第二四三編 「まだ間に合うから」

「……悠真ゆうま


 白い息を吐きながら、真太郎しんたろうは友の横顔に問い掛ける。


「僕は……僕は、また間違えてしまったのかな……」

「……」


 それを彼に聞くのは、とても失礼なことだったかもしれない。けれど……言葉を止めることは出来なかった。


「今朝……未来みくに告白したんだ」

「! ……ああ」

「それから昨日、ずっと答えられずにいた美紗みさに……『君とは付き合えない』と告げた」

「……ああ、それも知ってる」


 彼が美紗とのことまで知っていることに驚きかけて――しかしすぐに納得する。きっと未来から話を聞いたのだろう、と。……あの気難し屋の少女からそんな話を引き出せるだけの関係を築いている彼のことは、やはりどうしても羨ましく思ってしまった。

 少し苦笑して、真太郎が続ける。


「未来に告白する決心をした時点で、美紗への答えを出さないことが不誠実だと思ったんだ。彼女がどれだけ僕を……いてくれていたのか、どれだけ真剣に想ってくれていたのかを、僕は知っていたから……だからそれがたとえ酷い答えでも、彼女から嫌われると分かっていても、言わないままではいられなかった。それがだと信じていたんだ」

「……」


 その独白を聞きながら、悠真が真っ直ぐにこちらに向き直った。場の緊張感がわずかに増す。


「でもそれを伝えたら……美紗は泣いてしまった」

「だろうな……そりゃそうだ」


 悠真の相槌に、真太郎もこくんと頷いて返す。そうだ、当然だ。真太郎が未来を、悠真が桃華ももかを想ってきたように、美紗だって真太郎のことをずっと一途に想ってきたのだから。

 そんな想いが、たとえ誠意を通すためとはいえ突然断ち切られてしまったら……深く傷付くに決まっている。そしてそんな当たり前のことに真太郎が気付いたのは、彼女の涙を見た後のことだった。


「……泣かせたかったわけじゃ、ないんだ」


 俯き、拳に力を込める。


「美紗のことも……もちろん桃華のことも……泣かせたかったわけじゃない。向けられた想いには応えられなかったけれど、それでも僕は彼女たちの涙を見たかったわけじゃない」


 いや、それはあの二人に限ったことじゃない。これまでに告白してくれたすべての女の子たち全員に共通して言えることだ。クラスメイトの少女、仲の良かった同級生、以前一度だけ話したことのある先輩、顔すら見たことがなかった後輩――一人として例外はいない。などいない。

 けれど恋に破れた少女たちは皆一様に涙を流し、そしてその度に真太郎は胸に傷を負った。彼女らの大半はその後も気安く接してくれたが……中には目も合わせてくれなくなった子だっている。


 未来は人から向けられる視線を嫌い、笑わなくなってしまった。あれほど人に好かれたはずの彼女が、好意的な視線ばかり向けられてきたはずの彼女が。多くの人間には彼女の感性が理解出来ないかもしれない。だが真太郎には少しだけ理解わかった。

〝人に好かれること〟と〝人に嫌われること〟は表裏一体。告白に至るほどの好意を抱いてくれていた相手が、これまで普通に話をしていた相手が、ある日を境に目すら合わせてくれなくなる。好かれた側は好意を向けられたせいで傷付き――そしてその頻度は人に、特に異性に好かれやすい者ほど高い。故に他人ひとを遠ざけた未来の気持ちも理解わかる。


「……真太郎おまえの『誰とも付き合うつもりはない』ってのも、そういうことか?」

「! ……そう、なのかもしれないね」


 それは、真太郎が告白を断る際の常套句だった。どちらかといえば相手を否定しない、すなわちための文言だったが……「誰とも」と言っておけば、それ以外の誰かから交際を申し込まれる可能性も減る。無意識のうちに、未来とは違うやり方で人を遠ざけようとしていたのかもしれない。

 また新たな〝自分のため〟を自覚してしまい、苦い感情を覚えた真太郎は、しかし首を横に振り、そして話を続けた。


「……美紗には、僕なりの答えを伝えたんだ」

「……」

「精一杯、誠意を込めたつもりだった。でもそんなのは僕の自己満足でしかなくって……結局僕は彼女を泣かせて――傷付けてしまった」


『……本当に、酷いですよ……あなたはそうやって、最後まで優しくするんですから……どうせ受け入れられない恋だというなら……いっそ手酷く袖にされた方がよっぽど気楽でいられたのに……』


 脳裏にこびりついた最後の言葉がよみがえる。今までにないほど弱々しく、そして今までにない衝撃を真太郎に与えた。


「そして今朝、未来に僕の気持ちを伝えた……結果は君も知っている通りだけれど……まともに取り合っても貰えなくて」

「……」

「あの時、僕はあろうことかそれを悠真きみのせいにしようとした。悠真きみが居なければ、僕が彼女の隣に立つことも出来たんじゃないかと思い込もうとした。悠真きみが未来を変えたことを知って、だったら僕にも変えられるんじゃないかって、勇気を振り絞って〝あと一歩〟を踏み出しさえすれば、って……思い込んでいたんだ」


 拳をさらに、さらに強く握り込む。


「だけど……僕と君は全然違った……! 僕が自分のことばかり考えて、誰かのためを思っているをしている間に、君は僕にも見えないところで戦っていたんだね……! そんなことも知らずに……僕は君のように成れると思い込んで、自惚うぬぼれて……! 未来の言った通りだった……! 僕は……僕は……!」


 ――僕は、なんて傲慢だったんだろう。


 自責の念に囚われる真太郎に、悠真はなにも言わない。先ほど激情を見せた彼とは打って変わって、ただ黙ったまま、静かに真太郎の話に耳を傾けている。


「桃華にあんな答え方をしたのもそうだ……僕は彼女との絆を失うのが怖くて、もう彼女が笑ってくれなくなるのが怖くて……嘘を吐いた……彼女の本気の告白を、便


「誰とも付き合う気がない」と言えばきっと桃華に負わせる傷は小さく済んで――嫌われずに済むから。

 言葉にすると、なんと醜い行為だろうか。本当に自分のことしか考えていない。悠真とは似て非なるどころか、まったく真逆の行いだった。ずっと桃華のために動いてきた悠真があれほど怒ったのも当然と言えよう。


「僕は……また間違えてしまった」


 震える喉を引き絞り、言葉を続ける。


「観覧車であれだけ後悔したはずなのに……結局僕はまだ、自分のことしか考えていないままだ……!」


 冷たいコンクリートを見下ろしながら。

 自分とは正反対の友に向かって頭を下げながら。


「桃華を傷付けられた君が僕に対して怒るのは当たり前だ……! ごめん、悠真……! 本当に、本当にごめ――」


「要らねえよ」


 ――一蹴。

 それはしくも、あの他人ひと嫌いの少女と同じ言葉だった。


「――俺が何時いつ?」

「!」


 はっとして、真太郎が顔を上げる。

 視線の先にいる少年は「き違えるな」と言わんばかりの瞳でこちらを真っ直ぐに見据えていた。


「……俺は、お前に謝ってほしくてここに来たわけじゃない。お前が桃華の告白を受け入れなかったことに文句を言うためでも、ましてやお前のを読み聞かせてもらうためでもない」


 悠真は強い意思を秘めた言葉を紡ぐ。


「俺はただ、あの子の告白に真剣に応えてやってほしいだけだ。あの子の想いに正面から向き合ってお前の気持ちを――で、伝えてやってほしいだけだ」


 ――『誰とも付き合うつもりはない』なんて、誰でも・誰にでも使えるような常套句ではなく。


を、桃華アイツに聞かせてやってくれよ――きっと、きっとまだ間に合うから」

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