第二四四編 エキストラ


「俺が何時いつ、俺のために怒った?」


 ――真太郎しんたろうにはそう告げたが、こんなのはどこまでいっても俺の自己満足でしかないのかもしれない。


 彼が桃華ももかの告白に対して真剣にこたえなかったことが悔しかった。あの子がどれだけ本気なのかを知っていたから。心臓むねが痛くなるほど、よく知っていたから。

 だから俺はいかり、ずっと隠れていた陰から飛び出して真太郎に噛み付いた。『誰とも付き合うつもりがない』なんて嘘じゃなく、今の彼の言葉を伝えてあげてほしかった。

 たとえ結果は変わらずとも――〝勇気〟を出して告白したあの子には、せめて相応ふさわしい〝失恋〟をさせてやりたかった。


 だが、やはりそれは俺の――小野悠真おのゆうまのワガママというものなんだろう。これは桃華が望んだことでもなんでもないのだから。もう一度真太郎と話をさせたところで、彼女の想いが報われない事実に変わりはないのだから。


『結局僕はまだ、自分のことしか考えていないままだ……!』


「(……俺だって、そうだよ)」


 彼は俺という人間のことを誤解していると思う。今この瞬間に限らず、出会ってからずっとだ。

 俺は彼が思っているような綺麗な人間じゃない。それどころかとても汚い人間だ。陰に隠れ、はかり、企み――俺のことを友と呼んでくれる彼らを騙し続けてきた。


 今だってそう、腹を割って話したように見せかけて俺は未だに彼の善意につけこもうとしている。小野悠真おれのことを綺麗だと信じている彼の誤解を正さぬまま利用し、桃華ともう一度話をさせようとしている。

 自分のやっていることが正しいかのように振る舞い、演じる――まったく、とんだ偽善者がいたものだ。真太郎が罪の意識に苛まれ懺悔する敬虔けいけんな信徒なら、俺はそんな迷える仔羊に上辺ばかり取り繕った綺麗事をのたまう司祭様か。……自分は神でもないくせに、あたかも神託しんたくを受けたかのように演じきる。


「(真太郎……お前は本当に〝イイヤツ〟だよ)」


 お前は自分が悪い人間であるかのように言うけれど……本当はお前のことを責められる奴なんていないんだ。向けられた好意に必ずしも本音でこたえなければならない道理などない。現に七海妹に本音でぶつかった結果、彼は深く傷付いた。どうしてだ? 一方的に向けられた好意のために、彼が傷付くなんておかしいじゃないか。少なくとも俺が彼の立場ならそう思うだろう。……どっかのお嬢様もそうだったっけか。


「(だから……俺は本当に酷い奴だ)」


 俺は彼に「傷を負え」と言っているようなものだ。もう一度桃華と本音で話し――もう一度彼女をフってこいと言っている。優しい彼はそのことにまた傷付くのだろう。そこまで分かっていながら、俺は彼にそれを求めている。別に桃華の望みでもないのに、だ。

 正しい〝失恋〟だなんだと自分を正当化したところで現実は変わらない。俺のしてきたことは最初からすべて最高に自分勝手で、最低な自己満足の連続だった。これが芝居ドラマだったら、ロクでもない最期を迎えるタイプの奴だ。

 ――でも。


「(でも――それでいい)」


 酷くていい。汚くていい。最低な人間だと物を投げられたって構わない。これが芝居ドラマなら、主役はあの二人なんだから。

 惚れた女と大切な友だちがほんの少しでもマシな結末さいごを迎えられるなら、脇役おれは薄汚れてナンボだろう。


「……俺は、お前に謝ってほしくてここに来たわけじゃない。お前が桃華の告白を受け入れなかったことに文句を言うためでも、ましてやお前のを読み聞かせてもらうためでもない」


 だからごめんな、真太郎。お前のことを騙し続け、俺なんかに頭を下げさせて……あまつさえ性懲りもなくお前の信用を裏切るような真似をして本当にごめん。


「俺はただ、あの子の告白に真剣に応えてやってほしいだけだ。あの子の想いに正面から向き合ってお前の気持ちを――で、伝えてやってほしいだけだ」


 そして恥をしのんで頼もう。俺を最期まで、薄汚れた脇役のままで居させてほしいと。


を、桃華アイツに聞かせてやってくれよ」


 ――桃華が惚れたイケメン野郎おまえには、最期まで最高に格好良い男のままで居てほしいと。

 そうすればきっと、あの子の〝失恋〟も少しは報われると思うから。


「悠真……」


 俺の自分勝手な言葉を、優しい友はどのように受け取っただろうか。

 また俺のことをむやみに綺麗だと思っているんだろうか。あるいはなにか別のことを考えているんだろうか――


「――ていっ」

「いだあっ!?」


 あまりにも突然のことだった。超シリアスムードが流れるこの屋上において、真太郎が優しく――けれど元体育会系の腕力相当の衝撃をもって、俺の額を拳で小突いてきやがったのは。


「ってえなテメェ!? い、いきなりなにしやがんだよっ!?」


 唐突なダメージによろめき、そして空気をぶっ壊されたことに涙目になる俺。えっ、本当になに? なんでこのタイミングで俺のこと殴ったのコイツ!?


「……悠真、約束は覚えているかい?」

「ああ!? なんのだよ!? というかまず謝れこの野郎!? なんで人のこと殴っといてそのシリアスづら継続してんだ腹立つな!?」

「それは良かった」

「いやなにが!?」


 なにも良くないですけど!? と俺がツッコミを入れるよりも先に――彼は真面目な顔をして言った。


「『もしこの先……お前に本気で腹立つことがあったら、その時はお前をグーで殴ってやるよ』」

「!」

「『だからその代わりに俺が話す時が来たら――お前も一発、俺のことを殴れよ』。……君は今朝、僕にそう言ったね」


 それは確かに今朝、俺が彼に言った言葉だった。半分冗談、というか俺なりに七海にフラれた彼を励ますために言ったつもりだったのだが……いや、それ以前に。


「……俺はまだ、全部話してなんかないだろ」


 まだ、お前に見せていない醜い部分なんかいくらでもあるんだから。けれど真太郎は、そんな俺にゆっくりと首を振ってみせる。


「すべて言葉にする必要なんてないさ。僕がすべて聞いたと判断したら、もうそれでいい」

「……めちゃくちゃだな、お前も……」

「そりゃそうさ。これでも僕は、君と桃華の友だちだからね」

「意味分かんねえよ」


 言いながら体勢を戻した俺に、真太郎は心底楽しそうに笑ってから――言った。


「……悠真。僕が桃華と話をしに行く勇気が出ないと言ったら、どうする?」

「……。……そりゃ腹立つな、めちゃくちゃ。俺がどんだけ恥ずかしい気持ちで色々打ち明けたと思ってんだ」

「……君は、そんな僕の背中を押してくれるかい?」

「押さねえよ。俺が無条件に応援するのは、世界にたった一人だけだ」

「そうかい――じゃあ、せめて約束を守ってくれよ」


 ――――ッ。


 彼が言い終えるよりも早く、俺は彼の左頬を殴り付けた。それはもう、思いっきり。喧嘩もまともにしたことのない男が、加減もなにもなく全身全霊をかけて。……もしかしたらそこには「なんで俺じゃなくて久世真太郎おまえなんだよーッ!」という完全に私怨でしかない感情さえ混じってしまったかもしれない。


「――ありがとう、悠真」


 そんな俺の拳を受けて、真太郎は笑っていた。そして力強く濡れたコンクリートを踏み締め、駆け出す。

 そしてその背中を目掛け、俺は声援ではなく悪罵あくばを飛ばした。


「その不細工なツラを見せてこいッ! この馬鹿野郎ッ!」

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