷いですよ……あなたはそうやって、最後まで優しくするんですから……どうせ受け入れられない恋だというなら……いっそ手酷く袖にされた方がよっぽど気楽でいられたのに……』


 悠真と話して、昨夜の言葉の意味をようやく理解した。

 少しでも相手を傷付けないように……それはあまりに傲慢な考え方だった。中途半端に優しくして、嫌われぬように振る舞って……そのせいで心優しい彼女たちは真太郎じぶんを嫌うことも出来ぬまま、想いが叶わなかったという事実だけを押し付けられることになる。

 だったら。気持ちを受け入れられないと言うのなら、せめて悪役を買って出た方がよほど誠実なのではないか。未来が真太郎に対してそうしたように。


「桃華、君にも謝らなきゃいけない」

「えっ……?」

「さっき僕は『誰とも付き合うつもりはない』なんて嘘をついた。でも君の告白を受け入れられなかった本当の理由は、そんなのじゃない」


 きっと〝正解〟なんてないのだろう。そんなものが存在するなら、〝恋愛レンアイ〟はとっくに学問になっている。

 真太郎が正しいと思った悠真の姿も、他の誰かにとっては理解しがたい行動なのかもしれない。これまでの真太郎のやり方こそ正しいと感じる者だっているかもしれない。

 だから〝正解〟を伝えることは出来ない。〝正答〟を伝えることは出来ない。


 久世真太郎が伝えられるのは――今の久世真太郎が正しいと信じる答えだけだ。


「――僕は七海未来のことが好きだ。君達ではない好きな人がいる。、君達と交際することは出来ない」

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